昨日の日曜は、ワイフと連れ立って三次にある公園でパークゴルフに興じる。
そのあと庄原まで足をのばし「かんぽの郷」で温泉につかる。
時は夕刻、温泉にからだをあづけつつ沈みゆく夕陽をながめる。
なんとも贅沢な時間。
温泉からあがり牛蒡のあげものを摘みに缶ビールで喉を潤す。
帰路、三次にある回転鮨店にたちより寒ブリで熱燗をやる。
もちろん、愛車86の運転はワイフにまかせ心地よい酔いを助手席で味わう。
さて、話はかわって先週気になった本をまとめて図書館から借り出した。
その中に、建築家隈研吾の「負ける建築」がある。
あらためて、松岡正鋼の千夜千冊からその書評をみてみよう。
いったい「負ける」とか「負ける建築」とは何なのか。
こういうことらしい。
かつて米ソ対立が鮮明に世界を二分していたときは、勝つためのレトリックが支配していた。
けれども勝ち組をアメリカが独占したかに見えるようになってくると、巨悪に立ち向かえるのは自爆テロだけ、巨善に立ち向かえるのはマイクロソフトだけで、軍事力でも経済力でも主張力でも、ほかはみんな「負け」になった。
そうなると、負け派も負けをレトリックにして語るような知恵がついてきた。
能動性(勝つ)よりも受動性(負け)なのだ。
科学においてもたとえば、受動性の探求であるアフォーダンスが脚光をあびるようになった。
隈によれば、負けのレトリックが尊ばれるというのは共同体が閉じたということになる。
共同体が開き、外部と直面するときは「勝つ」ためのレトリックを競いあう。
外部に敵わないとみて共同体が閉じれば、内輪の関係を重視してそちらのほうを保てばいいのだから、そこに集中できる。
負けのレトリックとは、この由緒正しい村落共同体的なマナーにのっとった「負けるが勝ち」の作戦なのだ。
このムードが建築においても流行しているのだという。
わがままな施主に負けた、奇妙な形の敷地に負けた、予算の少なさに負けた、理不尽な建築法規に負けた‥‥。
建築家もこのレトリックをおぼえたのだ。
しかし隈は、このような負けのレトリックの裏側で、またしても建築という結果の強さがのうのうとしはじめたのではないか、そう言うのだ。
建築は負けたなどと言うべきではない。
どうしようもなく強いものだと自覚するべきなのだ。
建築はやはり勝つ宿命から逃れられはしないのだ。
遁走はできないはずなのである。
そのような宿命を自覚するこのほうが重要ではないか。
隈はそう言いたかった。
本書が「負け」に関して言及している理屈は、だいたいは以上のようなことである。
けれどもこれだけでは何を提案しているのか、批判しているのかが、よく見えない。
ぼくは建築の勝ち負けというものがどういうものかはまだピンときていないけれど、むしろ隈研吾の言いたいことは、グラウンド(地=分母)を問わないでフィギュア(図=分子)にかまけるなということだろう。
ぼくもかつて「デノミネーターの消息」という連載を雑誌にしていたことがあるのだが、問題は何を分母において分子を語るかということなのである。
たとえば「テロ」は、分母に「ナショナリズム」をもってくるか「民主主義」をもってくるかで、その分子の意味が変わっていく。
だったら第4世代は、かつての「精神性」や「民族性」に代わる分母を持ち出すべきなのである。
もし、分母はとっくの昔に「自然」とか「生活」に決まっているのだというのなら、その分母に、どのような分子の多様性を掲げるかを提示したほうがいい。
このいずれのやりかたも気にいらないというなら、ひょっとするとこれこそが隈研吾のとりたい方法なのかもしれないのだが、分母(地)と分子(図)の関係を分数のかたちに戻して、その一本の線(バー)に建築のすべてをこめるのだ。
これはやはり、境界をどうにかしたいという隈研吾のもともとの解読法に近いかもしれない。
それにしても、建築は勝ち負けではあるまい。
本来の「負」とは水を感じるために水を抜いた枯山水のような“方法”にあるはずなのである。
☆☆☆やんジーのつぶやき
隈が監修した著書「境界」の中でつぶやいた日本建築を生み出した「優雅な退屈」についてもういちど考えてみたいと思った。
そして、桂離宮の竹垣の前で泣き崩れたタウトの涙の意味をもういちど考えてみたいと思った。