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オクタヴィオ・パスを経て「スラヴォイ・ジジェク」を読み解く

古希を前にして、今まで知る術も道筋もなかった哲学者「スラヴォイ・ジジェク」。


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オクタヴィオ・パスの『弓と竪琴』から受けた衝撃を「埋まらない半導体のようなもの」と表現した松岡正剛。

彼がその衝撃のあと熱心に読んだというエドワード・サイードやスラヴォイ・ジジェク。
それでもパスの示しうるヒントの衝撃は、実感と思索のアマルガメーションをおこし、満たされることがなかったと吐露している。

サイードについては、彼の本からの引用を語ったゴダールの映画「イメージの本」で承知できているのだが、ジジェクについては初見となる。


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あらためて、スラヴォイ・ジジェクを読み解いてみよう。


まずは、概要から読んでみよう。

スラヴォイ・ジジェク(1949年3月21日 - )は、スロベニアの哲学者である。

リュブリャナ大学で哲学を学び、1981年、同大学院で博士号を取得。

1985年、パリ第8大学のジャック=アラン・ミレール(ジャック・ラカンの娘婿にして正統後継者)のもとで精神分析を学び、博士号取得。現在はリュブリャナ大学社会学研究所教授。

難解で知られるラカン派精神分析学を映画やオペラや社会問題に適用してみせ、一躍現代思想界の寵児となった。
しかし、多産な業績の割にはワンパターンとの評もあるという。

独特のユーモアある語り口のため読みやすいようにも見えるが、実際にジジェクの思想に触れるには、彼がラカンを使って後々対峙することになった対象として、ベースにあるドイツ観念論の伝統や、その延長線上にあるマルクスの議論(『ドイツ・イデオロギー』に啓発された『イデオロギーの崇高な対象』をはじめとする全般)についてある程度の知識が必要となる。


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それがあれば、彼を通じてラカンがわかるようになるという仕組みと言われる。

2004年には柄谷行人の著作『トランスクリティーク──カントとマルクス』に関する評論をNew Left Reviewに載せて話題になった。
政治的な立場としては、とくに2000年以降、議会制民主主義の限界を指摘し、反資本主義や「レーニン主義」への回帰を主張する著述が目立つ。

2001年の9.11同時多発テロと2008年の金融大崩壊を論じている。

「コミュニズム」の復権を唱えた『ポストモダンの共産主義──はじめは悲劇として、二度めは笑劇として』においても、アジア型価値観をもつ資本主義・エリートによる独裁資本主義(中国、日本)を事例に、資本主義と民主主義との必然的な結びつきを否定。


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プロレタリア独裁によって人類の物質的生存条件(農業、資源、環境)や情報テクノロジーなどの一般知性、すなわちネグリ/ハートがマルクスに参照して言うところの「コモンズ」(共有財)を資本による私有から奪回し、連帯した労働者階級に取り戻すことを唱えている。


松岡正剛がスラヴォイ・ジジェクの『斜めから見る』について面白い見解を記している。

「ジジェクは、得意のヒッチコックやスティーヴン・キングやフィルム・ノワールをとりあげ、これらをことごとくジャック・ラカンの理論的モチーフで解読するというアクロバティックな芸当を見せている。」

「逆からみれば、ラカン理論をことごとく大衆文化の現象の淵にのせて次々に切り刻んだといってもよい。」

「これはかつてウォルター・ベンヤミンがモーツァルトの『魔笛』を、同時代のカントの著作から拾った結婚に関する記述のすべてで解いてみせた痛快な試みの踏襲であって、ぼくからみると、もっと多くの領域を跨いで試みられてきてもよかったとおもえる「方法の思想」の表明の仕方だった。」

「なかなかジジェクという男はやるものだとおもった。ジジェク自身はこの方法を30ページごとにいろいろの名でよんでいるが、わかりやすくは『アナモルフィック・リーディング』(漸進的解読)などともなっている。」と語っている。


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さらに、『仮想化しきれない残余』では、「相似律」の展開に触れ、「ジジェクのように、この方法を熟知しているだけでなく、その方法そのものの思想的過熱に異様な能力を発揮する男もいるものなのだ。これはこれで驚いた。」と驚嘆している。

そして、ジジェクがラカンを借りて、「主体というものは、実在の正の場を正の実体と誤って認識してしまうものだが、実はそこには“負の大きさ”によって補足されている作用がおこっていると考えるべきである。」と語ったことに対し、どんな社会的な相互作用にも心理的な相互作用にも、何らかの「負」が介在しているはずだということを見抜いてくれたと語る。


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しかもこの「負」は、ときに「割り切れない残余」にもなれば、別の場での「発現」にもなるし、また、ある者には「過活動」にも見えるものであり、それでいてそれはすでに必ずや「負への引き込み」を果たしているがゆえに、どんな正の主張や成果よりも、より奥にあるものとしての、より本来的な響きを、さまざまな場面で奏でつづけると、喝破したことに、スロヴェニアの鬼才スラヴォイ・ジジェクが、こんな「負な話」を各処にひそかに隠しもっていたことに狂喜している。



☆☆☆GGのつぶやき
ジジェクを理解するには、ドイツ観念論からラカンまでを読み解かねばなるまい。
ただ、ラカンに関しては、ドゥルーズ&ガタリらポストモダンの哲学者からは、理論も振舞いも父権的であるとして、痛烈な批判を受けていることも承知しておかなければなるまい。


追伸的追記

多作なスラヴォイ・ジジェクについては、何から読むかが問題でもある。

その順番に正解はないのだが、年代順に丁寧に読みすすむ方法もあるが、そんな悠長に構えている時間はない。
「多産な業績の割にはワンパターン」との悪評もあるから選択には注意がいる。



まずは、松岡正剛が千夜千冊でとりあげた下記の三冊から追体験するのも良かろう。

『幻想の感染』松浦俊輔訳/青土社、1999年

『斜めから見る――大衆文化を通してラカン理論へ』鈴木晶訳/青土社、1995年

『仮想化しきれない残余』松浦俊輔訳/青土社、1997年


次に訳者で選ぶならば、松岡も「ジジェクを訳してこれが3冊目の訳者の日本語も、かなりこなれてきていて(形代・定め・享意・勢力といった訳語をうまくつかっている)、そのためか、そうか、ジジェクはこういう趣向を好んでいたのかということを行間に触知することもできた。」と認めている松浦俊輔の訳本からチョイスするも良かろう。 


『快楽の転移』松浦俊輔、小野木明恵訳/青土社、1996年

『信じるということ』松浦俊輔訳/産業図書、2003年




さらに、興味が持続するならば、2010年度以降の最新版から先に読む手もある。


『絶望する勇気――グローバル資本主義・原理主義・ポピュリズム』中山徹・鈴木英明訳/青土社、2018年

『事件!――哲学とは何か』鈴木晶訳/河出書房新社、2015年

『もっとも崇高なヒステリー者――ラカンと読むヘーゲル』鈴木國文、古橋忠晃、菅原誠一訳/みすず書房、2016年

『ジジェク、革命を語る――不可能なことを求めよ』パク・ヨンジュン編、中山徹訳/青土社、2014年

『大義を忘れるな――革命・テロ・反資本主義』中山徹、鈴木英明訳/青土社、2010年

『ポストモダンの共産主義――はじめは悲劇として、二度めは笑劇として』栗原百代訳/筑摩書房、2010年



気になるテーマ、感性の襞を震わせる本から読み進むのが自然ではある。

今の時代観、閉塞化する世界観の中で、今読むべき一冊との出会いの旅に旅立とう。



by my8686 | 2019-07-22 16:21 | 気になる本 | Comments(0)