クルアーン第9番目の章「悔悟」

昨日は、竹原経由で大崎上島を訪れる。島はいたって平穏で車の通行量も少ない。道路でキャッチボールができる雰囲気である。
Xバイクで海岸線をしばらく走り、県道65号線の恋地峠まで辿りつく。
ランチはお目当ての海鮮丼。しかし、調べていた食堂がみあたらず、道に迷った状態でもとの大西港方向へ出てしまった。
その近くにあった「海船櫓」で酢飯仕立ての海鮮丼定食を食べる。750円は良心的価格か。道案内板がもう少し充実していればもっと楽しいサイクリングができるのだが。
約2時間のランでかなり日焼けしてしまった。陽射しの強さに驚愕する。フェリー運賃は、片道大人340円と割引料金の自転車100円。
釣り場ポイントやカヌー乗り場などの派手に目立った観光案内はない。昔懐かしい島の匂いのする場所であった。



さてそれはさておき、本日はクルアーン第9番目の章の『悔悟』をみてみよう。


『悔悟』とは、クルアーンにおける第9番目の章(スーラ)。129の節(アーヤ)から成る。


コーラン第9章 タウバ章 悔悟 第1節~第3節

慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において

コーラン第9章タウバ章、悔悟は、嫌悪の章とも呼ばれている。
それは、多神教徒への嫌悪感を宣言することで始まっているからである。
そのため、この章の最初に、慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において、という句はない。
なぜなら、慈悲と嫌悪は相容れないものであるから。タウバ章は、イスラム暦9年、イスラムの預言者ムハンマドが亡くなる、およそ1年前に下された。そこには、人間が罪を悔い改め、再び神の慈悲を取り戻すことが述べられている。




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第1節

「この節は、あなた方が同盟を誓った多神教徒に対する、神とその預言者の嫌悪の表明である」 (9:1)
イスラム暦8年のメッカ征服後、預言者が人々に恩赦を与えたため、多神教徒はその後もメッカで暮らし、自らの崇拝儀式を行っていた。多神教徒の崇拝行為の一つは、カアバ神殿の周りを周回する際に身につけていた服を施すというもので、余分な服を持っていなければ、裸でカアバ神殿の周りを回らなければならなかった。こうした多神教徒の行為は、イスラム教徒にとって耐え難いものであった。彼らが神の命を待っていると、この章の最初の節が、メディナにいる預言者に下された。預言者は、後にシーア派初代イマームとなるアリーに、神のメッセージをメッカの人々のために読み上げるよう指示した。この節により、多神教徒は、神の家・カアバ神殿に入ることを禁じられ、メッカ巡礼の儀式に参加することも許されず、彼らとイスラム教徒の間の同盟の約束も破棄された。イスラムは、約束や契約を守ることを強く勧めているが、この決まりは、相手もそれを守り、自らの境界を侵さない限り、有効なものである。預言者が契約を無効にしたのは、多神教徒が約束を破ったためであり、そのためこの章の第4節では、約束を破らなかった多神教徒は、その例外であるとされている。



第1節の教え
・逸脱した者に対して嫌悪を表明することは、コーランや宗教の原則である。自らの立場をはっきりと述べる必要がある。
・不信心者と同盟関係を結ぶことに障害はない。しかし、この関係が、彼らの支配につながるのを許してはならず、イスラム教徒が危険を感じたときには、それを破棄できるようにすべきである。





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第2節

「多神教徒よ、この地を自由に周る機会は4ヶ月である。覚えておくがよい、神を打ち倒すことなどできないということを。また、神が不信心者を卑しめられることを知るべきである」 (9:2)
過去の同盟関係が破棄され、嫌悪が表明された後、神はメッカの多神教徒に4ヶ月間の猶予を与え、その後のことを決めさせようとした。イスラムを受け入れ、多神教信仰をやめるか、それとも、メッカから出て行き、別の場所で暮らすか。なぜなら、唯一神信仰の拠点に彼らが存在すること、迷信に汚されたやり方で彼らがカアバ神殿の周りを回ることが、イスラム教徒を苦しめていたからである。この節は続けて、このように語っている。「もちろん、多神教徒は、もしメッカから出て行けば、神の力が自分たちには及ばなくなり、懲罰や責め苦から逃れられると考えるべきではない。それどころか、神の掟は、不信心者を現世でも来世でも卑しめる、というものである」

第2節の教え
・予告なしに敵を攻撃してはならない。まずは自分の立場を表明し、それから、その上で相手がどのような態度に出るかを決められるよう、しばらくの猶予を与えるようにせよ。
・イスラムでは、逸脱した人々に対し、正しい道に立ち返るための時間と場所という機会を与えることが奨励されている。まずは社会の改革を考えるべきであり、処罰を急いではならない。





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第3節

「偉大なるメッカ巡礼の際、神とその預言者から、人々に、多神教徒への嫌悪が表明される。もし罪を悔い改め、立ち返るのならば、あなた方にとってそれはよりよいことである。もし背を向けるのなら、決して神を無力にすることなどできはしないことを知るがよい。預言者よ、不信心者に厳しい責め苦を知らせるがよい」 (9:3)
この節は、この章の初めにあった、嫌悪の表明を再び強調し、次のように語っている。「メッカ巡礼儀式の中では、巡礼者が一つの場所で壮大な集会を開く、犠牲祭やアラファの日、神とその預言者が、多神教徒や彼らの行いを忌み嫌っていることが人々に宣言される。だが、彼らの道は閉ざされていない。彼らがもし罪を悔い改め、それまでの行いをやめるのなら、イスラム教徒は彼らを温かく受け入れるだろう。それは彼らのためでもある。なぜなら、彼らがどこに行こうと、神はそれを観察しており、神の力から逃れることなどできないからである。さらに彼らは、最後の審判の日に、厳しい責め苦を下されるであろう」





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第3節の教え
・他国との外交関係において、自らの立場をはっきりと人々に表明せよ。そうすれば、敬虔な人間も、また不信心者も、自分たちが何をすべきかをはっきりさせることができる。
・メッカ巡礼儀式は、多神教徒や不信心者への嫌悪を示す、最高の場所であり、機会である。敬虔な人間は、毎年一度訪れる、この大きな機会を、イスラム教徒に連帯感を抱かせるため、最大限に活用する必要がある。





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☆☆☆やんジーのつぶやき
「予告なしに敵を攻撃してはならない。まずは自分の立場を表明し、それから、その上で相手がどのような態度に出るかを決められるよう、しばらくの猶予を与えるようにせよ。」
この教えからすれば、日本軍の真珠湾攻撃は厳しい責め苦に値する行為であったのか。
オバマが広島に初めて平然と核兵器のスイッチバッグを持ち込み、被爆者に一言も謝ろうとしなかったのは当然といえば当然であろう。
今年もまたあの暑い8.6が近づいてきた。













































































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by my8686 | 2016-07-31 08:45 | クルアーンの教え | Trackback | Comments(0)

クルアーン第8番目の章「戦利品」

土曜の出勤日なれど、有休をとって大崎上島まで行く予定の朝である。
愛車86にXパイクを積み込んで竹原港まで山道を走り、そこからXバイクに乗り換えてフェリー船で島へ渡る。
ノスタルジック&モダンな町並みが広がる大崎上島。33kmのラリーランが楽しめる島一周コース。
島ならではの見どころが随所にある。歴史、文化はもちろん海鮮丼から絶景の夕陽まで。瀬戸内の風景美にひたるとっておきの時間を堪能しよう。




それはさておき、逸る気持ちをおさえつつ今朝は、クルアーン第8番目の章「戦利品」をみてみよう。


『戦利品』は、クルアーンにおける第8番目のスーラである。主な内容は、バドルの戦いの啓示である。

戦利品とは、バドルの戦いで獲得した戦利品のことである。
コーラン第8章 アル・アンファール章 戦利品 第10節~第14節をみていこう。


慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において



第10節

「[天使たちを下すこと、]神はそれをあなた方への吉報とし、あなた方の心をそれで落ち着かせようとした。勝利は神からのみ、もたらされるものである。まことに神は滅びることのない英明者であられる」(8:10)
イスラム教徒と多神教徒の初めての戦争で、イスラムの軍勢の士気を高めるために、神が天使たちを降り立たせ、イスラム教徒は、最少の武器により、完全武装した敵の軍隊に勝利することができたという。神はこの節で、次のように語った。「バドルの戦いで天使たちが降り立ったのは、彼らが武器を手にし、敵と戦うためではない。彼らがあなた方の心に勝利への希望を植え付け、力を与えるためである。その希望と自信が、あなた方の勝利につながったのだ」

第10節の教え
・神の吉報は、イスラムの戦士の士気を高める源となり、彼らに勝利をもたらす。
・敵に対する勝利は、武器や軍事力によるものとは限らない。神の助けもまた必要。




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第11節

「[神はあなた方の安寧のために、あなた方を浅い眠りに陥らせ、空から雨を降らせた。それはあなた方を清らかにし、悪魔のような穢れをあなた方から取り払い、あなた方の心を強くし、あなた方の歩みを確かなものにするためである」(8:11)
イスラム教徒の軍勢は、バドルの地で敵軍の力を目にしたとき、心が揺らぎ迷いが生じた。そのため神は、この節で次のように語っている。「我々は、何とかしてあなた方が心の安らぎを得られるようにした。そうしてあの荒野で夜は安らかに眠り、不安や恐怖を遠ざけることができるように。また雨を降らせ、あなた方が清潔さを保ち、飲み水に困らないようにした。またあなた方の足元を流れる砂が固まるように。その雨は活気や心の平穏をもたらすと共に、負けるのではないか、という悪魔の囁きを遠ざける」

第11節の教え
・神を信じ、耐え忍べば、神も自然の要素を使って、人間を助けてくれる。
・外面的な清潔さを保つのと同時に、内面を清らかにして悪魔の誘惑を遠ざけることにも注目する必要がある。




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第12節

「汝の主が天使たちにこのような啓示を下した。『私はあなた方と共にいる。そこで敬虔な人間を強化するがよい。私はまもなく、不信心者の心に恐怖を抱かせるだろう。そのときあなた方は首をはね、指を切り落とすのだ』」 (8:12)
バドルの戦いで、目に見えない神の助けがあったことを述べた前の節を受け、この節は次のように語っている。「神は、イスラム戦士の士気を高めるために天使たちを遣わし、彼らにこのような啓示を下した。『私はあなた方と共にこのグループにいる。敬虔な人間に吉報と希望をもたらすように、不信心者の心には恐怖を植えつけよう。だが、私が敵を倒すわけではない。あなた方、敬虔な人間が戦いの場に立ち、力強く戦い、敵の首や頭に打撃を与え、手足を剣で狙うがよい。彼らの手が戦うことを、また彼らの足が歩くことを妨げられるように』」

第12節の教え
・私たちが神を信じていれば、神は私たちに平安な心をもたらし、私たちの敵の心には恐怖を植えつける。
・もし戦場で堂々と戦えば、神はその人を助けてくださいます。逃げることや自分の命を守ることを考えるのではなく、敵を倒すため、神が手を貸してくださることを期待せよ。





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第13節~第14節

「[不信心者に対し、敬虔な人間を神が助けてくれた。]それは不信心者らが、神とその預言者に対して反抗したためである。誰でも神とその使徒に反抗する者は、神から厳しい責め苦を与えられる。これらは[世界の主の懲罰であり]、それを味わうのだ。覚えておくがよい、地獄の業火が不信心者のために用意されている」
(8:13~14)
この節は、イスラム教徒の不信心者に対する攻撃は、彼らにとって一種の責め苦であるとし、次のように語っている。「彼らは常に、神の節と預言者の言葉に反対し、真理の言葉に耳を傾けようともしなかった。そのため神は、彼らを罰するために、敬虔な人間を助け、彼らに勝利するようにした。これは彼らの現世での懲罰であり、最後の審判の際、彼らには地獄の業火が用意されている」

第13節~第14節の教え
・神の怒りには、必ず、理由や根拠、意味があります。それは、人間自身の反抗や反発がもたらす結果なのである。
・“誰でも真理に反抗する者を消滅させる”、これは神の掟である。




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☆☆☆やんジーのつぶやき
神の怒りには、必ず、理由や根拠、意味がある。
それは、人間自身の反抗や反発がもたらす結果である。
神の掟 “誰でも真理に反抗する者を消滅させる”は、意味深い。


















































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by my8686 | 2016-07-30 07:07 | クルアーンの教え | Trackback | Comments(0)

クルアーン第7番目の章「高壁」

米国の中央銀行、米連邦準備制度理事会(FRB)の金融政策を決める連邦公開市場委員会(FOMC)は27日、追加利上げの見送りを決めた。
ただ、英国の欧州連合(EU)離脱決定後の金融市場の混乱が落ち着いたことなどから、「短期的なリスクは減った」として、次回9月会合での利上げに余地を残したという。

FRBは昨年12月、景気が着実に改善しているとして、約9年半ぶりの利上げに踏み切り、当初は「年4回」の利上げを想定していた。だが、雇用の急減速や英国のEU離脱決定などを受け、今回で5会合連続の利上げ見送りとなった。
さらに、米国経済は「緩やかに拡大している」として、前回6月会合から景気判断を引き上げた。5月に急減速した雇用統計が6月に大きく改善したことを受け、雇用の判断も引き上げた。個人消費などの経済指標が良くなっており、米国の株価は最高値圏で推移している。

こうした状況から、利上げに向けたハードルが下がっているとの認識を示した。
ただ、すんなり利上げに進むとはいいがたい。声明では「雇用と世界経済、市場の動向を注視し続ける」との表現を維持した。FRBが雇用と並んで重視する物価上昇率は、年0・9%(5月)と、「年2%」の目標を下回っている。

海外では、英国のEUとの離脱交渉が今後始まるほか、中国経済の減速などのリスクも残る。さらに、11月上旬の米大統領選で、民主党候補のクリントン氏と保護主義色を強める共和党候補のトランプ氏の支持が拮抗しており、先行きに不透明感を与えている。
FRBは6月時点で、「年2回」の利上げ見通しを示していたが、今年の会合は9、11、12月の3回で、市場では利上げはできても「年1回」との見方が大勢だ。市場が予想する「12月利上げ」の確率は5割以下、「9月利上げ」は2割以下にとどまっている。

米国の利上げのゆくえは、日本経済にも影響し、米国の利上げが進まなければ、円高傾向になる可能性もある。





それはさておき、クルアーンにおける第7番目の章『高壁』についてみてみよう。


『高壁』とは、クルアーンにおける第7番目の章(スーラ)。206の節(アーヤ)から成る。
スーラの冒頭に神秘文字(Muqatta'at)が置かれている(計29スーラ)うちの一つ。
テオドール・ネルデケは、157・158節に関してはマディーナ啓示と類推している。
クルアーンには犬への言及が2ヶ所あるといわれており、この章の176節はそのうちの1つ(もう1ヶ所は18章の18・22節)。





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第77節~第78節

「それから彼らはラクダを殺し、主の命に背き、言った。『サーレフよ、もし神の使徒の一人であるという[お前の言葉が本当なら]、約束するものをもたらすがよい』。すると大きな地震が彼らに襲い掛かった。夜が明けて朝になったとき、彼らは家の中に倒れたままだった」 (7:77~78)
預言者サーレフがサムードの民に、ラクダという奇跡をもたらした。彼はラクダを山の中から出現させたが、そのラクダは非常に多くの水を飲み、大量の乳をしぼることができた。神がこのラクダに危害を加えてはならないと命じたにも拘わらず、サムードの民の長老たちは、人々が預言者サーレフを信奉することによって自らの威信や立場が脅かされると考え、このラクダを殺すよう指示した。こうしてこの奇跡を滅ぼし、サーレフが人々に何かを示すことができないようにした。彼らは冷酷にもラクダを殺害し、その上神の預言者に対して、「もし本当のことを言っているのなら、約束していた責め苦をもたらしてみせるがよい」と言った。一般の人々はこの殺害に何の関係もなく、それを実行したのは特定の人間であった。しかし、人々がこの醜い行いに対して沈黙を守ったために、全員に責め苦が下され、彼らが滅びることとなった。

第77節~第78節の教え
・高慢さや自尊心は、神の命に対して不遜な態度を取り、それに背く要因となる。
・罪を黙認することは、その罪に加担したのと同じであり、懲罰に値する。
・地震などの自然災害は、実際、私たちの罪に対する懲罰である。





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第79節

「そこで[預言者サーレフは]彼らに背を向けて言った。『私の民よ! まことに私は主の啓示をあなた方に届け、あなた方の幸福を求めた。だがあなた方は心を痛めて忠告する人、あなた方の善を求める人を好まないようである』」 (7:79)
このサーレフの言葉は、責め苦が下される前の最後通告であるとも、また民が滅びた後の強情な彼らへの別れの挨拶だとも解釈することができる。サーレフはこのように語っている。「私は自らの責務を果たし、心からあなたたちの幸福を求め、忠告した。しかしあなたたちは醜い行いによって、忠告を聞き入れることはなく、あなたたちが善を求める人の言葉に耳を傾けるつもりがないことを示したのだ」

第79節の教え
・神の預言者たちが人々を神へと導くために用いていた方法は、彼らが人々の幸福と善を求める心でもって、主の啓示を伝えることだった。単なる形式的な決まりや規定として、それを伝えたのではない。
・他人の忠告に耳を傾け、社会の助言者を尊重するよう心がけよう。助言者の言葉を無視することは、神の怒りを招く。






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第80節~第81節

「そしてルートは自らの民に言った。『あなた方は、あなた方以前に世界のどの人々も行わなかったような醜いことを実行するのか? あなた方は欲望を満たすために女性の代わりに男性を求める。あなた方は浪費する人々である』」 (7:80~81)
預言者サーレフとサムードの民に続き、この2つの節は、預言者ルートとその民について言及している。この民の間には腐敗や堕落が蔓延し、女性と結婚するのではなく、男性同士の同性愛が広まり、この醜い行いが、普通のこととみなされていた。預言者ルートは、預言者イブラヒームの時代に生きており、この神の偉大な預言者から、この醜い行いに走る民を導く使命を授けられた。彼らの間では性的な罪悪が通常のことと見なされており、この醜い行いが大きく広まっていたため、コーランは、「彼ら以前のどの民も、それほど醜いことは行っていなかった」と表現している。もちろん、現代の文明化し、発達した時代にも、この醜い行いが広まっており、一部の西側諸国では、法的に認められている。イスラムの預言者はこう語っている。「同性を愛する男性は神の呪いを受け、イスラムでは、この醜い行いの懲罰は、主体者であろうと受動者であろうと死刑である」

第80節~第81節の教え
・同性愛は、欲望を満たすために、本能に従った自然な道を侵す行為であり、社会の男女の権利に対する侵害、節度を超えた行為と見なされる。
・危険なのは、醜い行いが社会に広まり、通常の慣習と見なされてしまうことです。そうなった場合、社会は様々な災難や懲罰に晒されることになる。






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第82節

「ルートの民の答えは、唯一つだった。彼らは言った。『彼らをこの土地から追い出してしまえ。なぜなら彼らは清らかさを求める人間であり、[我々の仲間ではないからだ]』」 (7:82)
預言者ルートの言葉は非常に論理的で明快だったにも拘わらず、罪深いルートの民は、傲岸不遜にも、彼とその追従者を追い出そうとした。そして、自らの醜い行いに対して、責任を取ることも、それを正当化することも、また謝罪することもなく、代わりにこのように言った。「あなたたちが清らかでいたいのなら、出て行けばよい。私たちはここに残る」






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第82節の教え
・罪や悪事を正当化することはできない。なぜなら罪を犯す人々は、清らかな人々を追い出す以外の答えを持っていないから。
・社会に堕落が蔓延するのを許してしまえば、自らがその社会から出て行かなければならず、穢れた人々がその社会を支配するような状況に陥る。





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☆☆☆やんジーのつぶやき
助言者の言葉を無視することは、神の怒りを招く。
助言されない、されにくい年齢になると、この言葉は貴重である。
齢をとればとったなりに素直に人の言葉に耳をかたむける、その姿勢が大事だ。










































































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by my8686 | 2016-07-29 13:07 | クルアーンの教え | Trackback | Comments(0)

クルアーン第6番目「家畜」

米大統領選をめぐる民主党全国大会で26日、クリントン前国務長官(68)が同党大統領候補に正式に指名され、11月8日の本選で共和党のトランプ氏(70)と戦う構図が固まった。
政治経験がなく、発言が波紋を呼びながらも支持を集めたトランプ氏と、初の女性大統領を目指すクリントン氏の戦いは、米国内だけでなく、国際的にも大きな注目を集めている。

大会2日目の26日は、候補者ごとの獲得代議員数の集計を行い、クリントン氏が6割を獲得してライバルのサンダース上院議員(74)を上回り、党の大統領候補に正式に指名された。

クリントン氏は26日深夜、中継で会場のスクリーンに登場し、「これまでで最も大きなヒビを(女性の社会進出を阻む)『ガラスの天井』に入れることができた」と米国史上初の主要政党の女性大統領候補となった意義を強調した。
クリントン氏はビル・クリントン元大統領の夫人としてファーストレディーを務めたほか、上院議員や国務長官も歴任。豊富な政治経験と実績を訴え、米国初の女性大統領を目指す。

一方の「米国第一主義」を掲げるトランプ氏は、政治経験ゼロ。クリントン氏をエスタブリッシュメント(既得権益層)の代表格と位置づけ、米国社会にくすぶる現状への不安や怒りをくみ取り、「米国を再び偉大な国にする」と訴える。

米国社会で進む人種や価値観、経済格差などの「分断」を背景に、典型的政治家と非政治家、女性対男性、オバマ政権継承と現状否定など、対照的な2人が対決する異例の大統領選になる。
両候補の支持率は拮抗。トランプ氏は一時はクリントン氏に差をつけられたが、先週の共和党大会で正式指名を受けてからは上昇。直近の政治サイト「リアル・クリア・ポリティクス」の各種世論調査の集計では、クリントン氏の支持率44・7%をわずかに上回る、45・6%を記録したという。

強さを演じるトランプか米国史上初女性大統領となるクリントンか。
その選挙戦のさらなる先に待ち構える身の毛立つものが、なぜか透けて見える。




さてそれはさておき、クルアーンにおける第6番目の章(スーラ)『家畜』を見てみよう。


『家畜』とは、クルアーンにおける第6番目の章(スーラ)。165の節(アーヤ)から成る。
83 - 86節にかけて、クルアーンに登場する預言者25人のうち、18人の名前が挙げられている。




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本章は,アラビア人の間で行われていた,家畜に関する送信について,第137節以下に述べられるにちなみ,家畜章と名付けられる。
その大部分はマッカ後期の啓示であるが,第7-9節その外,マディーナ啓示に属するものも含まれる。

マッカにおける13年間にわたる聖預言者の宣教が,ようやくある程度の成功を収めて,イスラームは多神教徒にとって至大の脅成となり,その迫害が増大してきた。
マディーナに聖遷して協力を求めなければならない事態になったころの啓示である。

前章まで,人間の精神面の発展史を説き,以前に下された啓示について議ぜられ,イスラームの生活上における規律が示された。
そしてユダヤ教徒とキリスト教徒が,いかに教義の根本に反しているかが責められた。本章においてはさらに多神教徒の信仰に関連して,アッラーの唯一性が強く解明されている。




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第1-30節,アッラーの本性,その啓示の事情が詳述される。アッラーは暗黒の中に光明を与えられ,その法は慈悲であり,われわれや万有の帰り着くところであることが明らかにされ,真理から離れた多神教徒の弱さが暴露されている。





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第31-60節,アッラーの創造の神秘,現世の生活のむなしさについて述べられる。アッラーこそ, 目では見られぬ方,すべての秘密のかぎを持つ方であられることを説き,アッラーの真理ならびにその道のため使徒の努力は,反抗者の浅薄な侮辱や迫害で妨げられるものではなく,不義者はやがて滅ぼされると説かれる。





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第61-82節,アッラーの世界における働き,ならびに不断の保護導きにつき観察熟考するならば,イブラーヒームが邪神を尊崇する者と議論したときのように,アッラーの唯一性の理解への手がかりとなろう。実にアッラーの愛は,われわれを取り囲み,悪を免れ得る唯一の守護である。それゆえ諸預言者に信頼するよう教えられる。





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第83-110節,イブラーヒームの後の諸預言者が相継承してアッラーの真理は保存され,やがてクルアーンに至る。人びとは,アッラーの尊厳と預言者の使命を理解せざるを得ない。





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第111-第129節,アッラーの慈悲に対するかたくなな反抗は欺満にすぎず,不義者の策謀は自分の魂に対して策謀するもので,かれらは必ず処罰される。





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第130-150節,善行には程度の差があり,その足らないことによってアッラーは罰されない。その導きを謙虚に求め迷信や汚れを避けるならば,アッラーの命令は,決して不合法な禁忌ではないことが解明される。




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第151-166節,正義と真理にもとづく正しい道の上で,クルアーンにより導かれ,精魂をうち込んでアッラーヘの奉仕に全生命をささげるよう教えられる。




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☆☆☆やんジーのつぶやき
真理の言葉、神の選んだ言語であるアラビア語が理解できない日本人が、漫然とイスラム国を旅してはならない。
クルアーンに記された行間までも理解する気構えが望ましい。

























































































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by my8686 | 2016-07-28 09:11 | クルアーンの教え | Trackback | Comments(0)

クルアーン第5番目の章「食卓」

相模原市緑区千木良の障害者施設「津久井やまゆり園」で26日未明、刃物を持った男が入所者らを襲い、19人が死亡、26人がけがをする事件が発生。
神奈川県警に殺人未遂などの容疑で逮捕された元職員の容疑者が、「意思の疎通ができない人たちをナイフで刺した」と供述していることが県警への取材でわかった。県警は植松容疑者が身勝手な動機から、重度の障害者を狙って事件を起こしたとみて調べる。県警は27日、容疑を殺人に切り替え、横浜地検に送検する。

警察庁によると、平成元(1989)年以降、最も死者の数が多い殺人事件となった。
消防や県などによると、亡くなったのはいずれも入所者で、41~67歳の男性9人と、19~70歳の女性10人。けが人のうち、重傷者が13人という。けが人には職員2人も含まれていた。

植松容疑者の逮捕容疑は、26日午前2時ごろ、同園で入所者の女性(19)を刺して殺害しようとしたというもの。県警の調べに対して容疑を認め、「障害者なんていなくなればいい」とも話しているという。
植松容疑者は東居住棟の1階東側の窓をハンマーで割って施設に侵入し、結束バンドを使って施設職員を拘束。所持していた包丁やナイフを使い、次々に入所者を刺したという。

津久井署には午前3時ごろ1人で出頭。持参したかばんには、血が付いた刃物3本が入っていた。また、乗ってきた車の後部座席からは、少量の血液が付いた結束バンドも見つかった。

同園は県が設置し、指定管理者である社会福祉法人かながわ共同会が運営。神奈川県北西部にあり、東京都や山梨県との境に近い。県などによると、知的障害者ら149人が長期で入所中。敷地は3万890平方メートル、建物は延べ床面積約1万1900平方メートル。2階建ての居住棟が東西に2棟あり、20人ずつが「ホーム」と呼ばれるエリアに分かれて暮らしていたという。

罪のない無抵抗な人々を大量殺傷したその罪は重い。計画的かつ凶悪残忍な犯行である。到底許すことはできまい。
容疑者の心に少しでも神仏を拝む気持ちがあれば、救われていたであろう。

コーランにおいても、アッラーに服従,帰依し,人間らしい人間になるよう教えられる。
食物に対する掟などを例にあげて,迷信や偏見や憎悪のない真理にもとづく秩序ある生活を営むよう指示されている。





あらためて、クルアーン第5番目の章:『食卓』をみてみよう。



『食卓』とは、クルアーンにおける第5番目の章(スーラ)。120の節(アーヤ)から成る。
第90節には、酒や博打、偶像と賭け矢について、「卑しい悪魔の行為」と書いてあるという解釈がある。




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本章は,第112節に,イーサーの弟子たちが最後の聖餐に当り,イーサーに向かって天から食卓が下るよう求めたことにちなみ食卓章と名付けられる。
第3節は「あなたがたの宗教を完成し」とあり,ヒジュテ10年聖預言者ムハンマドの最後の(巡礼の)さい下された節である。またかれは,この巡礼後マディーナに帰って間もなく逝去した事実にかんがみ,本章をもってクルアーンの最終の啓示とする学者もある。しかし大部分の話節は別離の巡礼より前の啓示に属し,ユダヤ人やキリスト教徒がかれらの教えから後退したことに対し,イスラームのよりどころが説明されている。前章に続いてユダヤ人を攻撃するが,本章では特にキリスト教徒に関し多く言及され,イーサーの神子説三位一体説を痛撃し,イスラームの礎えを固める途中のヒジュラ4年から10年の間の啓示である。





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■内容の概説

第1-5節,アッラーに服従,帰依し,人間らしい人間になるよう教えられる。ここに食物に対する掟などを例にあげて,迷信や偏見や憎悪のない真理にもとづく秩序ある生活を営むよう指示される。





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第6-11節,心身を清潔に保ち,公正で廉直なのは,信心の現われであることが説かれる。





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第12-26節,ユダヤ人やキリスト教徒が真理に背き,かれらが約束を無視しても,すでに警告は与えられているのである。






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第27-43節,兄弟殺しに関連する教えは,正しい人間でも災いを被る例であり,それに対しては必ずアッラーの懲嗣がある。善行に励む者は悲しんではならないことが教えられる。





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第44-86節,ムスリムは偏見がなく公正でなければならない。しかし同胞やその信仰に対する侮辱に対しては,イスラームを守らなければならないことが命じられる。





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第87-108節,良い合法であるものは感謝の念で受けなければならない。しかしそれも法を越えてはならない。





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第109-120節,イーサーの奇跡がかれに追従した者たちによって,いかに誤用されたかが記される。





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☆☆☆やんジーのつぶやき
兄弟殺しに関連する教えは興味深い。
正しい人間でも災いを被ることがあり,それに対しては必ずアッラーの懲嗣がある。
善行に励む者は悲しんではならないことが教えられている。

















































































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by my8686 | 2016-07-27 09:09 | クルアーンの教え | Trackback | Comments(0)

クルアーン第3番目の章「イムラーン家」

『イムラーン家』とは、クルアーンにおける第3番目の章(スーラ)。200の節(アーヤ)から成る。



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スーラの冒頭に3つの文字、Muqatta'at(神秘文字とも)が置かれている計29スーラのうちの一つ。





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第1節~第4節

慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において
この章は200の節から成り、預言者ムハンマドがメディナにいた時代に啓示されたもの。
この章の名前は、第33節で語られている「イムラーン家」という言葉に由来している。
預言者ムーサーの父と聖母マルヤムの父が、共にイムラーンという名前を持っていたことから、イムラーン一族は預言者ムーサーやイーサーの祖先だったことがわかる。
この章では、聖母マルヤムの誕生や、彼女の神に仕える姿勢、さらにその息子であるイーサーについても語られている。
イムラーン家は神から選ばれ、称賛された一族。





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第2節は、神の属性のいくつかを指摘している。

「神はすべてにおいて完全性を有し、何の欠点、欠陥もないお方。神はその存在においてのみならず、属性においても比べる者のない唯一のお方。神の知識、力は私たちのものとは異なり、尽きることがなく限界もない。神の存在は終わることのない永遠のものである。私たちはこれ以前に存在したことはない。また、その後も存在することはないだろう。しかし神は、ずっと存在していたし、これからも存在し続けることだろう。それゆえ、神だけが称賛され、崇拝されるに相応しい。そして神以外の誰も、何も、礼拝の対象とはなり得ないのだ」


第1節~第2節の教え
・他人の財産、地位、権力などをうらやむ代わりに、神のみを崇拝すべきです。他人が手にするすべてのものは、もともと神が与えたものです。また、全ての欠陥は自らが招いたことであり、神のせいではありません。


第3節~第4節
・啓典を啓示したまい、その以前にあったものを確証し、また、先に律法と福音を下され、この前にも人々を導きたまい、今また、正邪の識別を下したもう。まことにアッラーのしるしを偽りだとする者には、痛烈な刑があろう。アッラーは、偉力者であられ、応報の主であられる。」 (3:3~4)
イスラムの預言者の時代、ユダヤ教、キリスト教などの啓典の民の一部の人々は、律法や福音の後に、他の啓典が下されたことについて驚くばかりで、イスラムの預言者やコーランを信じようとはしませんでした。

第3節と4節は、そんな彼らに対する答となっている。
「神は、歴史の中で人間を導くため、預言者を選び彼らの一部を啓典と新たな宗教法をもって遣わした。これら啓典、預言者すべては、互いのものを証明、確認するものであった。なぜなら、すべて唯一の神から下されたものであり、真実に基づいた正しく確かなものであったからだ。従って、ムーサーやイーサーに律法や福音を下したその神が、コーランを預言者ムハンマドに下したことに驚くことはない。あなた方が真実を求めるのなら、コーランの言葉もまた信じるがよい。それで不信心者となるのであれば、現世および来世において神の懲罰が下り、逃れる道は存在しない」



第3節~第4節の教え
・神が預言者を遣わし天啓を下した目的は、真実に基づいて人間を導き、団結させることにありました。この啓典によって彼らを口論させ、対立を生じさせることが目的だったのではありません。
・真実を知ることで、もし困惑に陥るようなことがあったなら、コーランを開いてみることです。それは真理と偽りを識別させてくれます。




章名、آل عمران (アーリ・イムラーン)は、第33-62節でイムラーンー族について概説していることにちなんでとられている。
イムラーンとは、イエス・キリストの母マリア(マルヤム)の父とされるが、同時に「ムーサーの父」という見解もある。




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この章の背景には、メディーナ市内のユダヤ教徒の不穏な動静とウフドの戦いの敗戦がある。





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ムハンマドの率いる軍勢はバドルの戦いでマッカ勢に勝利したが、ウフドの戦いでは軍紀違反から手痛い敗北を喫し、多くの若者を失った。




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この章はイムラーンからイーサー(イエス)に至るイムラーン家を概説する。
ウフドの戦いについてふれ、アッラーのために戦って命を落とした者たちはアッラーの恩寵の元に安らいでおり、アッラーに帰依する者には楽園が用意され、啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)でもアッラーに謙虚に仕える者は報いられるが、不信仰の人々にはやがて恐ろしい懲罰が用意されていることが語られる。





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☆☆☆やんジーのつぶやき
プラトンの言葉を想起する。
「現代思想は、表象=再現前化の破産から生まれもすれば、同一性から生まれもするのであり、要するに、同一的なものの表象=再現前化の下で作用しているすべての威力の発見から生まれるものだ。現代の世界は見せかけ(シミュラクル 英訳:simulacra)の世界である。」
「そこでは、人間は、神と同様に永らえることなく、主観の同一性は、実体の同一性と同じく命脈を保つことがない。一切の同一性は差異と反復の遊びとしての或るいっそう深い遊びによって、見せかけられた(シミュレ)ものでしかなく、まるで、光学的な『効果』のように生産されたものでしかないのだ。」
「わたしたちは、……、その関係を、《同じ》ものに連れ戻し、それらをして否定的ものを経由させてしまうからである。」



























































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by my8686 | 2016-07-26 10:37 | クルアーンの教え | Trackback | Comments(0)

クルアーン第2番目の章「雌牛」

アフガニスタンの首都カブールで23日、過激派組織「イスラム国」(IS)の傘下組織が起こした爆弾テロの死者は80人に達した。これまで同国では「辺境の限定的な存在」とみられていたISが首都で初めて起こした大規模テロ。反政府勢力タリバーンとの紛争が泥沼化する中、アフガンは新たな脅威にも直面することになった。

アフガンの情報機関「国家保安局(NDS)」の当局者は24日、ISの支配下にある東部ナンガルハル州アチン地区から「アブ・アリという幹部が、テロ要員3人を首都に送り込んだという情報を得ていた」と指摘。犯行声明通り、ISによるテロとの見方を示した。
アフガン周辺でIS支部が結成されたのは2014年。隣国の反政府勢力「パキスタン・タリバーン運動(TTP)」から分派した幹部らを中心に、アフガン・タリバーンの離脱者も加わり、昨年5月ごろから国境に近いアチン地区の村々を支配した。

最近は軍・警察の掃討作戦や米軍の空爆に加え、タリバーンとの戦闘で劣勢にあるとみられていた。そのISが首都を狙い、大規模なテロを起こした衝撃は大きい。
犠牲者の大半はイスラム教シーア派の少数派民族ハザラ人で、ISは「シーア派を狙った」としている。様々な宗派や民族のバランスに腐心してきたアフガン政府内では、パキスタンなどで深刻化する宗派に絡んだテロが持ち込まれることに警戒感が強まっているという。



それはさておき、本日はクルアーン第2番目の章「雌牛」についてみてみよう。


雌牛(アル=バカラ、Al-Baqara)は、クルアーンにおける第2番目のスーラ。




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全スーラの中で最も長いもの(全体のおよそ1/12となる分量)であり、計287節ある。

第282節「貸借の節」は、節長がクルアーン中で最長とされる。




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また、第255節「台座の節」は、神学的に重要な節とされている。




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スーラの冒頭に神秘文字(Muqatta'at)が置かれている(計29スーラ)うちの一つ。





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学者によってクルアーンの啓示順の類推見解は異なるものの、ミュア・ネルデケ・グリメは、「カイロ版」同様に、この章が「最初のマディーナ啓示」とみなしている。






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第219節に酒と賭け矢(マイスィル)についての言及がある。





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☆☆☆やんジーのつぶやき
ダン・スペルベルは初めて、教義のような形而上的概念が事実であろうと無かろうとに関わらず、宗教は人間の脳の産物であり科学的探求の対象になると主張した。
心理学者スティーブン・ピンカーにとっては宗教的信念に向かう普遍的な傾向は真に科学的な謎であるという。
彼は宗教が適応と見なせる基準を満たしておらず、宗教的な心理は祖先の生存を助けた他の精神的適応の副産物だと考えている。
一方D.S.ウィルソンは宗教が集団の生存を助けた群選択的現象であると主張している。
もつれあう宗教にはたして終焉は訪れるのだろうか。


























































































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by my8686 | 2016-07-25 13:20 | クルアーンの教え | Trackback | Comments(0)

クルアーン第4番目の章「婦人」

日曜の朝、曇り空のタイミングにあわせ庭の剪定をやる。
電動トリーマーで表の広い面を手早くすませる予定が、隣家側の狭い場所でつい片手操作した拍子に左腕を軽く切ってしまった。
作業用の長袖シャツを着ていたおかげで軽傷ですむ。休日診察の可能な整形外科で手当てして帰宅。2~3日は安静が必要なようである。


それはさておき、クルアーン第4番目の章「婦人」を先にみてみよう。


『婦人』(ふじん、アラビア語: سورة النساء‎, Sūratu an-Nisā)とは、クルアーンにおける第4番目の章。176の節(アーヤ)から成る。
36節は、孤児・貧者・旅行者などに親切にするよう命じられている啓示。
本章の題名は第3-4節や第127-130節を代表として本章を通じて女性に対して無数の言及がなされていることに由来する。




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本章は許容されるムスリムの行動を概説することで新しく作られたムスリム共同体を保護することを狙いとしている。
本章はクルアーンの権威ある法源としての地位や共同体を形作る能力を例証している。
本章はそれ以前に異教徒のアラブ人たちが行っていた慣習を根絶することを狙いとしており、それらの慣習はムスリム共同体ではもはや道徳的とみなされなくなった。
例えば、本章のうち孤児の少女を公正に扱うことに関する部分(4:2-4)では、その財産を得るために孤児の少女と結婚するというイスラーム以前のアラブの慣習が扱われている。

主題の内容に関して言うと、『婦人』は女性に対する関心を扱うだけでなく、相続、婚姻法、子供や孤児の扱い方、法的実践、ジハード、ムスリム共同体と啓典の民との関係、戦争、キリスト教徒が主張するような子なる神というよりむしろ預言者としてのイエスの地位といったことも議論されている。




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本章で戦争を議論する際、戦争では弱者のために戦うようにムスリム共同体に焚き付けており、たとえば4:75ではこう述べられている: 「これ、汝ら、何ゆえアッラーの御為めに、またあの力弱い男や女や子供たちのために戦おうとしないのか。みんなああして訴えておるではないか、『神様、どうぞ私どもをこの市から連れ出し給え。ここの住民たちは不義なす徒ばかりでございます。どうぞ貴方様の側から私どもに誰か保護者をお立て下さい。どうぞ貴方様の側から私どもに誰か助けてをお立て下さい』と。

本章では初期のムスリム共同体が直面した多くの問題について語られ、共同体が直面した脅威に対する応答が与えられている。
本章で語られる多種多様な問題と本章の長さにより本章は文学的構造に分割するのが困難になっている。
しかし、本章の各部分に表されたテーマの研究に基づいて、Amīn Ahsan Islāhīが本章を主題の内容に即して三つの部分、つまり、社会改革、イスラーム共同体とその敵、結論の三つに分割している。





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Mathias Zahniserは本章の構造を観察する別の方法を発表している。彼によれば、本章の中心的なテーマはキリスト教徒に説明することにあるという。
彼は対句、反復、円環論法(英語版) といった技法に基づいた本章の構造の考察に基づいてこの結論に達した。
しかし、カール・エルンストはこんな広大なスーラを理解するためにはこうした構造分析を施す必要のある仕事がまだまだあると述べている。

『クルアーンと女性』(英:Qur'an and Woman)においてAmina Wadudがクルアーンの解釈を伝統的、反動的、全体論的の三つのカテゴリに分類している。
一種類目の解釈が本章に適用されることでムスリム共同体における女性の地位に対する見方に大きな影響が与えられた。
フェミニストは三番目の全体論的な解釈によってクルアーンを読むが、この解釈は『婦人』との関係に妥当し、本章の解釈を新たに生み出すことができる。





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[クルアーン 4:3]
「もし汝ら(自分だけでは)孤児に公正にしてやれそうもないと思ったら、誰か気に入った女をめとるがよい、二人なり、三人なり、四人なり。だがもし(妻が多くては)公平にできないようならば一人だけにしておくか、さもなくばお前たちの右手が所有しているものだけで我慢しておけ。その方が片手落ちになる心配が少くてすむ。」
イスラームの一夫多妻制を扱っている。 最初の文は自身の子供と平等・公平に扱える限りで孤児を養子にすることを人々に勧めている。つまりこれは結婚を超えて孤児を養子にすることを提案しているのである。





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[クルアーン 4:4]
「妻たちには贈与財をこころよく払ってやれよ。だが、女の方で汝らに特に好意を示して、その一部を返してくれた場合には、遠慮なく喜んで頂戴するがよい。」





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[クルアーン 4:11]
「汝らの子供に関してアッラーはこうお命じになっておられる。男の子には女の子の二人分を。」



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[クルアーン 4:17]
「と言っても(アッラーの)お許しが働くのは、知らずに悪い事をして、しかもすぐ後で悔悛する人の場合に限る。そういう人たちにだけは、アッラーも赦しのお顔を向け給う。まことアッラーは全知にして至高の智者におわします。」
この節はアッラーの赦しについて述べている。




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[クルアーン 4:23]
「汝らの娶ってならぬ相手としては、自分の母親、娘、姉妹、父方の叔母に母方の叔母、兄弟の娘に姉妹の娘、自分に乳を飲ませてくれた母、乳姉妹、妻の母親、汝らが肉体的交渉をもった妻が(以前に)生んで(連れて来た)継娘で(今は)汝らが後見している者―だが勿論、まだ交渉をもたぬうちなら(その連れ子を妻にしても)罪にはならぬ―それからまた自分の腰から出た息子の配偶者。姉妹を二人同時に妻にすることもいけない。ただし過去のことは問わない。まことにアッラーは慈悲深く、情深くおわします。
この節では結婚してはいけない女性が詳述される。繰り返しが24節の冒頭「それから(娶っていけないのは)正式の夫を持つ女。但し汝らの右手の所有にかかるものはそのかぎりにあらず。」まで続く。




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[クルアーン 4:24]
「それから(娶っていけないのは)正式の夫を持つ女。但し汝らの右手の所有にかかるものはそのかぎりにあらず。これが汝らに対するアッラーの御掟であるが、この掟の外であれば、己が財力の許すかぎりで、といっても放縦な野合はならぬが、正式に結婚して、妻を求めることは差支ない。そして、女たちから快楽を得たならば、所定の報酬を払ってやること。その場合、所定の報酬額以上のことは、当事者の間で自由に取りきめてよろしい。まことアッラーは全知にして至高の智者におわします。」
シーア派の釈義によれば、この節こそが「ムタア(歓び)の節」と呼ばれてきた。




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[クルアーン 4:34]
「アッラーはもともと男と(女)との間には優劣をおつけになったのだし、また(生活に必要な)金は男が出すのだから、この点で男の方が女の上に立つべきもの。だから貞淑な女は(男にたいして)ひたすら従順に、またアッラーが大切に守って下さる(夫婦間の)秘めごとを他人に知られぬようそっと守ることが肝要。反抗的になりそうな心配のある女はよく諭し、(それでも駄目なら)寝床に追いやって(こらしめ、それも効かない場合は)打擲を加えるもよい。だが、それで言うことをきくようなら、それ以上のことをしようとしてはならぬ。アッラーはいと高く、いとも偉大におわします。」




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☆☆☆やんジーのつぶやき
反抗的になりそうな心配のある女はよく諭し、(それでも駄目なら)寝床に追いやって(こらしめ、それも効かない場合は)打擲を加えるもよい。
手のひらで転がされていては、男たるもの戦などできようはずがない。















































































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by my8686 | 2016-07-24 13:01 | クルアーンの教え | Trackback | Comments(0)

クルアーン第1番目の章「開端」

昨晩は、新人の歓迎会がある。鉄板焼き2時間飲み放題。例によって料理はB級グルメのスナック系である。決して胃袋を満足させてくれるしろものではない。
しかし、若い連中と飲む機会がもてるのも現役の特権と割り切ってレモンチューハイを5~6杯飲る。
2次会のカラオケは、若い連中にまかせて早々と帰宅。

そして本日早朝、定例のXバイクで2時間ばかりのランへ。強い陽射しながら気持ちのいい風が頬をなでる。この高温が心地良い発汗を促す。
一汗かいたあとは、お気に入りのスーパー銭湯でさらに2時間。サウナ~水風呂~露天ジャグジーで汗をしぼりだす。




それはさておき、休日の習いごとに決めた「クルアーン」をみてみよう。


開端(アル=ファーティハ、Al-Fatiha)はクルアーンの最初のスーラで、マッカ時代最初期の啓示の一つである。




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アッラーの導きと支配、慈悲を称える7つのアーヤから構成される。

このスーラは毎日の祈りサラートの最初の部分に使われる。ムスリムは1日に最低17回は開端を暗唱する。
開端章は、ファーティハ・アルキターブ(Fatiha al-Kitāb)とも呼ばれる(ファーティハは動詞「開く」の派生語)。

ムスリムは、クルアーンはアッラーからアラビア語で与えられた啓示であると信じている。他の言語への翻訳は単に表面的な訳に過ぎず、真のクルアーンではないと考えている。
原語のアラビア語とその翻訳は以下のようになる。



1:1 بِسْمِ اللّهِ الرَّحْمـَنِ الرَّحِيم
Bismillāhi r-raḥmāni r-raḥīm
神の御名の下に最高の慈悲を。



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1:2 الْحَمْدُ للّهِ رَبِّ الْعَالَمِين
Al ḥamdu lillāhi rabbi l-'ālamīn
全ての感謝は世界の神アッラーただ一人へ。





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1:3 الرَّحمـنِ الرَّحِيم
Ar raḥmāni r-raḥīm
アッラーは最高の慈悲を持ち、





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1:4 مَـالِكِ يَوْمِ الدِّين
Māliki yawmi d-dīn
最後の審判の日の支配者である。





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1:5 إِيَّاك نَعْبُدُ وإِيَّاكَ نَسْتَعِين
Iyyāka na'budu wa iyyāka nasta'īn
我々はあなたのみを崇拝し、あなたのみに助けを求める。





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1:6 اهدِنَــــا الصِّرَاطَ المُستَقِيمَ
Ihdinā ṣ-ṣirāṭ al-mustaqīm
我々全てを正しい道に導きたまえ。




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1:7 صِرَاطَ الَّذِينَ أَنعَمتَ عَلَيهِمْ غَيرِ المَغضُوبِ عَلَيهِمْ وَلاَ الضَّالِّين
Ṣirāṭ al-laḏīna an'amta 'alayhim ġayril maġḍūbi 'alayhim walāḍ ḍāllīn
あなたの怒りを与えられた者や自分の道を見失った者ではなく、あなたの恩寵を授けられた者の道に。





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"bismillāhir rahmānir rahīm"という最初の節は、ムスリム社会の至る所で見られるため、非アラビアの人にも馴染みがあるかもしれない。
この節は、第9章を除くクルアーンの全ての章の冒頭に登場する。
日常の祈りの際、全ての章の前に暗唱される他、神の祝福を得る手段として日常の様々な行動の前にも暗唱される。

"ar rahmān"と"ar rahīm"という2語の言葉は、しばしば「慈悲深い」等と翻訳される。
最上級で「最も慈悲深い」等と訳されることもある。
前者は程度を表し、後者は時間を表す。

第2節のالحمد الله"(アルハムドゥリッラー)は、アラビア語で最も有名なフレーズの1つであり、個人の意志や幸福、不幸への慰めを意味する。
この節には、神の2つの名前"الله"と"رب"の関係が出てくる点でも重要である。
前者は神の遍在的な名前であり、後者はおおよそ英語のLordに相当するものである。どちらもヘブライ語の"rabbi"に由来する。この2語を全て赤字で印刷しているクルアーンもある。

第4節の最初の単語は、クルアーンの版によって異なっている。
最もポピュラーなのは、「王」を意味する短いaの"maliki"か、「主人」を意味する長いaの"māliki"である。"maliki"も"māliki"も、どちらも同じセム語根に由来している。


第7節で、「あなたの怒りを与えられた者」という表現はユダヤ教、「自分の道を見失った者」という表現はキリスト教に取り入れられている。







☆☆☆やんジーのつぶやき
1日に最低17回は開端を暗唱するというムスリム。
その言葉に耳をかたむけてみるのも一興。












































































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by my8686 | 2016-07-23 18:37 | クルアーンの教え | Trackback | Comments(0)