人気ブログランキング |

「CAR GRAPHICの誕生と小林彰太郎」企画展を読み解く

名古屋で開催されている「CAR GRAPHICの誕生と小林彰太郎」企画展を読み解いてみよう。




c0352790_16115819.jpg




録画した「CG-TV」でその情報を知る。
開催期日が9/1までなのだが、どうやら行けそうにない。





あらためて、関連記事を読み解いてみよう。

開催場所は、名古屋市名東区にある小さな自動車博物館「アウト ガレリア ルーチェ」。
こうした場所が誕生する下地を築いたのも、「小林彰太郎」という偉大な先人の努力の賜物といえよう。





c0352790_16123250.jpg




戦後日本に自動車ジャーナリズムを創出し位置づけたパイオニアと評される。

歴史や技術を踏まえた上で、自身の経験を通して執筆される味わいある文章は、単なる評論の域を超え、イギリス流の自動車趣味や海外の自動車事情・文化・歴史を紹介、アマチュアリズムをもつプロのジャーナリストを実践したことでも知られる。

黎明期の日本のモータスポーツの普及発展においても、日本国外レースの記事執筆や、指南書(ポール・フレール著『ハイスピードドライビング』)の翻訳を通じて大きな役割を果たしている。

日本の自動車に技術面、文化面から与えた影響はあまりに大きく、孤高のダンディズムを貫いたその姿勢においても「畏敬の念」さえ抱かせる。
また、自ら手を汚して古い車を修理して乗りこなす「エンスジャジスト」でもあった。





企画展に展示された氏が所有したという5台のクルマ達をみてみよう。



■Austin Seven Tourer/1928

1922年から1939年にかけてイギリスのオースチンが生産した小型乗用車。

小林彰太郎が大使館でのアルバイト代で初めて手に入れたクルマである。修理工場の軒先を借りて、自分でエンジンも足回りも組み直し、乗っては修理の繰り返しで、自動車エンジニアリングの基礎を身につけたといわれ、終生「7」への敬意と愛着は続いたという。

「その名を聞いただけでも、僕は心の片隅が疼くほどの愛着を、この小さな車に対して今も抱き続けている。」

名称は当時のイギリスにおける課税馬力数値「7.h.p」相当であることによるもので、一般には単に「7」と呼ばれた。

累計生産台数は29万台で、米国でのフォード・モデルT(1908年-1927年の間に約1,500万台を生産)ほどの膨大な生産スケールではなかったが、英国において小型大衆車の大量生産を成功させたことで、英国自動車史に与えた影響は大きい。





c0352790_16131030.jpg






■LANCIA LAMBDA/1924

小林彰太郎が最も愛した車である。

「もしたった1台の車しか持てないとしたら、僕は躊躇なくランチア・ラムダを選ぶ。僕にとってこれほど操縦して面白く1個の機械としても興味深い車はないのである。」

1922年から1931年までイタリアのランチアが製造した中型乗用車。

乗用車の分野においてモノコック構造を世界で初めて採用し、量産型の四輪乗用車で世界初となる前輪独立懸架を採用。
その先駆的な技術はその後の自動車工学に影響を与えた。

前輪には、コイル支持のスライディングピラー式独立懸架が採用された。

エンジンは軽合金製ブロックでSOHCの狭角V型4気筒エンジンが採用された。
直列エンジンにスペースを取られてボンネットを長くしていた同クラスの競合各車よりも軽量化され、搭載位置の自由度も高まることになった。





c0352790_16135183.jpg







■BUGATTI TYPE23/1926

1910年から1920年まで伝説のスポーツカーメーカー「ブガッティ」で生産された。

小林彰太郎がやっとの思いで手に入れた古いBUGATTI TYPE23。ラジエターグリルをピカールで磨くことから始めたという車である。

ブガッティの創始者、エットーレ・ブガッティは1881年、イタリア・ミラノの芸術家一族の家に生まれ、若くして多くの自動車のエンジンの設計に携わった。

1909年自動車会社を設立し、自ら自動車の設計を始めるようになり、高級クラスの市販車とグランプリレースで活躍し、知名度をあげた。




c0352790_16141741.jpg






■MG TC/1949

アメリカ兵が乗っていたこの車両を見て以来、小林彰太郎にとって見果てぬ夢のスポーツカーだった。

神戸のオーナーから、友人と共同オーナーで購入し、一週間毎に互いにドライブを楽しんだという。

1936年、量産車モーリスのパーツを使用して販売されたMGミジェット・Tシリーズ。安価でありながら本格的な味わいを持ったスポーツカーとして人気を博した。

その後、数多く誕生する英国製ライトウェイト・スポーツカーの先駆けとなる。第2次世界大戦後、ヨーロッパに駐留したアメリカ兵が欧州製スポーツカーの軽快さに魅せられ、その後アメリカでスポーツカーブームが起き、このタイプTCは戦前型であるTBのコックピットを拡大して居住性を向上させたモデル。

後継のTD,TFを含め生産車の多くが輸出され、アメリカのみならず世界中にスポーツカーの楽しさを伝えた。





c0352790_16145399.jpg






■RILEY BROOKLANDS 9/1928

「どんな古い車でも、きちんと直して乗らなければ意味がない。できればレースやラリーにも使いたい。」

小林彰太郎が初めて英国に渡って学んだ哲学であった。

1926年から1938年までの幅広いボディスタイルを使用して、英国ライリーで製造されたスポーツカー。

1,087 cc4気筒エンジンは、クロスフローヘッドでバルブが45度に傾斜した半球状の燃焼室を備えている。
スポーツ版のライリーインプは1933年から1935年に製造され、特にアルスターラリーで成功した後、高い評判を得た。





c0352790_16153064.jpg









☆☆☆GGのつぶやき
根っからの車好きの小林彰太郎の哲学と美学に官能が疼く。
孤高のダンディズムとも評価された小林彰太郎の生きざまにも興味と憧れを覚える。
ご存命の時に逢いたかった「人」でもある。

















































by my8686 | 2019-08-15 16:15 | 気になるクルマの話題 | Trackback | Comments(0)