人気ブログランキング |

丹下健三『大東亜建設忠霊神域計画』

口腔手術後4日目。3日分の薬は終了。縫糸した部分が微妙に痒痛く微熱がある。まだしばらく、安静がいるようだ。


それはさておき、岩国基地の動きがやけに活発化してきたことが気にかかる。

在日米軍再編に伴う米軍厚木基地から空母艦載機移駐計画で、予定された計約60機の岩国基地移駐が30日に完了。朝鮮半島情勢が不透明な中、岩国基地への所属機が計約120機に倍増し、嘉手納基地に並ぶ極東最大級の航空基地になったという。艦載機の拠点と沖縄県や在韓米軍の基地との距離が近づくことで、相互運用の活発化がさらに想定されそうだ。

蚊帳の外に置き去りにされたかたちの日本。これからの立ち位置が心配でもある。


そんなことを考えていた今朝、丹下健三が戦争中に応募したコンペ案「大東亜建設記念営造計画」が残像として浮かんできた。




c0352790_18080468.jpg



富士山が国威発揚、防共の象徴としてピークを迎えつつあった1942年に、日本建築学会が「大東亜建設記念営造計画」というコンペを開催し、若き丹下健三が出品した「大東亜道路を主軸とした記念営造計画–主として大東亜建設忠霊神域計画–」が第一位を獲得した。




c0352790_18083773.jpg




昭和17年はまだ有利に戦局が動いていた時期であり、コンペの趣旨も「大東亜共栄圏確立ノ雄渾ナル意図ヲ表象スルニ足ル記念営造計画案ヲ求ム」というものだったという。

丹下案は、その趣旨に見事に適うもので、東京(皇居)から富士山に向かって「大東亜道路」と「大東亜鉄道」を走らせ、富士山東麓を「忠霊神域」にしようという壮大なプランだった。




c0352790_18090366.jpg




大東亜という発想は、丹下の当時の思想とも合致するものだったに違いない。
丹下は建築において、ヨーロッパ・モダニズムをいかに日本的なモノで凌駕するかというテーマを持っていた。





c0352790_18092051.jpg





その一つの答えとして「皇居」と「富士山」という二つの「象徴」を結び、そこに英霊のエネルギーを集中させようと企みた。その中心基地となるのは富士山を借景とした鉄筋コンクリート構造寝殿造りの神殿。富士山は現代とは違った意味を持ってそびえ立っている。






c0352790_18093712.jpg





この丹下の発想は、戦後さまざまな人たちによって提案された富士山麓首都移転計画、あるいは知られざる仲小路彰による山中湖畔地球戦没者慰霊施設の計画、あるいは皇居富士山遷宮計画などとも重なってくる。

これは、富士高天原復興運動ともつながり、時空を超えた「日本的なモノ」のエネルギーのうごめきを感じずにはいられない。

この計画案は、現在では丹下健三流の典型的な様式と簡単に評価できるが、当時としては度胆を抜く壮大な計画案であったろう。
しかし、出雲大社の古い社階段を中心とした壮大な建築群を見ると、古代のスケール感の方がより官能を震わせるものであったのであろう。






c0352790_18095996.jpg





ネパールのルンビニを訪れた際、丹下のマスタープランに基づく整備エリアに身をおきながらも、工事中の壮大な風景には、残念ながらその意図を読み解く力がなかった。






c0352790_18101334.jpg





帰国して足かけ6年がたつ今、あらためて丹下のルンビニマスタープランを読み解いてみたいと、思った。






c0352790_18103124.jpg







☆☆☆GGのつぶやき
丹下健三の偉大さは漠然と知りつつも、意識して読み解いてこなかったことを深く反省している。
広島の地に生きながらも、「大東亜建設記念営造計画」を縮小化させた象徴的な「広島ピースセンター」構想を今一度読み解いてみたいと猛省した。





































































by my8686 | 2018-04-01 18:11 | 気になる建築&空間 | Trackback | Comments(0)

トラックバックURL : https://my8686.exblog.jp/tb/29407080
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。