京都ひとり旅を終え、鮮明に残像として残る風景がある。
霊気に誘われるようにして立ち寄った「龍安寺」の石庭も残像として強く残っている。
今回の旅の主目的からは外れる場所ながら、「きぬかけの路」を走るあいだに「ふと」誘われるようにして立ち寄った寺である。
過去に修学旅行で訪れ、その後にも訪れたことのある場所。「石庭」のアブストラクトな空気感がいつも気にはなっていた。
解説される「石隠しの庭」や「虎の子渡し」説、「七五三の庭」説もなんとなく説明を聞きながら、腑に落ちないものを感じていた。
ガイドの説明する「エリザベス2世が絶賛したことで、見物客が激増した」という話も、何をどう絶賛したのかが不明のまま消化不良を起こしていたのである。
今回旅を終え、気になった著作がある。細野 透著「謎深き庭─龍安寺石庭」。
古今東西、優れた賢者の謎解きを楽しむことのできるミステリー本といっても良い。
この中で今一番気になったのが、ジョン・ケージの破天荒な「楽譜」説である。
正解の解らぬ謎解きならば、ここまで遊んでしまったジョン・ケージの破天荒さに乗ってしまわぬ理由はない。
あらためて、その内容を読み解いてみよう。
1983年の作品『Ryoanji』は、Cageが京都の名刹、大雲山龍安寺に感銘を受けて作られた曲。
龍安寺 石庭の15個の石が5か所に配置された構成を模し、5つの音符が様々に配置されている。
演奏の中には、打楽器と声が組み合わされたバージョンもあり、幽玄な雰囲気と、ピリッとした緊張感が、場の空気を一変させる仕掛けになっているという。
いい意味で期待を裏切る作曲といえよう。
☆☆☆GGのつぶやき
ジョン・ケージをも虜にした龍安寺の石庭。
人を惹きつける不思議な魅力がある。
あの抽象的宇宙空間に人は何を見るのであろうか。
瞬間的に理解できない不可思議な意味のない透間。
その無意味さに意味を求めてしまう。
「理屈に縛られるな」とでも言いたそうである。