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カテゴリ:たかが映画、されど映画( 105 )

DVD映画「ロープ 戦場の生命線」を観る

昨日は、レンタルしたDVD映画「ロープ 戦場の生命線」を観る。

動機は、2015年のカンヌ国際映画祭・監督週間正式出品作であること。「ポーダー・ライン」にも出演しているベニチオ・デル・トロの主演作という2点である。

主演のトロは、本作でサラエヴォ映画祭・生涯功労賞を受賞している。説得力のある存在感が主演関連作を観たいと思わせる。




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民族紛争の不条理に向き合う支援活動家らの一日を「パンク精神」で活写した映画。

原作は、「国境なき医師団」に所属する医師でもあるスペイン人作家パウラ・ファリスの小説「Dejarse llover」(雨を降らせて)。
スペイン版アカデミー賞と称されるゴヤ賞の常連だという。

監督・脚本は、フェルナンド・レオン・デ・アラノア。




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ストーリーは、いたってシンプルである。

1995年、ボスニア紛争停戦直後のバルカン半島の山岳地帯。「国境なき水と衛生管理団」は死体を引き上げようとするが、古くてボロボロのロープは重みで切れてしまう。彼らは新しいロープを求め、あちこちに地雷が埋まる危険地帯を車で走り回ることになる・・・。

しかし、その活動を通して教えられるのは、昨日まで軒を並べて仲良く暮らしていたのに、ある日を境に民族が違うから宗教が違うからと憎み合い、殺し合う。民族紛争の不条理そのものだ。

本作の主眼は、最前線の極限の緊張感でも、敵味方に分かれて殺傷し合う理不尽さでもない。自らの意志で危険が残る地域に赴き、助けが必要な人々のために、やるべきことを実行する活動家たちの姿を描ききること。





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フリーライター高森郁哉は、次のように語る。

「勇壮な戦いや人命救助に比べると地味な活動だが、彼らのような存在によって世界は昨日より少し居心地のいい場所になることを教えてくれる。」


サウンドトラックが良い。
「スウィート・ドリームス」のマリリン・マンソンによるカバー、「花はどこへ行った」のマレーネ・ディートリヒによるカバーなどが、戦争の愚劣さを諭すように静かに流れる。

ルー・リードの「ゼア・イズ・ノー・タイム」に関連して、監督は「(本作は)音楽で例えるならパンクロック。パンクは気骨があって、時間と闘っている」「(活動家にも)悲愴感に浸る時間も、同情して泣く時間もない。あるのは行動する時間だけなのだ」と語っている。





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☆☆☆GGのつぶやき
「昨日より少し居心地のいい場所」にするその真摯な姿勢に尊敬の念を覚える。
8/22は、ワイフのバースデー記念にH.G.Pホテルに一泊し、スパリゾートに浸る予定でいる。
そのため、早朝に起き出しこのBLGを更新している。
親愛なる、ワイフに!!






























































by my8686 | 2019-08-22 04:44 | たかが映画、されど映画 | Trackback | Comments(0)

DVD映画「ボーダーライン: ソルジャーズ・デイ」を観る

昨日は、レンタルしたDVD映画「ボーダーライン: ソルジャーズ・デイ」を観る。

動機は、映画「ウィンド・リバー」のテイラー・シェリダンの脚本という理由からである。骨太なシリアス感が気に入っている。




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■あらすじ

アメリカ合衆国カンザスの商業施設で自爆テロが起こり、大勢の民間人が犠牲となる。アメリカ合衆国国土安全保障省は、テロ実行犯らがメキシコの麻薬カルテルの助けを得てアメリカに不法入国したという仮説を立て、CIAのマット・グレイヴァ―にカルテル殲滅を依頼する。グレイヴァーは、カルテルに家族を殺害されたコロンビアの元検察官、アレハンドロ・ギリックをリクルートし、あらゆる策を使ってカルテル殲滅のための作戦を展開する。





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カルテル同士の抗争を誘発するため、アレハンドロはあるカルテルのリーダーの娘イザベルを拉致し、敵対する別のカルテルの仕業であるかのように犯行を偽装する。 テキサスでイザベルの救出劇を偽装した後、マット、アレハンドロと隊員達は彼女をメキシコに連れ帰るが、その途中メキシコ連邦警察から奇襲攻撃を受け、銃撃戦が起こる。マット達は連邦警察の警察官等を全員射殺する。この騒動の中、イザベルは車両から抜け出し脇道に隠れる。アレハンドロはイザベルを探すため単身でグループを離れる。






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アメリカに戻ったマットは、メキシコ政府がCIAの偽造工作を察知していること、カンザスでの自爆テロの実行犯はメキシコの麻薬カルテルとは無関係だったことを知らされる。メキシコとの関係悪化を恐れたアメリカ合衆国大統領は作戦の中止を命令する。マットはアレハンドロと衛星電話を通じて交信し、作戦の証人であるイザベルを抹殺するよう命じる。アレハンドロがこれを拒否したため、マットはアレハンドロ、イザベル両者を始末するため、再びメキシコに入国する。





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アレハンドロはマットの逆手を突き、イザベルをアメリカに密入国させようとする。アレハンドロとイザベルは国境付近の町でメキシコのギャング団に捕まり、アレハンドロは顔を撃たれ倒れる。イザベルを拉致したギャング団は車で移動するが、監視衛星で彼らの動きをつかんでいたマットと彼のチームがギャングを全滅させイザベルを救出する。イザベルに同情したマットは彼女をアメリカに連れ帰り証人保護プログラムで保護することにする。

1年後、顔に大きな傷跡がある男(アレハンドロ)がメキシコのショッピングモールに現れる場面で物語の幕が閉じる。





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☆☆☆GGのつぶやき
2015年の映画『ボーダーライン』(Sicario)のスピンオフ版である。
惹きつける骨太感が官能を騒がす。
2015年版も観てみたいと思った。





by my8686 | 2019-08-21 18:32 | たかが映画、されど映画 | Trackback | Comments(0)

DVD映画「イージー・ライダー」を観る

昨日は、3度目となるDVD映画「イージー・ライダー」をレンタルした。




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動機は、ピーター・フォンダの死亡ニュース。理由は、いたってシンプルだ。




20歳の時、劇場で観た世代としては、懐かしくもあり、「今、もう一度観直すことで、何を感じるのか」という興味からでもある。

いままで数回は観直しているはずなのだが、映画の半分以上のシーンは、忘れてしまっている。こんなシーンもあったのか・・・という新鮮な発見もある。

チョッパーハーレーにまたがって大地を疾走する爽快感だけが残像として残っている。






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しかし、デニス・ホッパーのあの長髪とグラサンは、正直「鬱陶しい」。眼の表情が読めないことに、これほどイラつくとは想像しなかった。

それにしても、ピーター・フォンダのあの「抗いつつも醒めた眼差し」は、どこから来るのか。
始終無口で多くを語らない。しかし、アメリカの現実に何か嫌気が指していることだけは、読み取れる。


こうした「体制に抗った眼差し」をする若者は、あの当時は確かに多かった。今では珍しいタイプかもしれない。
「何か諦めに近い醒めた眼差し」というか、スマホばかり弄って下ばかり向いた連中しか見なくなったのは確かだ。

何かに抗う「理由のない怒り」のような眼差しは、少なくなったと思う。






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腕時計を投げ捨て旅立つ。時間や理不尽な抑圧などに縛られない「自由」を求めた旅立ちなのか。

コカインの密輸で大金を手にした二人が向かうのは、バージニアで開催される謝肉祭。


「彼らはアメリカ(自由)を見つけに旅に出た。しかし、そんなものはどこにもなかった」


この映画のテーマである。





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あるのは、人種差別と人格差別。驚くのは、よそ者を素直に受け入れようとしない、屈折した感情と心の傷を持つ南部人の陰湿性。

その背景にあるのは、州の自治権を主張する「共和主義」と連邦政府の権限の拡大を求める「連邦主義」の長い対立の歴史だろう。
そして、南北戦争に至った南部の封建主義と北部の資本主義との対立。どちらも各々の「自由」を主張したまま、融合することは決してなかった。

抑圧に抗い、南部の奴隷制の廃止を支持したホイットマンでさえ、南北戦争の勝者である「北部の支配」は別の形の抑圧に他ならなかった。




この映画が製作された1969年は、ベトナム反戦や学生運動が激化していった年でもある。

当時、アメリカの二つの自由精神の葛藤を見事に描き出した映画だと賞賛された。




映画の中で、ジャック・ニコルソン演じるアル中の弁護士に語らせる次のセリフが印象に残る。





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「自由を説くことと、自由であることは違う。誰もが自由を語るが、自由な人間を見ることが怖いんだ。」

「(人々は)君らを怖がっているんじゃないよ。」

「君らが象徴しているものを怖がっているんだよ。」

「奴らは俺たちを散髪の必要な人間としか見てねんさ。」

「君たちが象徴しているものは「自由」だよ。」

「自由のどこがいけないんだ。結構なことじゃねぇか。」

「確かにそうだが、自由にも二通りある。」

「君らの言う自由と奴らのいう自由とは似て非なるものだ。」

「彼らは自由というものをマーケットでものを買うように買うわけにいかないことをよく知っているんだよ。」

「でも冗談にも、奴らが自由じゃないなんて言っちゃだめだよ。」

「そんなことを言ったら、みんなは人殺しをしてでも自分達が自由だってことを証明しようとするだろう。」

「なるほどみんな「個人の自由」とかについてよくしゃべるよ。」

「しゃべるのはそら楽だからね。でも口先だけだよ。」

「違う自由がそこに現れると怖くてしょうがないんだ。」

「怖がってるって顔じゃない。」

「そう、かえって凶暴になるんだよ。」


この映画で語りたかった重要な部分である。





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映画監督の井筒和幸がこのセリフに着目し、「自由には、二通りの意味がある」と再定義したことは有名だ。

「束縛からの自由」という意味の『freedom』。「法の制約の中での自由」という意味の『liberty』。



アル中の弁護士は、土地の住人に殴り殺され、ライダーの二人も住民に野良犬のように射殺されてしまう。

観る者を突き放すかのように、燃えるチョッパーを俯瞰しつつ、映画は静かに幕を閉じる。





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☆☆☆GGのつぶやき
日本の60年代も激動の時代だった。
安保、学生運動、弾圧、挫折、疎外感、左翼国士、内ゲバ、武装集団、新左翼党派、赤軍殺戮。
中核派海老原事件、連合赤軍、リンチ殺人事件、覚醒、沖縄返還。
「自由」の国アメリカの闇。メーク・イン・アメリカの行方。
いろんなことを想起させてくれた映画「イージー・ライダー」であった。


















































by my8686 | 2019-08-20 19:37 | たかが映画、されど映画 | Trackback | Comments(0)

DVD映画「 Buena Vista Social Club」を観る

8/5早朝よりレンタルしたDVD映画「 Buena Vista Social Club」を観る。




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レンタル動機は、準新作の音楽ドキュメンタリー映画、そしてラテン音楽への興味からの2点。

ライ・クーダーがプロデュースした同名のアルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』が制作の元となっている。
キューバ音楽に魅せられたヴェンダースとライ・クーダーが綴る感動の音楽ドキュメンタリー映画である。




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このアルバムは大ヒットすると同時に、キューバ国外にほとんど知られていなかった、隠れた老ミュージシャンに再びスポットライトを浴びさせた。世界中で100万枚以上のセールスを記録し、97年のグラミー賞を受賞している。



監督は、ライ・クーダーの友人であり、『パリ、テキサス』・『ベルリン・天使の詩』で知られるヴィム・ヴェンダース。




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それまで知られていなかったキューバの老ミュージシャン一人一人の来歴、演奏・収録シーン、キューバの光景を織り交ぜたドキュメンタリー映画となっている。

ストーリー性はなく、アムステルダム公演のシーンに始まり、カーネギーホール公演のシーンで終わる。
人生の哀歓がセクシーな音楽とともにフィルムに収められている。





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キューバ起源のラテン音楽「ソン (son)」。

前半のメロディーの歌曲形式と、後半のモントゥーノと呼ばれるソロ歌手とのコールアンドレスポンス形式をとっている。
この掛け合い部分を強調したものを「ソン・モントゥーノ」と呼ぶこともあり、モントゥーノ部分がないものもあるという。

サルサの原型になった音楽と言われ、マンボやチャチャチャも基本的にはソンを土台に作られたものである。

ソンとそうでないものは、その曲がキューバ的な香りを持っているかどうかという感覚で分けられ、楽譜や言葉で表現することは簡単ではないらしい。

また、キューバ人は地域によってもソンに対する感覚に違いがあり、一般的にソンの名曲と言われている他地域のソンに対しても「ソンになっていない」という意識が働くこともあるという。






その発祥の歴史を読み解いてみよう。


19世紀、キューバのオリエンテ地方を発祥地とし、ソンの起源はいろいろ分かれているが、1850年代に、サンティアーゴ・デ・クーバを中心に唄われていた「マ・テオドーラ」が最初とされる。

もともと土地の名家が開くパーティー用に演奏されていた音楽に、トロバドールたちがアイデアを付け加えていくことで形成されていったと言われている。





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1908年、サンティアーゴ・デ・クーバからハバナに軍隊が移転になった時、兵士達がギターやマラカスなどの楽器を持ってハバナに入り、広範囲のミュージシャンがソンに触れることでポピュラー音楽として発展していった。

ギアとモントゥーノの2パートにより構成されており、ギアはスペイン的歌曲のメロディー・パートであり、モントゥーノはアフリカ的要素のコールアンドレスポンスである。

こうした初期のソンはギター、トレス、そしてボティーハと呼ばれる素焼きの壺、または親指ピアノの一種であるマリンブラで編成されていた。

ハバナに進出したソンは、当時流行していたダンソンと影響を受け合い、ダンソンはやがてマンボ、チャチャチャへと発展していった。
ソンもダンソンのチャランガ編成の影響を受け、いろいろな楽器を加えて楽団ごとの個性を出していった。






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1910年代より、ソン・トリオにボンゴやギロを加えたバンドが出てきてから、その後も形式を変えていき、ギター、トレス、マリンブラ、ボンゴ、ベースそして、シンガー2人が演奏するクラベスとマラカスのセステート(6重奏編成)が確立され、1930年のソンの全盛期には、そこにトランペットが加わり、セプテート(7重奏編成)となり、ソンのスタンダードな編成となった。

「コンフント」と呼ばれた大人数のグループは、ホーンセクション、ギター、ベース、シンガー、ピアノ、ボンゴにコンガと、現在のラテンバンドに近い形で演奏していたという。

アメリカやヨーロッパで演奏活動をした、ギタリストのミゲール・マタモロス、ギタリスト兼ヴォーカリストのラファエル・クエト、マラカス奏者のシロ・ロドリゲスの3人組、「トリオ・マタモロス」により世界へ広められた。

1922年のキューバでのラジオ放送の普及で、ソンの人気は本格的となった。この時期、禁酒法のアメリカから観光客が訪れ、ナイトクラブが盛況となったことで、ソンはキューバで最もポピュラーな音楽のタイプに進化した。

キューバ革命以降は低迷の時期を迎えるが、1970年代に入り、アダルベルト・アルバレスやシエラ・マエストラによって、現代的な解釈を加えられた。

その後もソンは発展し続け、常にキューバ音楽に寄与し、他のジャンルの音楽にも影響を与えている。








☆☆☆GGのつぶやき
音楽の発祥とその発展する過程には人々の官能の襞を震わせる共通のものがある。
さまざまな要因が絡み合い、独自のかたちで変化していく音楽の不思議さに、官能が騒めいていく。
死の数日前まで歌い続けたソロ歌手たちの「生きざま」に官能が震える。
ふと、正岡子規の言葉が過る。
「悟りとは、平気で死ぬことではない。平気で生きていくことだ。」









































by my8686 | 2019-08-05 18:10 | たかが映画、されど映画 | Trackback | Comments(0)

DVD映画「ウインド・リバー」を観る

レンタルしたDVD映画「ウインド・リバー」を観る。





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レンタル動機は、準新作・2017年米国スリラー映画。
第70回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で監督賞受賞作という2点。

予備知識は特にない。




舞台となるワイオミング州ウィンド・リバーの白雪の荒野。その美しくも厳しい自然に官能が騒ぐ。





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FWS(合衆国魚類野生生物局)の職員、コリー・ランバートは白雪の荒野のど真ん中で少女の死体を発見する。

FBIは事件の捜査のために、新人捜査官のジェーン・バナーを現地に派遣した。

自然の過酷さを甘く見ていたバナーは、捜査に難渋することになる。

そこで、バナーはランバートに捜査への協力を依頼し、2人は荒れ狂う自然と剥き出しの暴力に直面しながらも、ネイティブ・アメリカンの村社会の闇を暴き出していく。






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監督・脚本は、『ボーダーライン』『最後の追跡』(2年連続アカデミー賞ノミネート)という骨太な快作でアメリカに潜む闇をあぶり出し、一貫した作家性で異彩を放ちハリウッドで熱視線を浴びる新進気鋭のテイラー・シェリダン。

監督自ら初めてメガホンをとり「アメリカ最大の失敗」と語る先住民保留地を舞台に、色濃い差別、偏見が渦巻く閉ざされたアメリカの僻地に切り込み圧倒的な緊迫感みなぎるクライム・サスペンスとなっている。






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池上彰が上映後にトークイベントで次のように語っている。


「元々は肥沃な違う土地で生活をしていたのに、農業に適している土地は白人が占領してしまった。こういったネイティブアメリカンの保留地はじつは約 100 か所あります。アメリカだけでなくカナダにもある。オーストラリアにはアボリジニという先住民がいました。この映画に登場したあの一族は、荒廃したウインド・リバーという土地に押し込められただけなんです。アメリカの国旗が逆さになっていたシーンがありましたがあれは保留地に住む人々の敵意の現れなんです。」

「現代のアメリカの闇を見つめ切り込んだテーマを扱った映画が作られるようになったことは革命的。」

「トランプ政権に代わり問題となっている、ゼロ寛容政策やメキシコへの制裁についても触れ、テイラー・シェリダン監督がアメリカ・メキシコ国境で起きている麻薬戦争を描いた『ボーダーライン』に続き、『ウインド・リバー』の題材として取り上げたことが興味深く、その作家性について「エンターテイメント、人間ドラマ、親子の情感、現代的な若い女性の成長物語、緻密でよくできている脚本の中にアメリカの闇が浮き出てみえてくる。もう一度観るとさらに気付くところがあり、メッセージが詰まっている映画」と締めくくっている。







☆☆☆GGのつぶやき
米国の「光と影」。その影の闇の部分をあぶり出した傑作だと思う。
骨太の社会性を絡ませた良い作品だと思う。
テイラー・シェリダンの他の2作も観たいと思った。



















































by my8686 | 2019-08-04 18:00 | たかが映画、されど映画 | Trackback | Comments(0)

DVD映画「ブレイン・ゲーム」を観る

昨日午後からは、DVD映画「ブレイン・ゲーム」を観る。




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レンタル動機は、2015年公開映画「準新作」とアンソニー・ホプキンス主演のミステリー作品。
予備知識はなにもない。

ストーリー展開にやや「まどろこしさ」を感じるが、アンソニー・ホプキンスの重厚感ある熟成された演技が良い。




前回観たのは、「アミスタッド」の第6代米国大統領ジョン・クィンシー・アダムズ役。
裁判での堂々とした演説シーンが記憶に残る。





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カズオ・イシグロ原作の「日の名残り」の執事役も記憶に新しい。
やはり熟成された演技が印象に残る。




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■「ブレイン・ゲーム」あらすじ

娘が亡くなってからというもの、超能力者のジョン・クランシーは世間との関わりを断って生きていた。
そんなある日、旧友のFBI捜査官、ジョー・メリウェザーがジョンの元を訪ねてきた。

ジョンの力を使って連続殺人犯を逮捕しようというのである。最初は断るつもりでいたジョンだったが、ジョーの熱意に心を動かされ、捜査に協力することにした。
ジョーの相棒であるキャサリン・コウルズは超能力の存在に懐疑的だったが、ジョンと接していく中で考えを改めていった。

やがて、犯人はチャールズ・アンブローズという名前の男であることが判明するが、チャールズは超能力を駆使して犯行を重ねており、その能力はジョンを凌駕するものであった。




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■感想

犯人役のコリン・ファレルの唐突にして遅い出番にやや面食らう。
もっと犯人像が判明して行く過程での演出にもうひとひねりあっても良いと感じる。

キャサリン・コウルズ捜査官役のオーストラリア女優「アビー・コーニッシュ」の端正なルックスが良い。
個人的には、髪をアップにした機敏な捜査官役が好きである。

「安楽死」という重いサブテーマとの練り合わせは評価できる。

原作者のP.K.ディックについては、なんら予備知識がないが、ストーリー展開としては鮮度を感じる。







☆☆☆GGのつぶやき
アンソニー・ホプキンス主演の2015年作品「ハイネケン誘拐の代償」も観てみたいと思う。























































by my8686 | 2019-07-30 18:16 | たかが映画、されど映画 | Trackback | Comments(0)

ゴダールが影響を受けた「ジョルジュ・バタイユ」を読み解く

ゴダールが作品「映画史」のエンディングに引用したバタイユの詩がある。





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国家のイマージュほど、 
 
愛されるもののイマージュから程遠いものもなく、

国家の理性は愛の至高の価値と対立する。

われわれの前で世界の全体を抱擁する力が

国家には微塵もないか、失われてしまっている。

この宇宙の全体は、

外部に至るとき、愛されるものの中で、

客体として与えられ、

それと同時に

内部に至るとき、愛するものの中で、

主体として与えられる




「映画はまさに形而上学をつくろうとするものなのです。」

「映画は脱出するためのものなのです。そして脱出するというのは形而上学に属することなのです。」



ゴダールが紡ぎ出したテーマは、イマージュの生成、宇宙的時間、無限定な愛の喜び、夢と現実の間の彷徨、楽園などのユートピア。





ゴダールが映画製作で強い影響を受けたとされる「ジョルジュ・バタイユ」。





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バタイユは、フリードリヒ・ニーチェから強い影響を受けた思想家であり、後のモーリス・ブランショ、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダなどに影響を及ぼし、ポスト構造主義に影響を与えたフランスの哲学者、思想家、作家である。

「死」と「エロス」を根源的なテーマとして、経済学・社会学・人類学・文学・芸術・思想・文化・宗教・政治など多岐の方面にわたって執筆。
発表方法も批評や論文・評論、対談集から詩・小説・哲学書まで様々な形態をとっている。

哲学的には、レオン・シェストフから基礎をおっている。





バタイユには、主として3つの作品群が存在する。


第一に、神秘主義的、内的体験的であり、ときに一貫する論理的(科学的)な整合性を欠きながら思弁される、思想的文章群。

代表としては、戦間期に書かれた『無神学大全』三部作(『内的体験』、『有罪者』、『ニーチェについて――好運への意志』、タイトルの「無神学大全」の語は中世の哲学者トマス・アクィナスの『神学大全』のパロディ)がある。

この三部作は、断片形式で書かれていること、主として従来では「神秘体験」と称されてきた「体験」――語ることの困難な体験――を論理的な整合性を欠きながらも、語っていることがその特徴にある。





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第二に、バタイユがいうところの「学問的/科学的」に論理的明晰な、思想的文章群。

『無神学大全』が「体験」を内在的に語るのに対して、ここでは外在的に、ときには歴史的に「体験」を探求している。『呪われた部分――普遍経済学の試み』(第一巻:『呪われた部分――有用性の限界』[4])、第二巻:『エロティシズムの歴史』、第三巻:『至高性』)が象徴的である。




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第三に、小説群。これは『眼球譚』、『空の青』、『わが母』などである。

バタイユが思想的にとりわけ影響を受けたのは、1920年代に読み始めたフロイトおよびニーチェ、そしてコジェーヴの講義以降終生彼を捉えることとなるヘーゲル、そして西欧の神秘家たち(アンジェラ・ダ・フォリーニョ、ディオニシオス・アレオパギタ、アビラの聖テレサ、十字架の聖ヨハネ、etc.)である。

神秘主義に傾倒する前は共産主義を伝統的な(制度的)至高性souveraineteに最も対抗できる運動として称揚し、1931年から後のフランス共産党の創設者の一人ボリス・スヴァーリヌ率いる「民主共産主義サークル」のメンバーになるなど革命的知識人の側面があった。

この団体が解散された1934年でも一時的にトロツキスト団体に加入したことがあるが、バタイユはこの頃に「内的体験」や「瞑想の方法」に目覚めたとされる。





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影響を与えたとされるジャック・デリダやミシェル・フーコー、モーリス・ブランショの「バタイユ論」は見逃せない。

その他、ジャン・ボードリヤールの経済思想は、バタイユの思想を踏襲・継承して展開されていると言われる。

政治哲学者として有名なジョルジョ・アガンベンにおける「動物」と「人間」に関する考察は、バタイユからの影響が強く、アガンベン自身もそれを自覚的にバタイユを扱っている。





ゴダールも「映画史」において、記号の奥底から美の崇高な輝きが誕生したかと思うと、灰の火の散逸のように虚ろに無の彼方へ静かに通過し消失してしまう、ともいうような形容し難い編集によってエンデイングを見事に飾っている。





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☆☆☆GGのつぶやき
第53回カンヌ国際映画祭の要請により、ゴダール20世紀最後の作品と言われる「二十一世紀の起源」でもバタイユは引用されている。
ゴダールを年代ごとに回想するもまた一興。
たかが映画、されど映画である。



































































by my8686 | 2019-07-29 21:14 | たかが映画、されど映画 | Trackback | Comments(0)

ゴダールが引用した「クロード・ルフォールの言葉」を読み解く

「演技の存在」について問われたゴダールが、フランスの政治哲学者のクロード・ルフォールの「分断された考えの領域で政治を行うことで、現代民主主義は全体主義に献身する」という言葉を引用し、「そこから、今日の俳優たちは考えられたものとしてのイメージに対抗する、撮影されたものとしてのイメージの全体主義に貢献しているのではないか」と答えている。






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あらためて、クロード・ルフォールについて読み解いてみよう。


クロード・ルフォールは、フランスの政治哲学者で全体主義の哲学的考察で知られている。

1960年代から1970年代にかけて、民主主義の哲学を構築。
世論や関心が順番に交替していき、権力がつねに未完成で形成途上にあるような政治体制として民主主義を捉えた哲学者である。


ルフォールはもともとメルロー=ポンティに師事し、その影響でマルクス主義者になったが、ソビエト連邦には批判的であり、トロツキスト運動に参加した。

しかし1947年、トロツキズムと決別、コルネリュウス・カストリアディスと共に雑誌『社会主義か野蛮か』を創刊、クロード・モンタル(Claude Montal)の筆名でこの雑誌に執筆している。

ルフォールは、スターリニズムやファシズムを定義するにあたって全体主義の概念を適用することが妥当であると主張した政治哲学者の一人である。




ルフォールによれば、全体主義システムの特徴は以下の2種類の「囲い込み」であるという。


「全体主義は国家と社会の区別を廃してしまう。」

政治権力が社会に浸透し、既存の全ての人間関係--プロレタリアートの連帯、職場仲間の協力、宗教を同じくする者たちの共同等--は、命じる者と従う者の一次元的なヒエラルヒーにとって代わられていく。

この理由としては特に、国家の行政と党のヒエラルヒーとの距離が縮まっていくにつれ、後者が実質的な権力になっていくことが大きい。
従って、他の理論家たちと同じくルフォールも、全体主義の基幹的性格として公共空間の破壊とその政治権力への併合が同時に起こると考えている。





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「全体主義は、ルフォールのいう『社会の内的分割の原則』を否定している。」

全体主義が奉じる社会概念の特徴は「全体の肯定」である。つまり全ての組織、結社、職業が国家目的に従属させられるのである。

多様な意見を認めることが民主主義の意義の一つだが、全体主義の方は、社会体全体を同一の目的に向かわせようとしてこういう意見の多様性を排除する。全体主義の目的は統一された閉じた社会を作ることで、その構成員は、同一目標、同一意見、同一行動をおこなう人々である。




従ってルフォールによれば、全体主義と独裁は以下のように異なる。

1.独裁の場合、超越的原理が別に存在していることを許容。反対に、全体主義的な党のイデオロギーは自ら宗教性を帯びる。

2.独裁の場合、社会の破壊・吸収は目指されない。独裁的権力は、社会「に抗する」国家の権力であり、両者の区別がある。

これに対して全体主義的な党は、自らが国家と同一化することを目指しており、社会はこの計画の実現のためだけにある。この目的のために社会は閉ざされ、統一され、一様なシステムにさせられている。



ソ連の社会主義とはそのような意味での全体主義であり、ルフォールはこれを「人民=一者peuple-Un」のシステムと呼んでいる。

「政治権力と社会との同一化のプロセス、社会空間の均質化のプロセス、社会と政治権力の囲い込みのプロセスが絡み合い、全体主義システムの構成に繋がっている。」






ゴダールは、「カイエ・ド・シネマ」誌で自身の批評について、若手批評家達の間に蔓延している「憂慮すべき固定観念」を糾弾している。
そして、クローズアップやカット割りの意義を過小評価することなく、時代遅れとされた俳優の顔に表現された心理的現実に迫ろうとする演劇的な古典デクパージュを擁護する側に回っている。





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例えば、ハンフリー・ボガードの演技を例にあげながら、俳優の演技の核である視線と、その意味作用に注目することを次のように呼びかけている。




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「映画は定義でもなければ固定観念でもなく、まして秩序であるということは決してない。」

「映画はまさしく対話であり、それ以外の何物でもない。映画が対話の場面をスクリーンに映し出すとき最も美しく輝くように見えるのは、そこに対話を本質とする映画自身の姿が映し出されているからに相違ない。」

だからこそ、人物の対話をとらえた映画の古典的世界を擁護し、発展させなければならない、とゴダールは語っている。












☆☆☆GGのつぶやき
ゴダール映画のラストシーンで語られる、モーリス・ブランショ、パウンド、ボルヘス、ジョルジュ・バタイユ等の詩。
映画作品と合わせて読み解いてみたい。
























































by my8686 | 2019-07-28 12:19 | たかが映画、されど映画 | Trackback | Comments(0)

DVD映画『13時間 ベンガジの秘密の兵士』を観る

梅雨明けした昨日、レンタルしたDVD映画『13時間 ベンガジの秘密の兵士』を観る。





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レンタル動機は、ゴダール監督作品『イメージの本』の中で、この映画の戦闘シーンが引用されていたのではないか。
記者からの「この質問」に明確な回答を避けたゴダール。

記憶が薄れたのか、意図的に回答を避けたのか、その真意は分からないが、この質問が動機づけになったことは確かである。

さらに、日本では劇場公開されずビデオスルーされた作品だという理由もある。





あらためて、この映画とその背景について読み解いてみよう。

『13時間 ベンガジの秘密の兵士』(原題: 13 Hours: The Secret Soldiers of Benghazi)。

2012年に実際に起きた「アメリカ在外公館襲撃事件」を題材としている。

原作は、ミッチェル・ザッコフの書籍『13 Hours: The Inside Account of What Really Happened in Benghazi』。
制作は、2016年。マイケル・ベイ監督によってアメリカ合衆国で製作された。
撮影は、2015年4月27日にマルタで始まり、パラマウント映画が米国では2016年1月15日に公開。

日本では劇場公開はされていない。
ではなぜ、日本では劇場公開されなかったのか。


この事件の詳細な背景については、7/15にアップしているので重複は避ける。





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映画鑑賞後に気になった一冊の本がある。


「The Real Benghazi Story (ベンガジ事件の真実)





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リビア・ベンガジの米領事館襲撃事件は、「ムハンマドを冒涜する公開映像」がイスラム教徒の怒りを買い、彼等の抗議行動が発端となって発生したとされている。

また、同じ日に発生したエジプトの首都カイロの米大使館襲撃も同じ理由から発生したとされている。

オバマ大統領は「我々は他者の信教を中傷する一切の行為を拒絶する」「しかし今回のような非道な暴力は、断固として正当化できない」と非難。

「暴力はいけないが、イスラムを冒涜する行為も同じくらい悪い行為である」このような認識が定着している。

この本は、これらが真っ赤なウソであることを暴露し、議会証言や記録から読み取れる事実を明らかにするとともに、オバマ政権が隠蔽工作に手を染めている事実を告発するものであった、というもの。




オバマ政権が何を隠蔽しようとしたのか。 

疑問はその一点に絞られる。 





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オバマ政権は事件後、7万ドルもかけてパキスタンでテレビコマーシャルを打っている。

「(ベンガジの事件を引き起こした)イスラムを冒涜する映画は断じて許せない」。

ソーシャル・メディアのデータを収集する調査会社によれば、当映画がネット上で最初に言及されたのは事件前でなく事件後であったという。
同日発生したカイロのデモは数日前から「アメリカに捕らえられているオマール・アブデル・ラーマン師の釈放を求める」のが目的であると発表されていた。

映画のことは一言も言及無しであった。






「The Real Benghazi Story」の著者 Aaron Kleinは、次のように推測している。


襲撃者達の目的は、MANPADSの回収を阻むためだったのではないか?そして、事件の夜、どこからもベンガジに向かって部隊が送られなかったのは(= スティーブンス大使らが冷酷に見捨てられたのは)、このMANPADSの脅威があったからではないのか?

アメリカの武器回収活動は、イスラムテロ組織にとっては明らかに脅威であり、それを止めさせるために襲撃をした可能性はあるのではないか。

一方、イランの介在も考えられ、イランはシリア・アサド政権の後ろ盾である。アメリカは回収した武器をアサド政権に対抗する勢力へ横流ししている。それを阻止しようとするイランがテロ組織を使って派出所を襲撃した可能性が考えられるのではないか(テロ組織はスンニ派であり、イランはシーア派であるが、時には敵対、時には持ちつ持たれつの微妙な関係にある)。






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オバマ政権は真実を隠している。そのため誰が、何のために派出所を襲撃したのか、いまだに明らかではない。

だがいずれにしても言えるのは、中東諸国に「民主化の春をもたらす」と言いながら安定を維持するのに役立っていた独裁者を追い出し、彼らよりも凶悪なイスラム原理主義テロリストの手に中東を明け渡したということである。

オバマ政権が流した武器は中東各地に広がり、ISIS(イスラム国)へと行きついたことは間違いない。いわばISIS(イスラム国)はオバマ政権が作り出したものだと言っても過言ではない。

オバマ政権にはファスト・アンド・フュリアス事件という前科があり、銃による事件を増やして銃規制の気運を高めようとし、わざとメキシコ国境付近の銃砲店経由で不法移民やギャングに武器を売り渡し、その武器で国境警備隊員が犠牲になったという事件である。

これだけでも本来ならば政権崩壊の大スキャンダルであるが、このベンガジ事件はその規模や国際社会へのインパクトを考えれば遥かに重大である。





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襲撃者の本当の動機は何だったのか。

イランがアメリカの反アサド勢力への武器供給を止めようとしたのか、それともリビアのイスラム武装勢力がアメリカによるMANPADS回収を阻止しようとしたのか?

現時点でははっきりとどちらとは言えないのが事実である。

だが、反アサド勢力への武器供給を止めようとしたイラン及びイランとシリアの後ろ盾となっていたロシアが手を引いたのではないかという見方もある。




ヒラリー・クリントンの大統領選挙出馬が取り沙汰されていた2016年。

スティーブンス大使他、事件で犠牲になったアメリカ人の血で自らの手を染めたクリントンが、国のリーダーになっていた可能性があるということである。

ヒラリー・クリントンのEメール問題は氷山の一角と言われるほど、その陰湿で冷酷なダークさは枚挙に暇がない。

トランプの外交の無知ぶりやポピュリズムの台頭批判など、素直すぎて「かわいいもの」とさえ言えよう。









☆☆☆GGのつぶやき
変質するアメリカの姿を見るにつけ、我が日本国の姿は世界にどう映っているのか。
なにかが変質しはじめていることだけは、確かなようである。






















































by my8686 | 2019-07-26 12:04 | たかが映画、されど映画 | Trackback | Comments(0)

ゴダールは何を引用したのか「13時間」を読み解く

ゴダール監督作品『イメージの本』の中で、マイケル・ベイ監督の『13時間』が使われているようだが、という記者からの質問に明確な回答を避けたゴダール。

その真相が知りたい。さらに、無性にその『13時間』が観たくなった。日本では劇場公開されずビデオスルーされた作品だという。
ビジネスベースに乗らないと判断されたのか、なんらかの政治的圧力が働いたのか、それは分からない。




あらためて、この映画とその背景について読み解いてみよう。


『13時間 ベンガジの秘密の兵士』(原題: 13 Hours: The Secret Soldiers of Benghazi)。

2012年に実際に起きた2012年アメリカ在外公館襲撃事件を題材としている。

原作は、ミッチェル・ザッコフの書籍『13 Hours: The Inside Account of What Really Happened in Benghazi』。
制作は、2016年。マイケル・ベイ監督によってアメリカ合衆国で製作されている。
撮影は、2015年4月27日にマルタで始まり、パラマウント映画が2016年1月15日に公開。しかし、日本では劇場公開されずビデオスルーされている。





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まず、2012年の「アメリカ在外公館襲撃事件」の背景について読み解いてみよう。

この事件は、エジプトやリビアなどアラブ諸国のアメリカの在外公館が2012年9月11日以降、次々に襲撃された事件である。
襲撃動機は、米国で作成された映画"Innocence of Muslims"がイスラム教を侮辱しており、これに抗議したものとされているが、その真意は不明である。

一連の襲撃事件で、在リビアのアメリカ領事館では駐リビア大使ら4人が殺害された。公務中のアメリカ大使が殺害されるのは、1979年に駐アフガニスタン大使が殺害されて以来のことである。

エジプト、リビアを発端とした反米デモは他のイスラム諸国にも波及し、スーダンでは批判の対象はアメリカだけではなく、イギリスやドイツなどヨーロッパ諸国にも向けられた。

各国の治安部隊が在外公館への侵入を許したことは、2010年末からの「アラブの春」により強権体制が崩壊した影響で、治安維持能力が低下したことを浮き彫りにしていた。

映画"Innocence of Muslims"とは、約14分間の動画が2012年7月、Youtubeに投稿され、その中で預言者ムハンマドが残酷な殺人者であり、また子どもに性的ないたずらを行う、女性関係が派手な好色な人物であると描写されていたほか、ムハンマドを嘘つきとする場面も含まれていたという。

当初、アメリカ国内では話題にもならなかったが、この映像のアラビア語版がイスラム社会でもテレビで取り上げられ、イスラム教においてムハンマドの姿を描くことは禁じられている上、あまつさえイスラム教を侮辱しているとも取れる内容であったため、イスラム教徒を大きく憤慨させることになったとされる映画である。






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この映画は、アメリカ在住のエジプト人のキリスト教系コプト教徒や、2010年にイスラム教の聖典を燃やすなど過激な行動で知られるテリー・ジョーンズ牧師らによって作成され、カリフォルニア州で約3ヶ月をかけて撮影されたという。

当初はアメリカとイスラエルの二重国籍を持つ実業家サム・バシルがユダヤ人から500万USドル(約3億9000万円)の寄付金を募りプロデュースしたとされていたが、のちにロス在住のコプト教徒の偽名を使ったナクラが製作者であったという。その後、連邦保護観察当局の任意聴取を受け、協力的に応じていると報道され、アメリカ国内の法律では、襲撃事件を起こした件についてナクラや協力者の罪は問えないとされている。






■事件後の反響

事件を受け、米国のオバマ大統領は各国に駐在するアメリカ外交官らの警備を強化するよう指示。またリビアにおいてスティーブンス大使らが殺害された事件について、常軌を逸していると非難する声明を発表。

リビアとの関係は変わらないとする一方、リビア政府とともに犯人に裁きを下すと宣言。9月12日にはワシントン国務省の南庭で追悼集会が行われ、オバマ大統領やヒラリー・クリントン国務長官、同省の職員数百人が参加した。

この事件は、投票を2ヶ月後に控えていた2012年アメリカ合衆国大統領選挙にも影響を与え、オバマ政権の対応について様々な憶測や批判が集中した。





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9月12日にはアメリカ海兵隊が対テロ部隊約50人をヨーロッパからリビアに移動させ、アメリカ在外公館の安全強化を図っている。
NATOの事務総長もこうした暴力は正当化されないとして事件を非難。

リビア制憲議会議長で元首格はアメリカに対し事件について謝罪。リビアの副首相は、Twitterでアメリカ、リビア、そして全ての自由な人々に対する攻撃を非難するとの声明を発表。
この時、リビア政府はベンガジでの事件の背景に、「旧カッザーフィー政権の残党」が関与している可能性を指摘している。

映画作成に関わったジョーンズ牧師は、映画はイスラム教徒を攻撃する目的で作成したのではなく、イスラム教の破壊的なイデオロギーを明らかにするためだったと声明を発表。

また映画をプロデュースしたバシルは、これは宗教映画ではなく、イスラム教の偽善を明らかにするための映画だと主張し、「イスラムは癌である」との持論を展開している。

イスラム世界ではエジプトのイスラーム原理主義組織ムスリム同胞団が金曜礼拝の行われる9月14日に「平和的なデモ」を行うよう呼びかけ、これに応じてカイロで行われた抗議デモには、ムスリム同胞団やサラフィー主義者だけでなく、「コプト・司祭」も参加している。

反発はチュニジアやレバノンなど他のイスラム圏にも広がり、同様の騒乱がエジプトやリビア以外にも広がることも懸念された。





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9月12日、YouTubeは問題の映像をリビアとエジプトで一時的にアクセス制限したと発表。

2013年5月2日には米連邦捜査局が本事件に関わった可能性のある、襲撃当時現場にいてその後立ち去った身元の分からない男3人の写真を「情報を求める」として公開。

2014年1月アメリカ上院情報特別委員会は、事件に対して周知の治安対策不足に対応していれば回避できたとする報告を行い、未然の事件予防の欠如を指摘。

6月にはアメリカ国防総省の報道官により特殊部隊とFBIによる作戦で、ベンガジ近郊において事件の首謀者と目されている主導者のアハメド・アブカタラを拘束したと発表している。







これらの背景を踏まえ、映画のあらすじを観てみよう。



■『13時間 ベンガジの秘密の兵士』あらすじ

2012年、リビアのベンガジは世界で最も危険な場所のひとつに指定されていた。
米国はベンガジにCIAが秘密裏に設置している「The Annex」だけを残し、民間軍事請負業者のチーム「GRS(グローバル・レスポンス・スタッフ)」がCIA職員を保護している。

CIAチーフのボブはGRSの行動を制約する。ジャックは友人のロンがチーフを務めるアネックスのGRSにアメリカから赴任してくる。

各国は過激派の攻撃を恐れ、多くはベンガジから職員を退去させた。しかし、米国のクリストファー・スティーブンス大使らが市内に赴任してくる。

大使館と比べ警備の手薄な領事館に滞在し、わずか5人の護衛に加え、地元のリビア人民兵を雇う。





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アメリカ同時多発テロ事件から11年目の夜、アンサール・アル=シャリーアの武装集団によって在外公館が攻撃されてしまう。
GRSチームは、大使救出を志願するが、アネックスとGRSは存在を秘匿されており、ボブは一貫して待機を強く命じる。

ついに領事館は制圧・放火され、リビア人民兵は逃げだし、セーフルームに隠れていた大使らまでにも脅威が迫る。我慢の限界に達したGRSチームは命令に背き領事館へ向かう。

だがGRSチームは大使を見つけられずにアネックスに退却し、追ってきた敵はアネックスに迫る。

CIAは機密文書を破壊し、GRSチームはアネックスに立てこもり、助けを求める。トリポリからGRSの援護が到着して退去準備を始めるが、敵は迫撃砲攻撃を始めてロンは死に多くが負傷する。

GRSの味方のリビア人部隊"リビアの盾"が到着してアネックスは守られる。だが大使は死亡していた。

生存者たちと4人の遺体は帰国し、GRSの生存者たちは叙勲され、引退して家族と暮らす。





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☆☆☆GGのつぶやき
アメリカ政府の政治的隠蔽工作が透けて見える映画のようである。
襲撃者の本当の動機は何だったのか。イランがアメリカの反アサド勢力への武器供給を止めようとしたのか、それともリビアのイスラム武装勢力がアメリカによるMANPADS回収を阻止しようとしたのか?
疑問が残るのは、当時のヒラリー・クリントン国務長官が「なぜ映画に対する抗議デモだなどと事実でないことを言ったのか」という追求にキレてしまった本当の理由である。
そして、ゴダールがどういう意図でこの映画の戦闘シーンを引用したのか、その真意も知りたいと思った。


































by my8686 | 2019-07-15 12:00 | たかが映画、されど映画 | Trackback | Comments(0)