一柳慧「どの音も対等、現代の私たちの象徴」を読み解く

昨日に続き、一柳慧のインタヴューコラムを読み解いてみよう。


ジョン・ケージは、禅の文化を世界に広めた仏教学者、鈴木大拙(1870~1966)に心酔していた。のちに一柳の手引きで、日本でも面会を果たしている。



c0352790_18021453.jpg




何にもとらわれない。自己主張しない。あるがままに生きる。そんな大拙の教えを、ケージは自分の芸術で実践しようとしていました。





c0352790_18023310.jpg



かの「4分33秒」も1952年、大拙に感化されて生まれました。

ケージ自身にとっての「禊ぎ」の作品です。自分から発するものだけを音楽と思うなかれ。いま、この場で鳴り響いているすべてが音楽なのだ、と。

ケージのものの見方、考え方、すべてがこの作品をきっかけに変わりました。非西欧の社会の人々に積極的に会い、西洋的なモノサシに感化された自身の価値観に疑問符を突きつけるようになった。私自身も時間と空間を、別々の概念でなく、互いに浸透しあう関係としてとらえるようになりました。





c0352790_18024928.jpg




■「4分33秒」が転機となり、ケージは五線譜を離れ、自身のルールに基づく自在な図形楽譜を書き始める。





c0352790_18030432.jpg




私も彼の影響で、50年代からずいぶん奔放な図形楽譜を書くようになりました。もっとも帰国すると、徐々に人間の手触りを感じる五線譜に戻っていったわけですが。

こんな風に、作曲の手法が多様かつ複雑になるにつれ、現代音楽が一般の人々の感覚から離れていったという批判もあります。でも、私にはこの「自由」が救いだった。





c0352790_18032170.jpg




クラシック音楽っていうのはもともと、王様とか貴族を喜ばせるためのものだった。でも、時代は変わった。今はひとりひとりが自分の人生に自覚を持ち、主張し、表現して生きていく社会です。

調性やメロディーやハーモニーといったくびきを逃れた1音1音は、現代を生きる私たちの象徴。どの音も互いに従属せず、対等に立ちながら、ひとつの社会の一員として世界を呼吸している。

調性を捨てた現代音楽は、そうした社会を渇望する人々の無意識が、表現となってあらわれ出たものではないかと。




c0352790_18033864.jpg







☆☆☆やんジーのつぶやき
くびきを逃れた1音1音に魂を込める。
どの音も互いに従属せず、対等に立ちながら、ひとつの社会の一員として世界を呼吸する。
しかし、いまだに世界のどこかで戦争とテロが勃発している現実に目を背けずにいたい。





























































[PR]

by my8686 | 2017-06-21 18:04 | 現代音楽のたしなみ | Trackback | Comments(0)

トラックバックURL : https://my8686.exblog.jp/tb/26756799
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。