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TOYOTA 86 官能を刺激してあまりある日々

ホンダは30日、新型車「S660」を発表した。
19年ぶりの「軽」規格スポーツカーとして注目を集めるが、真の特徴は開発手法にある。

責任者は入社8年目の26歳で、開発担当者は公募で集めた。
重視したのは徹底して議論を交わすこと。

最近のホンダは規模拡大や車種増加を受けて開発の「縦割り」が強まっているとの指摘がある。
「ホンダらしさ」復活を戦略車に託す。
 
2人乗りオープンのS660は国内で4月2日に発売する。
価格は198万~218万円。

「ミッドシップ」と呼ばれる車体レイアウトを採用した。
軽のエンジンながら新設計のターボチャージャーを組み込み加速力も高めた。
自動車専門家からは「走りのホンダが戻ってきたようだ」との声が相次ぐ。


TOYOTAの仕掛けたFUN TO DRIVE、AGAIN。

スポーツカー熱の復活。
いよいよ、ホンダも本気だ。

それはさておき、TOYOTA86のグラフィックを振り返ってみよう。


86に、恋をしたの。


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元パリコレモデルの我妻マリ。
FUN TO DRIVE、AGAIN.

かくいう、この俺も、86に、恋をしてしまった。


おもしろき こともなき世を おもしろく

元文年間創業、京都でおよそ280年続く帯問屋の十代目当主。
誉田屋源兵衛 十代目当主・山口源兵衛。
現代最高の職人たちを束ね、素材にも技にも一切の妥協を許さず、究極の美を形にするその帯は、もはや芸術品の域である。
海外の有名ブランドにも大きな影響を与えている。

その佇まいに官能が震えた。
スポーツカーは、カルチャーです。TOYOTA 86


妻がいう。「みんなして馬鹿みたい」。それで結構。

馬鹿を承知のスポーツカー遊び。
それで結構。



86を趣味の友とした時、「峠」の意味が変わった。

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すくなくとも、走ることの意味と姿勢、そして嗜み方が激変した。
スポーツカーは、カルチャーです。



日本の「峠」をめずさ。

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日本の道。
日本の景色。
日本の遠景。

日本の大人たちが、長いあいだ忘れていたこと。
その言葉に、官能が疼き震えた。



ガレージには、男の夢が詰まっている。

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男の手垢でエイジングされたガレージ。
その同類の匂いに、官能が騒いだ。




美しさを乗りこなす。
Cb.クールビューティ。

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エレガントな妹の誕生に、官能が微笑んだ。





☆☆☆やんジーのつぶやき
「趣味は、スポーツカーです。」
そんな、やんジー連中がもっと増えてよい。










































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by my8686 | 2015-03-31 08:06 | やんちゃな愛車86GT | Trackback | Comments(0)

ONOMICHI U2

夕日が差すマツダスタジアム。
「黒田コール」が鳴りやまない。
2007年9月27日のヤクルト戦以来となる日本球界での勝利を挙げた広島の黒田は、インタビュー台で言った。
「広島のマウンドは最高でした」

40歳が渾身の1球を見せたのは七回だ。
1死からユウイチに中前安打を許す。
2死後、前の打席で左前安打を打たれた中村を迎えた。リードはわずか1点。

広島復帰の決断が「よかったのかと考えることもあった」と語っていた。
この勝利で、その迷いは消えたのか。

「1試合投げただけではなかなか判断できない」。
でも、決めていることがある。
「いつまで続くか分からないですけど、体が続く限り投げたい」。
自らを育ててくれたチームとファンのために誓った。

昨日3月29日は、広島中が黒田の男気に涙した。

今年の広島は、とにかく熱い。



熱く燃え上がるここ広島に、昔の県営海運倉庫を改修した熱いスポットがある。
その名は、「ONOMICHI U2」。

昨年6月、愛車86を駆り訪れた場所。


あらためて、その内容をみてみよう。

「ONOMICHI U2」は、尾道駅近くの県営海運倉庫を改修し、再活用することで生まれた施設。


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JR尾道駅から西へ徒歩5分という絶好のロケーション。
観光客でにぎわう駅東側とは異なる装いである。
かつては駅から分かれて倉庫の真横まで貨物線が通っていた。


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その外観は、倉庫として使われていた時とほとんど変わらない状態を保っている。
外壁には「県営2号」の文字。


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実は「U2」の名称は、この倉庫の名称「県営上屋(うわや)2号」から来ている。
昭和18年竣工の、非常に歴史のある倉庫である。

■倉庫のスペースを活かした開放的な一体空間
県営倉庫の躯体をほぼそのまま生かしつつ、内部の空間を使って、ホテルやレストランの厨房などを、建物内建物といった方式で作っている。


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必要なスペースは囲いながらも、全体に余計な間仕切りは設けず、天井の高い倉庫の空間を一体に利用することで、開放的なスペースを生み出している。



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自然光が差し込むとはいえ薄暗い感じの昼間と、室内の明かりが煌々とともる夜とでは、また趣が異なって面白い。


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■愛車と共に泊まるホテル
U2の半分近い面積を占めるのが、宿泊施設「HOTEL CYCLE」だ。


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「HOTEL CYCLE」は、全てツインルームで28室が用意される。
客室内は機能的にコンパクトにまとめられる一方で、通路を兼ねた中央部の吹き抜けスペースはゆったり作られている。
ここには椅子やテーブルが点在し、宿泊者同士のラウンジとしても機能する仕組みだ。


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ホテルは自転車をそのまま持ち込んでチェックイン可能で、分解しないで客室内まで持ち込むことができる。
共用のメンテナンススペースが、各フロアに1カ所用意されているのも嬉しい。

室内には本物のドロップハンドルとステムを使った、特製のバイクラックが設置されており、バイクを持ち込んでも室内スペースを有効に使用できる。


■「ジャイアントストア尾道」 しまなみ海道の両端を押さえる
U2の一番駅に近いスペースで3月に同時オープンしたのが、「ジャイアントストア尾道」。
ジャイアントは2年前にしまなみ海道の四国側の玄関口、今治にストアを開業しており、その当時からもう一方の端である尾道での出店を計画していたという。


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今回の尾道でのストア開業で、しまなみ海道の両端をジャイアントストアが押さえることになった。
これにより大きな意味を持ってくるのが、両店舗で提供するレンタサイクルサービス。
ロードバイクに限られるが、一方でレンタルしたバイクを、しまなみ海道を渡った反対側で乗り捨てることが可能になった(乗り捨てには別料金が必要)。


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レンタサイクルはキッズ、クロスバイク、アルミロード、カーボンロードといった本格スポーツバイクが用意される。
周辺自治体が提供しているレンタサイクルに比べて料金設定は高めだが、バイクは原則として最新モデルだ。
返却後には次の貸し出しの前にスタッフがメンテナンスを行なうなど、ベストコンディションで乗れるのが安心だ。

尾道市内でスポーツバイクを専門に扱うショップは初めて。
オープンから間もない時期に訪れたが、店内はストアを訪れる客で賑いをみせていた。



☆☆☆やんジーのつぶやき
この夏には、オールカーボン製のロードバイクを借りだし、尾道から四国までの片道約75Kmを走ろう。
四国の讃岐うどんを食うもよし、温泉で一汗流すもよし。
帰路は、瀬戸内の夕陽を浴びつつ風に吹かれてみよう。






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by my8686 | 2015-03-30 08:06 | 挑発する建築&空間 | Trackback | Comments(0)

TOYOTA86 俺流カスタマイズ

先週の日曜日、夏タイヤに履き替え、いつもの峠を早朝ドライブ。
向かうは、俺好みの湖畔のパーキングへ。

夏タイヤの調子を確かめつつ愛車86を駆る。

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履き替えたのは昨年来の純正タイヤ。
MICHELIN PRIMACY HP 215-45R17。

GSでエアーチェック後、いつもの峠でパワードリフトテスト。
心地良いフリーキートーンだ。

早朝の湖畔。
いつものミステリアスな朝霧が湖畔を包む。

パーキングで連続スピーンターンテスト。

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タイヤのグリップ力に頼らないトヨタ86。
そのこだわりの設計思想に共鳴して、あえて標準タイヤを履いている。

ほどほど、そこそこ、俺好みのグリップ力。
パワードリフトを思いのままに誘発し、コントロールするのが俺流だ。
ハイグリップタイヤでガチガチにタイムを競うのは、好みではない。

乗馬で学んだ制御する嗜みと走り味の変化を楽しむ俺流作法。

冬場履いていたのはYOKOHAMAアイスガード。
当然、路面温度が高ければグリップ力は落ちる。

サイプが入っている分、雨天ではよく空転した。
ドリフトの誘発のしやすさでは、雨天時のスタッドレスもなかなか捨てたものではない。

カスタマイズは、もちろん俺流の俺好みのこだわり方でやる。

基本は、素の86をとことん味わいつくす。

段階をおって少しづつ手を入れ、その変化を愉しむ。




最初にこだわったのは、愛車86のリアルタイム情報とデータロガーの把握。
IG信号線を介して、累積燃料消費量・最高水温・最高油温・エンジン系エラーコード類のメモリー機能。

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俺好みの次のステップは、吸気系チューニング。

純正エアクリーナーボックスとサクションパイプを除去して高効率カーボンインテークパイプの装着。
演出過多気味のサンクリは当然除去。静かに低く唸らせるのが俺好み。


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グチャグチャとしていたエンジンルームをスッキリと整理整頓。
低く唸る素のブリッピングサウンドを楽しむ。実に俺好みだ。





さらに、ヨーレート補正へのこだわり。
TRDドアスタビの装着。
驚くほど、リニアに近づく。

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ドアストライカーの隙間部分にスペーサーを入れ、ステアリング操作時の車両の応答遅れを低減するというもの。
レスポンスがよりクイックになる。
このヨー角の変化する速さへのこだわりも大事だ。

クルマの重心点を通る鉛直軸まわりの回転角速度こそ86の命。
横加速度とともに旋回運動を定義し、解析するための基本パラメーターとしてのヨーレート。

操縦感覚からはヨー角がコースとの位置関係をみるうえで重要なのに対し、ヨーレートは変化速度として敏感に感じられる重要な部分。
進路の予見性のためにより重視される。
進路追従の際、クルマの挙動に対する信頼感を確保するうえでもスムーズな変化が求められる。




そして、サスペンションボルトの交換。

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TOYOTAが86に初回改良を施したフランジボルトの厚さ変更。

サスペンションメンバーとボディを固定しているフロント4本。
ショックとロアアームを取り付けているリア2本。
この合計6本のフランジボルトの厚みをアップさせることで結合剛性を上げるというもの。

目先だけ換えてしまう改悪例の多いなか、本来のマイナーチェンジの基本をしっかりと押さえている。
まさに俺好みのチェンジだ。

交換するだけでボディ剛性のアップが体感できる。ローコストながら効果は絶大。
やって損はない、というより是非ともやるべきカスタマイズの基本だと思う。




☆☆☆やんジーのつぶやき
手をいれるべき部分。入れすぎてはいけない部分。
車両としての総合バランスが問われる。
クルマも人も、育て方次第で生きもし、死にもする。








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by my8686 | 2015-03-29 08:06 | やんちゃな愛車86GT | Trackback | Comments(0)

Barnett Newman

桜の開花も間近い。
土曜の休日、近くの公園に桜の蕾の状態を確かめに行く。
今や咲きほこらんばかりの蕾たち。
来週は桜祭り。

それはさておき、アメリカの美術家バーネット・ニューマンに注目してみよう。

抽象表現主義とカラーフィールド・ペインティングの代表的存在。
2013年、サザビーズのオークションでバーネット・ニューマンの1953年の作品「Onement Ⅵ」 が4380万ドル(当時約44億円)で落札されるという現代アート落札額の記録をつくり、そのおかげでサザビーズの株価も上昇したというニュースは記憶に新しい。


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ニューマンはロシア系ユダヤ移民の子としてニューヨークに生まれた。
ニューヨーク市立大学で哲学を学んだ後、父親の服飾業を手伝った。

1930年代から絵を描き始めた。
そのころの作品は表現主義風だったというが、後に彼はそれらをすべて処分した。

1940年代には最初シュルレアリスムを試したが、やがて独自のスタイルを築きあげた。
その画面は、ニューマンが「ジップ zip」と呼ぶ細い縦線で巨大な色面が区切られるのが特徴である。

ジップを用い始めたころの作品では、色面はまだらになっていたが、やがて色面は単色で平坦なものになった。
ニューマン自身は1948年以降の「ワンメント Onement」シリーズによって自己のスタイルが確立されたと考えていた。
生涯を通じて、ジップは彼の作品の主役であった。


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1950年代の作品には、「ワイルド The Wild」(203cm×4cm、ニューヨーク近代美術館)のように、ジップそれ自体が作品となったものもある。
ニューマンはまた、ジップの3次元版とでもいうべき彫刻もいくつか制作している。


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ニューマンの絵画は純粋に抽象的に見えるうえ、当初は「無題」とされた作品も多かった。
彼はのちにそれらの作品に題名を与えたが、それらが示唆するものは、しばしばユダヤ的な主題であった。

例えば1950年代に制作された「アダムとイヴ」がそうである。

「ウリエル」(1954年)もそうだし、また「アブラハム」(1949年)というとても暗い絵画は、聖書の登場人物でありまたニューマンの父(1947年に没した)の名でもある題名を与えられている。


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「十字架の道行 The Stations of the Cross」シリーズ(1958年-1964年)はモノトーンの連作絵画である。
この連作はニューマンが心臓発作から回復してすぐに制作されたもので、一般にはニューマンの画業の頂点を示すものとして認識されている。

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この連作は「レマ・サバクタニ(なぜ我を見捨て給う)」という副題がつけられている。
十字架上のキリストが叫んだ言葉である。

ニューマンはこの言葉が、彼の時代にとって普遍的な重要性を備えていると感じていた。

ニューマンの晩年の作品は「誰が赤、黄、青を恐れるのか Who's Afraid of Red, Yellow and Blue」シリーズに見られるように、純粋で鮮やかで色を巨大なカンヴァスの上に用いるものが多くみられる。


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「アンナの光」(1968年)は幅7.1m、高さ2.3mあり、彼の作品中最も大きい。
題名は1965年に没した彼の母の名に由来している。


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晩年は「シャルトル Chartres」(1969年)をはじめシェイプト・カンヴァス(四角形以外のカンヴァスを用いた絵画)や、滑らかな鉄片を用いた彫刻にも取り組んだ。
初期の油彩と異なり、晩年の作品にはアクリル絵具が用いられた。


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彫刻作品では、ピラミッドの頂点にオベリスクを逆さに立てた「ブロークン・オベリスク」が良く知られている。


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リトグラフの作品には、連作「18 Cantos」(1963-64年)などがあり、また数は少ないがエッチングの作品もある。


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ニューマンは1950年代のニューヨークでの活動において、他の美術家と共に、ヨーロッパ絵画の様式に拠らない独自の抽象表現を築き上げたことで、一般的には抽象表現主義の美術家として認識されている。

しかし、クリフォード・スティルやマーク・ロスコら他の抽象表現主義の美術家が用いたような表現主義的な筆触を拒絶し、はっきりした輪郭と平坦な色面を用いたことからすると、ニューマンの作品はポスト・ペインタリー・アブストラクションやミニマリズムの嚆矢と見ることができる。

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ジャクソン・ポロックのように話題性に満ちた人物と比べると、ニューマンの生前の評価は低かった。
クレメント・グリーンバーグはニューマンを熱烈に支持したが、晩年になるまで彼の作品が真剣に取り上げられることは少なかった。


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しかし、彼はより若い世代の画家に対しては大きな影響を与えてきた。
ニューマンは1970年、心臓発作のためニューヨークで没した。



☆☆☆やんジーのつぶやき
桜の開花が待ち遠しい土曜の休日。
やっと冬が終わり、ウキウキする日がやってきた。


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by my8686 | 2015-03-28 18:06 | ぶらぶらアート観賞 | Trackback | Comments(0)

Theo Jansen

フランスの山中に乗客乗員計150人を乗せたドイツ格安航空会社ジャーマンウィングスの旅客機が墜落した事故について、仏検察当局は26日、副操縦士が「意図的に機体を破壊しようとしたとみられる」と発表した。
副操縦士は、機長を操縦室から閉め出したうえで、機体を急降下させて墜落させた可能性がある。
日本人2人も搭乗していたとみられる墜落事故は異例の展開になった。

背景に何があったのか。
一刻も早い原因究明と対策を望みたい。

それはさておき、オランダの物理学者で彫刻家のテオ・ヤンセンに注目してみよう。


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テオ・ヤンセン(1948年 - )は、オランダ、デン・ハーグ、スヘフェニンゲン出身。
デルフト工科大学で物理学を学んだ。
風力で動作するストランドビースト(ビーチアニマル)など、科学を利用した芸術作品を作成している。


あらためて、略歴をみてみよう。

1948年 オランダ・スフェベニンゲン出身

1968年 デルフト工科大学で物理学を専攻

1975年 画家に転向

1990年 ストランドビーストの制作開始


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2006年 ストランドビーストを使用したBMWのCMが南アフリカで放映


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2009年 1月~4月、東京・日比谷パティオにてアジア発の展示会開催


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2009年 6月、第1回エコー・フェスティバル」にて、UNEP(国連環境計画)より『エコー・アワード』を授与

2010年 6月~11月 韓国ソウルにて展示会開催

2010年 12月〜2011年2月 東京・科学未来館にて展示館開催

2011年 7月〜9月 大分市美術館にて展示会開催


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2011年 11月 台湾・苗栗体育場にて展示会開催

2011年 12月〜2012年2月 台湾・国立科学教育館(台北)にて展示会開催


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2012年 2月 オーストラリア・フェデレーションスクエアにて作品展示

2012年 5月〜6月 台湾・中有百貨店(台中)にて展示会開催

2012年 6月〜8月 台湾・国立科学技術博物館(高雄)にて展示会開催


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2012年 7月〜10月 アルゼンチン・テクノポリスにて作品展示

2012年 11月 ウルグアイ、ArtFutura(モンテビデオ)にて作品展示

新作のPlaudents Vela 2世。
400年以上前にオランダから波頭を超えて長崎迄渡来したオランダ人の船乗り達へのオマージュとして特別に制作されたもの。


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帆船をイメージした大きな帆が特徴。
他のストランドビーストと異なり、Plaudents Vela 2世は前進のみ可能、後退することが出来ない。


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☆☆☆やんジーのつぶやき
風を食べながら活動する彫刻とはユニークだ。
単なる造形の面白さだけでなく、物理学を応用した動きに官能が刺激された。
実物をぜひ見てみたい。






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by my8686 | 2015-03-27 08:06 | 徒然なるままに | Trackback | Comments(0)

李 禹煥

日本で起こった美術運動「もの派」は、1960年代末に始まり、1970年代中期まで続いた日本の現代美術の大きな動向である。
石、木、紙、綿、鉄板、パラフィンといった〈もの〉を単体で、あるいは組み合わせて作品とする。

それまでの日本の前衛美術の主流だった反芸術的傾向に反撥し、ものへの還元から芸術の再創造を目指した。
「もの派」の命名者は不明。
1968年に関根伸夫が『位相—大地』を発表し、李禹煥がそれを新たな視点で評価し、理論づけたことから始まる。

あらためて、李 禹煥(Lee Ufan)に注目してみよう。


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直島に安藤忠雄とのコラボレーションによる李禹煥美術館が開館したことでも注目されている。
多摩美術大学名誉教授。


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大きなキャンバスに点や線を描いた絵は、洗練された美しさの中に深い精神性を感じさせる。


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東洋の思想と画法、西洋の哲学とテクニック、2つの融合から新しい抽象画の世界を切り拓いた李禹煥は、日本に住みながら世界を舞台に活躍する画家。

その活動は絵画、彫刻、詩、美術評論と多岐にわたる。


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1936年、韓国の慶尚南道咸安郡に生まれ、国立ソウル大学を中退後、日本に移る。
日本大学文学部哲学科で学び、その後、本格的に美術の世界に身を投じた。

69年に論文「事物から存在へ」を書き、当時、日本で起こった美術運動「モノ派」の主導的役割を果たす。

白っぽいキャンバスに、黒や藍、朱などの色彩で筆の跡を残すような線や点を描くといった絵画は、オリジナリティーに満ち、とりわけ、余白に深い意味合いを持たせている。

その技法は書道の筆遣いにも似ており、そこに油絵の技法を用いた全く独自のもの。

70年代初めの「点より」シリーズから、「線より」シリーズ、そして「風と共に」シリーズ、よりシンプルに削ぎ落とされ、余白が重要な意味を持つ「照応」シリーズまで、少しずつ変遷しながら現在のスタイルに到達。


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立体作品では60年代から続けている石と鉄板という単純な組み合わせによる「関係項」シリーズで、目には見えない何かを感じさせようとしている。


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現在はパリにアトリエを構え、日本とフランスを行き来しながら創作活動を行っている。

ヨーロッパでは、パリの国立ジュ・ド・ポム美術館での回顧展をはじめ、この6月にはドイツのボンでも大規模な絵画のみの回顧展が開催された2001年11月、中国の上海ビエンナーレでユネスコ賞を受賞。


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著書に評論集「余白の芸術」などがある。


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☆☆☆やんジーのつぶやき
この夏は、久しぶりに直島に行こう。
安藤忠雄とのコラボによる李禹煥美術館は見ものだ。
「余白の芸術」に「人生の余白」を投影しつつ官能を磨く。
そんな休日もあってよい。














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by my8686 | 2015-03-26 08:06 | ぶらぶらアート観賞 | Trackback | Comments(0)

辻村史朗

スペインのバルセロナ発、ドイツ西部デュッセルドルフ行きのドイツの格安航空会社ジャーマンウィングスの9525便(エアバスA320型機)が、24日(日本時間同日午後7時ごろ)、フランス南東部の山岳地帯に墜落した。
同機には乗客乗員計150人が搭乗していたとみられる。
生存者の情報はなく、全員が犠牲になったおそれがあるという。

A320は150~180人乗りのエアバスの小型機で、格安航空会社で多用されている機種として知られている。
テロとの関係性は少なく、現在ブラックボックスの解析中だという。

それはさておき、奈良の山中に気になる陶芸家がいる。
その名は、辻村史朗。







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奈良の山中で40年余り、師も持たず、賞や栄誉にも囚われず、土と格闘し40年で200トンの土を焼いている陶芸家である。






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あらためて、経歴をみてみよう。

辻村 史朗(1947年~)
■経歴

1947年 奈良県御所市に、牧畜を家業とする家の4男として生まれる。
1965年 東京駒場の日本民藝館で、偶然大井戸茶碗に遭遇し、大きな感銘をうける。
   この事が、その後陶芸に進む切っ掛けにとなる。 






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1966年 19~21歳の三年間、奈良の禅寺三松寺(曹洞宗)に住み込み、修行を行う。

1968年 実家に帰り家業を手伝いながら、独立する為の資金作りに励む。

1969年 リヤカーの車輪を利用した轆轤を自作し轆轤による作陶を始める。同年結婚。

1970年 奈良県奈良市水間の山中に土地を求め、民家の古材や廃材を使って自らバラックの様な家を建て同時に、自宅近傍に薪窯を築く。
井戸も自力で掘った。
小さな窖窯で焼いた、ぐい呑みや茶碗などを、京都の有名観光地の道端で売って、生計を立てていた。

1977年 30歳の時、今までの修行の成果を披露する為、奈良水間の自宅で、初めての個展を開催し大成功を納める。
奈良の山奥に面白い陶芸家がいると言う事で、山奥にもかかわらず多くの人が見に来た。

1978年 前年の個展の反響に気を強く持ち、大阪三越にて個展を開催し、古美術商の近藤金吾氏の眼に止まる。
翌年にも同じ場所で、個展を開催。
その後も、東京日本橋三越をはじめ各地の画廊で個展を多数開催。








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1981年 兵庫県加西市にある北条羅漢を見て感銘を受ける。
以後羅漢が主要なテーマの一つとなり、絵付けや釘彫りで、作品の表面に施す様になる。






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1982年 京都の近藤金吾氏の店に作品を持参した際、荒川豊蔵氏(人間国宝)を紹介され、作品を絶賛される。

1993年 海外でも人気を博し、ドイツ・フランクフルト・ジャパンアートにて個展を開催。英国・ウエスト・デュポンにて築窯、作陶を行う。

1994年 ロンドン・ギャラリー・ベッソンにて個展を開催 。
1999年 裏千家茶道資料館にて「辻村史朗 壷と茶碗展」を開催。米国のメトロポリタンやボストン、ブルックリンなど、名だたる美術館に作品が所蔵される。


■辻村 史朗氏の陶芸
師を持たず、まったくの独学。更にいかなる美術団体にも所属していない。
彼の展示会で見られる作品は、ほとんどが信楽や、伊賀焼きの焼き締めの作品が多い。
しかし、抹茶々碗等には、唐津、志野、引出黒茶碗などもある。

修行時代には、日本の各地の焼き物以外に、中国や朝鮮の陶器や磁器までも制作している。
この多彩な経験が後々大きな収穫として現れる。






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一回の個展で約150点の作品を出品する。
その為に、数トンの土を使って制作、焼成する。
自宅周辺には多くの作品が、放置されている。

又、「自然に放置した作品は、熟成され更によくなる」と述べている。
熟成されていく事を、「きれいさび」と呼んでいる。

屋外に放置する事により、雨風に打たれ長い間には、釉も風化されて古色を帯びてきる。
更に、貫入(小さな釉のヒビ)に土やコケが入り込み、汚れた様な雰囲気が醸し出される。







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これらの現象は、見る人によっては、好ましい作品に熟成された物となる。
窯は7窯(薪、灯油、ガス、電気)所有し、作品に応じて使い分ける。
壷ならば、1250~1350℃で焼成し、土の塊の様な花入では1400℃を超える高温で焼く。







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弟子は採らない主義で、陶芸家に成った二人の息子(辻村唯、辻村塊氏)も、師匠らしい事は何もしなかった。

但し、例外として元総理大臣の細川護煕氏がいる。
美術雑誌で辻村氏の作品を見て、辻村氏の作品に惚れ込み、弟子入りを要請するが、断られ続けた末、直接奈良の辻村氏宅まで出掛け、口説き落として、弟子入りに成功したという。
辻村氏の横で轆轤の修行に入り、月に1~2回、1回数日間から数週間、別棟に寝泊りして陶芸の修行を行なったという。
一年半に及ぶ修行の末、「もうその辺でいいだろう」の言葉を貰い、師から独立したそうな。











☆☆☆やんジーのつぶやき
師を持たぬ独学の鬼才。その生い立ちに興味がわく。
禅寺での修業時代に化けたのか。
「きれいさび」と呼ぶ熟成された焼き物に官能が靡いた。




















































































































































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by my8686 | 2015-03-25 08:06 | 徒然なるままに | Trackback | Comments(0)

杉本博司

沖縄県の翁長雄志知事は23日、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設計画を巡り、移設関連作業を1週間以内に停止するよう、沖縄防衛局に指示したと発表した。
従わない場合は、埋め立てに必要な岩礁破砕許可を取り消す意向も表明。
国は法的な問題はないとして作業を続ける考えで、両者の対立は決定的となる。

国が停止指示に応じなかった場合には「腹は決まっている。(岩礁破砕の)許可を取り消すことになると思う」と述べた。
取り消しの根拠は、県の岩礁破砕許可条件行使と見られる。


それはさておき、気になっていた日本の写真家であり現代美術家の杉本博司(1948年2月23日 -)を総括してみよう。
「ポストモダン時代を経験したポストモダン以前のモダニスト」を自認する。


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あらためて、略歴からみてみよう。

東京都台東区旧・御徒町出身の写真家。
東京及びニューヨークを活動の拠点としている。
作品は厳密なコンセプトと哲学に基づき作られている。


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8×10の大判カメラを使い、照明や構図や現像といった写真の制作過程における技術的側面も評価されている。


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1976年に『ジオラマ』シリーズを制作して以降、『海景』『劇場』『ポートレート』『蝋人形/恐怖の館』『陰翳礼讃』『建築』など、今日まで制作が続くシリーズを発表し続けている。


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一貫して個人の存在を超えた時間の積み重なりや流れをとらえるためのコンセプトや方法を模索している。



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■コンセプト
杉本が渡米した1970年代頃のアメリカでは、メディアにおける映像の氾濫により現実が変容した状況が指摘されていた。
「あるがままの世界」を写すというストレートフォトグラフィの理念の失効や、ピクトリアリスムの再評価が主張されるなど、写真においてもモダニズムが問い直されポストモダニズムが勃興する時期だった。



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彼はストレートフォトグラフィとピクトリアリスムの対立に対しては、技法では構図や照明の計算により絵画的な画面を実現しピクトリアリスムに接近している。


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しかし一方で「ポストモダン時代を経験したポストモダン以前のモダニスト」を自認するなどモダニズムの立場に立ち続けている。
「真実らしさで満ちている世界では、写真が真実を写し出すことはない」としつつも、「写真には嘘をつかせない」というモダニズムの倫理を守ろうとしている。


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写真に何かを足したり引いたりして写真に嘘をつかせないために、彼は明らかに人為的で嘘とわかるジオラマや蝋人形を撮影したり、「陰翳礼讃」や「劇場」シリーズのように表象不可能な「時間」を撮影しようとする。

■ジオラマ・蝋人形
最初のシリーズの『ジオラマ』では、ニューヨークのアメリカ自然史博物館の古生物や古代人を再現したジオラマを撮った。
片目を閉じた「カメラの視覚」のもとでは、両目で見ると模型だと分かるジオラマが遠近感の喪失によりリアルに見える、という発見からこのシリーズは始まっている。



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精巧なジオラマを本物に見えるよう注意深く撮ったシリーズは、「写真はいつでも真実を写す」と考えている観客には一瞬本物の動物や古代人を撮ったように見えてしまう。

1999年からのシリーズ『ポートレイト』では、マダム・タッソー蝋人形館にある偉人たちや有名人たちの蝋人形を、16世紀の絵画をほうふつさせる照明で撮影し、あたかも生きた本人を撮影したかのような作品に仕上げた。



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これらのシリーズは、迫真性をもって撮りながらその写すものは偽物であるということを示す一方で、時間を超えた存在を写すという主題にもつながっている。



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■時間
杉本の作品シリーズには、厳密なコンセプトを立ててそれを実現するというコンセプチュアル・アートの影響がある。

人間の見ることのできる共通・普遍の風景を模索した結果、海の水平線へと至り、世界各地の海や湖で同じ風景を撮影してくるというシリーズが始まった。

『海景』のシリーズは「人類が最初に見た風景は海ではなかっただろうか」「海を最初に見た人間はどのように感じたか」「古代人の見た風景を現代人が同じように見ることは可能か」という問題提起を立てている。
大判カメラですべて水平線が中央にくるように(空か海を大きめに取って余計な意味を付加させないよう)撮影された白黒写真のシリーズは、同じ構図を延々と繰り返し制作することにより、個別の海という同一性を奪われる。




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闇の中の一本の和蝋燭が燃え尽きるまでを露光した『陰翳礼讃』は、光の帯と影だけという写真の最小限のものだけを写し取った。


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『劇場』シリーズは映画を撮影したもので、アメリカ各地の古い劇場やドライブインを訪れ、映画上映中の時間フィルムを露光し、その結果真っ白になったスクリーンとスクリーンに照らされた劇場内部が写っている。
時間の経過によって、「物語」という人為的な不純物の集積が光に蒸発したさまが撮られている。



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■観念
『建築』では、人類にとって未曾有の体験であり、生活を大きく変えたモダニズムの誕生と展開を検証しようとするものである。
世界の記念碑的なモダニズム建築を、焦点を無限遠の2倍にして撮影したもので、ぼやけた結果、建築家が現実に妥協した結果付け加わったディテールや夾雑物が取り除かれ、建築家が頭の中で最初に構想したフォルムだけが残されている。


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モダニズムの検証というテーマでは、京都服飾文化研究財団が所蔵する近現代の服飾作品を着せたマネキンを撮影した『Stylized Sculptures』シリーズがある。



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『Lightning Fields』では、放電現象により生のフィルムの上に像を結ばせたものである。
初期の写真術であるカロタイプを途中まで開発していたウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが、フランスのダゲレオタイプ開発に対抗し、電磁誘導の実験を中断してカロタイプの研究を再開した故事に基づき、電磁誘導実験を21世紀になって引き継ぎ撮影するというもの。



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☆☆☆やんジーのつぶやき
官能を刺激し続ける杉本の作品は、苔のむすまで注目していたい。








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by my8686 | 2015-03-24 08:06 | ぶらぶらアート観賞 | Trackback | Comments(0)

流 政之

世界の大企業がユーロ建ての資金調達を活発にしている。
米コカ・コーラが大型発行に踏み切るなど、1~3月の域外企業によるユーロ建て社債の調達額は2008年の金融危機以降で最高を記録する見通し。
金利急低下の恩恵が広がる半面、欧州企業の資金需要は低迷気味で、欧州中央銀行にとって域内に緩和効果をどう浸透させるかが課題になっているという。




それはさておき、昔から気になる彫刻家がいる。

"Samurai Artist"の異名をもつ流 政之。
世界的に活躍する彫刻家、作庭家である。
92歳の現在も高松市郊外の庵治半島の北端近くにアトリエを構え創作中だという。


あらためて、氏の略歴からみてみよう。




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1923年長崎県に生まれ、幼少時代は東京で過ごす。

1936年京都に移り、1942年立命館大学法文学部へ進学。
その後中退し、海軍予備学生出身の零戦搭乗員として終戦を迎える。

その後、世界各地を放浪、独学で彫刻を学び現在に至る。

1964年にニューヨーク世界博覧会で壁画「ストーンクレージー」(日本から2500個、600tの石を運んだ。)を展示し話題を呼ぶ。





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1975年には、ニューヨーク世界貿易センターのシンボルとして約250トンの巨大彫刻『雲の砦』をつくり国際的評価を得る。





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また、作品『受』はニューヨーク近代美術館の永久保存作品として収蔵されており、彼の国際的評価の高さを裏付けている。





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1967年には、TIMEが選ぶ日本を代表する文化人の一人に選ばれた。

彫刻家として活躍するかたわら、庭園の作品も残す。
代表作に東京天理教館庭園、皆生温泉東光園庭園などがある。





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1987年に日本経済新聞「私の履歴書」に自伝を掲載する。

最近の作品に、関西学院大学理学部(現理工学部)の兵庫県三田市への移転を記念して制作された『月わたり』(2001年、黒御影石)、立命館慶祥中学校・同高等学校に寄贈された『NANDABE』(2004年)などがある。





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2005年11月8日、JapanStoneFairにおいて「こころわけ」を発表。

2015年(92歳)現在、高松市郊外の庵治半島の北端近くにアトリエを構え住む。





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☆☆☆やんジーのつぶやき
四国にある「四国村」を訪れたのは数年前になる。
その折り、高松市立美術館にある流 政之作の「ながれバチ」と初めて対面する。
雄大で鋭角的な端麗さに、思わず官能が騒いだことを思い出す。

今年の夏には愛車を駆り、北海道を訪れた際は、札幌にある「ICCHOMAE DABESA」にも対面したい。
最北の地で「一丁前だべさ~」と叫んでみよう!!





























































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by my8686 | 2015-03-23 08:06 | 徒然なるままに | Trackback | Comments(0)

Moondog

地域格差が悪化していると感じる人の割合が6年ぶりの高水準になったという。
内閣府が21日付で公表した「社会意識に関する世論調査」でわかった。

景気悪化を感じる人の割合も1年前より大幅に増えた。
アベノミクスによる景気回復の実感が広がらず、格差の拡大を感じる人が増えている実情が浮上。

世界的に長期金利の低下が進んでいる。
背景には世界的なインフレ率の低下がある。
昨年後半から、原油など資源価格が全面安となった効果で、低金利・低インフレはさらに進む機運。

アメリカは足元の景気が好調で、米FRBは、市場との対話で、今年利上げを実施する意向を明確に打ち出している。
ただ、そのアメリカも世界的に進行する構造的な低インフレ・低金利の影響は受けている。
利上げは実施されるだろうが、1~2回利上げすれば、打ち止めになるとの予想もある。


それはさておき、日曜休日の朝は、Moondogでも聴いてみよう。


Moondogとして知られた、 Louis Thomas Hardin。
(1916年5月26日 - 1999年9月8日)

アメリカ合衆国の盲目の作曲家、音楽家、詩人で、数種類の楽器の発明者。

若い頃にニューヨークへやって来た彼は、自らの意思で路上をわが家として生活すると決め、以降30年ほどのニューヨーク生活のうち、20年ほどを路上で過ごした。
ほとんどの場合、彼は北欧神話のオーディンを自分なりに解釈して創り出した服を身に付け、自分で選んだお気に入りの場所で人目に触れていた。

その尋常ならざる服装や生活様式から、彼は「6番街のヴァイキング」として知られていた。

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ムーンドッグの音楽は、地下鉄や霧笛など、街頭で聞こえる音からインスピレーションを受けたものであった。

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作品は比較的単純なものになることが多く、ムーンドッグ自身が「ぬるぬるしたリズム、普通ではない調子(...) 4分の4拍子に殉じるつもりはない」と述べた、「スネークタイム (snaketime)」と称する表現で特徴づけられている。


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ムーンドッグの音楽を、1940年代の時点で最初に取り上げたのは、ニューヨーク交響楽団の指揮者であったアルトゥール・ロジンスキであった。

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1950年代には、ロジンスキによって多数のムーンドッグの作品がSP盤、シングル盤、EP盤や、数枚のLPが、有名なジャズ・レーベル多数からリリースされている。
その中には、1957年にジュリー・アンドリュースやMartyn Greenと一緒に制作した。
子ども向けのお話と歌が入った変わり種の作品『Songs of Sense and Nonsense - Tell it Again』も含まれていた。

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その後、十年ほどの間、ムーンドッグは新たなレコーディングを行なわなかったが、1969年に至って、音楽プロデューサーのJames William Guercioがムーンドッグをスタジオに連れて行き、コロムビア・レコードにアルバム1枚を録音させた。


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ゲルシオがプロデュースした2枚目のアルバムは、ムーンドッグの娘のひとりをヴォーカリストにした、カノンや輪唱の形式で作曲された歌が収められたものであった。
このアルバムは、1枚目のアルバムに比べ、ポピュラー音楽に及ぼした影響は小さいものにとどまった。

CBSから出されたこの2枚のアルバムは、後に1989年に1枚のCDとして再リリースされた。


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ムーンドッグの作品は大部分がドイツのマナガルム音楽出版Managarm Musikverlagによって出版されている。
最終的な遺言で、ムーンドッグは遺産をイローナ・ゾマーに遺贈した。

イローナ・ゾマーは2011年9月に死去。
遺言により、ムーンドッグ作品の著作権を含む彼女の遺産は、ベルリンの弁護士Alexander Duveの管理下に置かれることとなった。
このため、ムーンドッグの遺産も、デューヴの管理下にある。

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1940年代から1950年代にかけてのムーンドッグの音楽は、数多くの初期ミニマリスト作曲家たちに強い影響を与えた。
フィリップ・グラスは、彼がスティーヴ・ライヒとともに、ムーンドッグの作品を「非常に真剣に」受け止め、それを「ジュリアードで僕たちが接していたものより、ずっとよく理解し、歓迎した」と書いている。


☆☆☆やんジーのつぶやき
ひといき入れたい時、この「ぬるぬるしたリズム」が妙に官能を宥めてくれる。
ヘビーなジャズに疲れたあと、少し遊んでみるのも一興。



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by my8686 | 2015-03-22 08:06 | 現代音楽のたしなみ | Trackback | Comments(0)