一柳慧「日本の作曲家も時代に挑んでいた」を読み解く

本日も一柳慧のインタビュー記事を読み解いてみよう。

1950年代後半以降から、劇作家の寺山修司氏、建築家の黒川紀章氏、グラフィックデザイナーの粟津潔氏ら刺激的な天才がどんどんニューヨークに集まり、日本人同士の交流から学ぶものが増えた。でも音楽家はまだ少なかった。團伊玖磨さんはそんな時代にニューヨークで人脈を広げた数少ない作曲家のひとりでした。




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■團伊玖磨(1924~2001)はオペラ「夕鶴」や童謡「ぞうさん」の作曲者。アジアの文化交流に尽くし、「パイプのけむり」など洒脱なエッセーでも知られる。




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彼の管弦楽の書法は素晴らしかったなあ。当時の日本人の管弦楽作品は、叙情的で感情に訴えるものが多かったけれど、彼の作品は金管が多く、とても力強かった。

前衛的な音楽には背を向けていたけれど、だからといって新しくないというわけではなかった。自分が信じている音楽を表現することで、彼も私たちと同じように時代に挑んでいるのだと気付きました。






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■團と並び、日本の作曲界のフロントランナーだった黛敏郎(1929~97)もアメリカに。巨大な「涅槃交響曲」で世界を驚かせ、テレビの司会者まで務める。4歳上の黛のマルチな才能の在り方に、一柳は圧倒された。



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私が日本に帰る半年前、黛さんが突然、ニューヨークに3カ月くらい来られたんです。ジョン・ケージを紹介したところ、気に入って彼にぴったり張り付いてしまった。自分とはまったくタイプが違うのにね。とにかく、非常に感覚の鋭い人でした。






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芸大時代にガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」をやったと聞きました。日本で当時、あの曲を知っていた人なんてほとんどいなかったんじゃないかな。彼はジャズの曲も書いていますが、聴いたことありますか? 実に素晴らしいんですよ。



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調性を壊すことばかりが革命ではない。日本にいた人たちも、彼らなりの前衛精神で闘っていた。あの時代の自由さは、今も振り返るたび、とてもいとおしいです。









☆☆☆やんジーのつぶやき
寺山修司、黒川紀章、粟津潔。
1960年代をリードした天才達の活躍ぶりに官能が沸騰したことを思い出す。
高校生時代に粟津潔の存在を芸術雑誌で知った。
それが、デザインを志す動機となった。
氏の著書「デザインに何ができるか」と「粟津潔デザイン図絵」は、あの時代の聖書であった。
ベンシャーンを幻の師と仰いだ粟津に共感した時代でもあった。












































































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by my8686 | 2017-06-23 16:13 | 現代音楽のたしなみ | Trackback | Comments(0)

一柳慧「何にも属さないのがオノ・ヨーコ」を読み解く

昨日に続き一柳慧のインタヴュー記事を読み解いてみよう。


■多種多様な芸術ジャンルが互いの垣根なく、それぞれの「常識」を突き崩し、時代の表現を探していた50年代のアメリカ。その象徴的存在だったモダンダンスの巨匠、マース・カニングハム(1919~2009)の新作で、音楽をたびたび担当した。




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彼は、音楽には驚くほど注文をつけませんでした。こういうタイトルで、これぐらいの長さのものをつくるのでよろしく、という感じ。一緒に作品をつくるアーティストをコントロールしようという気が全くなかったんです。





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自分のダンスが音楽を従えるというのではなく、そこに集うすべての芸術を等価にするという感覚。これは新鮮でした。ニューヨークのアート界を牽引していた画家のジャスパー・ジョーンズ、ロバート・ラウシェンバーグに対しても、同じことを言っていましたね。観客にも、ひとりひとりが自分なりの見方で舞台を見ることを求めました。






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ラウシェンバーグは「禁じ手」で自己表現する人でした。最初から照明をつけないとか、光を横の同じ位置に固定して当て続けるとか。俳優やダンサーをスポットライトで追うだけという手法がいかにありきたりか、逆に鮮明になる。これは強烈でした。





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■様々な日本人芸術家との交流も盛んだった。中には後に結婚することになる、前衛芸術家のオノ・ヨーコも。



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内的な闘いを表現する彼女の作品は、アメリカのアートシーンでも特別な存在感がありました。彼女そのものがひとつのジャンルだった。もとは詩人ですが、何にも所属しないというのが彼女自身のアイデンティティーでした。






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一緒にやった仕事はあまりないのですが、社会通念にとらわれず、自分の胆力で本質を見いだしていく力は魅力的でした。私も参加した2001年の横浜トリエンナーレで、貨物列車を使った彼女の作品を見ました。






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人間を入れず、音だけを仕込んで、アウシュビッツに運ばれていく人たちが詰め込まれた風景を想起させた。いい発想だな、彼女らしいな、と思いました。





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☆☆☆やんジーのつぶやき
一柳は、1956年にオノ・ヨーコと結婚し1962年に離婚している。
学生時代、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの一連の平和運動パフォーマンスには辟易とさせられた記憶がある。
ビートルズを解散させ、ジョンを早死にさせた女性という悪いイメージが強いが、アートパフォーマンスの発想には瞠目させられた。
熱き時代の残像として今も棘のように記憶の壁に刺さっている。













































































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by my8686 | 2017-06-22 12:57 | 現代音楽のたしなみ | Trackback | Comments(0)

一柳慧「どの音も対等、現代の私たちの象徴」を読み解く

昨日に続き、一柳慧のインタヴューコラムを読み解いてみよう。


ジョン・ケージは、禅の文化を世界に広めた仏教学者、鈴木大拙(1870~1966)に心酔していた。のちに一柳の手引きで、日本でも面会を果たしている。



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何にもとらわれない。自己主張しない。あるがままに生きる。そんな大拙の教えを、ケージは自分の芸術で実践しようとしていました。





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かの「4分33秒」も1952年、大拙に感化されて生まれました。

ケージ自身にとっての「禊ぎ」の作品です。自分から発するものだけを音楽と思うなかれ。いま、この場で鳴り響いているすべてが音楽なのだ、と。

ケージのものの見方、考え方、すべてがこの作品をきっかけに変わりました。非西欧の社会の人々に積極的に会い、西洋的なモノサシに感化された自身の価値観に疑問符を突きつけるようになった。私自身も時間と空間を、別々の概念でなく、互いに浸透しあう関係としてとらえるようになりました。





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■「4分33秒」が転機となり、ケージは五線譜を離れ、自身のルールに基づく自在な図形楽譜を書き始める。





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私も彼の影響で、50年代からずいぶん奔放な図形楽譜を書くようになりました。もっとも帰国すると、徐々に人間の手触りを感じる五線譜に戻っていったわけですが。

こんな風に、作曲の手法が多様かつ複雑になるにつれ、現代音楽が一般の人々の感覚から離れていったという批判もあります。でも、私にはこの「自由」が救いだった。





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クラシック音楽っていうのはもともと、王様とか貴族を喜ばせるためのものだった。でも、時代は変わった。今はひとりひとりが自分の人生に自覚を持ち、主張し、表現して生きていく社会です。

調性やメロディーやハーモニーといったくびきを逃れた1音1音は、現代を生きる私たちの象徴。どの音も互いに従属せず、対等に立ちながら、ひとつの社会の一員として世界を呼吸している。

調性を捨てた現代音楽は、そうした社会を渇望する人々の無意識が、表現となってあらわれ出たものではないかと。




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☆☆☆やんジーのつぶやき
くびきを逃れた1音1音に魂を込める。
どの音も互いに従属せず、対等に立ちながら、ひとつの社会の一員として世界を呼吸する。
しかし、いまだに世界のどこかで戦争とテロが勃発している現実に目を背けずにいたい。





























































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by my8686 | 2017-06-21 18:04 | 現代音楽のたしなみ | Trackback | Comments(0)

一柳慧の語る「人生の贈りもの 戦後、自由の国でケージと出会う」を読み解く

作曲家一柳慧氏のコラムが昨日からAH誌に掲載されている。

一柳慧といえば、1950年代のアメリカで世界的アーティストたちと垣根を越えた人脈を築いた先駆的音楽家として知られる。

作曲家ジョン・ケージやオノ・ヨーコ、画家のジャスパー・ジョーンズ、モダンダンスのマース・カニングハムなど最先端の前衛芸術達である。



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「演奏」という枠を超えた舞台上のパフォーマンスで伝統や権威から音楽を解放してきた。今なお現代音楽界のトップランナーといって過言ではなかろう。




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あらためて、彼のインタヴューを読み解いてみよう。


現代音楽の道に足を踏み入れたのは、そこに自由の可能性を感じたからです。既存の手法に、さらには音楽というジャンルにすら束縛されず、どこまでも開かれた世界で生きていきたかった。

そんな決意の礎となったのが、何者にも心を縛られてなるものかという強烈な反抗心でした。





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戦後、家計を助けるため、進駐軍のクラブでピアノを弾いていたことがありました。まだ10代でしたが、将校も兵隊も友人のようにレコードや楽譜を貸してくれて驚きました。人間は誰もが対等。弱き者は助ける。この感覚に、自分が渇望してやまない自由の本質を見た気がしました。





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■1952年の秋、前衛芸術のるつぼだったアメリカへ。あらゆるジャンルが連携して新たな表現を模索する、強烈な前衛芸術の世界のただ中に飛び込んだ。ミネソタ大学を経て、ニューヨークの名門ジュリアード音楽院に。画廊などに入り浸って出会いを広げ、自由を謳歌する。





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多様な芸術家が集まったのは、大戦のあだ花でもありました。民俗音楽を創作の礎にしたバルトークや現代音楽の基盤を築いたシェーンベルクら、最先端の作曲家たちが欧州から相次いで逃げてきましたから。

戦後も、破壊された欧州からアメリカに来ることを望む芸術家は少なくなかった。この時代のアメリカにいることそのものが、伝統や制度といった「枷」への抵抗だったのかもしれません。






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■この地で前衛音楽の旗手、作曲家のジョン・ケージ(1912~92)と運命の出会いをする。あらゆる素材を使い、音楽の概念を変えた20世紀最大の実験音楽家。演奏者が一切音を発さず、その間にきこえる雑音の全てを音楽としてとらえる「4分33秒」で世界に衝撃を与えた。






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彼こそ、私が進駐軍で憧れていた、寛大な良きアメリカ人そのものでした。彼の曲の多くを初演したピアニスト、デイビッド・チューダーのリサイタルに行くと客席にいたんです。終演後、チューダーに紹介してもらい「あなたの音楽は、時間にも何にも縛られていない」というような正直な意見を片言で言ったように覚えています。





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すると「明日、遊びにこないか」。

そんな彼と同じく、家も変わっていました。家具がまったくないんです。考え方や行動が影響を受けるからと。椅子もなく、床に座って話をしたような覚えがあります。









☆☆☆やんジーのつぶやき
学生時代に衝撃を受けたのは吉田喜重や松本俊夫の映画音楽だった。
吉田秀和をして「ケージ・ショック」と言わしめるほどの衝撃を日本の音楽界に与えた。
一柳慧の存在は今も鮮烈でありあの時代の残像がふつふつと官能を沸騰させる。
あらためて、もう一度彼がかかわった映画を観たいと思った。




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■おとし穴(1962年、勅使河原宏監督)
■エロス+虐殺(1970年、吉田喜重監督)
■エクスパンション<拡張>(1972年、松本俊夫監督)
■戒厳令(1973年、吉田喜重監督)
■色即是空(1975年、松本俊夫監督)
■湾岸道路(1984年、東陽一監督)





































































































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by my8686 | 2017-06-20 14:30 | 現代音楽のたしなみ | Trackback | Comments(0)

「現代音楽の巨匠スティーブ・ライヒ」を読み解く

3月、80歳を記念して東京・初台の東京オペラシティで開かれた公演で、聴衆に「権威ある大家より、未来を担う若手に視線を」と語りかけた。

民族や宗教による社会の分断が世界中でクローズアップされるなか、異なる価値観を調和の中に共存させるこの人の音楽が、今なお圧倒的に支持されている。
現代音楽の巨匠で、ポップスやロック、ジャズの世界からも敬愛される作曲家スティーブ・ライヒ。





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四月一日は、作曲家スティーブ・ライヒについて読み解いてみよう。



■反復する言葉、多層性への気付き

ライヒ演奏をライフワークとする打楽器奏者で指揮者のコリン・カリーら、理想的な奏者がこの日のために結集した。



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「最高のバースデープレゼント。奏者がいるから、音楽は時代を超えて届き続ける。友人にも、異なる思想を持つ人にも、等しく。世界中の人が私の音楽を演奏し、楽しんでくれているのを見るのは本当に幸せ」

1936年、クラシック音楽が形式や調性の秩序を放棄する、いわゆる現代音楽へと舵をきった時代の米国に生を受ける。

「私の世代がやったのは『革命』ではなく『修復』。音楽にリズムやハーモニーや旋律を取り戻した。シェーンベルクらが閉じた窓を、私は聴衆に向けて再び開こうと試みた」

ここ半世紀「ミニマル音楽」の代名詞で在り続ける。
シンプルな音素材を反復し、重ね、非現実の陶酔感へ。黒人牧師の叫びを繰り返す「イッツ・ゴナ・レイン」(65年)はキューバ危機から3年後の作品だ。




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「あのとき、世界の終わりが現実になるという本物の恐怖をアメリカ国民は味わった。その気分のリアリティーが礎になった」。

イスラム原理主義者に殺されたユダヤ系ジャーナリストの言葉をちりばめる2006年の「ダニエル・バリエーションズ」にもこの気概は貫かれている。




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「同じ言葉を繰り返して聞いていると、おのずと旋律の形を成してくる。肉体の奥底から、洗練とは無縁の土俗的なリズムも湧きあがってくる。民族音楽を礎にしたバルトークやストラビンスキーと同じ地平に立つ気持ちになる。言葉から与えられるこの瞬間を、いつも『神からの贈り物』と感じる」


そんな孤高の模索に導かれた境地が今回、ヘブライ語のテキストに基づく大作「テヒリーム(詩編)」(81年)で示された。
手拍子と太鼓が原始の空気で会場を満たす。声と管弦楽が様々な旋律とリズムを光の粒のようにちりばめ、神を賛美する壮麗な「ハレルヤ」へ。生身の人間の感触にあふれ、太古と未来に同時にたたずむ感覚に。




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最後の音が消えると、満席の客席で拍手と歓声と指笛が渦を巻いた。聴衆のいでたちや世代の多様さがそのまま、この人の人生を象徴するかのよう。
ストラビンスキー、マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーンを師と呼び、ブライアン・イーノやデビッド・ボウイがそんなライヒの公演に足を運ぶ。





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「西洋音楽の歴史をたどると、クラシックと世俗音楽の間に垣根なんてそもそもないことに気づく。ルネサンス期の作曲家はみなフォークソングの主題でミサ曲を書いていたし、ベートーベンの『田園』なんて酔っ払いの鼻歌みたい。楽譜に残される音楽がクラシックになり、それ以外がフォークソングと呼ばれる。それだけの違い」





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「ひとつの言葉を切り取って繰り返すのは、意味を分断したり破壊したりするためではない。その言葉に潜む多層性を、聴く人それぞれに気付かせ、より強く深く印象づけるため。私はこれからも、誠実に言葉に仕え続ける。自分が生きるこの時代を愛し、音楽家にしかできない『対話』を続けるために」




さらに、略歴をみてみよう。


1990年、『18人の音楽家のための音楽』(1974-76)、ホロコーストを題材にした『ディファレント・トレインズ』(1988)により2つのグラミー賞を受賞。
1993年には、「21世紀のオペラはこうあるべき」(タイム誌)と評された『The Cave -洞窟-』を発表した。
2006年、第18回高松宮殿下記念世界文化賞の音楽部門を受賞。
2009年、『ダブル・セクステット(フランス語版)』でピューリッツァー賞 音楽部門を受賞[1]。
2008年度の「武満徹作曲賞」審査員を務めている。



ライヒは1957年にコーネル大学哲学科で学士号を取得した後、1958年から1961年までニューヨークのジュリアード音楽院に在籍し、ウィリアム・バーグスマらに師事。
1961年から1963年までは、カリフォルニア州のオークランドにある、ミルズカレッジでルチアーノ・ベリオとダリウス・ミヨーの元で学び、修士号を取得した。

ライヒの作品、特に『ドラミング』(1971)では、アフリカ音楽の影響が色濃く、ライヒは特にAM・ジョーンズによる、ガーナのエヴェ族に関するアフリカ音楽の研究から影響を受けていた。




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やがてライヒは、ドラミングの研究のためにガーナを訪れるようになり、1970年にはガーナ大学アフリカ研究所でドラミングを集中して学んだ。

また、ライヒは1973年から1974年にかけてシアトルでバリ島のガムランの研究も行った。
さらにユダヤ人としての自らのルーツを探るようにヘブライ語聖書の伝統的な詠唱法を学ぶことで、「言葉が生む旋律」を再発見していく。

『ドラミング』以降、ライヒは自分自身が先駆者であった"フェイズ・シフティング"の技法から離れ、より複雑な楽曲を書き始める。
彼は他の音のオーグメンテーション(あるフレーズやメロディの一部の音符を一時的に増幅させ、繰り返したりすること)のようなプロセスを用いる方へ移行する。

『マレット楽器、声およびオルガンのための音楽』(1973)のような作品を作曲したのはこの時期である。

特に『フォー・オルガンズ』では、オーグメンテーションが用いられており、1967年に作曲された Slow Motion Sound はそのプロトタイプともいえる。

この曲は演奏されたことはないが、録音された音や声を、音程も音質も変えずに、音を元の長さの数倍になるまで遅く再生するアイディアは、『フォー・オルガンズ』でも採用されている。

その結果、4台のオルガンがそれぞれ特定の8部音符を強調しながら、11thの和音を奏で、マラカスがテンポの速い8部音符のリズムを刻む立体的な音の空間を持った曲が出来上がった。

リズムが変化し、繰り返される手法が使われている。この曲は、初期のライヒの作品が循環的であるのに対し、直線的である点が異質で特徴的である。




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1974年には、ライヒはライヒを知る大多数の人々から重要であると位置づけられる作品、『18人の音楽家のための音楽』を書き始めた。初期の作品の持つ作風へ戻りつつも、この作品には多くの新しいアイディアが含まれている。

曲は11のコードのサイクルを基本としており、それぞれのコードには短い曲がそれぞれ割り当てられ、曲の終わりには元のサイクルへと戻っていく。

セクション(楽曲内の区切り)は"Pulses"、 Section I-X、再び"Pulses"と名づけられている。




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ライヒにとっては、大人数のアンサンブルのために書いた初の試みであり、演奏家が増えることによって音響心理学的な効果はより大きなものとなり、その効果に夢中になったライヒは「もっとこのアイディアを探求したい」と語っている。

また、ライヒはこの作品は過去に書かれたどの作品よりも、最初の5分間に含まれるハーモニーが豊かであるとも語っている。

同じ年に、ライヒは彼自身の哲学、美学、1963年から1974年の間に作曲した作品についてのエッセイが収録された本"Writings About Music"を出版した。
2002年には"Writings On Music (1965-2000)"として、新しいエッセイが収録された本も出版されている。

1976年から1977年にかけては、ライヒはドイツ系ユダヤ人である自らのルーツを探るように、ニューヨークとエルサレムにて、ヘブライ語聖書の伝統的な詠唱「要曖昧さ回避法」を学ぶ。

1981年に作曲された『テヒリーム』は、ヘブライ語で詩篇もしくは賛歌を意味するタイトルが示す通り、ヘブライ語のテキストを女声が歌い上げる、4部に分かれた曲である。




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1988年には、クロノス・クァルテットのために『ディファレント・トレインズ』を書き下ろす。
この作品においてライヒは、インタビューで録音された古い肉声を使用しており、その肉声が奏でる音程に合わせて弦楽器のメロディーが反復され、加速するといった新しい手法を用いている。

曲は3部に分かれており、第二次世界大戦前のアメリカ、第二次大戦中のヨーロッパでのホロコースト、戦後のアメリカにおける汽車の旅が、汽笛の音を散りばめながら描かれている。

1990年に、ライヒはこの作品においてグラミー賞最優秀現代音楽作品賞を受賞する。

1993年には、ライヒは妻で映像作家でもあるベリル・コロットとオペラ『ザ・ケイヴ』においてコラボレーションを行う。
このオペラでは、彼はユダヤ教、キリスト教、イスラム教のルーツを探っている。



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ライヒとコロットは、飛行船ヒンデンブルク号の惨劇、ビキニ環礁での核実験、そしてより現代的な出来事、特にクローン羊ドリーを取り上げたオペラ『スリー・テイルズ』(2002)でも再度コラボレーションを行っている。




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☆☆☆やんジーのつぶやき
桜の開花を待つ土曜休日の朝は、ストラビンスキー、マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーンを師と呼ぶスティーブ・ライヒの作品に浸ってみよう。









































































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by my8686 | 2017-04-01 10:07 | 現代音楽のたしなみ | Trackback | Comments(0)

追悼  ピエール・ブーレーズ

現代音楽界最大の巨人であり、思想や文学など周辺の領域にも大きな影響を与えた音楽家、ピエール・ブーレーズが5日、90歳で亡くなった。




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あらためて、現代音楽に詳しい関係者のコメントに注目してみよう。



■お洒落な語り、静かで熱い指揮 作曲家・藤倉大
「10代の反抗期」といった雰囲気をいつも漂わせている人だった。
亡くなったと聞き、最初に思ったのは「ああ、もうあのお洒落な語りが聞けない」ということ。
信じられないほど頭の回転が速く、だいたいの場合、相手の質問を遮り、すごい早口でよどみなく明瞭に本質を突くのだった。




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初めてお会いしたのは2003年、ルツェルン音楽祭で初演されるオーケストラ作品のオーディションだった。
ブーレーズといえば、音楽の教科書に必ず出てくるほどの人。
僕にとってもロックスターのような憧れの存在だった。
緊張しすぎ、30分前に着いてしまった。
少し開いたドアの隙間から、僕の書いた楽譜を鋭いまなざしで眺めているブーレーズの姿が見えた。
近付こうとすると、指揮でオーケストラをピタッと停止させる時の空手チョップのようなしぐさで、無言のまま「まだ待って!」。
心臓が止まるかと思った。




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指揮はよく「正確無比」といわれたが、実際には複雑な音響を素晴らしくミックスさせる魔法のようだった。
現代の指揮者は、多くの場合大振りで、髪を振り乱して七転八倒。
ブーレーズは正反対。
身ぶりは完全に制御され、表情も変わらず、最後まですーっと楽譜通り。
それでいて、出てくる音は温かい。
いや、むしろ熱い。
「ちょっと速すぎないか」と思うくらいオーケストラをグイグイ疾走させる。
そして指をピッと動かすだけで、金管群にアクセントを利かせまくる。




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僕の曲を指揮してくれたとき、楽員に「多くのことを要求してすまないと思っているが、悪いとは思っていない」と言ってリハーサルを始めたのが忘れられない。
柔らかなウィットは、僕らのような若手とも対等でいてくれる謙虚さからにじみでてくるものだった。

自分の作品のためではなく、他人のため、未来の音のためだけに楽団や音響スタジオを創設した音楽家など、歴史を見渡しても他にない。
そうして開発されたソフトや音響技術がここ最近、現代音楽のみならず、ポピュラー音楽のジャンルで普通に使われている。

気持ちの整理はまだできていない。
ただ、僕の頭、心、耳、いわば作曲家としての僕そのもののなかに、ブーレーズという人がこれからも存在し続けることだけは確かだ。



■多様な個性を、きしみない音に 音楽評論家・片山杜秀
怒れるブーレーズ。
若い頃のあだ名だった。
1925年生まれ。
はたちの年に第2次世界大戦が終わる。
こんな過酷な戦争を引き起こす人類とは何者なのか。
過去を清算しリセットして生まれ変わるべきだ。
そのためにまったく新しい音楽が作られねばならない。
戦後前衛の精神だ。若きブーレーズはそれにかけた。




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だがすぐに気づいた。
根のないところに新芽は出ない。怒りは好奇心に変わった。
温故知新。
自ら指揮をしながら、先達の音の秘法を会得していった。ワーグナーやシェーンベルクの際限なき音の移ろい。
ドビュッシーの曖昧さ。
ラベルの輝き。ストラビンスキーの強さ。バルトークの粘り。ウェーベルンの孤独。




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それらの根を掛け合わせつつブーレーズの目指した音楽の中身は、代表作の題名に象徴されている。
「ル・マルトー・サン・メトル(主人のいないハンマー)」。この世に強権的支配者はいらない。
誰しも主役。誰もが孤独。
それに耐える。
しかも個々はハンマーのような存在感を失ってはいけない。
怒るときは怒る。
「プリ・スロン・プリ(ひだにしたがうひだ)」。




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世界はまっすぐにならない。
ひだやしわばかり。
そういう曖昧さに耐える。
偶然も当たり前と思う。
そのくらいがいい。
「エクラ・ミュルティプル(輝き、多様な)」。
世界はひたすら多様性に満たされ、豊饒にきらめき続けるのがいい。
誰も理屈で単純化できはしない。
「レポン(応唱)」。




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多様なものが孤独と曖昧さの中で単にバラバラになってはまずい。
大切なのは、応じ合って呼び交わし続けること。きしみやこすれや堅苦しさを、ブーレーズは嫌った。
作曲家としても指揮者としても。

彼の遺した音楽は、あまりにこすれ合うこの世界にとって、今こそ尊い。




■作曲家・指揮者、音楽界の巨人
1925年、仏モンブリゾン生まれ。
メシアンに学び、作曲家として世界の第一線に。
70年代、パリに音響・音楽の研究・実践機関「フランス国立音響音楽研究所(IRCAM)」と現代音楽専門の楽団「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」を創設。
新進の創作を触発する環境を率先して整える一方、指揮者としても世界を駆け回った。
音の塊で聴衆を圧倒せず、冷静かつ緻密なタクトで作品の骨格を洗い出し、余計な解釈を交えず、作品そのものの力で聴衆を導くスタンスを貫いた。

(2016.01.12朝日新聞より抜粋)









☆☆☆やんジーのつぶやき
プリ・スロン・プリ(ひだにしたがうひだ)。
あまりにこすれ合うこの世界にとって、今こそ尊い彼の音楽にもういちど耳を澄ませてみたい。































































































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by my8686 | 2016-01-13 09:10 | 現代音楽のたしなみ | Trackback | Comments(0)

HERMANN KELLER

広島、長崎への原爆投下から70年。
歳月の経過とともに被爆者も高齢になり、亡くなる人が相次ぐ。

厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ人は1980年度の37万2264人をピークに減り、今年3月には18万3519人に。
平均年齢も80・13歳まで上がった。
被爆者の減少で各地の被爆者団体の運営や活動が難しくなり、解散するケースも出ているという。

原爆の記憶だけは、風化させてはならない。



それはさておき、月曜日の朝は、久しぶりにドイツ人作曲家ヘルマン・ケラーをみてみよう。

ヘルマン・ケラーは終戦の1945年、ドイツ生まれの作曲家、即興演奏家で、ジャズ・ベーシストとして活動したこともある。



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ハインツ・ホリガー、ヴィンコ・グロボカール、インゴ・メッツマッヒャーらとともに現代音楽アンサンブルを度々組んでいる。




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今年生誕200年を迎えたロベルト・シューマンの作品を素材にした一種のパラフレーズ。
ピアノの内部奏法、クラスターありと殆ど原型を留めないほど素材はデフォルメされている。

しかし時折、もとの素材がよみがえりそのアンバランス感に独自のシュール・レアリスティックな詩学が聴き取れる。
ピアノ・ソナタ第3番は2台の片方を四分音下に調律を変え、2台のピアノを独りで弾く作品で、めまいのするような幻想的な雰囲気を作り出す。



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NEOS 11313

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ヘルマン・ケラーの即興演奏家としての本領が発揮されているのがこのアルバム。
ジョン・ケージを思わせる余白の多い乾いた響きで弾かれる「即興的な4つの主題と変奏曲」。




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スイスの音響彫刻家マルティン・シュピューラーが作った打楽器とピアノを組み合わせた特殊なピアノも登場。






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ジャズ・アーティストとしても舞台に立つケラーだが、それは「小さなバラード」や「33年後」にその傾向が強く表れている。







☆☆☆やんジーのつぶやき
何が起こるか予測できないスリリングさはジャズだけではない。
誘発しあいながら生み出されるインプロビゼーションに官能が痺れてゆく。




















































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by my8686 | 2015-08-03 13:08 | 現代音楽のたしなみ | Trackback | Comments(0)

Karlheinz Stockhausen

歴史的な議論の始まりである。
新たな安全保障関連法案が、きのうの衆院本会議で審議入りした。

この審議が持つ意味は極めて重い。
ただ慎重に議論を尽くせばいいというものではない。

一連の法案がこのまま成立すれば、安倍政権が昨年から試みてきた安全保障政策の大転換が、首相が米国議会で約束した通りひとまず「成就」する。
安倍氏が2006年に初めて首相に就いて以来唱えてきた「戦後レジームからの脱却」の骨格ができ上がる。

首相は今回の法制を進める理由について、「わが国を取り巻く安全保障環境がいっそう厳しくなり、国民にとってリスクが高まっているからだ。切れ目のない法制で抑止力が高まれば、日本が攻撃を受けるリスクは下がる」と強調した。

それが首相の言う「森を見る」ことならば、9条を改正して必要な法整備を進めたいと説くのが法治国家の首相のとるべき道だったのではないか。
その順序は完全に逆転している。

そのために安全保障環境の変化にどう対応すべきかという議論がかえって妨げられているのは本末転倒である。

この倒錯を正せるのは国会での言論であり、世論である。
(2015.05.27 朝日新聞 社説より抜粋)


倒錯した首相の率いるこの日本に未来はあるのか。
国民のための正しい志を求めたい。



それはさておき、気になるドイツの現代音楽家をみてみよう。

その名は、カールハインツ・シュトックハウゼン。
(Karlheinz Stockhausen, 1928年8月22日 - 2007年12月5日 )

典型的なセリエリズムに基づく「点の音楽」から「群の音楽」、「モメント形式」、そしてメロディー的な要素とセリエリズムの統合を図った「フォルメル技法」へと作曲技法を発展させていった。
また、世界で最初の電子音楽を作曲し、生演奏を電気的に変調させるライヴ・エレクトロニクス作品も手掛けた。
不確定性や多義性を伴った形式を試行していた時期もある。




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あらためて、略歴をみてみよう。


1952年にはフランスに移り、パリ国立高等音楽院に入学、オリヴィエ・メシアンの分析クラス、ダリウス・ミヨーの作曲クラスで学んだ。
「群の音楽」や「モメント形式」などの新しい概念を次々と考案し、また、世界で初めての電子音楽を作曲。
「少年の歌」や「グルッペン」、「コンタクテ」、「モメンテ」などの代表作を作曲して、第二次世界大戦後の前衛音楽の時代において、フランスのピエール・ブーレーズ、イタリアのルイジ・ノーノらと共にミュージック・セリエルの主導的な役割を担った。





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60年代後半以降は確定的な記譜法を離れ、自身の過去作品を出発点としてそれを次々と変容してゆく「プロツェッシオーン」や短波ラジオが受信した音形を変容してゆく「クルツヴェレン」などを作曲。
更には、演奏の方向性がテキストの形で提示された「直観音楽」を提唱する。アロイス・コンタルスキーやヨハネス・フリッチェらの演奏家とアンサンブルを結成し、これらの音楽を演奏した。

70年代には「フォルメル技法」を掲げて再び確定的な記譜法に回帰。
1977年から2003年まで、7つのオペラから構成される長大な連作「光(LICHT)」の創作に携わり、最終作である「日曜日」の第3場面「光‐絵」が、2005年の自身の28年ぶりの来日の際に東京の夏音楽祭にて演奏された。




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2004年以降は、一日の24時間を音楽で表現する24の連作「クラング」を作曲していたが、あと一歩で全曲の完成は叶わなかった。

1961年にケルン郊外の村、キュルテン(ドイツ語版、英語版)に土地を購入し、自身の要望どおりの家を4年ほどかけて建て、以後はその家で過ごした。
また、「シュトックハウゼン出版社」を設立し、自作のCDや楽譜などを体系的に出版する。






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1998年からは毎年キュルテンで「シュトックハウゼン講習会」を開催、後進の指導に熱心に取り組んだ。

2007年にキュルテンの自宅にて、12月5日に亡くなった。




さらに、第五期といわれる2004年~2007年の活動をみてみよう。


第五期(2004-2007)
「光」を2003年に完成させたシュトックハウゼンは、2004年から2008年の没年まで、1日の24時間を音楽化しようとする24作品からなる連作「クラング - 1日の24時間」(2004-07)の作曲に専念した。
1970年代以来のフォルメル技法に代わり、2オクターヴの24音からなるセリーがこの連作の基礎となっている。





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オペラ劇場で演奏されることを前提として作曲された「光」に対して、「クラング」はそのような制約を一切設けずに作曲されているため、基本的に演劇的な演出はなされていない。
ただし、1人の打楽器奏者と少女のための4時間目「天国への扉」(2005)では、例外的に演劇性が採り入れられている。
この作品は特製のドアを打楽器奏者が叩き続ける作品である。




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このほか、2人のハープ奏者のための2時間目「喜び」(2005)や24のピアノ音楽集である3時間目「自然な演奏時間(自然の持続時間と訳されることがあるが、ドイツ語でDAUERは総演奏時間のことを指す)」(2005/06)作品。
それまでのシュトックハウゼンの作風からはかなり離れた伝統的で室内楽風な編成のものが含まれている。






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オルガン(またはシンセサイザー)とソプラノ独唱、テノール独唱のための1時間目「昇天」(2004/05)。
30分以上にわたるほとんど全ての部分で、鍵盤楽器奏者は左手と右手が全く異なるテンポでの演奏を求められた。
8チャンネルの電子音楽、13時間目「宇宙の脈動」(2006/07)は、24の電子音のパルスがテンポと空間移動の変化を複雑に繰り返しながら積み重なっていく。





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この連作はフルートと電子音楽のための21時間目「楽園」(2007)まで完成されたが、作曲者の逝去により全曲の完成は叶わなかった。
このほか、「ティアクライス」のオーケストラ版も、作曲者の死により「蟹座」と「獅子座」のオーケストレーションが未完に終わった。






☆☆☆やんジーのつぶやき
漆黒の暗闇の中で大音響で聴くべき現代音楽である。
これほどまでに過激にイメージを掻き立てる音楽を他に知らない。
時には解脱の境地を探りながらこの音宇宙を漂ってみよう。


































































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by my8686 | 2015-05-27 08:06 | 現代音楽もいいもんだ | Trackback | Comments(0)

Evan Parker

5月5日、こどもの日。

教育業界で「ビッグデータ」が注目されている。
紙からデジタルへとIT化が進む教育現場で、子どもたちの膨大な学習記録を情報端末を通じて集め、残せるようになってきたからだという。

総務省が昨年度から3年計画で始めた「先導的教育システム実証事業」。
今年度までに計約10億円の予算をかけ整備を進める全国の学校向けのクラウドサーバーには、デジタル教材を通じて集まる子どもの学習記録を保管する機能も備わる。
各地の学校と協力して効果を検証する計画だという。

子どものデータを誰がどう管理し、何に使うのか。
データを使うと成績は上がるのか。
教育現場で新たな論点が浮上しているという。


それはさておき、気になるフリージャズの鬼才エバン·パーカーをみてみよう。


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エバン·パーカー (1944年4月5日生まれ、 イングランド )英国出身のマルチフォニック奏者。
3つから4つの音が同時に聴こえてくるノンブレス奏法、超スタッカートを実現するタンギング。
サックス奏者。


緊張感が持続する無機的で硬質的でストイックなセッションのように最初は聴こえてくる。
しかし、黒人ジャズのスピリチュアル表現の延長とは一線を画するポリ・モードに聴こえてくる。


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ジャズの歴史が音楽的な制約から開放へ向かう歴史であるなら、フリージャズは、音楽における構造との対決であり、リズムからの脱却であり、方向や意義を削ぎ落としていくことで素の音源に近づいていく。

広大な音の原風景の中に真のフリーを見出すのか。


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かつてポスト・フリーの時代には、フリー・ジャズがただ既成の概念を否定していたのに対し、既成の概念を否定しつつ新しい秩序を模索するという試みが始まった。
フリー・ジャズで一度否定されたコードやモードを、新しい秩序の中で利用する工夫が行われている。

ドミナント・モーションを持たないコード進行を主体とするスタイル。
自由に頻繁な転調を行ったり、コード進行に12音技法を用いたり、分数コードを用いたりする。


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旋法の手法をさらに発展させたスタイル。

コンポジット・モードと呼ばれる新しいモードを創作したり、モーダル・フレージングを発展(アッパー・ストラクチャ・トライアドの応用やペンタトニック・スケールの応用など)させたり、複旋法(ポリ・モード)を使用したりする。

ポスト・フリーは音楽的にはクラシックの現代音楽と同じ精神を持っている。


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当時、彼の編み出した奏法は「ノン・ブレス」という言葉で語られていた。
通常の息継ぎをしないのでそういう表現になったのだと想像するが、今考えるとおかしな言葉である。


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実際に彼が行っていたのは循環呼吸法とマルチフォニック奏法を組み合わせたものだ。
いずれもそれ自体は既にあった奏法で、循環呼吸法はトラディッショナル音楽で、マルチフォニックス奏法も他の木管楽器、クラリネットやオーボエ、フルート、バスーンでは用いられていた。


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それらを組み合わせた独自の奏法を用いることで、即興演奏を倍音やノイズ成分を含めた音響的な側面からも試行錯誤のあとがうかがえる。
そして、サックスによる演奏表現の領域を大きく広げたのである。


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彼はジャズだけではなく、若い頃から初期の電子音楽にも興味をもっていた。
そのような音楽的嗜好があったからこそフリージャズからの大きな転換が可能だったといえよう。




☆☆☆やんジーのつぶやき
ポストフリー。
破壊と創造の狭間に漂う、官能的刺激音。
その洪水の中に身を任せるのも一興。




























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by my8686 | 2015-05-05 08:06 | 現代音楽のたしなみ | Trackback | Comments(0)

Raymond Murray Schafer

米国初の女性大統領を目指す民主党のヒラリー・クリントン前国務長官(67)が、来年11月の米大統領選に向けて立候補を表明した。
共和党からも立候補表明が相次いでおり、1年以上に及ぶ選挙戦が本格的に始動した。

次期大統領選の「本命候補」とみられてきたクリントン氏は、12日午後(日本時間13日未明)、選挙用のウェブサイトを開設。
ビデオメッセージで「大統領選に立候補します」と宣言した。
幅広い有権者に向け、SNSでも出馬を伝えた。


それはさておき、カナダを代表する現代音楽の作曲家にレーモンド・マリー・シェーファーがいる。

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あらためて、略歴からみてみよう。

レーモンド・マリー・シェーファー(Raymond Murray Schafer, 1933年7月18日 - )サウンドスケープの提唱者。
日本ではサントリー音楽財団の委嘱時に「マリー・シェーファー」と紹介されており、この呼び方が最も広まっている。

オンタリオ州のサーニアで生まれる。
トロントの王立音楽院で学び、後にヨーロッパ各地でも学ぶ。
1964年からブリティッシュ・コロンビアのサイモンフレーザー大学で教える。
教育的な著書も多数で、代表的な作品は大編成の管弦楽曲「ノース・ホワイト」(1973年)や、全曲で2時間かかる「ルストロ」三部作(1971年)である。


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作品はしばしばテープなどの電子音楽と組み合わせて作曲されている。
日本では1983年の「東西の地平の音楽祭」で武満徹が紹介し、一躍注目された。


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2005年に「パトリア」と呼ばれる一連の音楽劇を完成させ、「ニューヨーク・タイムズ」から「『指輪』や『光』と並ぶ巨大オペラの傑作」と評された。


彼の合唱曲は近年、日本でもしばしばコンクールなどで演奏されている。

日本の合唱団のために書かれた作品として

「自然の声 Vox Naturae」(1997年・東京混声合唱団)

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「17の俳句 Seventeen Haiku」(1997年・合唱団うたおに)

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「香を想う Imagining Incense」(2001年・東京混声合唱団)

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「ナルキッソスとエコーの神話 The Myth of Narcissus and Echo」(2009年・東京混声合唱団)がある。

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☆☆☆やんジーのつぶやき
ヘビーなジャズに疲れたときは、「 Imagining Incense」など聴いてみよう。
昂ぶった官能を鎮め、魂振にむきあうことも重要だ。








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by my8686 | 2015-04-14 08:06 | 現代音楽のたしなみ | Trackback | Comments(0)