福島県の旅から少し道草して、感性のおもむくまま官能の共振現象をもとめて「シミュレーションの旅」を続けている。
気がつけば、ダニエル・リベスキンドのヴォイドの深みに填ってしまったようだ。
本日は「Felix Nussbaum House / Museum of Cultural History」を探訪してみよう。
美術館は、交差する3つの「ボリューム」で構成されている。
三角形の三辺を微妙にずらして配置されている。
その一辺は「ヌスバウム通路」と呼ばれ、狭く垂直的な空間で、宙に浮いた一辺は2階部分で既存の博物館に連結し、もう一つの幅の広い一辺が本体になっている。
この美術館への動線こそが、リベスキンドが設計に込めたコンセプトの根幹なのだ。
この動線は、画家フェリックス・ヌスバウムの人生に重ねあわされている。
来館者の意識内にヌスバウムの画歴とユダヤ迫害の歴史を刻みこむ意図が伝わってくる。
動線に沿って、彼の意図を読み解いていこう。
「ヌスバウム通路」の横手に入口が見えてくる。
この通路から本館に歩くと、オスナブリュックでのかつてのユダヤ人たちの活気ある生活から失われたシナゴーグの翳の部分が暗示されてくる。
本館1階のオープンスペースは、企画展などが開催される場であり、2階のヌスバウムの劇的な作品群へのプロローグとなる。
オスナブリュックの歴史的作品のコンテクストに、ヌスバウムの作品群を位置づける意図が透けてくる。
2階の展示通路は不完全な形で終わり、斜めに貫入する宙に浮いたヌスバウム橋へと導かれる。これはナチスからの逃亡と抵抗を意図しているという。
ヌスバウム橋は、不屈の精神と芸術の普遍性が賦活化されている。
この橋は、既存の博物館の2階部分の一部を変形させることで、過去と未来の出会いと記憶の蘇生がデザインされている。
「出口なき美術館」とは、迷い込む美術館ではなく、ヌスバウムの閉塞された人生と同時に、来館者の一回性だけの体感を否定し、意識の中に刻みこまれることが意図されているようだ。
ダニエル・リベスキンドがこの美術館設計について「出口なき美術館」と題してコンセプトを記している。
あらためて、その内容を読み解いてみよう。
「出口なき美術館」
数百万人にのぼる抹殺されたユダヤ人の名前と失われた作品の中から、フェリックス・ヌスバウムの名前と作品が意識に上ったのは、幸福な偶然とオスナブリュック市の断固たる意志のおかげにほかならない。
ヌスバウムが生涯に遺した芸術を収める美術館を建設するという課題は、単なる建築の問題ではなく、きわめて道徳的な問題を提起する。
したがって私は、ナチス第三帝国によるユダヤ文化の永久破壊を、ただ記憶に刻むという観点からのみ扱ってはならないと考える。
ヨーロッパにおけるユダヤ民族の消滅を目撃し、生き延びた人々は、いま次々に亡くなり、消え去ろうとしている。
☆☆☆GGのつぶやき
「Felix Nussbaum House / Museum of Cultural History」を探訪しつつ、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。