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フッサールの「Noesis―Noema」を読み解く

盆休4日目。今朝も早朝にウォーキングで汗する。筋トレにはならないらしいが、朝の澄んだ空気を吸うことで気分も爽快になる。
歩いたあとは、庭木に散水後、長男のBMWを洗車してやる。暑い夏の朝ならではの軽い全身ストレッチのつもりである。
全身汗したあとの熱いシャワーの快感を身体が覚えているあいだは、躊躇わずできそうである。





それはさておき、本日もフッサールの術語とリヒターノートを読み解いてみよう。



フッサールは、「知覚と知覚対象それ自体は一つになって結合されているものではない」という。




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知覚とパースペクティブなものとして現れる知覚事物とは、「意識とはすべて、何ものかについての意識である」という志向性ゆえに切っても切り離せない関係にある。

この関係をフッサールは、相関関係(Korrelation)と呼ぶ。





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この相関関係のうち、意識の作用的側面は「ノエシス」と呼ばれ、対象的側面は「ノエマ」と呼ばれる。
つまりノエシスとは、意識に現れた感覚的ヒュレー(hyle)(素材)に志向的な意味統一を与えて、ひとつの存在対象の妥当を構成する意識の働きであり、ノエマとはノエシスによって構成された対象性のことである。






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さらに、リヒターの「ノート1992.9.22」を併読してみよう。


ひっかいて剥がす。ここ一年、作品を描くといえば、ひっかいて剥がすことしかできない。
絵具をのせて、またとる。下にあったものを表に出すわけではない。





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もしやり直しのために剥がすということなら、表にでてくるべきもの(具象、記号あるいはパターン)を、つまり、まちがえなければ直接描くこともできた映像を、私は考えておかないといけないだろう。




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また、それは、失われた映像、埋もれた映像を再びみいだすといったような、象徴的な小技になるだろう。
絵の具をのせ、壊し、重ねるプロセスは、絵画を制作するときの微妙な操作に役立つだけである。






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☆☆☆GGのつぶやき
リヒターのアブストラクトと対峙するとき、やはりフッサールの「ノエマとはノエシスによって構成された対象性」に思考が及び。
意識に現れた感覚的ヒュレーに志向的な意味統一という術語が重なる。








































































by my8686 | 2018-08-14 12:18 | フッサールを読み解く | Trackback | Comments(0)