ミシュラン広島ガイド2つ星 日本料理店「児玉」で祝う

久しぶりに次男を誘い日本料理「児玉」に行く。5月は次男と孫娘と自分の3人が誕生月である。
我家としては大変目出度い月でもある。



そして、土曜のランチをここ「児玉」で祝うことにする。





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ミシュラン広島ガイドで2つ星を獲得したこの店で味わえるのは、旬の地場食材を軸とした正統派の日本料理。




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ネットをググると、「四季の移ろいを切り取ったかのような華やかな逸品の数々を、店主の児玉氏の家族が切り盛りする温かな店内で気兼ねなく楽しめる。」とある。





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料理はおまかせのコースのみ。


丸二日かけて煮込んだ『子持ち鮎の甘露煮』や、仕上がりに3日かける『栗の渋皮煮』などの前菜からも、主人のきめ細やかな仕事ぶり、料理に対する真摯な姿勢が伺える。





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この料理にあわせた冷酒は、「雨後の月」。






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フルーティで料理を引き立てる品のよい酒であった。








☆☆☆やんジーのつぶやき
蒲刈でのみやげ話にいつになく盛り上がってしまい、ここでの精緻な料理を味わわなかったことに反省する。
場をひきたてる会話と料理。そして酒。すべてがバランスよく成立しなければなるまい。
話に酔い過ぎた昨日であった。








































































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# by my8686 | 2017-06-03 19:00 | 徒然なるままに | Trackback | Comments(0)

「人生フルーツ」と経済成長 脱成長主義を生きるには・・を読み解く

プレ金のランチ時、新聞コラムを横目で眺めていたら「異論のススメ」というコラムに目が止まった。
佐伯啓思氏の「人生フルーツ」と経済成長 脱成長主義を生きるには・・・である。


あらためて、その内容を読み解いてみよう。


先日、「人生フルーツ」というドキュメンタリー映画をみた。東京では盛況と聞いていたが、遅れて上映された京都のミニシアターも満員であった。





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日本住宅公団で戦後日本の団地開発を手掛けた建築家、津端修一さんとその妻英子さんの日常生活の記録である。1960年代の高度成長時代に、津端さんは次々と日本のニュータウンを手掛けた。そのひとつが愛知県の高蔵寺ニュータウンであるが、自然との共生をめざした彼の計画は受け入れられなかった。




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そこで彼は、このニュータウンの一角に土地を購入し、小さな雑木林を作り、畑と果樹園を作り、毎日の食事は基本的に自給自足するという生活を送ってきた。畑では70種類の野菜、果樹園では50種類の果物を育てているという。映画は90歳になった修一さんと3歳年下の英子さんの日常を淡々と描いているのだが、しみじみとした感慨を与えてくれる。





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たいていの建築家は、ニュータウンや団地の設計を手掛けてもそこには住まない。大都市からやってきて仕事を済ませるとそれで終わりである。津端さんは、思い通りにならなかった愛知のニュータウンに住み、小さいながらもその土地に根を張り、そこで自然の息吹を聞こうとする。風が通り、鳥がやってくる。四季がめぐる。時には台風が襲いかかる。そのすべてが循環しながら土地をはぐくみ草花や野菜を育て、この老夫婦の生活を支えている。いや、この夫婦の生活そのものも、この生命の循環のなかにあるように見える。





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かつては、日本のあちこちにこういう場所がごく自然に存在していた。60年代でもまだ、都市の郊外や地方をゆけば、人々は自然の循環のなかで野菜をつくり、半ば自給しながら生活していた。その後、60年代から70年代にかけての高度成長は終息し、80年代のバブル経済も崩壊した。にもかかわらず、四季の移ろいや自然の息吹とともに生きることは今日たいへんに難しくなっている。

この映画を見ていると、自給的生活はかなり忙しいことがよくわかる。労力がいるのである。自給といってもコメや肉まで手にはいるわけではない。90歳の津端さんは自転車に乗って買いだしに出る。畑や家の手入れもたいへんだ。毎日同じことを繰り返すにも労力がいる。できることは自分たちでやるという独力自立の生活は、映画館でこれを見ているわれわれに与えるすがすがしさからは想像できないエネルギーを必要とするのであろう。





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90年代になって日本はほとんどゼロ成長に近い状態になっている。にもかかわらず、われわれは、あいかわらず、より便利な生活を求め、より多くの富を求め、休日ともなればより遠くまで遊びに行かなければ満足できない。政府も、AIやロボットによって、人間の労力をコンピューターや機械に置き換えようとする。住宅もITなどと結びつけられて生活環境そのものが自動化されつつある。外国からは観光客を呼び込み、国内では消費需要の拡張に腐心している。それもこれも、経済成長のためであり、それはグローバル競争に勝つためだというのだ。

日本がグローバルな競争にさらされていることは私も理解しているつもりではあるが、そのために自然や四季の移ろいを肌で感じ、地域に根を下ろし、便利な機械や便利なシステムにできるだけ依存しない自立的生活が困難になってゆくのは、われわれの生活や経済のあり方としても本末転倒であろう。

この5月末に私は『経済成長主義への訣別』という本を出版した。私は、必ずしも経済成長を否定する「反成長論者」ではない。また、いわゆる環境主義者というわけでもない。




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しかし、これだけモノも資本も有り余っている今日の日本において、グローバル競争に勝つためにどうしても経済成長を、という「成長第一主義」の価値観には容易にはくみすることはできない。現実に経済成長が可能かどうかというより、問題は価値観なのである。経済成長によって、「より便利に、より豊かに」の追求を第一義にしてきた戦後日本の価値観を疑いたいのである。それよりもまず、われわれはどういう生を送り死を迎えるか、それを少し自問してみたいのである。

実は、東海テレビが「人生フルーツ」を製作中に急に津端さんが亡くなる。その直前まで元気にいつもと同じ生活をしており、実に静かで自然な死であったようだ。

こういう死を迎えることは今日なかなか難しい。われわれはグルメ情報を片手にうまいものの食べ歩きに精を出し、旅情報をもとに秘境まででかけ、株式市場の動向に一喜一憂し、医療情報や健康食品にやたら関心をもち、そしてそのあげくに、病院のベッドに縛り付けられて最後を迎えることになる。こうした今日のわれわれの標準的な生と死は本当に幸せなものなのだろうか、と誰しもが思うだろう。




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確かに、より多くの快楽を得たい、より便利に生活したいというのは、現代人の本性のようになっている。経済成長もわれわれの生活に組み込まれている。しかし、この映画はまた、その気になれば、このグローバル競争の時代に、都市のニュータウンの真ん中で、ささやかながらもこのような生が可能なことをも示している。経済成長を否定する必要はないが、そのかたわらで、脱成長主義の生を部分的であれ、採り入れることはできるはずであろう。








☆☆☆やんジーのつぶやき
先週末、38回目の結婚記念日に広島県の呉沖にある蒲刈島にいってきた。
島の穏やかでスローなリズムが心地良かった。
まさに、生命の循環のなかに生かされている悦びが官能を刺激してやまなかった。
シーカヤックで巡る孤島めぐり。夕日を浴びて光る海面。満天に光り輝く星群。
映画 「人生フルーツ」を観たいと思った。

































































































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# by my8686 | 2017-06-02 14:00 | 徒然なるままに | Trackback | Comments(0)

「ウォルマート去り、取り残された街 米南東部、買い物の場も雇用も消えた」を読み解く

全米に5千を超える店舗ネットワークを持つ小売り最大手ウォルマート・ストアーズの不採算店の撤退が進んでいるという。




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あらためて、その内容を読み解いてみよう。


規模の大きさから「巨人」とも呼ばれるが、急拡大が続くネット通販に押され、不採算店の撤退が進む。商店街が廃れた地方での存在感は大きく、ウォルマートが去った街は大きく揺れている。

人口3300人の南東部サウスカロライナ州ウィンズボロ。1年半ほど前、この街が揺れた。住民が毎日の買い物で使うウォルマート店舗が突然、閉鎖されたからだ。

 「子ども服や学校用品、私の母が服用している薬もすべてウォルマートで買っていた。それができず毎日困っている」と住人のひとりが話す。一番近い食料雑貨店は車で20分ほど離れた場所にあり、買い物自体が負担になった。

小規模の雑貨店からスタートしたウォルマートは、1962年に創業地である南部アーカンソー州に大型店の「1号店」を開いてから、ブルドーザーのような勢いで全米展開した。「毎日安売り」という宣伝文句を掲げて米国の消費行動を大きく変え、米小売業界のトップに立った。
ウィンズボロにウォルマートが開店したのは約20年前。「とうとうウォルマートが来た」と住民の間で話題を呼んだ。「一つの店で欲しいモノが全部そろう大きさに驚かされた」と住民は話す。




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出店は、地元経済にじわりと変化をもたらした。
街の中心部には数百メートルの大通りがある。50店舗以上の個人商店が軒を連ねていたが、品ぞろえが豊富で価格が安いウォルマートに客が流れた。
その結果、半分ほどの店が閉店。ウォルマート進出から1年後には、地元で70年間愛されたデパートも店じまいを決めた。当時、デパートで勤務していた女性は「客足が遠のくのがはっきりと分かった」。

しかし、ウォルマートは地元で嫌われたわけではなかった。

店舗では150人以上の地元住民が雇われ、「地域最大の雇用主」になった。多額の税金もウォルマート関連が多く、ウィンズボロ地域の売上税の3分の2はウォルマートからもたらされた。

地元の61歳の住人は「仕事が少なく、若い人がどんどん街を離れるなか、進出したウォルマートが雇用の支えだった」と振り返る。「それだけに、撤退は街にとって痛手だった」

地元育ちの前州上院議員は、地域の住民が必要なモノをどう手に入れるか心配している。「私の母親は89歳。30マイル(約48キロ)離れた別のウォルマートまで車で出かければよい、とは言えない」




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■「不便」見限る富裕層 アマゾン攻勢、異例の撤退 

ウォルマートの撤退は、ウィンズボロに限らない。昨年1月、全米154店を一気に閉じる計画を発表。同社の本拠地である米国で大規模閉店を断行するのは極めて異例だ。

「巨人」をここまで追い詰めたのは、ネット通販最大手アマゾン。
急成長が続き、ウォルマートの客を確実に奪っている。ウォルマートの年間売上高はアマゾンの4倍近く。会社規模でみれば、ウォルマートは米小売業界トップの座を譲っていない。

しかし、問題は売上高の伸び率だ。過去5年ほど、アマゾンは毎年2けたの伸びをみせているが、ウォルマートは数%にとどまる。2015年には企業価値を示す株式時価総額でウォルマートはアマゾンに逆転された。投資家はネット通販の成長性に軍配を上げ、実店舗の販売が中心のウォルマートの成長性に疑問を抱いている。

ウォルマートのウィンズボロ店が去った跡地は別の小売店が入る予定もない。大通りの商店街では割れたショーウィンドーに壊れたマネキンが放置され、色あせたカーテンが汚れた床に落ちたまま。営業するのは一部の飲食店と地元の金融機関だけだ。「さびれるだけで明るい話題はない」と軽食店経営者は話す。

買い物にも困るため、裕福な白人層は街を見限るようになった。ウィンズボロと周辺地域では、裕福な人々が去ることで黒人の貧困層の割合が徐々に高まっている。黒人の比率は約6割にのぼり、州全体の2倍以上だ。





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■小規模店に客、かすかな希望

一方で、かすかな希望も見える。地元の小規模店に少しずつ客が戻ってきているのだ。
20年以上、地元で薬局を営む72歳の経営者は「ウォルマートが閉店して客が増え、売り上げが伸びている。大規模店が去り、私たちのような小さな家族経営の店を改めて大事にしようという思いが、お客に生まれたのでしょうか」。

危機感を抱いた地元商工会議所も商店街への出店を呼びかける。まだ成果は出ておらず、通りが活気を取り戻したとは言い難い。ただ、オフィス用品や食品スーパーなどの出店計画の話が持ち上がるようになってきた。
その薬局に来ていた客は、「ウォルマート撤退はたしかに打撃だったが、地元の商店街が活気を取り戻すきっかけになると信じたい」と話した。





☆☆☆やんジーのつぶやき
米国の深刻な負の部分を垣間見た気のした衝撃的なニュースである。
栄枯趨勢は世の習いとはいえ、取り残される世代はたまったものではあるまい。

































































































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# by my8686 | 2017-06-01 17:01 | メーク・イン・アメリカの行方 | Trackback | Comments(0)

71年目の経団連:政治に近づく「総本山」を読み解く

今月8日、経団連の正副会長17人全員が、東京・経団連会館に顔をそろえた。月1回の正副会長会議。昼食をはさみ、約3時間に及んだ会議が終わるころ、会長の榊原定征が切り出した。

「総理もおっしゃっているし、憲法について議論したい」




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突然の発言だった。3日の憲法記念日には、首相の安倍晋三が改憲を表明していた。「経済最優先」が口ぐせの榊原が憲法に踏みこんだことに、「驚いた」とある副会長は話す。
約1300社が入る経団連は「軍需産業も抱え、自衛隊が絡む9条の議論には身動きがとりづらい」(他の経済団体幹部)。12年ぶりの憲法議論に「首相が改憲を表明したのに、財界が何もしないわけにはいかない」と周囲は解説する。

「政治と経済は『車の両輪』」。




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榊原は2014年6月、会長に選ばれた総会で政治との連携を強化する考えを示した。前会長の米倉弘昌は、安倍が掲げた金融緩和策に「無鉄砲」と発言し、政権との間に溝ができていた。「政権との連携なしに存在感を発揮できなかった」。当時の事務総長、中村芳夫は振り返る。
榊原は14年9月、各党の政策を評価したうえで、会員企業に政治献金の呼びかけを再開。事実上、評価の高い自民党への献金を促した。同じころ、榊原は政府の経済財政諮問会議の一員に経団連会長として6年ぶりに選ばれている。

いまいくつもの政府の会議に入る榊原と安倍政権の関係は、元会長の奥田碩と元首相の小泉純一郎以来の蜜月ぶりといわれる。





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自民党の長期政権が続いた時代、経団連は集金力を背景に政治への影響力を強めた。関係が崩れたのは自民が初めて下野した1993年。ゼネコン汚職で政治に批判が集まり、当時、会長の平岩外四は、業界ごとに割り当てる政治献金のあっせんを中止した。

経団連主導の政治献金が再開するのは、その11年後、奥田が政策評価とセットで献金するように呼びかけてからだ。民主党政権の誕生で中断したものの、榊原時代に復活した。
だが経済界からも、政治献金のあり方に疑問を投げかける声があがる。

経団連で政治委員長などを務めた昭和電工最高顧問の大橋光夫は「政策による利害は業界によって必ずしも一致しない。経団連が社会貢献の一環で献金の必要性を訴えるのはいいが、献金自体は個別の業界団体に任せるべきだ」と語る。
戦前の首相、浜口雄幸を祖父に持つ大橋は政界にパイプがあり、現在は自民党の政治資金団体、国民政治協会の会長だ。献金を受けとる側だが、「経団連は国民のために活動する姿勢を明確に出さないと、国民の支持を得られない」。





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経団連は終戦直後の46年、財閥支配から解放された製造業を中心に誕生した。会長はほぼメーカーから選ばれ、役員は自動車や鉄鋼、商社などの社長経験者らで構成される。
新興勢力からはどう映るのか。6年前に旗揚げされた国民生活産業・消費者団体連合会(生団連)にはスーパーや外食など約550社・団体が加わる。


経団連は消費増税に積極的だが、経団連企業も多く入る生団連は慎重だ。会長の小川賢太郎(ゼンショーホールディングス会長兼社長)は「重厚長大の産業が中心の経団連は、いまやGDP(国内総生産)の7割を占める流通サービス業の意見を積極的に吸い上げてこなかった」と話す。
だれのための「車の両輪」か。71年目の経団連に問われている。






☆☆☆やんジーのつぶやき
栄枯趨勢は世の習いとはいえ、いまやGDPの7割を占める流通サービス業の声は真摯に聴くべきであろう。
重厚長大の産業構造が崩壊しつつある今、経団連の改革も必要であろう。












































































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# by my8686 | 2017-05-31 11:00 | たまには気になる経済学 | Trackback | Comments(0)

緩和「出口」市場が不安視 日銀の2%物価上昇「困難」を読み解く

日本銀行の大規模な金融緩和はいつまで続くのか、不安視する声が強まっている。日銀は目標の「物価上昇率2%」を2018年度にも達成できるとみているが、市場でそうした見方は少ない。目標を変えないまま緩和が長期化し、将来の日銀の財務に悪影響を与えかねないとの懸念が出ている。




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あらためて、この内容を読み解いてみよう。


「すべてうまくいけば今の緩和策でも物価目標の達成には十分かもしれない」。米国の中央銀行、連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ前議長は24日、日銀本店での講演で語った。





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金融緩和に積極的で、リーマン・ショック後に量的緩和拡大を繰り返したバーナンキ氏の発言は、「物価上昇率2%」の旗を掲げ続ける日銀には心強い内容だが、現実の物価上昇率はまだ低い。16年度は4年ぶりのマイナスで、今年4月は0・3%だ。

目標達成が見えない中で、黒田東彦総裁は最近国会に呼ばれ、緩和を続けるリスクについて問われる場面が増えている。一体いつまで国債を買うのか、将来緩和を縮小する「出口」で買うのをやめれば、国債価格が急落し、金利が急上昇して市場が混乱しないか――。そんな疑問が出ている。

 「出口」の議論を拒んできた黒田総裁も、今後の説明を示唆する言葉を漏らし始めている。ただ、詳細な説明は避けたままだ。





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■目標見直し提言も

緩和の懸念が出る中、今は日銀の財務は健全にみえる。29日発表した16年度決算は、純損益にあたる当期剰余金が前期比23%増の5066億円と、2年ぶりの増益となった。引当金などを除いて国に納める納付金は4813億円で、前年度より908億円増えた。
日銀は保有国債の利息収入などを得る一方、日銀にお金を預ける民間銀行に利息(付利)を払う。緩和で保有国債が増えて一定の利息収入がある一方、付利はマイナス金利政策のため今は増えにくい。

ただ、今回の決算で保有国債の平均利回りは、年0・301%と過去最低だった。緩和で金利が低い(価格が高い)国債を買い続けているためだ。国債保有額は前年度末より68兆円多い417兆円だったが、利息収入は前年度比8%減の1兆1869億円で、5年ぶりに前年度を下回った。
多額の国債を持つわりに利息収入は減っており、日銀は将来、財務が悪化しやすいリスクを抱えている。

みずほ総合研究所は今月、出口に向けた提言をまとめた。2%の物価目標の実現が困難な一方、緩和が長びくほど日銀が将来抱える損失は膨らむ。「2%」は長期的な目標に格下げするなどして、海外経済が堅調なうちに出口に向かうべきだ、と提言する内容だという。
日銀の財務悪化は、通貨円の信用低下につながるリスクもある。東短リサーチの加藤出氏は「延々と緩和を続けると何が起きるのか。日銀は収支見通しも含めて納税者に説明すべきだ」と指摘する。






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☆☆☆やんジーのつぶやき
長期化する緩和政策。その行きつく先に透けて見えるものがある。
日銀の誠意ある正しいかじ取りを祈ろう。


























































































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# by my8686 | 2017-05-30 16:51 | たまには気になる経済学 | Trackback | Comments(0)