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京都ひとり旅残像「三十三間堂-1001体千手観音像」

京都ひとり旅を終え、鮮明に残像として残る風景がある。


今回の旅の主目的が「仏像・立体曼荼羅探訪」である。その目的から最も印象に残るのが「三十三間堂-1001体千手観音像」である。

伽藍全体の宇宙的表現と1001体という数の迫力に圧倒されてしまう。





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観て行く中で「なぜこれほどまでの1000体もの仏像を作ろうという考えに至ったのか」という素朴な疑問である。

調べれば、千手観音には40本の手があり、1本に25の救いが働いていると言われている。つまり40×25で1000の救いがあると考えたという。
後白河法皇は、この千の手によって無数の救いを願い、千体を作ったと伝えられている。

1000体の中で124体は、創建時代の平安期の尊像。その他は、鎌倉期に造られその約500体には作者名が残されているという。
運慶、快慶などの慶派をはじめ、国家的規模で仏像を作ったと考えられている。

伝承では、後白河上皇は長年頭痛に悩まされていたという。

熊野参詣の折にその旨を祈願すると、熊野権現から「洛陽因幡堂の薬師如来に祈れ」とお告げがあり、因幡堂に参詣すると、上皇の夢に僧が現れ「上皇の前世は熊野の蓮華坊という僧侶で、仏道修行の功徳によって天皇に生まれ変わったという。しかし、その蓮華坊の髑髏が岩田川の底に沈んでいて、その目穴から柳が生え、風が吹くと髑髏が動くので上皇の頭が痛むのである」と告げたという。

上皇が岩田川(現在の富田川)を調べさせるとお告げの通りであったので、三十三間堂の千手観音の中に髑髏を納め、柳の木を梁に使ったところ、上皇の頭痛は治ったという。

「蓮華王院」という名前は前世の蓮華坊の名から取ったものであり、この伝承により「頭痛封じの寺」として崇敬を受けるようになり、「頭痛山平癒寺」とも俗称されたという。





堂内中央には、鎌倉時代の仏師湛慶作の本尊千手観音坐像が安置されている。本尊の左右には長大な階段状の仏壇があり、左右の仏壇に各500体の千手観音立像が10段50列に並ぶ。

千手観音立像は本尊の背後にもう1体あり、計1,001体となる。2018年に国宝指定を記念し博物館に寄託の像が堂に戻り、今回1,001体が勢ぞろいしている。






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国宝の木造千手観音坐像は、寄木造、漆箔、玉眼。十一面四十二臂に表す通有の千手観音像である。





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像本体の高さは334.8センチ、台座や光背を含めた全体の高さは7メートルを超える。台座心棒の墨書から、作者は大仏師法印湛慶、小仏師法眼康円および小仏師法眼康清であり、建長3年(1251年)に造り始め、同6年(1254年)に完成したとされる。


木造千手観音立像は、寄木造または割矧ぎ造、漆箔。像高は166 - 167cm前後。






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千手観音立像には1体ずつ番号が振られており、堂内南端(本尊に向かって左端)の最上段が1号像、南端の最下段が10号像、堂内北端(本尊に向かって右端)の最上段が991号像、北端の最下段が1000号像、本尊背後に立つ1体が1001号像である。

昭和戦前期には、南側から入堂し北側へ抜ける拝観順路であったため、南から北へと番号が振られている。





■主要仏師

慶派 - 康円(50号像など6体)、行快(490号像1体のみ)

円派 - 隆円(500号像など35体)、昌円(6体)、栄円(5体)、勢円(8体)

院派 - 院継(400号像など14体)、院遍(7体)、院承(30体)、院恵(30体)、院豪(28体)、院賀(11体)








☆☆☆GGのつぶやき
木造千手観音坐像を中心とする立体曼荼羅が構成されている。
その壮大な宇宙的空間に官能が沸騰しつつも和に癒されていく。
この三十三間堂に安置された仏像群を読み解くことで曼荼羅の真理に触れることになるのであろう。


















































by my8686 | 2019-05-07 19:28 | 度々の旅 | Trackback | Comments(0)