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Lewis Baltz

市場は生き物の感強くした出張明けの朝。
戦後70年にあたり、太平洋戦争の激戦地・パラオ共和国を訪れていた天皇、皇后両陛下は9日夜、戦没者の慰霊を終え、帰国された。
日本と米国双方の慰霊碑には生存者や遺族らが立ち会い、両陛下とともに犠牲者を悼んだ。

忘れられた戦い――。
天皇、皇后両陛下が慰霊に訪れたパラオ・ペリリュー島の戦いは、そう称されてきた。
全滅に近い約1万人が犠牲になった日本側、予想以上の死傷者を出した米国側双方が多くを語ろうとしなかったとされるためだ。
側近は今回の訪問について「両陛下は戦争を忘れないよう、行動でお示しになったのだろう」と語る。


それはさておき、ニュー・トポグラフィックスの代表的写真家ボルツについてみてみよう。


アメリカの写真家。
カリフォルニア州ニューポート・ビーチ生まれ。
1969年にサンフランシスコ・アート・インスティテュートを卒業。
1970年代初頭より作家活動を開始。

71年にはニューヨークのキャステリ・グラフィックスで、72年にはジョージ・イーストマン・ハウス国際写真博物館(ニューヨーク州ロチェスター)で個展を開く。

75年、最初の写真集『ニュー・インダストリアル・パークス――カリフォルニア州アーバイン近郊』The New Industrial Parks near Irvine, Californiaを出版。



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新興工業団地に現れた現代的な工場やオフィスの外観を即物的に捉えたこの作品は、アンセル・アダムズなどのアメリカ風景写真の伝統と一線を画するテーマと、冷徹で感情を抑えた描写を特徴としていた。

同年、ジョージ・イーストマン・ハウス国際写真博物館で開催された「ニュー・トポグラフィックス」展の出品作家に選ばれる。
これは風景写真の新たな動向を紹介する写真展で、8人のアメリカ人作家と一組のドイツ人作家ベッヒャー夫妻の作品が紹介された。



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この展覧会は、既存の伝統的な風景写真やその美学には収まらない新たな動向に焦点を絞ったもの。
ドラマチックではないありふれた場所や、人為が生み出した建築や構造物のある風景などの写真で占められている。
展覧会後、ニュー・トポグラフィックスは、新たな傾向の風景写真を名指す言葉として流通しはじめる。



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ボルツは、その代表的作家として70年代後半から80年代にかけて国際的に注目されることとなり、若い世代の写真家たちに影響を与えた。

80年代、ボルツは三部作というべき重要なシリーズを発表する。
80年、102点の作品からなる、ユタ州ソルト・レーク・シティの近郊に開発されつつあったスキー・リゾートの記録『パーク・シティ』Park Cityを発表。


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同写真集にテクストを寄せている評論家のガス・ブレイデルGus Blaisdellは、その光景を「不動産としての風景」と評した。

80年代半ばに入ると、ボルツの関心は、現代文明のもつ法則あるいは秩序の問題へと向かっていく。
撮影の場を都市開発の現場から、都市周縁に広がる不毛な荒地へと移行。

そして、86年にカリフォルニア州立刑務所の跡地をテーマにした『サン・クエンティン・ポイント』San Quentin Pointを発表。




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都市文明に内在する荒地のイメージを見事に抉り出した。

88年にはサンフランシスコのキャンドルスティックにある海軍の軍港跡地に広がる廃墟を捉えた『キャンドルスティック・ポイント』Candlestick Pointを発表。
都市文明の廃墟的イメージを追求したシリーズの頂点を締めくくる。



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翌89年、ベルリンの壁の崩壊とそれにともなう政治的風土の急変、ならびにハイテク社会の急速な進展といった時代の新局面に同調するかのように、ボルツは針路を急転換する。
それまで直視してきた都市周縁の風景ではなく、ハイテクの現場を主題にした作品を制作しはじめた。
なかでも、92年にパリのポンピドー・センターで発表した作品「夜警」は、あまりの変貌に評論家の間でも賛否が分かれ問題作とされた。




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フランスの小都市ルーベーにおける住民監視システムのモニター画像を中心に構成された同作は、それまでのボルツの写真とは全く異質なものである。

95年には自分の父が証人として出廷した疑惑の殺人事件を主題にした『ニューポート・ビーチの死』Die Toten von Newport Beachを発表。



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そこでは、すべての写真が、事件の報道写真など既存の写真の複写から構成され、撮影することすら放棄されている。



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この作品はCD-ROMでも制作され、新たなメディアへの取り組みを見せた。
近年は、ヨーロッパを拠点に活動しており、美術学校やワークショップでの教育活動やビデオによる都市の記録プロジェクトなどにも力を入れている。



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☆☆☆やんジーのつぶやき
ボルツにはぜひとも福島原発の今を撮ってもらいたい。
廃炉作業で、被ばく線量が法定上限の「5年間で100ミリシーベルト」を超え、現場で働けなくなった作業員は今年1月末現在で174人となった。
原発の登録作業員は1万4000人程度だが、50~100ミリシーベルト被ばくしたのは2081人に上る。
今後は線量の高い場所での業務が増える見込みで、専門家からは作業員を安定して確保する仕組みづくりが急務だとする指摘が出ている。



by my8686 | 2015-04-10 08:06 | 徒然なるままに | Trackback | Comments(0)