台風接近する土曜休日の朝。どんよりと曇った空。ロードバイクランは当分おあずけになりそうだ。
午後から近くのスポーツセンターのトレーニングルームに行ってみる予定でいる。
シニア割を利用しての有酸素運動だけでもしてみるつもりなのだが・・・。
オフシーズン、それも雨模様の日には、室内トレーニングで汗するもよし。
それはさておき、つれづれなるままに、JAZZのカージャケを眺めてみた。
音楽もなかなか渋くてリズミカルなものが多い。
以外にも昔のブルーノート・レコードにいい味のものが多い。
しばらく眺めていると、リヒターのモダンアートとのコラボイメージがふと湧いてきた。
脳裏をランボーの詩がよぎる。
ある理性に:イリュミナション
お前の指が太鼓をひと叩きすると
あらゆる音が飛び出し 新しいハーモニーが生じる
お前がひと歩きすると 新兵たちの行進のように勇ましい
お前が頭の向きを変えると 新しい愛が生まれる
お前が頭をもとに戻すと そこにも新しい愛が生まれる
「運命を変えよう 疫病を克服してやり直そう」
子どもたちがそうお前に歌う
「肝心なのは運と意欲さ」
皆はお前にそういう
時が熟せば どこへでも行くさ
☆☆☆GGのつぶやき
ここでいう「理性」とは何を意味するかについて、さまざまな議論がなされてきた。
もっとも有力なのはパリ・コミューンとの関連だという。
ランボーがパリ・コミューンの中に、新しい世界の創造と新しい社会秩序の可能性を読み取ったといわれる。
彼は早いうちに、その運動から脱落したが、それを通じて身に着けたアナーキズム的な傾向は終生保ち続けた。
後年ロンドン滞留中に、コミューンの残党やアナーキストと交流した記録も残っている。
この詩は、「地獄の一季節」よりも早い時期に書かれたものだろう。