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米プレイボーイが「脱ヌード」 ネット時代の誌面とは?

米国を代表する男性誌「プレイボーイ」がヌード写真の掲載を来年からやめると発表した。
ヌードがインターネットで簡単に見られる時代。
日本の雑誌はどうするのか。



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土曜休日の夕刻、あらためてその内容をみてみよう。


■電子版で先行、閲覧者増える

「プレイボーイでは、ヌードはもう古い」
10月中旬、米ニューヨーク・タイムズ紙が1面でプレイボーイの「脱ヌード」を報じると、他の新聞やテレビも次々に大きく扱った。
一つの時代が終わった象徴として注目された。




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1953年、マリリン・モンローのヌード写真を掲載したプレイボーイの創刊は、米社会の変革を示す出来事だった。




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写真が高品質で製本も高級だったことがそれまでの雑誌とは大きく違い、大ヒットした。
ジャーナリストのデビッド・ハルバースタム氏は著作で「セックスが隠れて求める暗いものではなく、楽しむものだという考えを広めた」と指摘した。




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しかし、インターネットが現れ、過激な写真や動画が簡単に見られる時代に突入する。
プレイボーイが一足先にウェブサイトを「職場で閲覧しても安全」な内容にすると、見る人の数が増えたという。
うさぎをあしらったプレイボーイのロゴの認知度は世界屈指との調査もあり、「脱ヌード」はブランドを守る経営判断とも言えそうだ。






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■日本の週刊誌「旧来を踏襲」

一方の日本。
ネット上にヌードがあふれるのは同じだが、週刊現代(講談社)や週刊ポスト(小学館)など、一部の週刊誌は、ほぼ毎週ヌード写真を掲載している。
週刊現代の元編集長で「ヘア・ヌード」という言葉を作ったとされる元木昌彦さんは、この2誌のヌードを「大いなるマンネリ」と指摘する。




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戦後創刊した男性向けの週刊誌の多くは、政治や経済からヌードまで1冊数百円であらゆる分野を楽しめる「幕の内弁当」スタイルが特徴で、いまも「旧来のスタイルを引きずっている」という。




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元木さんが編集長だった90年代は、ヌードが「売り」になった時代。
大物女優が脱ぎ、「ヘア」が写った写真を週刊誌が掲載し始め、「ヌードもニュースになった」という。
特に現代とポストはヘアヌード掲載で部数を伸ばしたとされる。




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そんなヘアヌードブームは去り、週刊誌は部数減少傾向が続く。
ポストと現代は「50代以上が読者層の大半」といい、最近は「死ぬまでSEX」といった狙いを定めた特集も目立つ。
元木さんは「部数を落とさないための消極的なヌード掲載。それが現状でしょう」と話す。




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■芸術との区別、変化に期待も

ヌード写真の近現代をテーマにした写真展を開いたことがある東京都写真美術館の笠原美智子・事業企画課長は、プレイボーイの「脱ヌード」について「男性の性的な幻想を満たすヌード写真を掲載してきたが、雑誌にそんなヌードを求めない読者が増えたということ」と指摘する。
一方、欧米では芸術としてのヌード写真は「全く別物」として捉えられていて、美術館は展示会を頻繁に開催するという。




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「日本でヌードは、芸術とそれ以外が一緒くたに見られる傾向がある。そんな現状が変わる機会になれば」と、笠原さんは願っている。





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(2015.10.30 朝日新聞より抜粋)










☆☆☆やんジーのつぶやき
米プレイボーイ誌には、官能をドキドキ滾らせたものだ。
売りの「外人ヌード」をやめてしまうのは、一抹の寂しさがある。
しかし、時代の趨勢とはいえ、往年のファンのひとりとしては、ネットで簡単に見られるヌードを凌駕する「プレイボーイ」流のヌードを目指してほしかった。





















































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by my8686 | 2015-10-31 21:35 | 徒然なるままに | Trackback | Comments(0)

『フランク・ゲーリー/Frank Gehry パリ-フォンダシオン ルイ・ヴィトン 建築展』

昨年10月フランスにオープンした現代美術館「フォンダシオン ルイ・ヴィトン」。
設計を担当したアメリカ人建築家フランク・ゲーリーが、どのようにして同館を完成に導いたのかを紹介するエキシビション『フランク・ゲーリー/Frank Gehry パリ-フォンダシオン ルイ・ヴィトン 建築展』が、2016年1月31日(日)まで、神宮前のエスパス ルイ・ヴィトン東京で開かれている。




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あらためて、その内容をみてみよう。


■建築界の大御所はどのように現代美術館を完成させていったのか?

透明感のあるガラスパネルがランダムに組み合わされた「フランスの深い文化的使命感を象徴する壮大なガラスの船」として、昨年誕生した「フォンダシオン ルイ・ヴィトン」。





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この独創的な建物を手がけたのは、1989年にプリツカー賞に輝いた建築界の大御所フランク・ゲーリーである。
この一大建築プロジェクトをつまびらかにする展覧会が、パリ、北京を経て、ここ日本でも開催される。





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会場は「敷地への融合」や「ガラスの帆」など、6つのテーマで構成。





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初期のスケッチにくわえ、プロジェクトの期間中に製作された模型も登場する。
ガラス張りのエスパス ルイ・ヴィトン東京、そしてそこから見える東京の景色と融合したインスタレーション空間が広がっている。





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このほかドローン(無人航空機)をもちいて撮影された映像や、フォンダシオン ルイ・ヴィトンが開館以来おこなってきたアーティスティックな取り組みについても紹介する。

うつくしく、独創的な美術館がどのようにして生み出されたのか。
さまざまな角度からフランク・ゲーリーの才能、アイディアに触れることができるまたとない機会となっている。





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現在、六本木の21_21 DESIGN SIGHTで開催中の『建築家フランク・ゲーリー展”I Have an Idea”』と合わせてチェックしてみたい。






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『フランク・ゲーリー/Frank Gehry パリ-フォンダシオン ルイ・ヴィトン 建築展』
会期|10月17日(土)~2016年1月31日(日) ※12月31日は18:00閉館。元日は休館。
時間|12:00~20:00
会場|エスパス ルイ・ヴィトン東京
東京都渋谷区神宮前5-7-5 ルイ・ヴィトン表参道ビル7階
入場料|無料







☆☆☆やんジーのつぶやき
フランク・ゲーリーの手法をさまざまな角度から解析してみせる建築展。
興味がつきない。































































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by my8686 | 2015-10-30 10:38 | 挑発する建築&空間 | Trackback | Comments(0)

クルマ、進化と回帰 東京モーターショー2015、開幕

東京モーターショー(会場・東京ビッグサイト)の報道向け内覧会が28日、開かれた。
目玉は、ハンドルを「握らない」状態でも走る自動運転車。
数年後にも実用化される。
一方、従来通りハンドルを「握る」ことで楽しむスポーツ車の展示も増えた。
時代の変わり目を象徴するショーの一般公開は、明日30日から。



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あらためて、報道向け内覧会のレポートに注目してみよう。


会場の屋上では、初の試みが始まった。
各社が開発中の自動運転車の体験試乗会だ。
この日は三菱自動車のスポーツ用多目的車(SUV)が、前の車についてゆっくり走っていた。
運転手がハンドルから手を離してみせたが、車間をきちんと保った。

各社は、東京五輪がある2020年までに高速道路での自動運転を実現しようと開発を急ぐ。
事故や渋滞を減らす効果が期待される。

「日産IDSコンセプト」を初公開した日産自動車は、カルロス・ゴーン社長が会見する後ろを、無人の車が動いて登場する演出も見せた。
ハンドルを握らなくても動く車は、メーカーがこれまでアピールしてきた「走る楽しさ」とは正反対の提案でもある。




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一方で、若者の車離れも指摘される中、もう一度「楽しさ」を知ってもらうための提案も強めた。
その象徴がスポーツ車だ。
国内大手8社の展示は前回(13年)の6台から11台に増えた。




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マツダは、ロータリーエンジン(RE)搭載車の復活をめざし、試作車「RX―VISION(ビジョン)」をお披露目した。
世界で唯一マツダが量産に成功したRE車だけに、多くの報道陣が関心を寄せた。
小飼雅道社長は「『走る楽しさ』を、もう一度世の中に受け入れていただける日が来る」と、エコカー全盛期の中で燃費の面では不利とされるREの開発にかける思いを述べた。





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市販が近いモデルも多かった。
ホンダはバブル期に登場し、約1千万円の価格が話題となった「NSX」を来春、約10年ぶりに復活させる。
トヨタ自動車は高級ブランド「レクサス」に加えるスポーツ仕様の「GS F」を披露。
年内にも売り出す。




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■エコカー、当面既存頼み

「我々は過ちを犯してしまった。フォルクスワーゲン(VW)を代表しておわび申し上げる」
輸入車メーカーのブースの一角で、乗用車ブランドの責任者ヘルベルト・ディース氏は、車のお披露目会見を謝罪で始めた。

ディーゼル車での排ガス規制逃れ発覚後、VWにとって初の国際モーターショー。
ディース氏は、日本でも来年売り出すクリーンディーゼル(CD)車の出展を見送り、発売時期も遅らせると明かした。




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燃料が安く、パワーも出るディーゼル車は、欧州で新車販売の半数超を占める。
中でもCDは有力なエコカーだった。
だが、VW問題の余波で、今回はディーゼル車の出展が低調だった。
ホンダの三部敏宏執行役員は「欧州では規制がさらに厳しくなる。ディーゼルに逆風が吹いている」。

いま、世界中のメーカーが販売を競い合っているのがエコカーだ。
各地で環境規制が強まり、クリアする必要もある。

トヨタやホンダが前面に押し出すのは、走行時に排ガスを出さない「究極のエコカー」とされる燃料電池車(FCV)だ。
すでに世界初の量販車「ミライ」を出しているトヨタは今回、高級ブランド「レクサス」から試作車「LF―FC」を展示した。





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ホンダは来年3月に「クラリティ フューエル セル」を投入すると発表。
八郷隆弘社長は「『当たり前の乗用車』として普及させる」と息巻いた。
価格は消費税込み766万円。
ただ、初年度生産は200台で、まずは官公庁などへのリース販売となる。
燃料を補給する水素ステーションの整備が難題で、「当たり前」になるまでには時間がかかる。





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当面は、既存のエコカーに頼らざるを得ない。
ショーでも、日本で定着するハイブリッド車(HV)や、日産や三菱が力を入れる電気自動車(EV)、コンセントからの充電も可能で双方の特長を併せたようなプラグインハイブリッド車(PHV)の展示が目立った。





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FCVを提案するトヨタですら、ブースで一番目立つ壇上の中央に置いたのはHVの元祖「プリウス」の次期型だった。
安定した販売が見込め、利益も出やすい。
トヨタ幹部は「うちが一番アピールしたいのはプリウス」とつぶやいた。





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■「還暦」過ぎ、地盤沈下 国内市場縮小/中国へ出展、重視

東京モーターショーは1954年の初開催から「還暦」が過ぎた。
国内外のメーカーが世界初公開の試作車などを競って出展し、「世界5大モーターショー」に数えられてきた。
トヨタの看板商品になった「プリウス」も、95年に東京モーターショーに出した参考出品車が源流だ。




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そんなショーだが、日本市場の縮小傾向もあり、近年は地盤沈下が著しい。
今回出展したのは世界11カ国の自動車メーカーなど160社。
前回(13年)の12カ国、178社から減った。
「ビッグ3」と呼ばれる米大手ゼネラル・モーターズ、フォード、旧クライスラーも、参加を見送ったり、自社ブランドの車を出さなかったりした。
今回から出展を見送った欧州メーカーの関係者は「経営資源を考えると『1大陸・1ショー』の出展が限界。
アジアなら市場が大きい中国のショーに集中したい」と話す。




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☆☆☆やんジーのつぶやき
クルマの進化と回帰。
毎年開催される「東京モーターショー」は、楽しみのひとつだ。
自分にとってのクルマとは、夢であり、元気をくれる相棒である。












































































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by my8686 | 2015-10-29 10:47 | スポーツカーが、やっぱり好きだ。 | Trackback | Comments(0)

「山形国際ドキュメンタリー映画祭」 シリア、憂いと無力感と 

山形市で15日まで開かれていた山形国際ドキュメンタリー映画祭では、世界各国から集まった全165作品が上映された。
内戦が続き欧州への難民流入が問題となっているシリアをテーマにした3作など、今の世界を映した作品が並んだという。



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あらためて、その内容をみてみよう。



■圧政下の惨状、世界に問う

「我々はもう戦いたくない。だから逃げるしかない」。
「シリアの窓から」のシリア人のハーゼム・アルハムウィ監督は、アサド政権と反体制派の内戦が続き、混乱を極める祖国を憂える。



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政権に背いて失職した父、政治犯として長年投獄された大叔父、政権批判のいたずら書きで罰せられ命を落とした子供……。
作品は圧政下で犠牲になった人々の声を拾いながら、絵を描くことで逆境を耐えた自身の幼少期を振り返る。

現在ドイツで暮らすアルハムウィ監督は映画祭の会場で、「欧州をあげての支援が不可欠。次世代を担う子供や女性のため、特に教育支援に力を入れてほしい」と力を込めた。


「銀の水―シリア・セルフポートレート」の監督は、フランスに亡命したシリア人のオサーマ・モハンメドさん。



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ある日、シリア中部の激戦地に住むウィアーム・シマブ・ベデルカーンさん(共同監督)にSNSで「あなたが今ここにいたら何を撮る?」と問われ、交流が始まる。
シマブさんが監督の目となりカメラを回した映像のほか、ユーチューブ上に投稿された動画をつなぎあわせた。
いずれの監督も祖国から離れた立場で感じる、現状への無力感が制作の原動力だ。





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三つ目は、シリアの反政府活動家の一家を5年にわたり追った「シリア、愛の物語」



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監督で英国生まれのショーン・マカリスターさんは2009年にシリアに渡り、当局に一時身柄を拘束されながら撮った。
シリアを追われた家族。西洋社会になじめず次第に憎み合う夫婦に対し、幼い息子たちは新しい環境にたくましく順応していく。
「今、何十万人もの難民が欧州に流入しているが、家族や世代ごとに抱える問題は異なる。ひとくくりして対処するのは難しい」




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作品中、逃亡先のパリで夫婦が「中東問題はいずれ欧州や米国に飛び火する」と語っていたのが、現実となった。
今年9月にトルコの海岸にシリア人男児の遺体が打ち上げられた件を機に、シリア難民問題と作品への関心が一気に高まった。
監督は「世間の関心が一過性でなければいいのだが」と話した。





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2年に一度開かれる映画祭は今年、ラテンアメリカ諸国の特集や、映画について語る特集などが注目を集めた。

国際コンペ部門は、大賞であるロバート&フランシス・フラハティ賞をポルトガルの鬼才ペドロ・コスタ監督の「ホース・マネー」が受賞。
リスボン郊外のスラム街に暮らした老移民の心の軌跡を追った。




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☆☆☆やんジーのつぶやき
エジプトやチュニジアでは、民衆による抗議デモの開始から、政権が崩壊するまでの期間はわずか1カ月だった。
このスピード崩壊の背景には、軍が大統領を見限るという両国で共通した展開があった。
軍が為政者を見限ったからこそ、スピード崩壊が可能になったといっても過言ではない。

ところが、シリアでは政権側が抵抗運動を徹底的に弾圧しても、軍は大統領を見限らなかった。
これがエジプトやチュニジアと決定的に異なっている点だ。
抵抗運動開始から3年が経過し、16万人ともいわれる犠牲者を出しながらも、軍が現在でもアサド大統領から離れていないという。
この現実をどうとらえるのか。

「内戦」という名のもとで、自らの思惑を果たそうとする外国人勢力が戦闘の主力となりシリア国内で戦っている。
欧米諸国の現実を「認めない」というかたくなな姿勢が、むしろ内戦を長引かせているのだろう。
















































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by my8686 | 2015-10-28 10:20 | たかが映画、されど映画 | Trackback | Comments(0)

国連は今 創設70年}拒否権、広がる制限論 シリア情勢契機、賛同100カ国超

「残虐行為に対処しようとする安全保障理事会の行動を阻止する拒否権に懸念が広がっている」

今月20日、米ニューヨークの国連本部であった安保理会合。
スイスは、あるグループを代表して演説し、重大な危機が起きているときに常任理事国が行使する拒否権に反対した。




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そのグループは、スイスやリヒテンシュタインなど25カ国で作る「ACT」。
Accountability(説明責任)、Coherence(一貫性)、Transparency(透明性)の頭文字であるという。





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あらためて、その内容をみてみよう。



虐殺や戦争犯罪の終結などを目的とする安保理決議案に反対しないことを加盟国が誓約する「行動規範」への参加を呼び掛けている。
行動規範に法的拘束力はないが、賛同して破れば、その国の国際的な信用が落ちる。
そんな効果が期待されている。





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20日時点で行動規範への賛同国は80カ国だったが、3日後には104カ国に増えた。
賛同国に拒否権を持つ英仏が含まれていることが注目を集めている。






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そのフランスは国際社会で起きる残虐行為に関する決議案について、常任理事国5カ国が拒否権の行使を自粛するという提案をしている。
こちらにも約80カ国が賛同し、日本は両提案に名を連ねた。





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これら拒否権の制限に向けた今の動きが活発化したのは2013年ごろ。
悪化するシリア情勢が主因だ。
安保理が、アサド政権への経済制裁などを盛り込んだ決議などを採択できれば、情勢の改善に少しは役立つだろうという期待があった。
しかし、シリア情勢の解決に向けた決議案は11年以降、アサド政権に近いロシアや中国の拒否権で採択が4回阻止された。




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■ロシア反発

ロシアには、アサド政権を弱体化させたことがシリア国内に権力の空白を作り、過激派組織「イスラム国」(IS)を台頭させたとの思いがある。
シリアにはロシア海軍の補給基地もある。
ロシアのチュルキン国連大使は20日、安保理会合の場で「みなさんも、自身の国益を考えたらいかがか」と言い放った。




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安保理での議論が続く一方で、内戦は長期化し、犠牲者は22万人を突破。
大量の避難民が国外に脱出し、周辺国や欧州に流入している。
「難民危機」の根源にもなっている。





■米国は慎重

一方、米国の動向も不透明だ。
米国はACTの会合に出席し、シリア決議案での拒否権行使を「残念」と演説してみせたが、行動規範への論評を避け、現時点で賛同していない。
イスラエル・パレスチナ問題の決議案で自らも拒否権を連発してきたことが背景にあるとみられている。




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☆☆☆やんジーのつぶやき
残虐行為のない戦争などありえない。
戦争そのものが残虐行為である以上、国益のために残虐行為を繰り返してはなるまい。

























































































































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by my8686 | 2015-10-27 10:10 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)

原宿のトルコ大使館前、乱闘

25日午前、東京都渋谷区神宮前2丁目のトルコ大使館前で、トルコ人同士が乱闘する騒ぎがあった。
原宿署によると、トルコの政権と対立を深めている少数民族のクルド系を含め、午前11時ごろには最大で約600人が集まり、数十人が入り乱れて殴り合い、トルコ人1人の鼻の骨が折れ、警察官2人を含む計9人がけがをした。




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11月1日に投開票されるトルコ総選挙の在外投票が大使館で行われていた。
機動隊も出動して警戒に当たった。
現場はJR原宿駅の北東約600メートルだという。


あらためて、この乱闘の背景をみてみよう。



■クルド系躍進、深まる反目

日本の法務省によると、日本に住むトルコ国民は約3900人。
在外投票は東京の大使館でこの日1日だけあり、日本中から有権者が集まっていた。
トルコでは来月1日、異例の今年2度目となる総選挙(一院制、定数550、中選挙区拘束名簿式比例代表制)が予定されている。




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アナトリア通信によると在外有権者は約290万人。
在外投票は欧州や中東など54カ国、113カ所の在外公館などで行われる。

トルコ政府関係者によると、日本で起きたようなトルコ人とクルド系の衝突は、他地域では把握していないという。




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6月の前回総選挙では、クルド系の人民民主主義党(HDP)が29議席から80議席に躍進。
与党・公正発展党(AKP)は2002年の政権発足以来、初めて過半数を割った。
AKPと野党の連立交渉は決裂し、再選挙となった。
直近の世論調査によると、再選挙でもAKPが単独過半数を回復するのは困難とみられている。




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再選挙に向けて政府側とクルド系の対立が深刻化する中、今月10日には首都アンカラで、103人が死亡、240人以上が負傷する「トルコ共和国史上最悪」の自爆テロ事件が起きた。
テロが起きたのは、トルコ人とクルド系の和平を願う集会の参加者の集合場所だった。



■背景に民族差別

クルド民族はクルド語を母語とし、独自の文化を持つ。推定人口は3千万人前後だ。
だが第1次世界大戦に勝利した英国とフランスがオスマン帝国を解体した際、トルコやシリア、イラク、イランに分断された。




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トルコのクルド系住民は、全人口の約15%の少数民族だ。
2012年半ばまではクルド語の教育を禁じられるなど、長年差別を受けてきた。
1984年、「クルディスタン労働者党」(PKK)が分離独立を求めて武装闘争を始めた。





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トルコ政府は2013年から、PKK指導者で収監中のオジャラン氏と対話を始め、和平を模索。
おおむね安定した状態が続いていたが、トルコ政府は総選挙後の今年7月下旬から、「テロ対策」として、PKKへの空爆を始めた。PKKも警察や軍へ報復攻撃を繰り返し、和平交渉は事実上破綻(はたん)した。クルド系の多いトルコ南東部の治安は悪化している。

両者の衝突が今夏再開したきっかけは、昨年9月にさかのぼる。
トルコ国境近くにあるシリア領のクルド人の街、アインアルアラブ(クルド名コバニ)が、過激派組織「イスラム国」(IS)に侵攻された際、AKP政権が軍事介入を控えたことだ。




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「同胞を見殺しにされた」と、それまでAKPを支持していたクルド系住民も雪崩を打ってHDP支持にまわった。
HDPは非暴力を掲げ、PKKと一線を画しているが、同じクルド系として同一視するトルコ人も多い。



■<考論>違う生活圏、進まぬ理解

乱闘騒ぎは、組織的・計画的なものではないとみられる。
6月にあった前回のトルコ総選挙で、日本での在外投票ではクルド系政党の人民民主主義党(HDP)が約6割の票を得た。
与党・公正発展党(AKP)は約2割で、AKP支持者が多いトルコ人は「してやられた」と不満を抱いたはずだ。




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日本では、トルコ人とクルド系の生活圏が分かれ、住む地域も違う。
意見を言い合う機会が少なかったことで、鬱屈していた不満が爆発した可能性もある。






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首都アンカラで10日に起きた連続爆破テロでは、過激派組織「イスラム国」(IS)の関与も指摘される。
トルコ人とクルド系の対立が激化すれば、ISがシリアで戦うクルド系勢力が弱まるというわけだ。






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アンカラのテロが日本に住む彼らの感情にも影を落としたのなら、ISを含む複雑な中東情勢の影響が、我々の身近にもあるとみることができる。

(2015.10.26 朝日新聞より抜粋)









☆☆☆やんジーのつぶやき
民族差別による鬱屈した不満。
それは、諸外国ではどこにでもあるごく自然な原理原則。
しかし、その原理をどこまで日本国民とその首長、さらに政治家たちは理解できているのか。
ISを含む複雑な中東情勢の影響は、すぐそこまで接近している。




































































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by my8686 | 2015-10-26 15:33 | 徒然なるままに | Trackback | Comments(0)

書評:リチャード・パワーズ『オルフェオ』

日曜の朝、書評に目がとまった。
リチャード・パワーズの『オルフェオ』。




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あらためて、その内容をみてみよう。


■遺伝子の描く音楽の本質

主人公ピーター・エルズは七十歳で独り身。
オンラインで注文したDNAで自宅でゲノム改変を試みる、日曜遺伝子工学者だ。




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一方で彼は作曲家でもある。
一見無縁に思える二つがエルズのなかでどう結びついたのか。
七十年の人生と現代音楽史をより合わせながら明らかにしていく着想は、さすが分子生物学と音楽の両方に通じたパワーズだ。





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人間がいなくともこの世に音は存在する。
それに秩序と意味を与える形式が音楽ならば、彼の求める音楽は別物だ。
「音楽は“何か”そのものであって、何かを“意味”しているのではない」のだから。

若い頃の観念先行は次第に後退するが、調性音楽には向かわない。
妻子を捨て、得かかった名声を放棄しても音楽の極北へと突き進み、最後には遺伝子の描く「美の譜面」こそに音楽の本質があるという考えに到達する。




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ケージやライヒなど現代音楽家の活躍を同時代に体験した影響は小さくないが、それだけではこの生き方の説明はつかないだろう。
結局こうしか生きられなかった人間なのであり、名を残す作曲家の下には彼のような前衛性と奇矯さを併せ持った無名の生が埋まっているのを感じさせる。





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孤独な人生である。
だが、その姿は昔とは異なっている。





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かつては大自然の中や孤立した室内で求心的に癒やされたが、現代ではデジタルの編み目で外と繋がり、自己の発信するものが無限に増殖される。
家宅捜索されてバイオテロの容疑で指名手配された彼が、追いつめられた意識を電子の海のなかで解放するのはその意味で象徴的だ。




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一つのセンテンスに歴史認識と理念が濃縮され噛み応え十分だが、詩的なシーンも少なくない。
ライヒの『プロヴァーブ』が流れるカフェで、この曲に気をとめる女性客とエルズが一瞬のやりとりをするシーンは美しく、音楽とは何かと問う著者の声が聞こえたような気がした。




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(2015.10.25朝日新聞書評欄より抜粋)











☆☆☆やんジーのつぶやき
久しく噛み応え十分な小説に出会えていない。
秋の夜長、ほろ酔い気分で読書に勤しむも、またよし。
























































  

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by my8686 | 2015-10-25 08:06 | 気になる本 | Trackback | Comments(0)

Don Cherry

土曜休日の夜は、久しぶりにジャズに耽てみよう。

巨匠コルトレーンの咬ませ犬、ドン・チェリー。



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オーネット・コールマンやアルバート・アイラーの金管パートナーとしてもその快音が耳に残る。
「ロンリー・ウーマン」でのオーネットとの千鳥足デュエットもなかなかなものだが、やはりコルトレーンの『アヴァンギャルド』が王道だろう。
その魂プレイに鳥肌が立ったものだ。
コルトレーンの完璧すぎる感性に風穴を開けたドン・チェリー。



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あらためて、彼の略歴からみてみよう。

ドン・チェリー(Don Cherry, 1936年11月18日 - 1995年10月19日)はアメリカオクラホマ州オクラホマシティ出身のジャズトランペット奏者。

10代のころから音楽活動を始め1957年にオーネット・コールマンと出会う。
1958年、オーネット・コールマンのアルバム『サムシング・エルス』でデビューし、1961年頃まで共に活動を続けた。
その後はジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズ、アルバート・アイラー、カーラ・ブレイ、チャーリー・ヘイデン、ガトー・バルビエリ、ファラオ・サンダースとも共演した。




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1965年末~1966年末の1年間にブルーノート・レーベルに3枚のアルバムを残している。





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1970年代に入るとスウェーデンに定住し、亡くなるまで多くのミュージシャンと親交を持った。

1974年、来日した。
日本では、パーカッションの富樫雅彦と親交があり、レコーディングを残している。




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一般に「ポケットトランペット奏者」とされるが、主に使用していたのは「ポケットコルネット」で、初期には通常のトランペットを使用していた。
楽器についてはその他に、ピアノ、メロディカ、ドゥドン・ゴニその他 各種パーカッションも演奏し、曲によってはボーカルもこなしている。

養女はネナ・チェリー 実子にイーグル・アイ・チェリー。
ドン・チェリーは、1995年に肝臓ガンで死去した。58歳没。



さらに、 望月由美の「音の見える風景」を読んでみよう。


富樫雅彦は1979年の7月、身体的な不自由を押してはるばるフランスへ出向き、ドン・チェリー、チャーリー・ヘイデンと 『セッション・イン・パリVol.1』(PaddleWheel)をレコーディングしている。
すでに富樫の評判はアメリカからヨーロッパまであまねく知れ渡り、海外から訪ねてくるミュージシャンの多くは富樫との共演を望むようになっていた。
スティーブ・レイシーもまた富樫を好み日本を訪れてはしばしばセッションを重ねている。




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富樫雅彦が音楽生活30周年を記念して開催されたコンサートに富樫が共演を望んだミュージシャンはドン・チェリーとスティーブ・レイシーであった。
ベースにはチャーリー・ヘイデンを望んだそうであるが、ある事情によってチャーリー・ヘイデンは来日できず、代わりにデイヴ・ホランドが呼ばれた。
1986年の5月14日のことである。
場所は奇しくもドン・チェリーの初舞台と同じ郵便貯金ホールであった。
この歴史的なコンサートの模様は本誌「Jazz Tokyo」のオーディオ・マイスター、及川公生さんが録音し、同じく本誌の編集長、稲岡邦弥さんがプロデュースを担当、作品『BURA-BURA』 (Pan Music)として残され、今なお輝きを失っていない。
『BURA-BURA』はいまもって私の愛聴盤である。




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1958年、オーネットとのコンビを組んでからのドン・チェリーはコンテンポラリー~アトランティックへ録音した諸作で一躍フリージャズの闘士としてのイメージで扱われ、ソニー・ロリンズの『アワ・マン・イン・ジャズ』(RCA)、コルトレーンとの『ジャズ・アヴァンギャルド』、アルバート・アイラーとのESP諸作、ニューヨーク・コンテンポラリー・ファイヴなど精力的な活動をしている。
この時期の作品で私が最も共感して聴いたのはジョージ・ラッセル・セクステットにゲスト出演した『ベートーヴェン・ホールVol.1,2』(MPS)である。
聴衆とミュージシャンとの微妙なズレが生じた緊張感の中を一音で場面転換して見事なコミュニケーションをとるドン・チェリーの振る舞いが手に取るように見えてきて今でも聴き直すと最後まで聴いてしまう。




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ニューヨークのフリーの嵐を駆け抜けたドン・チェリーはパリ、スウェーデンに移り住み、アフリカやインドなどに旅をする。
世界を彷徨しながらコスモポリタンへと変貌をとげてゆく。




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キルト・アーティストのモキ夫人と結婚してからはスウェーデンに居を構え、ヨーロッパでの活動も多くなる。
エド・ブラックウェル(ds)とのデュオは 『Don Cherry “mu” first part、second part』(BYG)として記録されている。
二人の交流はエドが亡くなるまで続いたそうである。
ジャケットの表紙はモキの作品が使われている。





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またコリン・ウォルコットとナナ・ヴァスコンセロスとの 『CODONA』(ECM)シリーズも記憶に新しい。
デューイ・レッドマン、チャーリー・ヘイデン、エド・ブラックウェルそしてドン・チェリーというオーネット・コールマン・グループの出身者4人が結成した 『Old and New Dreams』(ECM)の諸作ではパーカー、オーネット、コルトレーンと続くジャズの本流を暗示するような格調の高さで、キース・ジャレットのアメリカン・カルテットとならぶ大きな存在であった。





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1995年10月19日、ドン・チェリーはスペインのマラガにある娘ネナ・チェリーの家で亡くなった。
オーネット・コールマンはいまだ健在であり昨年のソニー・ロリンズの生誕80周年コンサートに登場して元気なところを見せてくれている。
ドン・チェリーがもし、その場に居合わせたらもっと楽しいサプライズが出現したのではないかと思うと残念である。
そしてドン・チェリーが健在であったならジャズ・シーンの色彩ももう少し鮮やかな色を発していたのではないだろうか。
ステージの上で飄々と踊るドン・チェリーのダンスにチェリーの全てが顕れている。




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☆☆☆やんジーのつぶやき
ジャズメンの歴史をひもとくと、思いもかけない発見がある。
どこに彷徨してゆくのか。
やはり、官能のおもむくまま彷徨ってみよう。





















































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by my8686 | 2015-10-24 22:17 | 愛しさとせつなさのJAZZ | Trackback | Comments(0)

看板あれど、町は無し 米の「アグロー」

米国ニューヨーク州の片田舎に、かつて地図上にだけ存在した「架空の町」がある。
ところがあるとき、架空だったはずの地名を使った民宿が出現。
その後、町の名は消えたが、「現代のおとぎ話」に引きつけられる人たちは後を絶たないという。




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あらためて、その内容をみてみよう。



■地図上のウソ、ひとり歩き

ニューヨーク市内から北西へ約200キロ。
フライフィッシングの釣り場として知られるニューヨーク州ロスコーは、人口500人あまりののどかな田舎町だ。
行き交う車もまばらな道を走ると、林や平原の間にぽつりぽつりと民家が並ぶ。
道路脇の支柱に小さな看板を見つけた。


 「アグロー(Agloe)へようこそ!」


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アグローは、地図上だけにあった架空の町だ。

町の図書館長で歴史家でもあるジョイス・コンローさん(74)によると、アグローという地名が地図に現れたのは1925年ごろ。
地図製作者のオットー・G・リンドバーグ氏とアーネスト・アルパース氏が、ガソリンスタンドで配布する地図をつくった。
このとき、複製されても偽物と分かるように工夫を施した。




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「2人は自分たちの名前の最初の一文字をとって並べ替え、架空の町の名を作ったのです」。
そして、地図上でロスコーの一角にアグローの文字を加えた。

それから数年後。
地図出版大手ランド・マクナリー社が作った地図に「アグロー」が記されていた。
2人は「マクナリー社が自分たちの地図を複製した」と同社を提訴しようとした。





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ところが、話は思いがけない方向へ向かう。
話し合いの過程でマクナリー社は「アグローという町は実在する」と主張。
確かに「アグロー・ロッジ」という民宿が存在していたのだ。
30年代のことだった。



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いまも建物が残る「アグロー・ロッジ」のすぐ近くで生まれ育った女性ダーリーン・ビアーズさん(63)は懐かしそうに話す。
「私の祖父が釣り客用にロッジを開いた。父も幼い頃、釣り人たちと過ごしたそうです」

ビアーズさんの親族は30年ごろ、ロッジを「アグロー・アソシエイツ」という会社に売却。
釣り人たちはアグロー・ロッジと呼ぶようになった。

では、会社の名はどこからきたのか。
ビアーズさんの父は「地図を見た人が、アグローを社名に使った」と話していたという。

少なくとも一時期、アグローという名の付いた会社とロッジが存在していたことになる。
架空の町をつくった2人の地図製作者は訴えを取り下げた。
ロッジも44年ごろ閉鎖され、町のことは忘れ去られた。



■小説化で人気、ファンが探しに

それから60年あまりたった2008年、アグローが再び注目を浴びた。
作家のジョン・グリーン氏が、アグローを題材にした小説「ペーパータウンズ」を出版し、ベストセラーになった。
架空の町に消えた友人を捜す若者向けの小説だ。今年7月、同名の映画も公開された。



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小説には「アグロー商店」なる架空の店が登場する。
ところが、これを本物と勘違いしたファンが町を訪れるようになった。

「特に映画の公開後、車が行ったり来たりするようになった。店の場所を尋ねてくる人もいました」とビアーズさんは笑う。

検索最大手グーグルが提供するネット上の地図にも、いつのまにか「アグロー」という地名が出現。
あるはずのない「アグロー商店」も表示され、「Tシャツを買いに入った」「かっこいい店員がカウンターにいた」といった謎めいたコメントまで載った。





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ネット上でうわさが広まり、存在しない店を求めてさまよう人々。
そこで一計を案じたのが、地元でビール会社などを経営するフィル・バローンさん(55)だ。



■地元民もひと肌、架空の案内設置

今夏、「アグローへようこそ!」という看板を作り、店の絵まで入れて道端に設置した。
「興味津々で町を探しに来る人たちの好奇心をくすぐろうと思った」とバローンさん。




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米地質調査所のサイトには「アグロー(非公式)」とあり、「『ペーパータウン』として地図に加えられた。
現在は地図には載っていない」とある。


それにしてもなぜ、グーグルの地図にアグローが登場したのか。
グーグルに問い合わせると、答えの代わりにこんなメールが返ってきた。
「社内で調査した結果、これは地図に載せるべきものではないことがわかりました。現在、削除作業を行っています。ご指摘ありがとうございました」
翌日、アグローはグーグルの地図から消えた。





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問い合わせただけのつもりが、「現代のおとぎ話」の痕跡を消してしまったらしい。
でも「アグロー商店」は、いまもグーグルの地図に残っている。
「訪れた」という人たちのコメントとともに。




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(2015.10.23 朝日新聞より抜粋)





☆☆☆やんジーのつぶやき
パンドラの箱を開けてしまった中東のキナ臭い話とは異なり、「現代のおとぎ話」には夢がある。
こんなのどかな田舎町でフライフィッシング三昧の日々を過ごすなんぞ、まったく贅沢の極みだ。






































































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by my8686 | 2015-10-23 10:08 | 徒然なるままに | Trackback | Comments(0)

異教徒の谷、危機 パキスタン「カラーシャ」3千人

パキスタンの山岳地帯で何世紀もの間、イスラム教徒に囲まれながら、独自の宗教を守ってきた少数民族がいる。
「カラーシャ」と呼ばれる人たちで、人口はわずか3千人余り。
異教徒を敵視するイスラム過激派の脅威が迫るなか、この夏、居住地の谷が鉄砲水による未曽有の水害に襲われたという。



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あらためて、その現場レポートをみてみよう。



■激流、120戸のむ

7千メートル級の山を抱くアフガニスタン国境の山岳地帯。
空港があるチトラルから車で約1時間半、断崖を切り開いて造られた道路が崖崩れで行き止まりになった。
カラーシャの集落まではさらに5キロ余り、山道を歩くしかない。



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カラーシャは国境に近い三つの小さな狭い谷に住む。
イスラム教徒が圧倒的多数を占める地域で「カフィール(不信心者)」と呼ばれながらも生き延びてこられたのは、外界と隔てられた険しい地形が一因だ。

2時間ほど歩き、最初の集落に入ると、カラーシャの女性たちが畑仕事をしていた。
婚礼や祭りの日を思わせるほど、鮮やかな民族衣装を着ている。
地味な布で頭や顔を覆うイスラム教徒の女性とはまったく違う普段着だ。




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谷を奥へ進むにつれ、水害の爪痕がはっきりと見て取れた。
半農半牧のカラーシャが川沿いを切り開いてつくった果樹園やトウモロコシ畑が、直径3メートルほどもある巨岩で埋め尽くされていた。

鉄砲水は7月に3回、三つの谷を同時に襲った。
川の水源があるアフガン国境沿いの4千~5千メートル級の山々は豪雨に襲われ、雪渓の崩落が鉄砲水の引き金になったとみられている。

谷の最大集落ブルンでは、鉄砲水で川の流れが変わり、村の目抜き通りの一部をのみ込んだ。
川沿いのホテルや学校、商店、民家など、主だった建物が軒並み倒壊した。



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鉄砲水に遭遇した村の運転手、シャリフ・アフザルさん(40)は「上流の方から轟音が聞こえ、地震のように地面が揺れた。高台の方に着の身着のままで逃げた。翌朝戻ってみると、家があった場所すら分からなくなっていた」と話す。
三つの谷で全壊した家屋は120戸以上。
上流にある軍駐屯地が異変を察知し、警報を伝えたのと、被害が最も大きかった3回目の鉄砲水の前に、多くの住民が高台に避難していたため、人的被害は免れたという。

カラーシャの女性たちのまとめ役、ミール・カイさん(50)は「多くの家庭が生活の糧を失った。元に戻るまで何年かかるか想像もつかない」と語った。




■迫る、イスラム過激派

文字をもたなかったカラーシャの歴史は謎の部分が多い。
言語学的にはインド・ヨーロッパ語族に属し、紀元前に南アジアへ移住したアーリア人の一派との見方がある一方、ギリシャのアレクサンドロス大王の部隊の子孫との説もある。




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イスラム教とは違って複数の神々を信じ、神々が降り立つ祭壇や聖域が村のあちこちにある。
浄不浄の考え方も特徴的だ。季節の変わり目など、数多くの祭りがあり、ブドウで造った地元の酒が振る舞われる。

かつてアフガン側には多くの同系民族がいたが、19世紀までにイスラム教に強制改宗させられ、彼らの居住地は「カフィリスタン(異教徒の地)」から「ヌーリスタン(光の土地)」と呼び名が変わった。
1970年代に谷と外の世界を結ぶ道路が造られると、観光客も徐々に訪れるようになった。
文化を守る観点から観光化に異論もあるが、カラーシャにとって貴重な現金収入源となっている。





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しかし、2001年の米同時多発テロで状況が一変した。
国境を挟んだアフガン側では、米国主導の対テロ戦で政権を追われたイスラム原理主義のタリバーンがゲリラ活動の拠点を築いた。
カラーシャ谷でも長期滞在していたスペイン人が殺害されたり、博物館の建設に携わったギリシャ人が拉致されたりする事件が相次ぎ、最盛期に年間7千人に上った外国人客は20分の1に激減した。




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カラーシャにとって、アフガン国境の山頂付近は伝統的に夏の放牧地だったが、羊飼いの少年らがタリバーンに襲われ、ヤギなど300頭が奪われる事件が起きた。
酒も振る舞う祭りの中止を求める脅迫文が届いたこともある。



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近年、パキスタン軍が国境近くに駐屯地を築き、警察部隊が谷を巡回するようになった。
最近では、アフガン側に逃れたパキスタンのイスラム過激派が、カラーシャ谷よりも南側の国境を挟んでパキスタン軍と砲撃戦を繰り広げるなど、緊張状態が続く。




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谷には移り住んだイスラム教徒も多く、カラーシャと共存してきた。
カラーシャの代表として郡評議会議員をつとめるナザル・ゲイさん(39)は「過激派はまだ谷に浸透していない。平和を保つためには、良好な隣人関係を守ることが必要だ」と指摘した。



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☆☆☆やんジーのつぶやき
パキスタンの山岳地帯といえば、数年前に訪れたネパール山岳地帯を思い出す。
カトマンズを基点にネパール山岳地帯の荒地を走り回った。
その時出会った人懐っこい土地の人々と子供たちの屈託のない笑顔。
昭和の臭いを感じたあの時、あの場所。
その場所に隣接するパキスタンの少数民族。
信仰深く温かな人々を迫害することだけは、阻止したい。


































































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by my8686 | 2015-10-22 11:49 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)