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回想「バイエラー財団美術館のリヒター展 その舞台裏を見つめる」を読む

昨日予定していたMTBカスタムは、義父の命日の墓参りで中止する。
本日日曜日は、特に予定を入れていない。朝食前にすこしリヒターに関する過去のレポートを読んでみよう。
朝食後にゆっくりとMTBのカスタムを愉しむことにする。




約2年前、ドイツ人画家ゲルハルト・リヒターの展覧会がバーゼル・バイエラー財団美術館で開催された。
リヒター展はこれまでにも数多く行われてきたが、この時はひと味違う。
有名なキュレーター、ハンス・ウルリッヒ・オブリスト氏の企画は、巨匠の創作の「分裂症的」側面に光を当て、これこそがリヒターの成功の鍵ではないかと示唆した。




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あらためて、もう一度その時のレポートを読み返してみよう。


ゲルハルト・リヒターほど世界中から注目を集め、作品に驚異的な値段が付く現代アーティストは少ない。
この82歳(当時)のドイツ人画家は、存命中のアーティストとして、オークションの最高落札価格を何度も記録し、展覧会の数でも最多を誇る。




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クリアフレームの眼鏡をかけたスマートで小柄なリヒターは、クールな様子でふらりとバイエラー財団美術館に入ってきた。
そこには、飢えたオオカミのようにバーゼルに集まってきたメディアが待ち構えていた。

バイエラー財団美術館のサム・ケラー館長から「現代において最も影響力のあるアーティスト」と紹介されても、リヒターは礼儀正しく超然とした態度を崩さなかった。ケラー館長が「リヒター氏ほど多くの展覧会を開催してきた現代アーティストはいない」と続けると、2人は揃ってハンス・ウルリッヒ・オブリスト氏の方を向いた。




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今回のキュレーターを務めたオブリスト氏とリヒターの対話は、27年前、まだオブリスト氏が10代の頃に始まった。これまで扱われたことのないテーマに光を当てることを提案し、リヒターにバーゼルまで来てもらうことができたのだという。
 
今日、最も重要なキュレーターと評されるオブリスト氏だが、周囲の人を自然と巻き込む熱っぽさは子どものようでもあり、ひょろりと手足の長いところは少年のようでもある。4カ国語を流暢に話し、ほとんど言葉に詰まることがない。
オブリスト氏によると、キュレーターの仕事で大切なのは対話だ。リヒターとも「たっぷり時間をかけて議論」した末、彼の創作活動全体に見られるさまざまなサイクルや連作、空間の意識に焦点を当てることに決まった。





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ゲルハルト・リヒターの60年とその多様な作風を一堂に集めた「バイエラー財団美術館 リヒター展」。
ドイツ人画家ゲルハルト・リヒターの作品は、そのテーマにおいても作風においても多彩だ。 現在バーゼルのバイエラー財団美術館で開催された「リヒター展」はスイスで行われるものとしては最大級で、まだ公開されていない最近の作品も含め、リヒターの主な時代の作品を一堂に展示された。...


■リヒターのパラドックス
50年以上も活動してきたリヒターのように、用いる技法や作風が極めて多岐にわたるアーティストというものは「混乱」を招きやすい。一見、統一性がないように見えることさえある。しかも、リヒターの評価が高まったのは「フォト・ペインティング」(新聞や雑誌などの写真イメージを精密に模写しつつ、微妙にぼかして描き上げる油彩画)や、グレーの濃淡からなるモノクローム絵画、ぼやけた線、絵の具をなすりつける手法などによってで、いわゆる「偉大な芸術」とは違っていた。





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今回の展覧会では、リヒターの創作活動を特徴づける数々の連作が再びまとめられている。それらは世界的建築家レンゾ・ピアが設計した館内の広々とした壁に展示されている。初めて展示される作品もある。一見何の関連性もないように思える作品間の一貫性が明らかにされ、素晴らしい展覧会となっている。

ケラー館長は、これまでバイエラー財団美術館で開催された中でも今回のリヒター展が最も美しい展覧会だと考えられる理由を問われ、こう答えた。「アーティスト本人が展示に参加した展覧会だからだ。これもまた、リヒターの作品なのだ」。




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ゲルハルト・リヒター略暦(Gerhard Richter)
1932年、ドレスデン生まれ。ドレスデン芸術アカデミーで壁画を学んだ後、29歳で東ドイツから逃れる。

1961年デュッセルドルフへ移住。翌年、同じく東ドイツ出身のジグマー・ポルケ(1941〜2010)と出会い、生涯にわたる友情を結ぶ。現在はケルン在住。

1964年、写真をもとにした絵画の制作を始め、初の個展を開催。
最近発表された「アートインデックス2014」によると、アーティストの存命中に開催された展覧会の数で、ゲルハルト・リヒターは1位(1256回)。

2011年から12年にかけて、ロンドンのテート・モダン、ベルリンの新ナショナルギャラリー、パリのポンピドゥーセンターを巡る大規模な回顧展「ゲルハルト・リヒター パノラマ」が開催された。バイエラー財団美術館の展覧会は、回顧展よりはるかに「明るい」と言われている。


■展示が芸術作品に
作品そのものよりも、作品をどう展示するかが人を魅了することもある(作品には感動しない場合もあるからだ)。展示室ごとに、違った物語が語られる。
メインの展示室は、重力に逆らうかのような印象を与える。大きいが空気のようなガラスの作品「12枚のガラス板(列)/12 Panes (Row)」(2013年)が、部屋を浮遊させる。その両側には、「ケージ/Cage」(2006年)と題された巨大な6点の連作と、結局建てられることのなかったレンゾ・ピアノのチャペルのために制作された「抽象画、ひし形/Abstract Painting, Rhombus」(1998年)という赤い絵画6点が向かい合ってかかっている。まるで展示室全体が庭へ漂い出すかのようだ。作品と空間の関係へのリヒターのこだわりが見事に表れている。




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しかし、全体を通してこの展覧会を際立たせているのは、リヒターを有名にした魅力的な小ぶりの具象画の数々が連作の合間に配されていることだ。オブリスト氏はそれを、リヒターが多大な影響を受けている音楽の用語を借りて「対位法(複数の独立した旋律を同時に組み合わせる作曲技法)」と呼ぶ。




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■溶解の技法
「質の高いものには全て、時代を超越したところがある」と、2011年にロンドン・テート美術館で催された展覧会でリヒターは語った。「そこにないものを見せるのが絵画だ」リヒターのトレードマークと言える不鮮明でぼやけた輪郭は、一種の切迫感を表している。それはまるで、人物たちの姿を消しつつ、時間を溶解させようとしているかのようだ。最近のデジタルアート・プリントの作品「色の帯/Strip」(2013年)も、「溶解」という同じ原則に基づいているとオブリスト氏は指摘する。昔の作品「1024色/1024 Colors」(1973年)のパントーン・カラー(色見本のようなカラーチャート)もまた、デジタル加工で引き延ばしたものだった。




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これらの作品も、展示室全体を埋め尽くす見事な「4900色/4900 Colors」(2007年)も、「作品が作家本人の手で作られたものではない場合、その作品はどのような位置を占めるのか」という問題を提起する。とはいえ、リヒターはウォーホルのような「ファクトリー」式のスタジオを持っているわけではなく、アシスタント2人とスタジオマネージャーが1人いるだけだとオブリスト氏は言う。




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■7割はゴミ
美術市場の頂点に立つアーティストにしては珍しく、リヒターは現代美術に対して辛口だ。ある記者会見では「アートは変わりつつある」と語り、「出回っているものの7割はゴミだ」と付け加えた。傑作かどうかを判断する基準はもはや存在しないとリヒターは説明した。モナリザのように、芸術作品の質を判断する基準となる、これまでのような規範がなくなってしまったからだ。
リヒターの主張は、本人の作品にも言えることかもしれない。「ベティ/Betty」(1988年)、「本を読む人/Reader」(1994年)、「エラ/Ella」(2007年)のような有名な具象絵画を除けば、今回展示されている作品を「名作」と銘打つのは難しいだろうからだ。それに、作品に一貫したメッセージがあるようにも思われない。ドイツ赤軍派テロリストの死を主題とした連作でさえ、テロ事件がドイツを揺るがしてから11年後に制作されたものであり、その後、政治的意見を表明する作品は一つも制作されていない。





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そのかわり、「分裂症的」とさえ呼ばれかねないリヒターの探求心が、彼を美術界の英雄の地位に押し上げた。ひょっとすると、(アートにおける)新時代の規範とはそういうものなのかもしれない。つまり、芸術家が時代の鏡となり、新たな技術の持つ可能性をいつまでも受け止め続ける能力だ。





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バーゼルではリヒターに対し、自分の絵画に付けられた桁外れの値段についてどう思うかという質問が寄せられた。リヒターは「嬉しい」と答え、愉快そうにこう付け加えた。「大金持ちもやがては死ぬ。彼らの買った絵もそのうち美術館に収められ、誰でも見られるようになるかもしれない」









☆☆☆やんジーのつぶやき
規範なき現代アートシーンだからこそ、作品に驚異的な値段が付くことで自らを規範としない姿勢は素晴らしい。
自らを溶解させていくリヒターの分裂症的戦略に人は官能を虜にされていく。





































































by my8686 | 2016-06-12 12:12 | ぶらぶらアート観賞 | Trackback | Comments(0)