DVD映画「スリー・ビルボード」を観る

三連休2日目の早朝、レンタルしたDVD映画「スリー・ビルボード」を観る。



2017年の米国で公開されたドラマ映画。監督はマーティン・マクドナー、主演はフランシス・マクドーマンド。

第74回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品され、最高賞である金獅子賞こそ逃したものの、マクドナーが脚本賞を受賞するなど高い評価を得た。

また、第90回アカデミー賞では作品賞、脚本賞、作曲賞、編集賞など6部門で計7つのノミネートを受け、主演女優賞(フランシス・マクドーマンド)と助演男優賞(サム・ロックウェル)を受賞している。




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レンタル動機は、アカデミー賞主演女優賞、助演男優賞受賞のゴールド文字と3枚の広告看板の意味に興味が湧いた。



小さな田舎町で繰り広げられる衝撃のクライム・サスペンス。その看板広告(ビルボード)は、嵐の前触れだった——。

アメリカのミズーリ州の田舎町を貫く道路に並ぶ、3枚の広告看板。そこには、地元警察への批判メッセージが書かれていた。




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7カ月前に何者かに娘を殺されたミルドレッドが、何の進展もない捜査状況に腹を立て、警察署長にケンカを売ったのだ。署長を敬愛する部下や、町の人々から抗議を受けるも、一歩も引かないミルドレッド。町中が彼女を敵視するなか、次々と不穏な事件が起こり始め、事態は予想外の方向へと向かい始める……。

娘を殺された母親が選んだのは、道路沿いの看板に怒りのメッセージを掲載することだった。一見すれば突飛な設定だが、本作で描かれているのは、誰しもに起こりうる“可能性”、そして前に進もうと懸命に「もがく」ありのままの“人間”の姿。





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誰も思いつかなかった設定ながら、誰もが共感し、突き動かされる……私たちに眠る“生の感情”を照らし出す本作を、映画のプロも絶賛!という売り出し文句に魅かれた。





さらに、厚木の某ミニシアターの支配人のブログから読み解いてみよう。


映画『スリー・ビルボード』の原題は「Three Billboards Outside Ebbing, Missouri」。タイトルの中に「Missouri」という地名が入っている。

本作の舞台となる町 Ebbingは架空の町だが、Missouriはアメリカの中西部に実在する州。そして、このミズーリ州が舞台になっていることが、『スリー・ビルボード』においてとても重要な意味をもっている。




ポスターの中央にもミズーリ州のカタチがはっきりと刻まれている。



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ミズーリ州は、保守的な気風が漂う田舎町、白人が多く住んでおり、いまだに人種差別が根強く残る地域でもある。丸腰の黒人青年が白人警官に射殺される事件が起き、全米が騒然となった。

その一方で、ミズーリ州に住む白人もまた差別される対象となっている。ミズーリ州の白人の大半は、高所得層や中産階級のエリート層ではなく、低賃金の労働者。アメリカの経済成長から取り残されてしまったミズーリ州の人々は「ヒルビリー」と呼ばれ、蔑まれる存在でもある。

ヒルビリーとは、ミズーリ州やヴァージニア州などの山地(ヒル)に暮らす人々を指す言葉で、そこに住む多くが白人であることから、転じて白人の田舎者を揶揄する言葉となっている。

彼らヒルビリーは、トランプ政権の支持基盤とも言われ、映画では「貧しく劣等感を抱えた存在」としてネガティブに描かれることが多く、西海岸のエリート層であるハリウッドの人々から見れば侮蔑の対象でもある。





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そんな差別を受ける彼らが、リベラルを敵視するトランプ政権を支持するのも、ある意味では当然と言えるのかもしれない。

『スリー・ビルボード』は、ハリウッドが蔑み続けてきた彼らを“人間”として扱っている映画である。ディクソンのような人間もまた、成長し変わり得る存在だと示唆している。

敵対していたはずのミルドレッドとディクソンは、ボタンの掛け違えの果てに、奇妙なカタチで結託する。

2人の出した結論は、ある意味で「白いゴミ」らしい乱暴で身勝手なものかもしれないが、彼らの抱えるやり場のない怒りを端的に表しているのではないだろうか。




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こうしたアメリカリベラルの自己批評的な視点を持った作品を、イギリス出身のマーティン・マクドナー監督が作ったという事実もまたひとつの皮肉に感じられる。

多様性を重んじるハリウッドやリベラルメディアが長年見落としていたものを、この映画は見事にすくい取り、我々に見せてくれた秀作と言ってよかろう。








☆☆☆GGのつぶやき
日本にもかつて「部落」という蔑み続けられた「特異な地域」の「特異な身分制度」があった。猜疑心と穢多根性と社会への反抗心の強い地域の集団である。

その起源は、1877年に勃発した西南戦争まで遡らねばなるない。当時の明治政府の薩摩武士を相手に多額の軍費を使い、不換紙幣を乱発したために起った部落貧困化である。貧困が生む差別意識は、どの国のどの地方にも起こりうる、人間の「負の業」である。














































































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by my8686 | 2018-10-07 23:23 | たかが映画、されど映画 | Trackback | Comments(0)

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