一柳慧「高校生で無調作曲、前衛の片鱗」を読み解く

戦後の混乱期、一柳慧がいかに音楽に心血を注いでいたのか、彼のインタビュー記事を読み解いてみよう。


戦後、片っ端からピアノの先生の門をたたきました。でも、肝心の楽譜が手元にほとんど残っていなくて。チェロの楽譜だけは父が持ち出していたんですが、母はピアニストとしてはアマチュアだったし、家族を支えるのが大変でそれどころじゃなかった。



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モスクワ音楽院に学んだ名ピアニストで、戦前から日本に根を張って多くの弟子を育てたポール・ヴィノグラドフにショパンの練習曲を教わった時は、新しい世界へと開かれてゆく感覚になりました。
私が作曲に関心があると知り、同じショパンやベートーベンでも、基本となる名曲から優先して次々教えてくれたのがありがたかったです。





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■本格的に作曲を学ぶため、進駐軍で一緒に演奏の仕事をしていた作曲家、平尾貴四男(1907~53)に弟子入りする。パリに学び、日本的な感性が息づく独特の作風で多くの室内楽作品を手がけた。冨田勲の師でもある。





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進駐軍で弾いている軽い曲ではだんだん満たされなくなってきて、ふと自分でつくってみようかなと。やってみたらおのずと無調に近いものになりました。でも、平尾先生が思いがけず面白がってくれて。創作の方法や素材の展開のさせ方など、とても丁寧に指導してくださいました。
一番うれしかったのは、私の嫌いな教科書を押しつけられなかったこと。初心者扱いせず対等に批評してくださり、勇気づけられました。





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■平尾の柔軟な指導が実り、才能を開かせ、1949~51年、日本音楽コンクールで3年連続の入賞を果たす。


とても残念なことに、平尾先生が病気になられてしまって。それで、同じパリ帰りの池内友次郎先生(1906~91)を紹介されました。俳人、高浜虚子の次男としても知られています。




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和声法や対位法の教科書を編まれた理論派で、私の発想を一緒に楽しんでくれた平尾先生とは対極的でした。この辺りから私ははっきりと、自分が書きたいもの、進みたい道を定めてゆくことになるのです。





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☆☆☆GGのつぶやき
一柳慧の前衛的なる発想に官能が反応した。
自分が書きたいもの、進みたい道を定めていく時期に何が去来したのか。
新しい世界へと開かれてゆく感覚。
追い求める世界が深ければ深いほど、次元が複層していく。









































































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by my8686 | 2017-06-29 17:34 | 現代音楽のたしなみ | Trackback | Comments(0)

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