トマス・ピンチョンと双璧をなす現代アメリカ文学の最高峰といえるフィリップ・ロスが死んだ。
ハロルド・ブルームの言葉を借りれば、現代を代表する米国人小説家の双璧として、コーマック・マッカーシー、ドン・デリーロ、トマス・ピンチョンとこのフィリップ・ロスの4人を挙げることができよう。
あらためて、佐伯泰樹氏の寄稿文を読み解いてみよう。
デビュー以来半世紀以上、つねに第一線にあって、警抜な着想と圧倒的な筆力で読む者を挑発、眩惑、翻弄しつづけてきたフィリップ・ロス。
31冊を数えるフィクションは、いずれ劣らぬ密度の濃い超重量級の問題作揃いとあって、代表作を絞り込むのは至難の業である。
瑞々しくもほろ苦い青春恋愛小説『さようならコロンバス』から出発し、4作目『ポートノイの不満』では一変してユダヤ系エリート青年の赤裸々かつ偽悪的な性遍歴告白。
第5作『われらのギャング』で時の大統領をピエロに仕立て上げたかと思えば、放浪の大リーグ球団に荒野をさまようユダヤ民族の運命を重ね合わせた壮大な怪作『素晴らしいアメリカ野球』を世に問う。
カフカの向こうを張った奇想天外な変身譚もあれば、自画像らしき作家を主人公に読者を虚実転倒の眩暈に誘い込む5連作もある。
更には、あり得たかもしれぬ3通りの人生を並列させた叙述実験に、偽フィリップ・ロスがシオニズムの裏返しを企てて暗躍する異色サスペンス。
ロス流アメリカ戦後史の試みというべき3連作では、アメリカにとっての三つのトラウマ、ベトナム戦争、マッカーシズム、クリントン・スキャンダルに焦点をあて、70代最初の作『プロット・アゲンスト・アメリカ』では、反ユダヤ親ナチの飛行家リンドバーグが1940年の大統領選に勝利するという、トランプ政権誕生の悪夢を先取りしたかのような設定により、アメリカの受難を描破。
その多彩さ、豊穣さは目もくらむばかりである。
そこに共通するのは自己探求と歴史意識。どうしようもなく“男”であり、被抑圧者ユダヤ人であり、物書きである〈私〉とは何なのか。
その答えを模索する過程で、建前、綺麗ごとを徹頭徹尾排除し、露悪的なまでに本音をさらけ出す。
おのが恥部を抉ることすら辞さない。それでいて、決して内面に引きこもることなく、自らが生きてきた時代と真正面から向き合い、それがアメリカにとって、世界にとってどのような意味を持つのか、歴史の大きな流れの中にどう位置づけられるのか、と自問しつつ、営々とフィクションを紡いできたのだ。
トランプ政権が暴走し、自身ついに縁のなかった怪物的権威ノーベル文学賞の選考委員会が迷走するという、まさしくロスの作品世界を地でいくような悲喜劇的状況下で逝くとは……。長年の愛読者として複雑な思いにかられずにはいられない。
☆☆☆GGのつぶやき
暴走するチキンレースと悲喜劇的状況下でフィリップ・ロスの死は、複雑すぎて多層な眩暈さえ覚える。建前、綺麗ごとを徹頭徹尾排除し、露悪的なまでに本音をさらけ出したロスの御伽話も終焉を迎えた。当たり前とされた人の絆も、いまや歪み過ぎて、軋み音さえもしなくなってしまった。