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「戦地派遣」過酷な現実 戦後70年

今年は戦後70年。
戦争の記憶が遠ざかる一方、国際環境の変化から平和が壊れるのではという不安が生まれている。
新たな紛争やテロが姿を現した。
戦争とはどんな現実か、改めて見つめたい。




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敵に見たてた人形に左腕を回すと、拳銃を抜きざまに腹部に連射した。
距離は数十センチ。
小銃に持ち替え一気に前進し、60発の銃弾を別の標的に撃ち込んだ。

その早業に、陸上自衛隊の警備担当120人はあっけにとられた。
初めて見た対テロ戦の射撃術だった。





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米主導のイラク戦争に、「復興支援」の名目で自衛隊派遣が決まってまもない2003年11月。
北海道旭川市近郊にある鷹栖射場で、訓練が本格化した。

指導にあたったのは、後に特殊作戦群長になる荒谷卓(55)。
米軍特殊部隊から実戦用の荒業を学んだ。

「これをこなさなければ、身を守れない。みなさんもやってください」

従来の訓練は、二、三百メートル先の標的をじっくり狙う安全優先の射撃だった。
イラクでは一瞬の判断の遅れが命取りになる。

2年半の陸自のイラク派遣には、5500人が参加した。




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活動終了後、小泉純一郎首相は「一発の銃弾を発することなく、一人の死者も出さず、立派に任務を果たした」とねぎらった。
だが、政府は派遣そのものの検証を見送り、埋もれたままの問題もある。





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防衛省によると20人の陸自隊員が帰国後、自殺した。
今も多くがストレス障害に苦しむ。派遣との因果関係は解明されていない。
イラク派遣は、戦後日本の実力部隊が、初めて「戦地派遣」されたケースだ。





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ふたつの見方がある。

ひとつは、陸自が08年に非公開でまとめた報告書だ。
巻頭に、第1次派遣群長の番匠幸一郎(57)が「ロバか、ライオンか」という一文を寄せている。

ライオンである自衛隊が、ロバにもできる活動をするのはなぜか。

「(復興支援活動は)純然たる軍事作戦であった。ライオンの構えがあるからこそロバの仕事ができるのであって、その逆はない」





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旧防衛庁で事務次官として派遣を仕切った守屋武昌(70)は、こう見る。
「日本の安全保障論議は憲法を改正することなく、国会で積み上げた観念論が優先され、自衛隊が内外の要請の板挟みになる。イラク派遣は、国際協力活動の幅を広げた一方、隊員に過酷な負担を背負わせた」

例えば派遣のため、襲撃が相次ぐ現地を「非戦闘地域」とするフィクションを作り出した。
「政治は現場に降りて現実を見なければならない」と守屋は言う。





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過激派組織「イスラム国」による人質事件をめぐり、安倍政権のもと、自衛隊による海外での「邦人救出」の議論が出ている。
自衛隊にライオンの獰猛さが求められることはないのか。
その時、政治家や国民はどう反応するのか。




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日本とよく比較される同じ敗戦国のドイツ。
独軍は一足先にライオンの役割を担わされていた。
(2015.02.16 朝日新聞より抜粋)











☆☆☆やんジーのつぶやき
Love is like war: easy to begin but hard to end.






















































by my8686 | 2015-02-16 08:06 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)