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奈良「法隆寺」を読み解く

4/23(火) 暖房器具が邪魔になってきた今日この頃。昼間は半袖Tシャツでも汗ばむようになってきた。
いよいよ明後日に迫った京都行き。そろそろパッキングの準備にとりかからねばなるまい。



それはさておき、奈良定番コースの事前学習の仕上げに入って行こう。


聖徳宗の総本山である「法隆寺」を読み説いてみよう。

奈良県生駒郡斑鳩町にある別名「斑鳩寺」。薬師寺からは南東へ約9.4km、車で約22分の位置にある。

7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。

金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートルで、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。

法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する。





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主だった伽藍と仏像をピックアップして読み解いてみよう。




「金堂」

入母屋造の二重仏堂。桁行五間、梁間四間、二重、初層裳階付。上層には部屋はなく、外観のみである。
堂内は中の間、東の間、西の間に分かれ、それぞれ釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来を本尊として安置されている。


■釈迦三尊像 国宝

止利仏師作の光背銘を有する像で、日本仏教彫刻史の初頭を飾る名作である。図式的な衣文の処理、杏仁形の眼、アルカイックスマイル、太い耳朶、首に三道を刻まない点など、後世の日本の仏像と異なった様式を示し、大陸風が顕著とされる。





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■薬師如来像 国宝

東の間本尊。本像の脇持とされる日光・月光菩薩像は別に保管されるが、作風が異なり、本来一具のものではない。 






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■阿弥陀三尊像 重文

鎌倉時代の慶派の仏師・康勝の作。元来の西の間本尊が中世に盗難にあったため、新たに作られたもの。
両脇侍のうち勢至菩薩像は幕末から明治初期の時代に行方不明になり、現在は、フランス・ギメ美術館蔵となっている。現在金堂にある勢至菩薩像はギメ美術館の像を模して1994年に新たに鋳造されたものである。






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■吉祥天 国宝

中の間本尊釈迦三尊像の左右に立つ、平安時代の木造彩色像。記録(『金堂日記』)から承暦2年(1078年)の作とされる。なお、中の間と西の間の本尊の頭上にある天蓋(重文)も飛鳥時代のものである(東の間の天蓋は鎌倉時代)。






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■四天王像

飛鳥時代。広目天・多聞天像の光背裏刻銘に山口大口費らの作とある。同じ堂内の釈迦三尊像、薬師如来像が銅造であるのに対し、木造彩色である。後世の四天王像と違って、怒りの表情やポーズを表面にあらわさず、邪鬼の上に直立不動の姿勢で立つ。





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「夢殿」

奈良時代の建立の八角円堂。堂内に聖徳太子の等身像とされる救世観音像を安置する。夢殿は天平11年(739年)の法隆寺東院創立を記す『法隆寺東院縁起』の記述からその頃の建築と考えられているが、これを遡る天平9年の『東院資財帳』に「瓦葺八角仏殿一基」の存在が記され、その頃に創立された可能性も考えられている。8世紀末頃には「夢殿」と呼称される。



■観音菩薩立像(救世観音)(国宝)

飛鳥時代、木造。夢殿中央の厨子に安置する。長年秘仏であり、白布に包まれていた像で、明治初期に岡倉覚三(天心)とフェノロサが初めて白布を取り、「発見」した像とされている。

現在も春・秋の一定期間しか開扉されない秘仏である。保存状態が良く当初のものと思われる金箔が多く残る。





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「大宝蔵院」

百済観音像をはじめとする寺宝を公開している。百済観音堂および東宝殿、西宝殿からなる建物で1998年(平成10年)完成した。


■観音菩薩立像(百済観音)(国宝)

飛鳥時代、木造。もとは金堂内陣の裏側に安置されていた。細身で九頭身の特異な像容を示す。和辻哲郎の『古寺巡礼』をはじめ、多くの文芸作品の中で絶賛されてきた著名な像であるが、その伝来や造像の経緯などはほとんど不明である。「百済観音」の通称は近代になってからのもので、明治初期まで寺内では「虚空蔵菩薩像」と呼ばれていた。





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☆☆☆GGのつぶやき
聖徳太子ゆかりの寺院。その歴史の深さに魂が震える。
飛鳥時代に想像をめぐらす時、官能の襞が震え、自然的思考に導かれる。
伽藍と仏像との対面を心待ちにしておこう。





















by my8686 | 2019-04-23 12:02 | 仏像と対峙しつつ | Trackback | Comments(0)