一柳慧「パリ帰りの原智恵子さんに師事」を読み解く

戦後、一柳が原智恵子に師事した当時を振り返る、貴重な体験談である。




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あらためて、その内容を読み解いてみよう。


疎開先から東京に戻り、とにかく勉強しなくちゃといろんな先生に就きましたが、原智恵子さんに師事できたのは本当に幸運でした。パリに学んだ同士のよしみか、父が話をつけてきてくれました。

■原智恵子(1914~2001)
日本人で初めてパリ国立音楽院を最優秀で卒業し、ショパン国際ピアノコンクールにも出場した国際派ピアニストの草分け。イタリアでチェロの巨匠ガスパール・カサドと結婚、華やかな私生活でも話題を振りまいた。



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素晴らしい人格者でした。だいたい、あの時代にどうやって空襲をしのいだのか知りませんが、パリで買ってきた貴重なレコードを弟子に好きなだけ貸してくれるんですから。ギーゼキング、ルービンシュタイン、コルトー。当時ではあり得ないことでした。




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■当時の日本の楽壇はドイツ音楽一辺倒。しかし、原はそうした固定観念なしに、新しいレパートリーをしなやかに日本に紹介していく。

ドビュッシーが最前衛だった時代に、ショーソンのようなしゃれたものも弾いていた。




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室内楽もよくなさっていて、私、演奏会のたびに原さんから譜めくりを頼まれたんです。あれは職人技でしてね。どこでめくってほしいかという生理的なタイミングは、同じ楽器が弾ける者でなければわかりません。楽譜を眺めながら生の演奏を聴くのは何にも勝る勉強でした。



■1952年に渡米を決意したとき、背中を押してくれたのも原だった。

留学先というと当時はドイツかパリでした。でも、今ならば戦争のダメージから立ち直っていない欧州より、アメリカの方が音楽だけに集中できていいのではないかと。



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実際に欧州で仕事をしていた人だからこその的確なアドバイスでした。我が家にも、米兵たちが家族恋しさで遊びに来たりしていたので、彼らの気質とか、そういうものに何となく親しんでいました。自由を求めてパリに行った若かりし頃の父が、ちょっぴり理解できる気がしたものです。




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☆☆☆GGのつぶやき
いつの時代にも稀有な文化人がいる。
戦時中にもかかわらず地下壕で感性を磨き続けた豪傑もいたろう。
原智恵子を知ることで、ガスパール・カサドやギーゼキング、ルービンシュタイン、コルトー、ショーソンに辿り着く道程にも官能が疼いた。










































































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by my8686 | 2017-06-28 13:11 | 現代音楽のたしなみ | Trackback | Comments(0)

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