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フッサール「純粋意識」+リヒター「写真論」に余剰を読み解く

寒さは和らぎながらもガスっぽい朝をむかえた日曜日。

昨夕、WI-HI発信機の場所を移動させてみる。先々週あたりから寝室でのタブレットの受信状態が極端に悪化。
寒さのせいばかりではあるまいと、ネット情報で設置高さと電波障害をおこす物品類をつきとめる。
現行のコード長さの範囲内でベストの位置へ移動。PCデスク面から約1.2M上の壁面に設置してみる。想像以上に感度が改善される。
これだけのことだが、とても幸せな気分に浸ってしまった。



それはさておき、今朝はフッサールの「純粋意識」とリヒターの「写真論」を併読してみよう。




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「現象学的還元」で自然的態度(naturalistische Einstellung)にエポケーを施し、ドクサを取り払ったあと、そこには果たして何が残るのだろうか。
フッサールによればそれは「純粋意識」であるという。





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ではこの純粋意識とはいかなるものなのであろうか。


フッサールのこの「純粋意識」とは、一切のものを疑ってもなおそこに残った唯一確実なものという点において、デカルトのコギト(cogito)と類似するものであるが、ある一点においてまったくその性質を異にしている。





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というのは、デカルトにおけるコギトとは実在するものとして考えられているが、フッサールのいう「純粋意識」とは人間の経験や世界像一般を可能にする第一の原理という意味であり、それ以上でも以下でもない。

したがって、ここでは「純粋意識」が実在するものであるということは含意されていない。





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ここでリヒターの「ノート 1964~1965」から気になる言葉を読み解いてみよう。


人やものをデッサンするときは、プロポーションや正確さ、抽象やデフォルメといったことに意識的になってしまう。
写真を描きうつせば、そんな意識は遮断される。自分のしていることがわからない。





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私の仕事は、「レアリスム」よりもずっとアンフォルメルに近い。写真には、ある独特の抽象性があって、それを見抜くことはそう簡単ではない。







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写真とは、今日だれでもが信じているもの、つまり「普通のもの」である。






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その、普通だと思っているものが、あとから「普通でないもの」になると、その効果はベーコンやダリの作品のデフォルメよりも、はるかに強烈なのだ。






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そこで人は突然不安を覚えるのである。









☆☆☆GGのつぶやき
普通だと思っているものが、あとから「普通でないもの」になる。
人間の経験や世界像一般を可能にする第一の原理という認識。
特定されない、それでいて独特の抽象性に、なぜか魅かれる。




















































































by my8686 | 2018-02-25 10:54 | ぶらぶらアート観賞 | Trackback | Comments(0)