今朝、新聞広告に藤原新也の「大鮃」という新刊広告が目に止まった。
つねに同時代を生き、洞察し、リードしてきた著者による人生賛歌、最高傑作の誕生!
「しかし死の扉の前に立つ老いの季節は、絶望の季節ではありません。 落葉もまた花と同じように美しいものです」
現代社会の情報の海に溺れ、失われつつある真の青年期。そして老年期。
そのふたつが最北の海に出会う、奇跡の一日を描いた物語。
父なき時代の「青年の絶望」とは? そして「老いの豊かさ」とは?
メメントモリから33年ぶり。
1972年の処女作『印度放浪』は、青年のインド放浪記として学生時代に衝撃を受けた写真集であった。
なぜ、あんなに官能が動揺し疼いたのか。
大学を卒業し社会人になり、結婚して2年目の年に「全東洋街道」を書店で手にしていた。
不思議な感慨と動揺があの時と同じ官能の疼きを覚えた。
さらに翌年、「東京漂流」と「メメント・モリ」が発表され、立て続けに衝撃が脳髄を刺激していた。
藤原新也。
その名前と顔を垣間見る度に、ただならぬ空気が官能を疼いていく。
老年期にさしかかった自分が、この新刊「大鮃」とどうむきあうのか。
父なき時代の「老いの豊かさ」をどう読み解くのか、愉しみである。
☆☆☆やんジーのつぶやき
死の扉の前に立つ老いの季節の臭いを嗅ぎはじめた自分。
どうこの本と対峙するのか。
しかし、官能は鎮まるどころか、熱く沸点を超えようとしている。