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フッサールの「cogitatio―cogitatum」+リヒターの「ノート1988」を読み解く

第23回冬季オリンピック競技平昌大会も幕を閉じた。
7競技で史上最多の102種目が行われ、日本は13個(金4、銀5、銅4)のメダルを獲得。
自国開催だった1998年長野大会の10個を上回り、史上最多となった。次回の2022年冬季大会は、中国の首都・北京で開かれる。
20年7月からは東京で夏季大会が行われる。




それはさておき、本日もフッサールの「意識―意識作用―意識内容」について読み解いてみよう。

フッサールは、知覚(Wahrnehmung)と知覚事物それ自体とは一つになって結合されているということはないという。




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■コギト―コギタチオ(cogitatio)―コギタートゥム(cogitatum)(意識―意識作用―意識内容)


これは、私がここに「机がある」と知覚したときの「机」とは、実際そこにある机そのもの全体を知覚したものではないということである。



例えば私は机を知覚する。



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しかし、その机の裏側がどうなっているかまでは知覚しない。つまり、知覚は我々に対して、知覚事物のある一面を様々に異なった相で射映する(Abschattung)(与える)にすぎない。

このように、フッサールによれば事物は一定のパースペクティブからしか与えられず、彼はまた、この射映によって現れることを現出(Erscheinung)と呼んだ。






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ところで我々は、ここに「机がある」と知覚するとき、それを様々に異なった別々の机だとは知覚せずに一つの机であると知覚する。


それは、フッサールによればおよそ次のような仕組みになっている。





我々は机のあらゆる相を知覚する(コギト)。



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この連続的に与えられる(コギタチオ)机の相を、意識が瞬時に統一して、ここに「一つの机がある」という知覚(コギタートゥム)に至る。






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我々は「机そのもの」を知覚したかのように感じていても、現実的知覚としては現に意識に与えられているとはいい難い。






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したがって、この行程には少なからず「ドクサ」が含まれていることに我々は注意せねばならない。




さらに、リヒターのノート1988を併読してみよう。


芸術は悲惨で、シニカルで、愚かで、救いがなく、人を混乱させる・・・・・
我々の精神的乏しさの鏡、みすてられ、喪失してしまった我々を映している。
偉大な理想、ユートピア、あらゆる信念、意味を生みだしてくれるすべてのものを我々は失った。




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芸術の悲惨を、社会的に条件づけられたものとしてみなすこと、つまり芸術の悲惨とは、芸術の特徴であり、芸術に使命と内容をあたえる一般条件とすることを、当然拒否してきた。
いつも、構築的で古典的に正しいものをつくれないのは、自分の個人的な無力のせいだと思ってきた。






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☆☆☆GGのつぶやき
リヒターの悲壮感と対峙するとき、やはり、フッサールの「意識―意識作用―意識内容」の行程を注意しなければなるまい。
































































































by my8686 | 2018-02-26 13:23 | フッサールを読み解く | Trackback | Comments(0)