辻村史朗

スペインのバルセロナ発、ドイツ西部デュッセルドルフ行きのドイツの格安航空会社ジャーマンウィングスの9525便(エアバスA320型機)が、24日(日本時間同日午後7時ごろ)、フランス南東部の山岳地帯に墜落した。
同機には乗客乗員計150人が搭乗していたとみられる。
生存者の情報はなく、全員が犠牲になったおそれがあるという。

A320は150~180人乗りのエアバスの小型機で、格安航空会社で多用されている機種として知られている。
テロとの関係性は少なく、現在ブラックボックスの解析中だという。

それはさておき、奈良の山中に気になる陶芸家がいる。
その名は、辻村史朗。







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奈良の山中で40年余り、師も持たず、賞や栄誉にも囚われず、土と格闘し40年で200トンの土を焼いている陶芸家である。






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あらためて、経歴をみてみよう。

辻村 史朗(1947年~)
■経歴

1947年 奈良県御所市に、牧畜を家業とする家の4男として生まれる。
1965年 東京駒場の日本民藝館で、偶然大井戸茶碗に遭遇し、大きな感銘をうける。
   この事が、その後陶芸に進む切っ掛けにとなる。 






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1966年 19~21歳の三年間、奈良の禅寺三松寺(曹洞宗)に住み込み、修行を行う。

1968年 実家に帰り家業を手伝いながら、独立する為の資金作りに励む。

1969年 リヤカーの車輪を利用した轆轤を自作し轆轤による作陶を始める。同年結婚。

1970年 奈良県奈良市水間の山中に土地を求め、民家の古材や廃材を使って自らバラックの様な家を建て同時に、自宅近傍に薪窯を築く。
井戸も自力で掘った。
小さな窖窯で焼いた、ぐい呑みや茶碗などを、京都の有名観光地の道端で売って、生計を立てていた。

1977年 30歳の時、今までの修行の成果を披露する為、奈良水間の自宅で、初めての個展を開催し大成功を納める。
奈良の山奥に面白い陶芸家がいると言う事で、山奥にもかかわらず多くの人が見に来た。

1978年 前年の個展の反響に気を強く持ち、大阪三越にて個展を開催し、古美術商の近藤金吾氏の眼に止まる。
翌年にも同じ場所で、個展を開催。
その後も、東京日本橋三越をはじめ各地の画廊で個展を多数開催。








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1981年 兵庫県加西市にある北条羅漢を見て感銘を受ける。
以後羅漢が主要なテーマの一つとなり、絵付けや釘彫りで、作品の表面に施す様になる。






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1982年 京都の近藤金吾氏の店に作品を持参した際、荒川豊蔵氏(人間国宝)を紹介され、作品を絶賛される。

1993年 海外でも人気を博し、ドイツ・フランクフルト・ジャパンアートにて個展を開催。英国・ウエスト・デュポンにて築窯、作陶を行う。

1994年 ロンドン・ギャラリー・ベッソンにて個展を開催 。
1999年 裏千家茶道資料館にて「辻村史朗 壷と茶碗展」を開催。米国のメトロポリタンやボストン、ブルックリンなど、名だたる美術館に作品が所蔵される。


■辻村 史朗氏の陶芸
師を持たず、まったくの独学。更にいかなる美術団体にも所属していない。
彼の展示会で見られる作品は、ほとんどが信楽や、伊賀焼きの焼き締めの作品が多い。
しかし、抹茶々碗等には、唐津、志野、引出黒茶碗などもある。

修行時代には、日本の各地の焼き物以外に、中国や朝鮮の陶器や磁器までも制作している。
この多彩な経験が後々大きな収穫として現れる。






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一回の個展で約150点の作品を出品する。
その為に、数トンの土を使って制作、焼成する。
自宅周辺には多くの作品が、放置されている。

又、「自然に放置した作品は、熟成され更によくなる」と述べている。
熟成されていく事を、「きれいさび」と呼んでいる。

屋外に放置する事により、雨風に打たれ長い間には、釉も風化されて古色を帯びてきる。
更に、貫入(小さな釉のヒビ)に土やコケが入り込み、汚れた様な雰囲気が醸し出される。







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これらの現象は、見る人によっては、好ましい作品に熟成された物となる。
窯は7窯(薪、灯油、ガス、電気)所有し、作品に応じて使い分ける。
壷ならば、1250~1350℃で焼成し、土の塊の様な花入では1400℃を超える高温で焼く。







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弟子は採らない主義で、陶芸家に成った二人の息子(辻村唯、辻村塊氏)も、師匠らしい事は何もしなかった。

但し、例外として元総理大臣の細川護煕氏がいる。
美術雑誌で辻村氏の作品を見て、辻村氏の作品に惚れ込み、弟子入りを要請するが、断られ続けた末、直接奈良の辻村氏宅まで出掛け、口説き落として、弟子入りに成功したという。
辻村氏の横で轆轤の修行に入り、月に1~2回、1回数日間から数週間、別棟に寝泊りして陶芸の修行を行なったという。
一年半に及ぶ修行の末、「もうその辺でいいだろう」の言葉を貰い、師から独立したそうな。











☆☆☆やんジーのつぶやき
師を持たぬ独学の鬼才。その生い立ちに興味がわく。
禅寺での修業時代に化けたのか。
「きれいさび」と呼ぶ熟成された焼き物に官能が靡いた。




















































































































































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by my8686 | 2015-03-25 08:06 | 徒然なるままに | Trackback | Comments(0)

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