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カテゴリ:気になる本( 31 )

漫画で読破「地獄の季節」を読み解く

久しぶりに漫画を読む。
行きつけの図書館から借り受けた「ランボー作/地獄の季節」。





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ランボーの自由奔放さがわかる肩の凝らない漫画本である。

ランボーの感性の襞を震わせる名詩からイメージを膨らませたいという御仁にはお勧めではない。
ただ、短時間にランボーとヴェルヌールの関係性を理解するには、手っ取り早い。




■漫画のあらすじ

プロイセン(旧北ドイツ)とフランスの戦争の後、フランスのパリに詩人を目指して田舎町から上京してきたアルチュール・ランボー。
その師匠であるポール・ヴェルヌールと禁断の恋に落ちる。

ポールは、自らの家族がいたにもかかわらず、徐々にランボーの美しさや自由奔放さに魅せられ、惹かれていく。
また、そのランボーの方もポールが自分の才能に気付き、良き理解者であることから惹かれていく。





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詩を作ることに長けていたランボーは、その非凡なる才能から、周囲の人間を魅了するが、中でもポールは愛人として魅了されてしまっていた。
そして、ついにはポールは家族を捨て、ランボーとともに破滅への旅に出かける。


1871年、パリで詩人のポール・ヴェルレーヌと出会い愛人関係となり、以後、妻子を捨てたヴェルレーヌと共にブリュッセル、ロンドンなどを旅行する、この時期を中心に描かれている。

1873年、ヴェルレーヌと破局し、ヴェルレーヌが発砲した2発の拳銃弾のうち、1発がランボーの左手首に当り、ランボーは入院しヴェルレーヌは逮捕される。

この別れの後に『地獄の季節』を記す。この頃から1875年までが、詩人としてのランボーの創作期となる。





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「早熟の天才」。詩人ヴェルレーヌに出会い、『地獄の季節』、『イリュミナシオン』でその才能を見せたランボー。

マラルメはボードレールから始まる象徴詩の系譜に属しながらも、そこに止まらない、という意味で「おそるべき通行人」と彼を評している。
若いうち(20歳代前半)に詩作を放棄したが、ダダイスト、シュルレアリストら、20世紀の詩人たちに影響を与えた。




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ピカソによるランボー像が有名だという。これについては別項で読み解いてみたい。

ゴダールの『気狂いピエロ』(1965年)のエンディングは『地獄の季節』に収められた韻文詩「永遠」の朗読で終わっている。

また、ジル・ドゥルーズは1980年代後半になって「カント哲学を要約しうる4つの詩的表現」において、ランボーの1871年のいわゆる「見者の手紙」の中の「私は他者である」「詩人は長期間の、破壊的で計算された錯乱によって見者(ヴォワイヤン)になる」という言葉などをとりあげ、カントの可能性の中心を担う「調和し得ない緒力の束」を体現するものとして、ランボーを挙げている。

詩作放棄後の詩人に関しては、ランボーは詩を放棄することによって真の詩を生きた、という観点からその〈沈黙〉を考察する、鈴村和成の著書『ランボー、砂漠を行く アフリカ書簡の謎』(岩波書店)などが挙げられている。









☆☆☆GGのつぶやき
ランボーの自由奔放さを知るとともに、その後に影響を与えたピカソ、ゴダール、ジル・ドゥルーズ等の評価についても読み解いてみたいと思わせる。
読書スタイルも固定化することなく、多様性の視点で貪欲に浴びるが肝要。
























































by my8686 | 2019-07-25 23:55 | 気になる本 | Trackback | Comments(0)

オクタヴィオ・パスを経て「スラヴォイ・ジジェク」を読み解く

古希を前にして、今まで知る術も道筋もなかった哲学者「スラヴォイ・ジジェク」。





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オクタヴィオ・パスの『弓と竪琴』から受けた衝撃を「埋まらない半導体のようなもの」と表現した松岡正剛。

彼がその衝撃のあと熱心に読んだというエドワード・サイードやスラヴォイ・ジジェク。
それでもパスの示しうるヒントの衝撃は、実感と思索のアマルガメーションをおこし、満たされることがなかったと吐露している。

サイードについては、彼の本からの引用を語ったゴダールの映画「イメージの本」で承知できているのだが、ジジェクについては初見となる。






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あらためて、スラヴォイ・ジジェクを読み解いてみよう。


まずは、概要から読んでみよう。


スラヴォイ・ジジェク(1949年3月21日 - )は、スロベニアの哲学者である。

リュブリャナ大学で哲学を学び、1981年、同大学院で博士号を取得。

1985年、パリ第8大学のジャック=アラン・ミレール(ジャック・ラカンの娘婿にして正統後継者)のもとで精神分析を学び、博士号取得。現在はリュブリャナ大学社会学研究所教授。

難解で知られるラカン派精神分析学を映画やオペラや社会問題に適用してみせ、一躍現代思想界の寵児となった。
しかし、多産な業績の割にはワンパターンとの評もあるという。

独特のユーモアある語り口のため読みやすいようにも見えるが、実際にジジェクの思想に触れるには、彼がラカンを使って後々対峙することになった対象として、ベースにあるドイツ観念論の伝統や、その延長線上にあるマルクスの議論(『ドイツ・イデオロギー』に啓発された『イデオロギーの崇高な対象』をはじめとする全般)についてある程度の知識が必要となる。






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それがあれば、彼を通じてラカンがわかるようになるという仕組みと言われる。

2004年には柄谷行人の著作『トランスクリティーク──カントとマルクス』に関する評論をNew Left Reviewに載せて話題になった。
政治的な立場としては、とくに2000年以降、議会制民主主義の限界を指摘し、反資本主義や「レーニン主義」への回帰を主張する著述が目立つ。

2001年の9.11同時多発テロと2008年の金融大崩壊を論じている。

「コミュニズム」の復権を唱えた『ポストモダンの共産主義──はじめは悲劇として、二度めは笑劇として』においても、アジア型価値観をもつ資本主義・エリートによる独裁資本主義(中国、日本)を事例に、資本主義と民主主義との必然的な結びつきを否定。






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プロレタリア独裁によって人類の物質的生存条件(農業、資源、環境)や情報テクノロジーなどの一般知性、すなわちネグリ/ハートがマルクスに参照して言うところの「コモンズ」(共有財)を資本による私有から奪回し、連帯した労働者階級に取り戻すことを唱えている。







松岡正剛がスラヴォイ・ジジェクの『斜めから見る』について面白い見解を記している。


「ジジェクは、得意のヒッチコックやスティーヴン・キングやフィルム・ノワールをとりあげ、これらをことごとくジャック・ラカンの理論的モチーフで解読するというアクロバティックな芸当を見せている。」

「逆からみれば、ラカン理論をことごとく大衆文化の現象の淵にのせて次々に切り刻んだといってもよい。」

「これはかつてウォルター・ベンヤミンがモーツァルトの『魔笛』を、同時代のカントの著作から拾った結婚に関する記述のすべてで解いてみせた痛快な試みの踏襲であって、ぼくからみると、もっと多くの領域を跨いで試みられてきてもよかったとおもえる「方法の思想」の表明の仕方だった。」

「なかなかジジェクという男はやるものだとおもった。ジジェク自身はこの方法を30ページごとにいろいろの名でよんでいるが、わかりやすくは『アナモルフィック・リーディング』(漸進的解読)などともなっている。」と語っている。





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さらに、『仮想化しきれない残余』では、「相似律」の展開に触れ、「ジジェクのように、この方法を熟知しているだけでなく、その方法そのものの思想的過熱に異様な能力を発揮する男もいるものなのだ。これはこれで驚いた。」と驚嘆している。

そして、ジジェクがラカンを借りて、「主体というものは、実在の正の場を正の実体と誤って認識してしまうものだが、実はそこには“負の大きさ”によって補足されている作用がおこっていると考えるべきである。」と語ったことに対し、どんな社会的な相互作用にも心理的な相互作用にも、何らかの「負」が介在しているはずだということを見抜いてくれたと語る。





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しかもこの「負」は、ときに「割り切れない残余」にもなれば、別の場での「発現」にもなるし、また、ある者には「過活動」にも見えるものであり、それでいてそれはすでに必ずや「負への引き込み」を果たしているがゆえに、どんな正の主張や成果よりも、より奥にあるものとしての、より本来的な響きを、さまざまな場面で奏でつづけると、喝破したことに、スロヴェニアの鬼才スラヴォイ・ジジェクが、こんな「負な話」を各処にひそかに隠しもっていたことに狂喜している。










☆☆☆GGのつぶやき
ジジェクを理解するには、ドイツ観念論からラカンまでを読み解かねばなるまい。
ただ、ラカンに関しては、ドゥルーズ&ガタリらポストモダンの哲学者からは、理論も振舞いも父権的であるとして、痛烈な批判を受けていることも承知しておかなければなるまい。



追伸的追記

多作なスラヴォイ・ジジェクについては、何から読むかが問題でもある。

その順番に正解はないのだが、年代順に丁寧に読みすすむ方法もあるが、そんな悠長に構えている時間はない。
「多産な業績の割にはワンパターン」との悪評もあるから選択には注意がいる。



まずは、松岡正剛が千夜千冊でとりあげた下記の三冊から追体験するのも良かろう。

『幻想の感染』松浦俊輔訳/青土社、1999年

『斜めから見る――大衆文化を通してラカン理論へ』鈴木晶訳/青土社、1995年

『仮想化しきれない残余』松浦俊輔訳/青土社、1997年


次に訳者で選ぶならば、松岡も「ジジェクを訳してこれが3冊目の訳者の日本語も、かなりこなれてきていて(形代・定め・享意・勢力といった訳語をうまくつかっている)、そのためか、そうか、ジジェクはこういう趣向を好んでいたのかということを行間に触知することもできた。」と認めている松浦俊輔の訳本からチョイスするも良かろう。 


『快楽の転移』松浦俊輔、小野木明恵訳/青土社、1996年

『信じるということ』松浦俊輔訳/産業図書、2003年




さらに、興味が持続するならば、2010年度以降の最新版から先に読む手もある。


『絶望する勇気――グローバル資本主義・原理主義・ポピュリズム』中山徹・鈴木英明訳/青土社、2018年

『事件!――哲学とは何か』鈴木晶訳/河出書房新社、2015年

『もっとも崇高なヒステリー者――ラカンと読むヘーゲル』鈴木國文、古橋忠晃、菅原誠一訳/みすず書房、2016年

『ジジェク、革命を語る――不可能なことを求めよ』パク・ヨンジュン編、中山徹訳/青土社、2014年

『大義を忘れるな――革命・テロ・反資本主義』中山徹、鈴木英明訳/青土社、2010年

『ポストモダンの共産主義――はじめは悲劇として、二度めは笑劇として』栗原百代訳/筑摩書房、2010年



気になるテーマ、感性の襞を震わせる本から読み進むのが自然ではある。

今の時代観、閉塞化する世界観の中で、今読むべき一冊との出会いの旅に旅立とう。


































































by my8686 | 2019-07-22 16:21 | 気になる本 | Trackback | Comments(0)

ランボーに影響された作家「オクタヴィオ・パス」を読み解く

古希を前にして、今まで知る術も道筋もなかった作家「オクタヴィオ・パス」。




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アルチュール・ランボーの詩に影響を受けた一人の作家として目にとまる。



概要を知るため「松岡正剛の千夜千冊」をひも解く。

松岡は、この中で次のように語っている。

「パスの『弓と竪琴』から受けた衝撃は、忘れられない。その衝撃そのものが放置と統合をめぐって矛盾しあっているようなものだから、そこにすでにオクタヴィオ・パスだけが示しうる、ぼくでは太刀打ちできないヒントが迸っていた。そのヒントはその後に、ぼくが熱心に読むことになるような、たとえばエドワード・サイードやスラヴォイ・ジジェクから受けたものではとうてい埋まらない半導体のようなものなのである」。

「ぼくがオクタヴィオ・パス以前もオクタヴィオ・パス以降も、決して得られることのない実感と思索のアマルガメーションをおこしている半導体的な装置のようなものになるだろう」。

さらに、「エドワード・サイードやオクタヴィオ・パス等が体験した相克しあい激突しあう他民族問題は、現在の日本人の思考ではきっと灼けつくか、ひりつくほどの問題だ」。

さらに、さらに、「われわれは、たとえば北朝鮮問題ひとつをとってみても、国民として(また政治家や役人や知識人として)、ほとんど灼けつきもしていないし、ひりつきもしていないままにある。こういう問題を文学や映画にもしえないままにある。」とさえ言い切る。





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松岡の言わんとすることが、古希を前にして、感性の襞に刺さる。


単一民族のモンゴロイド系で占める日本では、通常の国家間の戦争以上に「ジェノサイド」などの戦争犯罪につながるような「異相矛盾レベル」の紛争は発生していない。

灼けつくような、ひりつくような体験は、あの「広島・長崎」の原爆投下以降、ないと言ってよいだろう。

なぜないのか、なぜ起こそうとする輩が生まれないのか、このことをどう解釈するかは、項を違えて読み解いていかねぱなるまい。





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サイード自身が西洋植民地主義の辛酸を嘗めさせられたパレスチナ人だからこそ書かねばならなかったこと。
サイード自身が体験してきた「個は類である」「類は個である」という歴史的経緯。

パスが唱える「放置と統合をめぐって矛盾しあう現実」。

パスの言いたいことは、「結合を分解してはならない。とくに民族や文化におこった結合は、仮に歴史的な分解も未来的な分解も可能であるとしても、その分解の線をどこで引くのかなどということに、正解はない」。

「正解を求めて論理的な説明をしようとすればするほど、かえって結合のアマルガムな状態に困惑していたときより、もっと事態は困ることになる。結合や統合は、あとから求めるものではなく、すでにおこってきたことの中に発見するものなのだ。」と松岡は読み解く。






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キューバ危機のあった1962年に、パスはインド大使となった。

アルジェリアは独立し、インドはゴアを武力併合して、中印国境では武力衝突が頻繁におこっていた年である。米ソ対立と中ソ対立はますます深刻化していた。

そんなインドで、パスはまるでジョセフ・キャンベルまがいの神話研究に乗り出し、そこからアジア全域の哲学や宗教や芸術の深みに入っていったという。

パスはインド政府にひそむインド政治の「プロクセミックス」に関心を向け、インド政治のブレーク・ポイントではなくて、妥協点を見いだすことに時間を費やしていた。

こうした見方をパスがしばしば好んですることは、『レヴィ・ストロースあるいはアイソーポスの新たな饗宴』を読んでもよくわかるという。

ところが1968年のメキシコ・オリンピックの直前に、トラテロルコ広場で学生たちが虐殺されると、これに抗議してさっさと外交官の職を放棄し、それからは言葉によるメッセージにしか関心を示そうとしなかったという。

その理由として、「ひとつには、一つの目的が別の一つの目的で潰されることには抗議したい。またひとつには、パスは現実の政治が目的を完遂しようとすることよりも、いくつもの目的がぶつかりあってそのまま迷宮的結合をおこしたっていいのではないか」。

「混乱を容認しているのではなく、混乱ののちの融合には認めなければならないことがある」。

「イスラエルとパレスチナのような衝突は、そのまま迷宮となって融合をおこす。それでいいではないか」。






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パスは「インスピレーション」というエッセイの中で「リビドー、人種、階級、あるいは歴史的瞬間は、いかにして言葉に、リズムに、そしてイメージになるのか。ダンテが感知したリズムは愛であり、荘子は相対的な関係にリズムを発見し、ヘラクレイトスは戦争がリズムだと考えた」。

「もし、歴史や民族がリズムによって起こったり動いているとしたならば、われわれはリズムの問題をもっと深めて考える必要がある。なぜなら、自然環境にリズムがあり、人口にリズムがあり、景気にリズムがあり、思考にリズムがあって、表現に、詩に、芸能に、スポーツにリズムがあるのだから――。そうだとしたら、このようなリズムの複合の条件をまったく除いて、国際会談も戦争の前哨戦も起こらないはずだと見るべきなのである」。

「リズムは拍ではない。それは世界のヴィジョンである。暦、道徳、政治、科学技術、芸術、哲学といった、ようするにわれわれが文化とよぶあらゆるものがリズムに根ざしている」。


松岡はさらに読み解き、「インスピレーションは世界が世界であろうとするときの一撃であり、起源であり、物語の端緒であって、人々の願いなのである」。

「このことは文学、とりわけ詩においては当然のことだろうが、ふつうは政治や経済にはあてはまらない。けれどもパスには、もし政治家や外交官が何かを起こそうとするときのインスピレーションがわかるなら(かれらが理詰めで事を起こしているのではないのはあきらかだ)、実はすべての国際および国内コミュニケーションの出来事は、インスピレーションへの遡及をもって出来事を語り直すべきものだと見えたのだった」。

「リズムとは分かち難い統一としての、それらの全体である。」と書いている。






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もう一度、パスの言葉を反復してみよう。


「ポエジーは認識、救済、力、放棄である」

「詩は無数の異質な形式のなかに分散している」

「どんな差異も歴史的変動の結果なのではなく、もっともっと微妙なものの結果なのだ」

「形式と実質は同じものである」




パスは、1990年に広い視野を持ち、先鋭的知性と人文主義的高潔さを特徴とした、「情熱的な作品」に対してノーベル賞を受賞している。









☆☆☆GGのつぶやき
古希を前にして感性の襞を震わせたパスの言葉。
あらためて、オクタヴィオ・パスの著作を時間をかけて読み解いてみたいと思った。

『オクタヴィオ・パス詩集』(世界現代詩文庫・土曜美術社)
『インドの薄明』『エロスのかなたの世界』(土曜美術社)
『孤独の迷宮』(世界文化社・法政大学出版局)
『泥の子供たち』『マルセル・デュシャン論』(水声社)
『大いなる文法学者の猿』(新潮社)
『クロード・レヴィ・ストロースあるいはアイソーポスの新たな饗宴』(法政大学出版局)
『三極の星』(青土社)
『二重の炎』(岩波書店)
『大いなる日々の小さな年代記』(三交社)など。






























































by my8686 | 2019-07-21 15:33 | 気になる本 | Trackback | Comments(0)

アルチュール・ランボー『地獄の季節』を読み解く

アルヴィン・ラスティグがデザインした『地獄の季節』の装丁に官能が反応していた。





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昨日、「JBL C38 BARON」を読み解く中で表出した、アルヴィン・ラスティグがデザインしたランボ―詩集『地獄の季節』の装丁である。
1945年作。74年前のデザインである。

J.S.BACHのシンプルなレコードジャケットとは異なり、赤地に白黒の有機的な切り絵風のイラストが描かれている。

カリフォルニア・デザイン美術館蔵とある。
カリフォルニアの太陽のような、「炎と燃える昼のような、自分を解き放ち、自由に飛んでいく」詩の世界を表現したのだろうか。





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ランボ―詩集『地獄の季節』が妙に読みたくなっていた。

読み解いて行けば、あのゴダールの映画「気狂いピエロ」のラストシーンでもこの詩が朗唱されているという。





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さらに、ロメールの「緑の光線」のラストシーンでもこの詩のパラフレーズが引用されているという。






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二人の巨匠がそろって、ここぞというところで引用する散文詩の名作である。
一瞬の永遠のテーマはボードレールにもあった、太陽(男?)と海(女?)の結合(性的?)への憧憬なのであろうか。






あらためて、アルチュール・ランボーの詩集「永遠」を読んでみよう。





L'ÉTERNITÉ   Arthur Rimbaud


Elle est retrouvée,

Quoi? ― L'Éternité.

C'est la mer allée

Avec le soleil.


Âme sentinelle,

Murmurons l'aveu

De la nuit si nulle

Et du jour en feu.


Des humains suffrages,

Des communs élans

Là tu te dégages

Et voles selon.


Puisque de vous seules,

Braises de satin,

Le Devoir s'exhale

Sans qu'on dise: enfin.


Là pas d'espérance,

Nul orietur.

Science avec patience,

Le supplice est sûr.


Elle est retrouvée,

Quoi? ― L'Éternité.

C'est la mer allée

Avec le soleil.





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「永遠」  アルチュール・ランボー


見つかった

何が? ―〈永遠〉

太陽と一緒に行った

海のことだよ


見張り番する魂よ

そっと本音を語ろうよ

こんなにはかない夜のこと

炎と燃える昼のことを


世間並みの判断からも

通俗的な衝動からも

おまえは自分を解き放つ

そして自由に飛んでいく


だって きみたちだけなんだ

繻子サテンのような緋の燠よ

〈義務〉の炎を上げるのは

ついに という間まもないうちにね


そこに望みがあるものか

救済だってあるものか

忍耐の要る学問だ

煩悶だけは確実さ


見つかった

何が? ―〈永遠〉

太陽と一緒に行った

海のことだよ






■アルチュール・ランボー  Arthur RIMBAUD  (1854一1891)

アルデンヌ県シャルルヴィル生れ。16歳で家出し初めてパリに出る。1871年パリコミューンの動乱のさなか三度目の家出をしパリ滞在。
ポール・ヴェルレーヌに手紙を書き、招かれてパリに本格的に滞在。ヴェルレーヌの家庭崩壊の原因となる。

二人でベルギー、イギリスを放浪するが、1873年、ブリュッセルで泥酔したヴェルレーヌに拳銃を発砲される。

わずか3年ほどの間に少なからぬ韻文詩と散文詩集『地獄の季節』『イリュミナシオン』を書いた後、詩を放棄。
天才少年詩人として神話化される。1876年からアジア、アフリカを遍歴後マルセイユの病院で死去。





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☆☆☆GGのつぶやき
「JBL C38 BARON」からランボー詩集を経てゴダールに辿り着いていた。
さらに、エリック・ロメールを知ることになる。
1980年代のフランス映画がまた観たくなってきた。

















































by my8686 | 2019-07-19 10:32 | 気になる本 | Trackback | Comments(0)

京都ひとり旅残像「龍安寺で出会った本/山田無音」

京都ひとり旅を終え、鮮明に残像として残る風景がある。


龍安寺の売店で出会った一冊の本「自己を見つめる ほんとうの自分とは何か」山田無音著。

気になり、ガラケーカメラで記録した一枚が強い残像として蘇る。





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今回のひとり旅のサブタイトルでもある「自己を見つめる旅」が仏性の襞に引っかかったのであろうか。
帰省後、早速図書館でリクエストした。





旅を終え、体力が消耗したのか、鼻風邪から口内炎を発症し、大事をとって安静をこころがけている。

そんな床の中で読み始めた山田無音著「自己を見つめる」。
普段であれば、斜め読みして終わるのだが、床についたまま終日この本と向き合っている。



山田無音老師が初めて手にふれて読んだという禅の本、白隠禅師の「夜船閑話」のことを知る。





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座禅の姿勢の例えに、高野山にある大きな五輪の塔の話が出てくる。

「地水火風を現ず」






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積み上げられた石塔は、重心がちゃんととれていてまっすぐ安定していれば、少々の地震でも倒れない。
身体を調えることが肝要と言われる。





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御意。







☆☆☆GGのつぶやき
長きにわたり風邪などひかなかった身体なのだが、鼻風邪から口内炎を発症し頬の腫れをかかえて安静にしている。
「山田無音老師の言葉」を聞けということのようである。
禅の姿勢を調え、呼吸を調え、心を調えることに精進してまいろう。













































by my8686 | 2019-05-15 19:32 | 気になる本 | Trackback | Comments(0)

加藤周一「雑種という挑発的だが活力に満ちた視点」を読み解く

12/17(月)午前は、かかり付けの整形外科医院で定期健診を受ける。肺と胃のレントゲン写真結果を速攻で医師と共に確認できるのはうれしい。奇麗で曇りも淀みのない写真に一安心する。同年代の主治医とも長いつきあいになる。これからは、定期的にここで検診を受けることになる。




長い待ち時間に読んでいた今朝の朝刊に「加藤周一」の名前を目にする。さらに「雑種文化論」という懐かしい言葉に感性が蠢いた。




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あらためて、その内容を読み解いてみよう。



文学や美術から社会、政治まで、日本と世界の人間のあらゆる営みについて考え、論じた加藤周一が亡くなって10年が経つ。いま加藤の議論を読み直す意義はどこにあるか。その生涯の謎も、徐々に解き明かされている。

加藤は英仏独語に堪能で、外国の大学で教える時間が長かった。A紙に連載したエッセー「夕陽妄語」では政治のあり方に批判的な発言をいとわず、護憲リベラルを貫いた。西洋化が近代化だった日本では、西洋至上主義者と受け止めた人も多いだろう。いまどきの言葉でいえば「反日」である。





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しかし、加藤には「雑種文化論」という一連の論考がある。30歳過ぎてからのフランス留学を経て、日本の問題は西洋化を目標にしたところで解決しないと考えた。西洋化は日本の深いところに入ったが、英仏の文化が「純粋種」なのに対して、日本文化は根本が伝統と外来の双方から養われてきた「雑種」。伝統と外来のどちらかに徹しようとすると失敗する歴史を持っている、と加藤はみた。

半世紀以上前の議論だが、輝きは失っていない。むしろグローバル資本主義が本格的に進展し、各地で反動が起こっている現代こそ、雑種という挑発的だが活力に満ちた視点は注目されていい。

文化人類学者の青木保は「加藤さんが雑種に積極的な価値を認め、独自の個性があるとしっかり言ったことには意味があった。日本文化をつくり出す方向は、いまもそれしかない。1990年代以降の世界では西洋文化の姿が見えなくなり、雑種は現代の現実になっている」と語る。





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憲法学者の樋口陽一は、「雑種文化論は加藤さんの戦争体験、ペシミズムを踏まえた希望の表明だと思う。憲法学では、30年代は美濃部達吉の『天皇機関説』が学界から宮中まで公認学説だったのに、ハシゴを外された。知識人の孤立はいまも起こりうる。再び起こさないためには、今後も日本文化を雑種に高める格闘が必要でしょう」と語る。






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没後の10年間で、加藤の「合理的で明晰」という人物像も見直しが進み、正巻61刷、続巻44刷のロングセラー「羊の歌」(岩波新書)は、読者を引き込む文体の力もあり、前半生の回想録と受け取られてきた。











☆☆☆GGのつぶやき
日本文化を「雑種に高める格闘」という言葉が心に残った。
10月に出版された「加藤周一はいかにして『加藤周一』となったか『羊の歌』を読みなおす」を読み解いてみたいと思った。










































































by my8686 | 2018-12-17 17:17 | 気になる本 | Trackback | Comments(0)

やっと図書館から「勉強の哲学」を借り受ける

リクエストしてから約半年待ちで千葉雅也著「勉強の哲学」を借りた。




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人気の書籍は、いつもこうなのである。
「東大・京大でいま1番読まれている本!」と帯にある。副題に「来たるべきバカのために」とある。

勉強とは何か、学問とは何か、その本質を平易な語り口で説いている良書である。

自分が知らず知らずに囚われてしまっているパラダイムからの脱出方法も読みやすい。

アイロニーとユーモアと享楽。
「バカになること」=敢えてその環境から外れて静観しつつ、既成の信頼性を疑ってみる。





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最初から専門書と格闘するべからず、まずは入門書でウォーミングアップしながら基礎がためをする。
体幹を鍛えることで、深追いしすぎず、目移りしすぎず、感性を絶対視しすぎない勉強力をつけるという視点が良い。





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最終章の「勉強を有限化する技術」は、特におもしろい。

・専門分野に入門する
・読書は完璧にはできない
・入門書を読む
・教師は有限化の装置である
・専門書と一般書
・信頼性、学問の世界
・読書の技術 テクスト内在的に読む
・二項対立を把握する
・言語のアマ・モードとプロ・モード
・ノート術 勉強のタイムライン
・書く技術 横断的に発想する
・アウトライナーと有限性




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☆☆☆GGのつぶやき
昔からノート術には興味があった。最近のエバノートやアウトライナーにも興味が湧く。
発想術などという「術」という言葉には、弱いのである。


































































 


by my8686 | 2018-06-16 20:26 | 気になる本 | Trackback | Comments(0)

ダン・ブラウン最近作 『オリジン(上・下)』を読み解く

経団連は、31日に開く総会で日立製作所会長の中西宏明氏が会長に就任し、新体制がスタートする。

デジタル技術で社会課題を解決するSociety(ソサエティー)5・0(超スマート社会)の実現を通じ、民間主導の経済成長でデフレ脱却を果たすという。
歴史的な産業のパラダイムシフトや保護主義が台頭する中、日本企業の変革を促し、国際ルール作りを主導する発信力に期待がかかる。




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しかし、「ソサエティー5・0」は、日本発のコンセプト主導型の戦略である。
「分かりにくい」との指摘は根強く、否定的な見方もある。しかし、本質は産業の新陳代謝を伴う社会課題の解決で、人工知能(AI)やロボットの技術進化は必要条件である。

具体的には今月提言した「デジタル省(情報経済社会省)」の創設。
総務省、経済産業省、内閣官房IT総合戦略室などの情報通信・デジタル政策を統合し、予算権限を持った強い司令塔を求めていくという。

はたして、いかほどのものになるのか、お手並み拝見といこう。




それはさておき、気になるダン・ブラウン著作の最新作『オリジン(上・下)』を覗いてみよう。




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『ダ・ヴィンチ・コード』で、世界的ベストセラー作家になったダン・ブラウンの最新作は、世界を変革しつつある最先端のAIの話と、人類の起源と未来という根本命題を大胆に組み合わせた推理小説だという。



あらためて、作家・黒木亮氏の論評を読み解いてみよう。

英国のデータ分析会社ケンブリッジ・アナリティカは、人工知能(AI)技術を駆使して米大統領選挙でドナルド・トランプを勝利に導いたといわれ、グーグル傘下のディープマインド社は、AIに学習機能を持たせ、囲碁で韓国のトップ・プロを破った。





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物語は、米国の若き天才科学者、エドモンド・カーシュが、世界のあらゆる宗教を否定する科学的大発見をし、それを発表するプレゼンテーションの壇上に現れたとき、額を撃ち抜かれるという衝撃的な事件で幕を開ける。

かなりの大風呂敷だが、その後も緊張感を持続し、最後まで読者のページを繰る手を止めさせず、しかもきちんと説得力のある着地をする著者の力量はさすがと言うほかない。





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本書の主な舞台はスペインである。モンセラット修道院、ビルバオのグッゲンハイム美術館、バルセロナのカサ・ミラやサグラダ・ファミリアなどが登場する。
観光地的な場所が多いのは、読者によって好き嫌いが分かれるかもしれない。ただ描写は念入りで、観光ガイドブックをはるかに超える蘊蓄が傾けられ、説得力がある。






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推理小説は、単なる謎解きだけでは優れたものとはいえない。手に汗握るサスペンス、個性的な主人公、あるいは松本清張の『ゼロの焦点』のように、時代を象徴し、かつ肺腑をえぐる人間ドラマなどがあってこそだ。

本書についていえば、二重三重の謎解きに加え、疾走感のあるサスペンスがぐいぐいと読者を引きつける。また最新のAI技術を単なる説明にとどめず、主人公の一人として登場させ、読者にその世界を存分に堪能させている点が刺激的だそうな。

近未来的なAI技術を体現し、単なる脇役に見えて、実は物語の中心だと分かるキャラクターはとても魅力的だという。




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(KADOKAWA・各1800円+税)








☆☆☆GGのつぶやき
「中西経団連」が打ち出す「ソサエティー5・0」は、AIやロボットの技術進化を必要条件とした、日本発のコンセプト主導型の戦略である。
期しくも、ダン・ブラウンの最新作も、物語の中心が「近未来的なAI技術」だという。期待感を擽る「気になる本」には、違いない。



























































































by my8686 | 2018-05-31 17:15 | 気になる本 | Trackback | Comments(0)

杉本貴志著「無為のデザイン」

杉本貴志を追悼し氏の初エッセイを見てみよう。


反骨のインテリアデザイナー、杉本貴志の初エッセイ「無為のデザイン」である。



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日本を代表するインテリアデザイナーである杉本貴志は、ハイアット、シャングリラ、ザ・リッツ・カールトンなどの世界的なホテルや無印良品の各店舗の他、バー、レストランなどにおいて、これまでにない新しいコンセプトをもった商業空間のデザインを数多く手掛けてきた。

本書は、40年間にわたってデザイン界の第一線を走り続けてきた杉本が、その草創期から現在に至るまでに関わったプロジェクトや出会った人々、触れあったものや土地などを通じて、“デザインすることの意味”を綴った書き下ろしエッセイである。





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多くのデザイナーや文化人が訪れ、後に伝説のバーと言われた「バー・ラジオ」のオープンとその後の改装のエピソードに始まり、国内外のホテルを手掛けることになった経緯、また日本を代表するグラフィックデザイナー故・田中一光氏との交流や「無印良品」の店舗づくりにおける思考の過程などがいきいきと語られている。





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デザインとは「作り出すのではなく、見出すこと」という杉本の作品の裏側にあるさまざまな思想を読み解き、杉本の放つ磁場を感じ取ってみたいと思った一冊である。





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あらためて、目次を見てみよう。




はじめに

駆け出しの頃

初期の仕事―バー・ラジオ

六本木パッシュ ラボ

バリとの出合い

ホテルの仕事

グランドハイアット 東京

パークハイアット ソウル

無印良品からMUJIへ

浄法寺の仏像

白磁鉢

陶磁器 李朝白磁

あとがき









☆☆☆GGのつぶやき
杉本の放つ磁場に淀みはない。
目次をひとつひとつ読み解いてみたいと思った。






































































by my8686 | 2018-04-27 18:19 | 気になる本 | Trackback | Comments(0)

PLETHORA MAGAZINE

昨日は、午後から今年初のロードバイクランに興じる。距離にすれば、約25Kmほどの短距離ではある。
自宅からここ会社のパーキングまで緩やかな下りと平地を走る。
日差しを浴びながら春の冷たい風に吹かれるのも、気持ちのよいものである。


それはさておき、本日は伝統的な印刷技術に対する深い情熱から生まれたコペンハーゲン発の雑誌「PLETHORA MAGAZINE」を読み解いてみよう。




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2年前にもこのエキシビジョンが中目黒Gallery JIBで開催されている。





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最も芸術作品に近い雑誌と言われ、ポスターサイズという雑誌の概念を覆す大きさは記録文章から貴重に吟味されている。





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平凡な現在とは違った人生物語。






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Fine art、Contemporary artistを取り上げる異色の編集内容。





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そしてヒンズー寺院の僧侶による高度な印刷技術。






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さらに、デジタル化が急速に進む現代において、どれを取っても今までにはない全く新しい世界観や価値観を表出している。





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忘れかけていた情熱の結晶とも言える一冊と言ってよいであろう。






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☆☆☆GGのつぶやき
大型のポスター本の体裁に感動をおぼえる。
本好きにはたまらぬ不思議な魅力がある。

















































































by my8686 | 2018-04-16 14:19 | 気になる本 | Trackback | Comments(0)