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「国宝・木造十一面観音立像、重要文化財・木造空也上人立像(六波羅蜜寺)」を読み解く

3/30(土) 遠山の頂は薄く霞んではいるが、晴れ間のある土曜日。今年度もいよいよ2日を残すのみとなる。
リタイアした今となっては、「年度末」という切迫した感覚はない。桜の満開を楽しみに待ち望む気持ちのほうが先にくる。


それはさておき、本日も京都の国宝彫刻を読み解いてみよう。


京都市東山区にある真言宗智山派の寺院「六波羅蜜寺」。山号は補陀洛山。本尊は十一面観音。開基は空也。西国三十三所第17番札所。


踊り念仏で知られる市聖「空也」が平安時代中期の天暦5年(951年)に造立した十一面観音を本尊とする道場に由来し、当初西光寺と称した。
空也は疫病の蔓延する当時の京都で、この観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったという。

空也は応和3年(963年)に鴨川岸に僧600名を集め大規模な大般若経供養会を行ったが、この時をもって西光寺の創建とする説もある。当時、鴨川の岸は遺体の捨て場であり、葬送の場であった。

空也の死後、977年に比叡山の僧・中信が中興して天台別院とし、六波羅蜜寺と改称した。





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それ以降天台宗に属したが、桃山時代に真言宗智積院の末寺となり、平安末にはこの付近に、六波羅殿と呼ばれた平清盛ら平家一門の屋敷が営まれた。のちに鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれたのもこの付近であるといわれる。

名称は仏教の教義「六波羅蜜」という語に由来するが、この地を古来「六原」と称したことに由来するとも考えられている。






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ここに安置されている国宝彫刻を観てみよう。





「国宝・木造十一面観音立像」

平安時代。10世紀頃の作風を示し、伝承のとおり、951年に空也が創建した西光寺の本尊像であるとされる。本堂中央の厨子に安置され、12年に一度辰年にのみ開帳される秘仏である。

像高258cmの巨像でありながら、頭・体の根幹部を一材から彫り出す一木造となっている。
表情は温和であり、平安前期彫刻から平安後期の和様彫刻に至る過渡期を代表する作例である。歴史的にも重要な作例として1999年、国宝に指定されている。





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「重要文化財・木造空也上人立像」

鎌倉時代、運慶の四男・康勝の作。僧侶の肖像彫刻は坐像に表すものが多いが、本像はわらじ履きで歩く空也の姿を表している。

疫病が蔓延していた京の街中を、空也が鉦を鳴らし、念仏を唱えながら悪疫退散を祈りつつ歩くさまを迫真の描写力で表現している。
空也は首から鉦を下げ、右手には鉦を叩くための撞木、左手には鹿の角のついた杖をもっている。

空也の口からは6体の阿弥陀仏の小像が吐き出されている。





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6体の阿弥陀仏は「南無阿弥陀仏」の6字を象徴し、念仏を唱えるさまを視覚的に表現している。六体の小像は針金でつながっている。




「御詠歌」

重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば







☆☆☆GGのつぶやき
口から小像を吐き出す姿に不思議な官能の襞の揺れを感じた。
この空也上人の姿を見たいという思いが「六波羅蜜寺」の名前を脳裏に強く刻むことになる。













































by my8686 | 2019-03-30 11:46 | 古都京都の仏像に触れる | Trackback | Comments(0)