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「自由の象徴、上海の書店閉店」を読み解く

寒波もひと段落した感のある月曜日。このまま、春に近づいてくれればよい。
昨夕は、次男の縁談の朗報の余韻を噛みしめながら、市内にあるお気に入りの温泉に入り、その後、夕餉をいただく。


さて今朝は、中国・上海に20年間続いた書店「季風書園」が閉店したニュースを読み解いてみよう。



1月31日夜、中国・上海の書店「季風書園」は、歌声に包まれていた。



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Do you hear the people sing?(人々の歌が聞こえるか?)
Singing a song of angry men?(怒れる者の歌が聞こえるか?)


ミュージカル「レ・ミゼラブル」で苦しい暮らしを強いられる民衆が歌う曲だ。店を埋めた約500人の客たちが声を合わせた。




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この数時間後、店は20年続いた営業を終えた。民主主義に関する本が充実していた。中国社会の問題を議論するサロンも名物で、上海文化の「象徴」と呼ばれた。

しかし、当局の圧力でサロンの中止が増え、店の賃貸契約更新は拒否された。新たに受け入れてくれる場所は、上海にはもうなかった。

2012年に発足した習近平指導部の下、言論の引き締めが強まる中国。多様な考え方を認め合ってきた文化の発信地が、街から姿を消した。




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「季風書園」がその歴史を閉じた日、多くの客たちが最後を見届けようと店にやって来た。上海市の会社員女性(26)は「別れを惜しむ人たちが次々とやって来て、ギターを弾いて歌ったり、踊ったり。まさに送別会だった」と話す。

女性は前日の30日夜も店を訪れた。人が集まり始めたころ、突然原因不明の停電が発生。客たちはスマートフォンのライトや、ろうそくの火で本を読み、語り合ったと言い、「暗闇に星々が光っているようだった」という。




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店が週末ごとに開いた「サロン」では政治制度をテーマにした討論によく参加した。
「前は政治には関心がなかったけど、本を読み、議論するのが楽しくなった。真理とは、自由とは何か、いろんな意見が飛び交う雰囲気が大好きだった」と話す。

閉店から2日後、店の入り口にはシャッターが下ろされ、店員たちが片づけに追われていた。

「今の心境は、店の本棚と同じ。空っぽで空虚な気持ちでいっぱいです」。がらんとした店内を見渡しながら、経営者はつぶやいた。


上海に季風書園が生まれたのは、1997年4月。
シンクタンク「上海社会科学院」で哲学や中国近代思想史を研究していた厳搏非が創設。
当時の中国は、92年のトウ小平氏の「南巡講話」を受けて改革・開放路線が加速していった時代。開店の年の7月には香港返還もあった。



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店の運営理念は「文化の独立、自由な思想の表現」。哲学や民主主義に関する本や、中国の貧困問題や労働問題を取り上げた本が充実していた。

学者や作家が読者と共に社会の様々な問題を議論するサロンには、若者から高齢者まで、多くの読者が参加した。

店は「独立書店」、「自由の風」と呼ばれるようになり、評判を聞きつけた客が全国各地から訪れた。40平方メートルでスタートした小さな店は、開店から10年後の2007年には上海市内に8店舗を構える「上海文化のランドマーク」となった。

だが、08年に1号店が閉店。地価の高騰により賃料は開店当時の10倍になり、インターネット通販や電子書籍の浸透で、店の売り上げは激減。経営は厳しく、10年、11年と1店1店閉店が続いた。

企業家でもある于氏が経営を引き継いだのは、12年。学生時代からの常連で、店の危機を救おうと手を挙げた。

その年の秋、北京で中国共産党大会が開かれ、習近平氏が共産党トップの総書記に就いた。習指導部は国家の秩序維持を重視し、言論の引き締めを強めた。

13年春、人権などの普遍的価値や、報道の自由といった内容を授業で禁じる「七不講(七つの語るべからず)」が各地の大学に通知され、17年6月にはネット上の言論統制を強化する「インターネット安全法」が施行。

「ネット上で誤った主張を流した」などとして、知識人が大学や職場から追われることも増えた。




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季風書園でも、当局によってサロンの開催が取りやめになることが徐々に増え、客足が遠のいた。最後に残った上海図書館地下の店も昨年1月、賃貸契約の延長を図書館に断られ、閉店を余儀なくされた。

「店を引き継いでからの日々は、多様な文化を抑制しようとする社会の圧力の強まりを感じる時間だった。季風書園が消えた根源的な理由は、賃料の問題でも本離れの影響でもなく、こうした社会の空気が背景にある」と于さんは話す。

それでも、経営を引き継いでからの5年間で店のサロンやイベントに参加した人は延べ10万人に上る。

「店は消えたが、店に来た一人ひとりの人生の中で、店の精神はずっと生き続けるはずだ」

「季風は永遠に私の心の中にある」「自由の風に感謝」……。閉店を迎えた時、店の壁には客が貼ったメッセージカードが幾層にも重なっていた。




■習近平指導部の下で強まる言論統制

<2012年11月> 習氏、党総書記に就任


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<2013年1月> 中国紙「南方週末」の新年特別号が当局の指示で改ざんされる。自由や平等を巡る文言を削除



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<春> 人権などの普遍的価値や報道の自由といった7項目を授業で禁じる「七不講」を各地の大学に通知



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<2016年7月> 改革派の月刊誌「炎黄春秋」が当局の圧力を受け、解任された社長が「停刊声明」



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<2017年6月> ネット上の言論統制を強化する「インターネット安全法」が施行











☆☆☆GGのつぶやき
「インターネット安全法」などという馬鹿げた政策がまかりとうる中国の今に、かつての不安が甦る。13億人を超えた国民を統治するには、やはり必要なことなのであろうか。
かつて、紅衛兵と呼ばれた学生運動を扇動し政敵を攻撃させ、失脚に追い込むための、中国共産党の権力闘争を思いおこす。
その残像が今ふたたび甦る。






























































































 




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by my8686 | 2018-02-19 10:11 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)

「モスル、ISの墓標」を読み解く

イラク第2の都市モスル。ISは2014年、ここで「建国」を宣言し、最重要拠点とした。
イラク軍などが奪還して半年となった今月中旬、最後の激戦地だった旧市街にA新聞社記者が入った。




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そのドキュメント記事を読み解いてみよう。


粉々に砕けた建物の残骸を進むと、過激派組織「イスラム国」(IS)の戦闘員の遺体が野ざらしで多数放置されていた。頭の奥に突き刺さるような強烈な臭いに、鼻と口を覆った。

旧市街のミダン地区の北側で車を降りて、チグリス川沿いに幅約1メートルの道を歩いた。ブルドーザーががれきを押し分けて作った道だ。両脇には、砕けた石材や折れ曲がった鉄筋、焼け落ちた

自動車、壊れた家電製品、弾倉などが背丈以上に積み上がっていた。
突然、胃を持ち上げられるような臭いが鼻をついた。腐乱したり焼け焦げたりした遺体からだった。長いひげをはやして自爆ベストを着けた遺体や、住民の女性に扮装していたとみられる女性服姿の遺体もあった。野ざらしにされたIS戦闘員の遺体だった。





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■5000人の安否は

約200メートル歩いて確認できたIS戦闘員の遺体は、少なくとも40体あった。街のあちこちに黒地に白字で「ISの墓場」と書かれた看板が立てられていた。全壊した建物の隙間には、戦闘員の家族とみられる幼児の遺体も見えた。

IS侵攻前、旧市街には12万5千人が暮らしていた。地元当局による遺体調査や住民の埋葬報告によると、これまでに約4300人の死亡を確認した。ISは「人間の盾」として他の地域から民間人約5千人を旧市街に連れてきたが、その生死は不明という。





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■子育て、ここで

ISの最高指導者アブバクル・バグダディ容疑者が「カリフ」を宣言した旧市街中心部のヌーリ・モスク周辺。全半壊の建物は修復されておらず、電気も水道も復旧していないが、帰還した住民がいた。




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主婦アスマ・スルタンさん(26)。夫は昨年6月、ISを狙った米軍主導の有志連合の空爆の巻き添えになって死亡した。「残された子ども2人を育て、平穏に暮らすことが私の唯一の望みです」



IS戦闘員の遺体放置について、イラク政府は「地元自治体の職員、装備が限られ、回収できない」と説明する。

だが、イラク政府がイスラム教シーア派主体なのに対し、モスル住民にはスンニ派が多く、ISも同派の過激派組織だったことから、「政府によるスンニ派への見せしめ」と受け取っている住民は多い。




<モスル>
2015年時点の人口約187万人。14年6月、ISの前身組織が武力制圧。ISに改称し、イラクとシリアにまたがる「国家樹立」を宣言。




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最高指導者アブバクル・バグダディ容疑者は翌7月、旧市街のヌーリ・モスクで預言者ムハンマドの後継者を意味する「カリフ」を名乗った。




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世界中から信奉者が集まり、ISの最重要拠点になった。その後、イラク軍や米軍主導の有志連合が掃討作戦を展開。イラクのアバディ首相は17年7月、勝利、解放を宣言した。







 

☆☆☆GGのつぶやき
モスルは、イラク北部に位置する古代のニネヴェの遺跡と世界有数の石油生産で知られる大都市である。
バグダードの396km北西にある。市街はチグリス川の両岸に広がり、五つの橋で結ばれている。
石油がもたらした魔界地域でもある。
この地での紛争は、人類が生存している限り永久に続くことであろう。


























































































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by my8686 | 2018-01-22 13:44 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)

「1・17 命の意味を問い続ける 阪神大震災23年」

6434人が亡くなった阪神・淡路大震災の発生から17日で23年を迎える。
被災地では発生時刻の午前5時46分を中心に追悼行事が行われ、街は祈りに包まれた。



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この日は神戸市中央区の東遊園地で犠牲者を悼む「1・17のつどい」が開かれ、「1995 伝 1・17」と並べられた竹灯籠に火がともされ、黙祷する。






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兵庫県宝塚市の武庫川では16日、中州に石を積んで制作された「生」の字のオブジェがライトアップされた。

市内に住む現代美術家の大野良平氏が2005年1月に「街と人の心の再生」を願って制作。増水で流失すると、市民らが石を積み直してきた。
大野氏は「震災を知らない若者が増える中、命の大切さを考えるきっかけになれば」と話した。





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また、神戸市中央区の東遊園地には、亡くなった人の名を刻んだ「慰霊と復興のモニュメント」がある。17日に、遺族や市長らが追悼の言葉を述べる場だ。






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その銘板の横で昨年末、「あほ」「ばか」などの落書きが見つかったという。
誰が何のためにやったかはわからない。被災者を傷つける許せない行為である。






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「1・17のつどい」の実行委員長は「ここがどんな場所か知らず、想像もしなかったのだろう」といい、体験継承の取り組みが「伝わっていなかったのか」と深刻に受け止めているという。







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☆☆☆GGのつぶやき
23年前、ドイツのホテルに宿泊していた。早朝、フロントからの電話で起こされた。
「KOBE! KOBE!・・・・・」興奮した早口に、何か事件が起きたことを知り、すぐさまテレビをつけた。
高速道路の高架が蛇のようにのたうち、崩壊したその映像を、現実のものと理解するのに、しばらく時間を要した記憶が甦る。
異国の地で知らされた阪神大震災であった。
風化させまじ、大震災の傷。































































































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by my8686 | 2018-01-17 13:53 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)

ICAN事務局長、広島で若者と交流「核兵器廃絶へ希望・活力が武器」

2017年のノーベル平和賞を受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN〈アイキャン〉)のベアトリス・フィン事務局長(35)=スウェーデン出身=が15日、広島市を訪れ、高校生や大学生ら若者たちと交流した。




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フィン事務局長はこの日、市内で市民ら約340人を前に講演。集まった約130人の若者たちに、核兵器廃絶の実現には「希望」「活力」「ソーシャルメディア」を通じたつながりが「武器」になるとし、「大きな変革は常に抵抗を伴うが、私たちは歴史の正しい側にいる。長い視点を持つことで前向きになれる」と勇気づけた。




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講演に先立ち、フィン氏は平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に献花。





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資料館では、被爆して亡くなった少年の衣服などの遺品に見入り、芳名録には「ICANは核兵器の終わりを見届けるため皆様と共に力を尽くします」と英語で記した。

被爆者の体験談も聞き、「日常生活が一瞬にして奪われたことが理解でき、大変心を動かされた」と話した。






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■首相に会えず「大変失望した」

フィン事務局長は今回、長崎大の招待に応じて初来日し、16日には国会議員らと東京で討論する予定という。




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一方、求めていた安倍晋三首相との面会は「日程の都合がつかない」としてかなわなかった。

「日本政府は(核保有国と非保有国の)『橋渡し役』を担いたいと言っているので話し合いたかった。大変失望している。次の機会に期待したい」と述べた。




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☆☆☆GGのつぶやき
トランプ大統領には唐突ともいえる速さで自ら駆けつけた安倍晋三首相。
それに反し、ICANベアトリス・フィン事務局長を避けるかのような面会拒絶は、被爆国のリーダーとしての潔さに欠けよう。
武器のトップセールスに対し満面の笑みを浮かべて対応した安倍晋三首相の心中が透けてみえる。
米国の核装備に支援金さえ出しかねぬ安倍首相の反知性が、この国を危うくしていよう。















































































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by my8686 | 2018-01-16 09:51 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)

「湯川博士、反戦への足跡 終戦前後の日記公表」を読み解く

日本人初のノーベル賞を受賞した物理学者、湯川秀樹博士(1907~81)の日記のうち、太平洋戦争終戦前後の1945年の内容を京都大が21日、公表した。

原爆研究への関わりを示す記述があるほか、戦後、戦争反対や核廃絶を訴えるまでの軌跡がうかがえ、貴重な資料だと専門家は指摘する。




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没後36年を経て21日に公開された湯川秀樹博士の終戦前後の日記には、生涯語らなかった原爆研究についての記述が散見される。
戦後一貫して平和と核廃絶を訴えたが、その転機となった、沈黙の期間の動静も浮かびあがる。

「午後 三氏と会合 F研究相談」。1945年2月3日付の日記はこう記されている。

F研究は旧海軍の委託を受け、京都帝国大(現・京都大)が極秘で進めた原爆研究の名称だ。Fはfission(核分裂)の頭文字。

指揮をとった荒勝文策教授のもと、後にノーベル物理学賞を受ける中間子論ですでに世界的に有名だった湯川博士が理論を担当した。





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日本の原爆研究はF研究と、旧陸軍の委託で理化学研究所(東京)が行った「ニ号研究」がある。戦況を打開する手段として、海軍が研究を本格化させたのは43年ごろ。

44年10月には、大阪・中之島の海軍士官クラブ「水交社」で京大と海軍によるF研究の初会合が開かれた。原爆製造に欠かせないウランの濃縮計画の報告があり、湯川博士も核分裂の連鎖反応について報告したことが知られている。





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翌45年5月には「F研究 決定の通知あり」、6月は「F研究 打合せ会、物理会議室にて」と記されている。

7月21日、「午前雨 涼し 朝七時過家を出て京津電車にて琵琶湖ホテルに行く、雨の中を歩く。帰りは月出で九時帰宅」。この日はF研究の海軍との合同会議が大津市で開かれた。


日本の原爆開発に詳しい山崎正勝・東京工業大名誉教授(科学史)によると、原爆の原料となるウランの入手が困難なことから、F研究はこの日の会議で事実上終了したという。原爆研究はF研究、ニ号研究とも失敗に終わった。

ただ、湯川博士の原爆研究への関与は強くなかったとされている。F研究について戦後、連合国軍総司令部(GHQ)から数回取り調べを受けており、日記にも記述がある。




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後に明らかになったGHQの文書は「湯川はプロジェクトの理論にわずかしか関与していない」と報告。
聴取に同行した米国の物理学者らが、湯川博士が不在の時に研究室の本や資料を調べ、本人にも尋問し、「自身の研究にすべての時間を割いていた」と判断したという。

山崎さんも「日記に中間子論に関わる講義記録が多く書かれ、基礎研究に没頭していたことが見てとれる」と話す。




■科学と思想を論議、平和の考え深化か

湯川博士は終戦後、数カ月、外部への沈黙を続ける。再び口を開いたのは45年11月。雑誌・週刊朝日に「反省と沈思の日々を送って来た」としたうえで、「戦争は常に人類の幸福の破壊者である」と書き、強い反戦の意見を表明する。





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沈黙の間、湯川博士は何を考えていたのか。

荒勝博士の孫弟子で、戦時中の核物理学の歴史に詳しい政池明・京都大名誉教授(素粒子物理学)は、日記に度々出てくる人名に注目する。

西谷啓治、高山岩男、高坂正顕――。湯川博士は9~12月、京都学派と言われた著名な哲学者や文学者に頻繁に会っていた。





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10月17日の日記には「(西谷氏らと)科学と思想の問題を中心として論議」とある。政池さんは「原爆研究に関わった湯川博士が、今後どのように歩むべきか悩み、哲学者らと議論するなかで、平和への考えを深めていったのではないか」と推察される。


湯川は、電子の200倍の質量を持つ中間子を、力の媒介粒子(ボーズ粒子)と仮定して、核力である強い力を導くことに成功した。

さらに、強い力からフェルミの弱い力を導いた。中間子論は、弱い力、強い力、両方を含む理論として、当時は最も基本的な場の理論であるとみなされた。また、力を粒子が媒介することをも明瞭に示し、場を生み出す粒子という考えを定着させた。




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ただし、電子が強い力を伝えるという考えをハイゼンベルクが、湯川以前に提示している。
しかし、電子は以前から存在が知られ、理論としても失敗だったので、場を担う粒子という考えは、確立されていなかった。

ハイゼンベルクやボーアは、観察されていない素粒子で場を説明する湯川に否定的であった。ボーアは湯川に、ハイゼンベルクは朝永にこのことを告げている。




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☆☆☆GGのつぶやき
昭和25年生まれの同世代には、「秀樹」あるいは「〇樹」という名前が多い。
湯川博士のノーベル賞受賞は、戦後日本の一大センセーショナルな出来事であった。
しかし、核廃絶が叫ばれる現代において、湯川の原子核内部における中間子の存在を理論づけた実績をどう評価するかは、別の問題であろう。

























































































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by my8686 | 2017-12-22 14:02 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)

「世界発2017 沖縄、特攻、伝え続ける 沈没の米艦エモンズ、戦友会」を読み解く

太平洋戦争で日本の特攻機の攻撃を受けた後、沖縄の海に沈んだ米海軍の掃海艇エモンズの元乗組員とその遺族による戦友会が、米国でいまも続いているという。
元乗組員が毎年亡くなるなか、わずかに残された沖縄戦の記憶は次の世代へと引き継がれている。



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あらためた、この内容を読み解いてみよう。



■「日本人は敵」、変わった

ニューヨーク州バファローで9月半ば、今年の戦友会が開かれた。1年ぶりに再会する元乗組員やその家族たちが抱き合った。

「元気だったか?」「今年も会えてうれしいよ」。「USS Emmons」と書かれた帽子をかぶったアーマンド・ジョリーさん(95)は笑顔で戦友の肩をたたいた。

今年の戦友会には4人の元乗組員とその家族ら75人が集まった。



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エモンズが特攻機5機の攻撃を受けたのは、1945年4月6日。
この日、米艦船を狙って多くの特攻機が攻撃に出ていた。




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トニー・エスポジートさん(94)は「カミカゼ(特攻機)はどこから突っ込んでくるかわからず、本当に恐ろしかった」と思い返す。

1機目がエモンズの船尾に突っ込んだ直後、別の特攻機が降ってきた。エスポジートさんの10メートルくらい先に迫った機体の中に、一瞬、パイロットのシルエットが見えた。夢中で機関砲を撃った。機体は船をそれて海へと落ちていった。

 「あの日の恐ろしい光景は、決して忘れることはない」。エスポジートさんは涙をぬぐった。




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デニス・ヤッケさん(85)は仲良しだった兄ドナルドさんを失った。「日本人はずっと敵だった。長年、日本製品も買わなかった」。しかし、歴史書を読み、時間がたつにつれ、思いは変わったという。

「兄を殺したカミカゼのパイロットにも、我々と同じように家族がいた。皆が上の命令に従っただけだった。戦争なんてだれも望んでいなかったのだから」





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戦友会は、毎年2人の学生に合計4500ドル(約50万円)の奨学金を出している。遺族の子どもたちは「太平洋戦争でエモンズやその乗組員が果たした役割とは」といったテーマで論文を書いて応募する。

今年の受賞者アレクサンドラ・スタックさん(19)は初めてのひ孫世代だった。

「学校で習うのは、真珠湾攻撃やノルマンディー上陸といった大きな出来事くらい。エモンズの歴史を調べて、戦時中、曽祖父が何をしていたのか、初めて知った」と話す。

今年の戦友会には初の参加者がいた。海軍出身で、2度、沖縄に駐留したケビン・キングさん(52)だ。イラクへの派兵などを経験し、多くの友人を失った。
イラクから沖縄に戻り、趣味のダイビングでエモンズを見たとき「戦争で沈んだこの船に、つながりを感じた」という。




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キングさんは、沖縄各地の小さな塹壕まで訪れ、戦史をたどった。15年からは友人らと、ダイビングをしにエモンズに来る米兵に船の歴史を教え始めた。
「沖縄に駐留する若い米兵に、もっとこの船の歴史や沖縄戦について知ってもらいたい」と願っている。







☆☆☆GGのつぶやき
特攻隊という存在すら忘れ去られつつある日本。
どんな思いでカミカゼに乗り込んだのか。
全期間を通じての特攻戦死者数は約四千四百人、命中率は十六・五%であったという。このような非常な攻撃手段をとらざるをえなかった日本軍。
フィリピン防衛作戦 (1944.10.) 以後、もはや戦争継続能力を喪失しつつあったことを示していた。
それでもなお、突き進ませた戦犯達の戦争責任は、重い。
































































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by my8686 | 2017-12-18 11:53 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)

「伊方原発、運転差し止め 高裁初判断」を読み解く

四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)をめぐり、住民が求めた運転差し止め仮処分の抗告審で、広島高裁(野々上友之裁判長)は13日、広島地裁の決定を覆し、運転を禁じる決定をした。




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阿蘇山(熊本県)が過去最大規模の噴火をした場合、火砕流の影響を受けないとはいえないと判断。

原発の運転を差し止めた司法判断は高裁では初めてである。




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あらためて、この内容を読み解いてみよう。

申し立てたのは広島市、松山市の住民。広島地裁では運転差し止めの訴訟も続いており、決定は訴訟で異なる判断が出る可能性をふまえ、差し止めを来年9月30日までと限定した。

仮処分はただちに法的な拘束力を持ち、今後の司法手続きで覆らない限り運転はできない。伊方原発3号機は今年10月から定期検査のため停止中で、来年1月予定の再稼働ができない可能性が高まった。四電は広島高裁に保全異議申し立てと仮処分の執行停止の申し立てをする方針だ。




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高裁は決定で、大規模地震のリスクについて、「四電の想定は不十分」とする住民側の主張を退けた。一方、伊方原発から約130キロ離れた阿蘇山など火山の影響を重視。現在の科学的知見によれば「阿蘇山の活動可能性が十分小さいかどうかを判断できる証拠はない」とし、原子力規制委員会の審査内規に沿い、160キロ先に火砕流が到達した約9万年前の過去最大の噴火の規模を検討した。

その場合、四電の想定では火砕流が伊方原発の敷地内に到達する可能性が小さいとはいえず、同原発の立地が不適切だったと認定。この点で、東京電力福島第一原発事故後にできた新規制基準に適合するとした規制委の判断は不合理だったとし、「(住民の)生命身体に対する具体的危険が推認される」と述べた。





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原発と火山の位置関係を重視した今回の決定は、九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)や同玄海原発(佐賀県玄海町)など火山近くにある他の原発のリスクにも言及したといえ、高裁の判断として今後の訴訟や仮処分に影響を与える可能性がある。

原発に対する仮処分をめぐっては、福井地裁が2015年4月、大津地裁が16年3月、関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の運転差し止めを決定したが、異議審や抗告審で取り消された。

今回の決定について広島高裁で異議審が開かれる場合、別の裁判官による構成で審理するという。



■四国電力伊方原発
愛媛県伊方町にある四国電力唯一の原子力発電所で、加圧水型軽水炉(PWR)の1~3号機がある。東京電力福島第一原発事故後に停止。
1号機(出力56・6万キロワット)は廃炉に向けて作業中。
2号機(同)は再稼働に向けた審査の申請がされていない。
3号機(出力89万キロワット)は昨年8月に再稼働したが、今年10月から定期検査のため運転を停止中。

東西に細長い佐田岬半島の付け根付近にあり、重大事故時の住民避難が課題とされている。



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■火砕流台地の範囲
9万年前の巨大カルデラ噴火による噴出物は384 km3 DRE(見かけ体積600km3、ほぼ富士山の山体全部の大きさ)に達し、火砕流は九州の半分を覆ったと推定されている。
特に厚く堆積した地域では火砕流台地となって残っている。この台地は九州中央部に広く分布し、緩やかに波打つ平原を形作っている。

周辺自治体の熊本県高森町東南部、熊本県山都町北部一帯のほか、隣県の宮崎県五ヶ瀬町北部や、同県西臼杵郡高千穂町、大分県竹田市などもその中に入る。




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☆☆☆GGのつぶやき
阿蘇山には少年の頃から数度訪れている。その雄大な姿に官能が沸き立った思い出がある。
高校生時分に自転車でやまなみハイウエイを走ったあの暑い夏のツーリング。
還暦を過ぎ、阿蘇の山々を眺めながらホースライドに興じたあの初秋の風。
愛車86を購入した5月の連休に、官能の赴くまま駆け巡った阿蘇ドライブルート。
思い返すだけで、官能が疼きはじめる。
しかし、9万年前の巨大カルデラ噴火と同じ巨大爆発がいつおこるかは、誰にも予測できまい。
























































































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by my8686 | 2017-12-14 13:24 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)

「米大使館の移転指示へ トランプ、エルサレム首都承認」を読み解く

トランプ米大統領は6日午後、エルサレムをイスラエルの首都と承認し、商都テルアビブにある米大使館をエルサレムに移転する手続きを始めるよう指示したという。



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「約70年にわたる米外交政策の転換」で、イスラエルとパレスチナの中東和平交渉の早期再開が困難になるだけでなく、地域を不安定化させる危険性をはらんでいることは否めない。



この状況を読み解いてみよう。


エルサレムの帰属問題は、東エルサレムを将来の独立国家の首都と位置付けるパレスチナとの間で、高度に敏感な問題だった。トランプ氏の決定について米政府高官は5日、「歴史的な現実と、いまの現実を追認するためだ」と語った。




具体的には、
①エルサレムは古代からユダヤ人の首都だった
②イスラエルの官庁、立法府、最高裁はエルサレムにある
③首都の承認を遅らせてきた過去の政策は和平に結びつかなかった、というものだ。



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トランプ氏は昨年の大統領選で、エルサレムの首都承認と大使館移転を公約に掲げた。一方で中東和平の仲介に意欲を見せているが、パレスチナ側の反発で和平が遠のくのは必至だ。

米国では1995年、大使館の移転法案が可決。歴代大統領は安全保障上の理由で移転を先送りしてきた。トランプ氏は6日に国務省に移転先用地の調査など準備を指示する一方、現状では移転先の候補も決まっていないことから、先送りを認める署名をする。




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パレスチナ自治政府のアッバス議長は5日、トランプ氏から電話で意向を説明された際、「地域と世界の安定と安全に重大な結果を招く」と警告。パレスチナ自治区ガザでは6日、数千人が米国に抗議するデモを始めた。




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近くペンス副大統領を中東に派遣し、各国首脳と過激主義の打倒に向けて協調を確認する考えを明らかにした。今回の決定に関してアラブ諸国に「意見の相違や不満はあるだろう」としながらも「最終的にはこの不一致を乗り越えられる」と理解を求めた。





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在エルサレム米総領事館は5日、米政府職員や家族にエルサレム旧市街やヨルダン川西岸地区の訪問を禁止し、米市民には群衆が集まる場所を避けるように呼びかけた。




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あらためて、その火種となっている「宗教とエルサレム」についてみてみよう。


エルサレムは単に地理的に要所であるのではなく、アブラハムの宗教全ての聖地であることが最大の問題である。このことがエルサレムの帰属をめぐる紛争の火種となっており、パレスチナ問題の解決を一層困難にしている。

ユダヤ教にとっては、エルサレムはその信仰を集めていたエルサレム神殿が置かれていた聖地であり、ユダ王国の首都であった場所でもある。現在でも幾つかの神聖とされる場所が残っている。

中でも嘆きの壁は有名で、これは70年にローマ帝国がエルサレム神殿を破壊したときに外壁の一部が残されたものである。




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キリスト教にとっては、エルサレムはイエス・キリストが教えを述べ、そして処刑され、埋葬され、復活したとされる場所である。それらの場所には、現在はそれぞれ教会が建っている。ゼカリヤ書12章では「地のすべての国々はエルサレムに集まって来る」とある。



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イスラム教にとっては、エルサレムはムハンマドが一夜のうちに昇天する旅を体験した場所とされる。
コーランは、メディナに居住していた時代のムハンマドが、神の意志により「聖なるモスク」すなわちメッカのカアバ神殿から一夜のうちに「遠隔の礼拝堂」すなわちエルサレム神殿までの旅をしたと語っている(17章1節)。

伝承によると、このときムハンマドはエルサレムの神殿上の岩から天馬に乗って昇天し、神の御前に至ったのだという。この伝承は、ムハンマドの死後から早い時期にはすでにイスラム教徒の間では事実とみなされており、神殿の丘におけるムハンマドが昇天したとされる場所にはウマイヤ朝の時代に岩のドームが築かれた。



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また、丘の上には「遠隔の礼拝堂」を記念するアル=アクサー・モスクが建設され、聖なる場所と見なされている。しかし、エルサレムは、メッカ及びメディナと同格の聖地ではない。なぜならメッカとメディナは、「禁域」とされ、異教徒の立ち入りや、樹木の伐採や狩猟などが禁止されているからである。

一方、エルサレムは、ムハンマドの時代には東ローマ帝国の支配下にあり、「禁域」とならなかった。第2代のカリフであるウマルの時代に征服されたのちも、キリスト教徒とユダヤ教徒、ムスリムが共存する異教徒禁制とは無縁な国際的な宗教都市であり続けたのである。




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☆☆☆GGのつぶやき
宗教上の聖地紛争にいらぬ横やりを入れたものである。
無考えとしか思われぬトランプ流の決断なのか。
首都認定について、過去の米大統領が選挙公約にしてきたが「実行してこなかった」と批判。
「私は実行に移す」と力説し、実行力をアピールしたつもりなのであろう。
トランプが聖人ではなく、単なる米国雑民の狂ったボス猿である限り、「新しいアプローチ」がさらなる泥沼化を招き、中東情勢をさらなる緊迫状況に追い込む結果とならぬことを祈る。


















































































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by my8686 | 2017-12-07 09:55 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)

「北朝鮮 ICBM “火星15” 発射」を読み解く

北朝鮮が約2カ月半ぶりに、弾道ミサイル発射に踏み切った。




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米首都を含む全土を射程に収める能力を示し、金正恩・朝鮮労働党委員長は「歴史的偉業」と誇示してみせた。米政権は圧力を強める方針だが、脅威が深刻化するなか、議会に強硬論も出ているという。



あらためて、この内容を読み解いてみよう。


北朝鮮は9月15日以降、弾道ミサイルを発射してこなかった。米軍戦略兵器の相次ぐ朝鮮半島派遣に脅威を感じていたほか、11月の米中首脳会談の結果などを見極めたい思惑があったとみられる。ミサイル開発で技術的課題を抱えていたとの指摘もある。

そんな中、正恩氏は29日、新型の大陸間弾道ミサイル(ICBM)「火星(ファソン)15」発射について「国家核戦力完成の歴史的大業、ミサイル強国偉業が実現した」と宣言。

北朝鮮は「米本土を攻撃できる超大型重量級核弾頭の搭載が可能」とした。そのためには、米東海岸に届く射程、ミサイルに搭載可能にする核弾頭の小型化、大気圏に再突入後に正確に爆発させる技術などが必要になる。




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火星15は、距離を縮めるため高角度で発射するロフテッド軌道で打ち上げられた。専門家は通常角度で飛ばせば、飛行距離は米東海岸に届く1万3千キロ以上に達するとみる。

韓国軍合同参謀本部は、ICBM「火星14」(射程約1万3千キロ)の系列とする。北朝鮮は3月、新型の液体燃料型エンジンを開発。単段式の中距離弾道ミサイル「火星12」(射程4500~5千キロ)や2段式の火星14に使ってきた。
ただ、米中ロのICBMは3段式が大半。火星14から更に飛距離を伸ばすため、北朝鮮も3段式の新型ミサイルを開発するとの見方が出ていた。

だが、韓国・世宗研究所の金振武(キムジンム)客員研究員によれば、新型エンジンは直径が大きい。ミサイルを3段式にすると、移動発射台に搭載できないと指摘する。2段式のまま米本土を攻撃しようとすれば、更に弾頭を軽くする必要に迫られる。北朝鮮は中ロのICBMの弾頭重量と同等の500~600キロまで小型化した可能性があるが、更なる小型化は簡単ではない。




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大気圏に再突入した弾頭を正確に爆発させる技術を保有しているかどうかについて、分析は分かれる。ロフテッド軌道は通常角度で発射する場合と比べ、落下速度や大気圏に突入する角度の調整などに違いが出る。最終的には通常角度で発射することが必要になるとの指摘が出ている。金研究員は今回の発射の目的について「ワシントンを攻撃できる射程を誇示するのが最優先で、その他の技術の確認は依然残っている」と語った。



■配備現実味、米に危機感

「これだけは言おう。我々が(北朝鮮の脅威に)対処する」。ミサイル発射から2時間余りたったホワイトハウス。トランプ米大統領は議員らとの会合の冒頭、こう切り出した。




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この日は、ミサイル発射の一報を受け、マティス国防長官を呼んで対応を協議。この会合に出席したマティス氏はミサイルがICBMだったことを明らかにし、「北朝鮮の研究開発の結果であり、世界中を脅かしている」と語った。

今回、米軍は事前にミサイル発射の兆候をつかんで周到な準備を進めていたようだ。弾道ミサイルが落下して数十分後には、国防総省高官は記者団に、最高高度が約4500キロに達したことを明らかにした。

米民間団体「憂慮する科学者同盟」のミサイル技術専門家、デービッド・ライト氏が、今回のICBMを通常の角度で発射した場合で試算したところ、飛距離が1万3千キロを超えることがわかった。米首都を十分に射程に収め、「重い核弾頭を搭載しても米西海岸に到達できるだろう」と分析する。

米政権は、北朝鮮が早ければ来年にも米本土を狙うICBMを実戦配備するとみており、これを食い止めたい考えだ。トランプ氏は会合で、北朝鮮への対応について「何も変わらない」と強調。安倍晋三首相とも電話協議し、「北朝鮮への圧力を最大限まで高めていく」ことで一致した。

今月のアジア歴訪で、中国からも対北朝鮮の圧力強化で一定の協力を取り付けており、中国が制裁を強めることを求めていく方針。ティラーソン国務長官は28日、「国際社会は、北朝鮮との海上を通じた物資の移動を禁止するなどの追加措置を取るべきだ」との声明を発表するなど、さらに制裁を強化していく考えだ。




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ただ北朝鮮の急速な核・ミサイル開発を前に「時間が無くなろうとしている」(マクマスター大統領補佐官)のも事実。米本土に届く核搭載ICBMの配備が現実味を帯びる中、議会には強硬論も出ている。

「状況が変わらなければ、戦争に突き進むことになる」。トランプ氏と28日朝に話した共和党重鎮、グラム上院議員はCNNに出演し、北朝鮮を強く牽制した。




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多大な犠牲を伴う戦争は避けたいとしつつも、トランプ氏の考えをこう代弁した。
「大統領は北朝鮮の体制と米本土の破壊の選択を迫られたら、体制破壊を選ぶということを北朝鮮側が理解することを望む」







☆☆☆GGのつぶやき
チキンレースも最終戦に入ってきたのか。
愚劣なリーダー達の闘争劇に巻き込まれる国民は、たまったものではない。
北朝鮮の体制破壊後の場外乱闘の惨劇が透けて見えてくる。
くりかえすな、ヒロシマ!!


















































































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by my8686 | 2017-11-30 13:31 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)

「ゴーン流経営、ほころび 日米向け増産が裏目 無資格検査」を読み解く

倒産寸前だった日産自動車をV字回復させた実績をテコに、業績の数字を追い続けてきた「ゴーン流」の経営。

そのひずみが生産現場にたまり、無資格検査問題として噴き出した。きっかけは、世界首位を目前にした米国と日本市場での攻勢だったという。



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あらためて、この内容を読み解いてみよう。


「工場を将来どうするかは、品質向上とコスト削減にどれだけ真剣に取り組んでいるかによる」。

2016年10月24日。日産社長だったカルロス・ゴーン氏は、小型車「ノート」のハイブリッド車(HV)の生産を機に追浜工場(神奈川県横須賀市)を訪れ、そう強調した。

仏ルノーも含めた工場間でコスト削減を競わせ、安い工場でつくるのがゴーン流。追浜も主力車種をタイに移され、閑散とした時期が続いた。




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潮目が変わったのが15年末のノートの移管決定だ。
日産経営陣は、SUVの人気で伸びる米新車市場での勝ち残りをかけ、米国向けの増産を決定。

16年、日産九州(福岡県苅田町)でSUV「ローグ」の生産を始め、日産車体九州(同)でSUV「アルマーダ」の増産に入った。日産九州のノートは追浜に移し、国内各工場から日産車体九州へ応援の人手を出すよう求めた。





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ノートには「打倒トヨタ」の戦略も込めていた。

日産はトヨタ自動車が強いHVで引き離され、国内販売では5位が定着。HVを追加したノートで巻き返しを図り、増産を進めた。

こうした戦略は当たったかに見えた。ノートは16年11月、月間の国内販売で日産車として約30年ぶりに首位に立つ。燃費不正問題を機に傘下に収めた三菱自動車を加え、日産三菱・ルノー連合は17年上半期の世界販売でも頂点に立った。





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■効率優先、現場に負担

しかし、日産が国土交通省に提出する最終報告書で明らかにしたのは、本社が数字を頼りに決めた効率最優先の生産計画が、現場に負担を強いていた実態だ。

日産は増産に向け16年6月、期間従業員も正規の「完成検査員」に任命できるよう規定を改めた。追浜工場などでは多数の期間従業員を雇ったが、それでも間に合わず、完成検査員の不足が常態化していった。





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期間従業員を完成検査員にするには相当の期間、つきっきりの指導が必要で、先輩格の従業員に負担がかかる。

栃木工場(栃木県上三川町)では、団塊世代の退職でベテランが少なくなっていたこともあり、このころから完成検査員になる試験でのカンニング行為が横行し始めた。

工場では、無資格検査について「現場限りの話にすればいい」(日産九州)などと内輪で判断し、同じ工場の管理層すら把握していなかった。

17年4月から社長に就いた西川広人氏や、会長として留任したゴーン氏ら経営陣は第三者調査に対し、いずれも「知らなかった」と説明。




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それでも、「現場が本社からあらゆる意味で遠く離れていた」(第三者報告)組織を生んだ経営陣の責任は重い。拡大路線は、17年からの米国市場の減速で勢いが落ちた。売り上げの割にもうけが増えない局面ともなっている。

無資格検査問題で国内販売も大きく落ち込む。V字回復の「神話」を支えとしてきたゴーン流経営は転機を迎えつつある。






☆☆☆GGのつぶやき
成果主義の顛末が透けて見えてくる。
右肩上がりの業績結果が最優先される企業体質には、必ず落とし穴が待ち受けている。
製造現場を熟知した経営者ならば、こうした変化に極端に敏感に反応する。
現場を四六時中嗅ぎまわっていると、動物的勘が研ぎ澄まされていくのである。
ゴーンには、数字しか頭になかったとしか思えない。
名車を生み出してきた「ニッサン」を潰してしまうのも、このゴーン流経営であろう。
また、ひとつ日本の誇りである宝が消えていくのは、辛い。






































































































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by my8686 | 2017-11-17 11:23 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)