阿弥陀への誘い

1/5(土) N新聞の「アートへの誘い」を眺めていると、ふと「仏像」の姿に感性が触れた。

そういえば、ワイフがネパールで求めた沢山の阿弥陀仏のあることを思い出す。
書斎の書棚にコレクションしている仏像のひとつを取り出して静かに鑑賞してみる。



ネパールのネワール族の手による「阿弥陀仏」である。




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阿弥陀仏については各種の解説があるが、特に「ニッポニカ」の解説が気に入っている。




あらためて、その内容を読み解いてみよう。

大乗仏教における諸仏のなかでもっとも代表的な重要な仏。阿弥陀如来ともいい、略して「弥陀」ともいう。




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この仏の信仰を中心として成立したのが浄土教である。阿弥陀という名は、もとインドにおいてはアミターユスAmityus(無限の寿命をもつ者。無量寿(むりょうじゅ))とアミターバAmitbha(無限の光明をもつ者。無量光)という二つのサンスクリット語で表されていたのであるが、それが中国に伝えられて、どちらも阿弥陀と音写された。

したがって、阿弥陀は単にアミタAmita(無量の意)を音写したものではなく、この二つの原名のいずれにも相当すると考えられている。





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中国、日本では、この阿弥陀と相並んで無量寿という意訳語もよく用いられているが、これは字義どおりにはアミターユスに相当するけれども、実際にはアミターバの訳語として用いられたことも少なくないという。






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阿弥陀仏信仰を主題とする経典としては、『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の「浄土三部経」がある。

『無量寿経』によると、久遠の昔、世自在王仏が出現されたとき、阿弥陀仏は、法蔵比丘という菩薩であったが、無上なる悟りを得ようと発心し、生きとし生ける者を救済するための本願として四十八願をたて、五劫という途方もなく長い間修行を重ね、ついにその誓願と修行を成就して、いまから十劫というはるか以前に仏となった。






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この仏は阿弥陀仏とよばれ、ここより西方の十万億仏土を過ぎた極楽のこと。原語はスカーバティー、「楽のあるところ」の意)という世界(浄土)において、現在も教えを説いているという。

このような阿弥陀仏とその浄土については、このほかにも多くの大乗経典に関説されており、その教えはインドからアジア全域に広く流布した。
とくに中国、日本においては、念仏によって阿弥陀仏の浄土に往生して悟りを得ることを願う教えを浄土門と称し、また他力の教えともよび、仏教の一大系統を形成するに至った。






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浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗などの諸宗派はみなこの系統に属していると言われる。









☆☆☆GGのつぶやき
ネパールのネワール族の手による「仏像」の精緻さに改めて官能が蠢く。
刀賤の理念を表した五条袈裟であろうか、下藤の紋の緻密な細工に、しばし目を奪われる。
「仏像」の精緻な文様を読み解くも、また功徳となろう。































































by my8686 | 2019-01-05 12:06 | ぶらぶらアート観賞 | Trackback | Comments(0)

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