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「枠組み合意崩壊プロローグ」の猿芝居はやめてくれ!!

朝鮮戦争の休戦から65年。戦火を交えた米朝のトップが12日、シンガポールで握手した。
つい半年前まで、核実験や弾道ミサイルの発射で双方は緊張状態にあっただけに、狐につままれた感は否めない。





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ボス猿二匹の胸中にどのような魂胆が去来していたのか。

予想どうり「猿芝居の政治ショー」を見せられたしまった後の後味の悪さは否めない。
首脳会談の焦点は、金委員長が体制のよりどころである核を本気で放棄する意志があるかどうか確認することだった。

米朝関係の改善を目指す共同声明に署名はしたものの、北朝鮮に体制保証を与え、朝鮮半島の「完全な非核化」を約束することを共同声明で確認はした。

しかし、いつまでに、どうやって非ログイン前の続き核化を実現するのかの具体策は示されず、米朝の高官が引き続き協議を続けることを決めるにとどめた。

トランプが大統領の座を去った時には、いつでも反故にされる可能性を含んでいることに、違いはない。




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さらに、トランプが実現を目指していた「朝鮮戦争の終結」も盛り込まれなかった。

両首脳は38分間の単独会談を行い、両国の高官を交えた拡大会合、実務者も加えたワーキングランチを行った。首脳会談の時間は計4時間に及び、会談後に2人で庭園を歩いた後、共同声明の署名式に臨んだ。





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トランプ大統領は署名式で、「我々は期待をはるかに超えることをやり遂げた」と自賛。正恩は「世界はおそらく重大な変化を見ることになるだろう」とトランプ氏に謝意を表したかに見える。

しかし、最大の焦点である北朝鮮の非核化をめぐっては、北朝鮮が4月の南北首脳会談で約束していた「完全な非核化」の再確認にとどまった。

核兵器やミサイルをどう廃棄・搬出するのか、その期限、査察の方法など具体策は示されなかった。過去の米朝合意もこうした具体的な措置で行き詰まった歴史が何度もある。

今回もまんまと金委員長のグレー交渉術に左右された感は否めまい。トランプの下心を見透かした政治ショーでしかなかったことを、我々はいつ気づかされるのだろうか。

米国が譲れない条件だと主張してきた北朝鮮の「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」(CVID)も共同声明に盛り込まれなかった。「完全な非核化」の定義があいまいなまま、北朝鮮の非核化が実際に進むのかは不透明なままである。






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トランプ大統領は北朝鮮の体制保証に伴う在韓米軍の扱いについて、「当面は減らすつもりはない」と語った。
しかし、将来は削減・撤退させたいとする持論も展開し、「(北朝鮮と)交渉中に『戦争ゲーム』を行うのは不適切だ」と指摘。アジアの安全保障維持のため歴代政権が続けてきた米韓合同軍事演習にも消極的な姿勢を示した。

トランプ大統領は、12日夜に帰国の途に就いた。正恩委員長を乗せたとみられる飛行機も同日夜にシンガポールを離れた。








☆☆☆GGのつぶやき
今後の部会交渉しだいでは、チキンレース再燃の危険性をはらんでいる、と見る。
トランプが大統領の座を去れば、さらなる「枠組み合意の崩壊劇」が再開される可能性は目に見えていよう。







































































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by my8686 | 2018-06-13 13:02 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)

「財務省、公文書改ざん 森友「特例」経緯、削除」を読み解く

財務省は12日、学校法人・森友学園との国有地取引に関する決裁文書の書き換えを認め、国会に調査報告を提出した。取引問題が発覚した昨年2月以降、14件の文書を意図的に改ざん。

削除部分には安倍晋三首相の妻昭恵氏の名前もあった。政府は同省理財局の指示を認定し、国会答弁との整合性をとるためだとした。首相は同日夕、謝罪したが、麻生太郎財務相とともに政治責任が厳しく問われることになる。



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安倍一強の千丈の堤にもいよいよ穴があいた感のする事件である。スクープしたのは、朝日新聞。
とかく反日の社説・記事・捏造問題が批判の的となるが、今回だけは「あっぱれ!!」を贈りたい。





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あらためて、この内容を読み解いてみよう。




■首相謝罪「責任を痛感」 麻生財務相、与党にも辞任論

安倍首相は12日、改ざん問題について、首相官邸で記者団に「行政全体の信頼を揺るがしかねない事態であり、行政の長として責任を痛感している。国民の皆様に深くおわびを申し上げたい」と謝罪した。だが、麻生財務相については「全容を解明するため責任を果たしてもらいたい」と続投させることを表明。麻生氏も自身の進退については「考えていない」とした。




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しかし、国権の最高機関である国会に提出した公文書が決裁後に改ざんされていた事実は、民主主義の土台を覆しかねない前代未聞の事態で、政界では激震が走っている。

首相は国有地の売却問題が発覚した直後の昨年2月17日、「私や妻が関係していたことになれば首相も国会議員も辞める」と国会で答弁した。文書改ざんはこの時期に進み、妻・昭恵氏に関する記述や「本件の特殊性」といった文言が削除されていた。

それだけに財務省幹部らの「忖度」や官邸の関与の有無といった事実解明を進めるため、野党は首相と麻生氏の責任追及を強め、昭恵氏や佐川前理財局長の証人喚問も要求。与党との対立は深まる。




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麻生氏は第2次安倍政権の発足当初から首相を支える屋台骨。続投方針は、首相の政権運営と3選を狙う今秋の自民党総裁選をにらんだ判断だが、与党内からも「辞任は当然」(自民中堅)という責任論が出始めており、予断を許さない状況だ。





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この問題について、ジャーナリスト江川紹子氏のコメントをみてみよう。



財務省の文書改ざんのニュースを聞いて、私たちが戦後、信頼してきた民主主義の土台が崩れた気がしました。政府が主権者である国民に対してうそをついてきたわけですから、何を信じたらいいのでしょうか。

怒りと言うよりも、ただ、ぼうぜんとしています。

日本の戦後は、役所や裁判所が公文書をどんどん焼き捨てることから始まりました。役人や裁判官が身を守るためです。あれから70年余り。公文書保存のための法律も制定され、その大切さが広く理解されていると思ったのですが、まさか役人が文書に手を加えてしまったとは。

情報公開制度も、意味をなしません。「文書が存在しない」と回答したり、一部を黒塗りしたりしても、将来、状況が変われば文書が出てくるかもしれません。しかし公開請求された文書自体が変わったのでは、制度の前提が壊れてしまう。歴史の捏造と言ってもいいと思います。

事件を教訓に、お役所は、改ざん前の文書を「しっかり破棄しましょう」となってしまったら、お手上げです。




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いまは確定申告の時期です。税務署は、ちょっと何か問題があると、必ず資料を出すようにと言ってきます。納税者にはそこまで求めるのに、税を集める側は資料を隠したり、改ざんしたり。とんでもない話です。

しかも、財務省は役所のなかの役所、エリート集団です。そうした人たちが、文書を改ざんせざるを得なかったのはなぜなのでしょうか。一部の個人が自らの判断でしたことか、組織の行動なのか。政治家の関与はなかったのか。過去にも平気で書き換えていたのではないか、という疑いも出てきます。



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きちんと調べないといけません。検察は膨大な事実の中から犯罪の構成要件にあたるものだけを立件します。それでは、全体像はわからないでしょう。また財務省に身内の調査を任せるだけでは、限界があります。

国権の最高機関である国会が、調査に乗り出すべきです。国会に特別委員会をつくるのはもちろん、東日本大震災のときにつくった、政治から独立した福島原子力発電所事故調査委員会のようなものが必要です。

委員会に法曹関係者やジャーナリストを入れて調べるのがいいと思います。それほど、歴史的な事件なのです。

臆測でモノを言うのは避けます。ただ、安倍政権は官邸に権限を集中させ、役所の人事も一元的に握りました。こうした政権が長期化すれば、役人がどこを見て仕事をするようになるか。明らかなことです。




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今回は新聞が頑張りました。報道がなければ、改ざんの事実も明らかになりませんでした。事実をたんたんと報道する姿勢が、よかったと感じます。









☆☆☆GGのつぶやき
今回は本当に新聞報道の力であると感じる。ペンは剣よりも強し。
事実をたんたんと報道する姿勢、その素の姿勢が勝った。
何事も「素」が肝心である。





































































































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by my8686 | 2018-03-13 14:03 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)

中国主席の任期撤廃 習政権、長期化に道 全人代で憲法改正

中国の全国人民代表大会は11日、共産党の指導的役割を明記し、国家主席の任期を2期(10年)までとしていた規定をなくす憲法改正案を可決した。
2期目に入った習近平総書記(国家主席)の長期政権に向け、憲法上の制約がなくなったという。




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任期撤廃案が発表された後、中国のSNS上では「私は反対」「不同意」「終身制」などの言葉が全く検索できなくなったという。

中国内の言論統制に不穏な空気が漂う。



あらためて、この内容を読み解いてみよう。


賛成は2958票で改正要件の3分の2以上を大きく上回り、99・8%に達した。反対は2票、棄権は3票、無効票は1票。改正憲法は即日施行された。

習氏が兼任する党トップの総書記、軍トップの中央軍事委員会主席には任期制限がない。全人代は党、国家、軍の規定をそろえることで「習近平同志を核心とする党中央の権威と集中的な統一指導を守るのに役立つ」と説明した。





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中国の憲法改正は2004年以来、14年ぶり。あらゆる公職者の汚職を取り締まる「国家監察委員会」を設立する内容も盛り込んだ。

改正憲法では、第1条に「共産党による指導は中国の特色ある社会主義の最も本質的な特徴である」と書き込み、共産党の一党支配の正当性を法制度面からもより強固にした。


国を代表する国家主席の任期制限がなくなり、習氏は2期目の任期が終わる2023年以降も、名実ともに最高指導者を続けることが制度的に可能になった。習氏が兼務する党トップの総書記、軍トップの中央軍事委員会主席には任期の制限規定はないためだ。



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習氏は昨秋の党大会で、建国から100周年を迎える今世紀半ばには「社会主義現代化強国」を実現するという長期目標を立てた。

世界トップレベルの経済力を持ち、国民全体が豊かになり、国際的な影響力を持つという将来像だ。習氏がいつまで政権を握るかは別にしても、長期安定政権でその目標に道筋をつけたいとの判断がある。

最大の不安要素は経済だ。少子高齢化で労働力が細り、今後は高い成長が望めないとの見方が強い。党関係者は「習氏や党幹部が恐れているのは、一部の知識人からの終身制批判ではない。経済が悪くなり、大衆の不満が自分や党に向かうことだ。経済がましなうちに権力基盤を固めておきたい」と話す。




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ただ、任期制限は、晩年まで権力を持ち続けた毛沢東が文化大革命などで国を混乱させた反省から生まれた。長期政権がよみがえれば、「第二の毛沢東になりかねない」(外交筋)との不安は根強い。

また、最高指導者の任期が不明確になることで、政権交代をめぐる党内の権力闘争が激化するリスクも高まる。




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共産党政権は当面の政治的安定を優先したことで、長期的には大きな不安定要素を抱えることになる。

毛沢東は、日本人を「日本軍国主義者」と「日本人民」に分けて考え、後者と統一戦線を組み、第三の革命とされた日本人民革命を起こさせようと考えていたという。




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元大日本帝国陸軍中将の遠藤三郎と毛沢東の会見、元A級戦犯の久原房之助と毛沢東の会見でも毛沢東から似た発言がなされた。

「革命とは、客を招いてごちそうすることでも無ければ、文章を練ったり、絵を描いたり、刺繍をしたりすることでもない。そんなお上品でおっとりとした雅やかなものではない。革命とは暴力である。一つの階級が他の階級をうち倒す、激烈な行動なのである。」








☆☆☆GGのつぶやき
中国の脅威がますますエスカレートしそうである。
米北会談後の中国の動きには注意がいる。

















































































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by my8686 | 2018-03-12 10:42 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)

俳優・大杉漣の急死を悼む

俳優の大杉漣が21日午前、急性心不全のため急死した。66歳だった。




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同世代の男として、共感し、その役柄に共鳴させられていた。





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サイトでは「弊社所属の大杉漣が、2018年2月21日午前3時53分に急性心不全で急逝いたしました」と報告。葬儀は本人や家族の意向で、親族のみで執り行うという。





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MEMO

1951年9月27日生まれ、徳島県出身。
74年から88年まで、太田省吾主宰の『転形劇場』で舞台俳優として活躍し、78年に『緊縛いけにえ』で映画デビュー。

以降、映画『ソナチネ』、『土竜の唄 潜入捜査官REIJI』、NHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』などの多数の作品に出演。
主役を際立たせる名バイプレーヤーとして欠かせない存在となった。



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☆☆☆GGのつぶやき
突然の死亡報道に明け方目が覚めた。
惜しい俳優がまたひとり、亡くなった。
心から冥福を祈りたい。























































































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by my8686 | 2018-02-22 10:28 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)

「自由の象徴、上海の書店閉店」を読み解く

寒波もひと段落した感のある月曜日。このまま、春に近づいてくれればよい。
昨夕は、次男の縁談の朗報の余韻を噛みしめながら、市内にあるお気に入りの温泉に入り、その後、夕餉をいただく。


さて今朝は、中国・上海に20年間続いた書店「季風書園」が閉店したニュースを読み解いてみよう。



1月31日夜、中国・上海の書店「季風書園」は、歌声に包まれていた。



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Do you hear the people sing?(人々の歌が聞こえるか?)
Singing a song of angry men?(怒れる者の歌が聞こえるか?)


ミュージカル「レ・ミゼラブル」で苦しい暮らしを強いられる民衆が歌う曲だ。店を埋めた約500人の客たちが声を合わせた。




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この数時間後、店は20年続いた営業を終えた。民主主義に関する本が充実していた。中国社会の問題を議論するサロンも名物で、上海文化の「象徴」と呼ばれた。

しかし、当局の圧力でサロンの中止が増え、店の賃貸契約更新は拒否された。新たに受け入れてくれる場所は、上海にはもうなかった。

2012年に発足した習近平指導部の下、言論の引き締めが強まる中国。多様な考え方を認め合ってきた文化の発信地が、街から姿を消した。




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「季風書園」がその歴史を閉じた日、多くの客たちが最後を見届けようと店にやって来た。上海市の会社員女性(26)は「別れを惜しむ人たちが次々とやって来て、ギターを弾いて歌ったり、踊ったり。まさに送別会だった」と話す。

女性は前日の30日夜も店を訪れた。人が集まり始めたころ、突然原因不明の停電が発生。客たちはスマートフォンのライトや、ろうそくの火で本を読み、語り合ったと言い、「暗闇に星々が光っているようだった」という。




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店が週末ごとに開いた「サロン」では政治制度をテーマにした討論によく参加した。
「前は政治には関心がなかったけど、本を読み、議論するのが楽しくなった。真理とは、自由とは何か、いろんな意見が飛び交う雰囲気が大好きだった」と話す。

閉店から2日後、店の入り口にはシャッターが下ろされ、店員たちが片づけに追われていた。

「今の心境は、店の本棚と同じ。空っぽで空虚な気持ちでいっぱいです」。がらんとした店内を見渡しながら、経営者はつぶやいた。


上海に季風書園が生まれたのは、1997年4月。
シンクタンク「上海社会科学院」で哲学や中国近代思想史を研究していた厳搏非が創設。
当時の中国は、92年のトウ小平氏の「南巡講話」を受けて改革・開放路線が加速していった時代。開店の年の7月には香港返還もあった。



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店の運営理念は「文化の独立、自由な思想の表現」。哲学や民主主義に関する本や、中国の貧困問題や労働問題を取り上げた本が充実していた。

学者や作家が読者と共に社会の様々な問題を議論するサロンには、若者から高齢者まで、多くの読者が参加した。

店は「独立書店」、「自由の風」と呼ばれるようになり、評判を聞きつけた客が全国各地から訪れた。40平方メートルでスタートした小さな店は、開店から10年後の2007年には上海市内に8店舗を構える「上海文化のランドマーク」となった。

だが、08年に1号店が閉店。地価の高騰により賃料は開店当時の10倍になり、インターネット通販や電子書籍の浸透で、店の売り上げは激減。経営は厳しく、10年、11年と1店1店閉店が続いた。

企業家でもある于氏が経営を引き継いだのは、12年。学生時代からの常連で、店の危機を救おうと手を挙げた。

その年の秋、北京で中国共産党大会が開かれ、習近平氏が共産党トップの総書記に就いた。習指導部は国家の秩序維持を重視し、言論の引き締めを強めた。

13年春、人権などの普遍的価値や、報道の自由といった内容を授業で禁じる「七不講(七つの語るべからず)」が各地の大学に通知され、17年6月にはネット上の言論統制を強化する「インターネット安全法」が施行。

「ネット上で誤った主張を流した」などとして、知識人が大学や職場から追われることも増えた。




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季風書園でも、当局によってサロンの開催が取りやめになることが徐々に増え、客足が遠のいた。最後に残った上海図書館地下の店も昨年1月、賃貸契約の延長を図書館に断られ、閉店を余儀なくされた。

「店を引き継いでからの日々は、多様な文化を抑制しようとする社会の圧力の強まりを感じる時間だった。季風書園が消えた根源的な理由は、賃料の問題でも本離れの影響でもなく、こうした社会の空気が背景にある」と于さんは話す。

それでも、経営を引き継いでからの5年間で店のサロンやイベントに参加した人は延べ10万人に上る。

「店は消えたが、店に来た一人ひとりの人生の中で、店の精神はずっと生き続けるはずだ」

「季風は永遠に私の心の中にある」「自由の風に感謝」……。閉店を迎えた時、店の壁には客が貼ったメッセージカードが幾層にも重なっていた。




■習近平指導部の下で強まる言論統制

<2012年11月> 習氏、党総書記に就任


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<2013年1月> 中国紙「南方週末」の新年特別号が当局の指示で改ざんされる。自由や平等を巡る文言を削除



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<春> 人権などの普遍的価値や報道の自由といった7項目を授業で禁じる「七不講」を各地の大学に通知



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<2016年7月> 改革派の月刊誌「炎黄春秋」が当局の圧力を受け、解任された社長が「停刊声明」



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<2017年6月> ネット上の言論統制を強化する「インターネット安全法」が施行











☆☆☆GGのつぶやき
「インターネット安全法」などという馬鹿げた政策がまかりとうる中国の今に、かつての不安が甦る。13億人を超えた国民を統治するには、やはり必要なことなのであろうか。
かつて、紅衛兵と呼ばれた学生運動を扇動し政敵を攻撃させ、失脚に追い込むための、中国共産党の権力闘争を思いおこす。
その残像が今ふたたび甦る。






























































































 




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by my8686 | 2018-02-19 10:11 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)

「モスル、ISの墓標」を読み解く

イラク第2の都市モスル。ISは2014年、ここで「建国」を宣言し、最重要拠点とした。
イラク軍などが奪還して半年となった今月中旬、最後の激戦地だった旧市街にA新聞社記者が入った。




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そのドキュメント記事を読み解いてみよう。


粉々に砕けた建物の残骸を進むと、過激派組織「イスラム国」(IS)の戦闘員の遺体が野ざらしで多数放置されていた。頭の奥に突き刺さるような強烈な臭いに、鼻と口を覆った。

旧市街のミダン地区の北側で車を降りて、チグリス川沿いに幅約1メートルの道を歩いた。ブルドーザーががれきを押し分けて作った道だ。両脇には、砕けた石材や折れ曲がった鉄筋、焼け落ちた

自動車、壊れた家電製品、弾倉などが背丈以上に積み上がっていた。
突然、胃を持ち上げられるような臭いが鼻をついた。腐乱したり焼け焦げたりした遺体からだった。長いひげをはやして自爆ベストを着けた遺体や、住民の女性に扮装していたとみられる女性服姿の遺体もあった。野ざらしにされたIS戦闘員の遺体だった。





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■5000人の安否は

約200メートル歩いて確認できたIS戦闘員の遺体は、少なくとも40体あった。街のあちこちに黒地に白字で「ISの墓場」と書かれた看板が立てられていた。全壊した建物の隙間には、戦闘員の家族とみられる幼児の遺体も見えた。

IS侵攻前、旧市街には12万5千人が暮らしていた。地元当局による遺体調査や住民の埋葬報告によると、これまでに約4300人の死亡を確認した。ISは「人間の盾」として他の地域から民間人約5千人を旧市街に連れてきたが、その生死は不明という。





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■子育て、ここで

ISの最高指導者アブバクル・バグダディ容疑者が「カリフ」を宣言した旧市街中心部のヌーリ・モスク周辺。全半壊の建物は修復されておらず、電気も水道も復旧していないが、帰還した住民がいた。




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主婦アスマ・スルタンさん(26)。夫は昨年6月、ISを狙った米軍主導の有志連合の空爆の巻き添えになって死亡した。「残された子ども2人を育て、平穏に暮らすことが私の唯一の望みです」



IS戦闘員の遺体放置について、イラク政府は「地元自治体の職員、装備が限られ、回収できない」と説明する。

だが、イラク政府がイスラム教シーア派主体なのに対し、モスル住民にはスンニ派が多く、ISも同派の過激派組織だったことから、「政府によるスンニ派への見せしめ」と受け取っている住民は多い。




<モスル>
2015年時点の人口約187万人。14年6月、ISの前身組織が武力制圧。ISに改称し、イラクとシリアにまたがる「国家樹立」を宣言。




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最高指導者アブバクル・バグダディ容疑者は翌7月、旧市街のヌーリ・モスクで預言者ムハンマドの後継者を意味する「カリフ」を名乗った。




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世界中から信奉者が集まり、ISの最重要拠点になった。その後、イラク軍や米軍主導の有志連合が掃討作戦を展開。イラクのアバディ首相は17年7月、勝利、解放を宣言した。







 

☆☆☆GGのつぶやき
モスルは、イラク北部に位置する古代のニネヴェの遺跡と世界有数の石油生産で知られる大都市である。
バグダードの396km北西にある。市街はチグリス川の両岸に広がり、五つの橋で結ばれている。
石油がもたらした魔界地域でもある。
この地での紛争は、人類が生存している限り永久に続くことであろう。


























































































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by my8686 | 2018-01-22 13:44 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)

「1・17 命の意味を問い続ける 阪神大震災23年」

6434人が亡くなった阪神・淡路大震災の発生から17日で23年を迎える。
被災地では発生時刻の午前5時46分を中心に追悼行事が行われ、街は祈りに包まれた。



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この日は神戸市中央区の東遊園地で犠牲者を悼む「1・17のつどい」が開かれ、「1995 伝 1・17」と並べられた竹灯籠に火がともされ、黙祷する。






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兵庫県宝塚市の武庫川では16日、中州に石を積んで制作された「生」の字のオブジェがライトアップされた。

市内に住む現代美術家の大野良平氏が2005年1月に「街と人の心の再生」を願って制作。増水で流失すると、市民らが石を積み直してきた。
大野氏は「震災を知らない若者が増える中、命の大切さを考えるきっかけになれば」と話した。





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また、神戸市中央区の東遊園地には、亡くなった人の名を刻んだ「慰霊と復興のモニュメント」がある。17日に、遺族や市長らが追悼の言葉を述べる場だ。






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その銘板の横で昨年末、「あほ」「ばか」などの落書きが見つかったという。
誰が何のためにやったかはわからない。被災者を傷つける許せない行為である。






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「1・17のつどい」の実行委員長は「ここがどんな場所か知らず、想像もしなかったのだろう」といい、体験継承の取り組みが「伝わっていなかったのか」と深刻に受け止めているという。







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☆☆☆GGのつぶやき
23年前、ドイツのホテルに宿泊していた。早朝、フロントからの電話で起こされた。
「KOBE! KOBE!・・・・・」興奮した早口に、何か事件が起きたことを知り、すぐさまテレビをつけた。
高速道路の高架が蛇のようにのたうち、崩壊したその映像を、現実のものと理解するのに、しばらく時間を要した記憶が甦る。
異国の地で知らされた阪神大震災であった。
風化させまじ、大震災の傷。































































































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by my8686 | 2018-01-17 13:53 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)

ICAN事務局長、広島で若者と交流「核兵器廃絶へ希望・活力が武器」

2017年のノーベル平和賞を受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN〈アイキャン〉)のベアトリス・フィン事務局長(35)=スウェーデン出身=が15日、広島市を訪れ、高校生や大学生ら若者たちと交流した。




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フィン事務局長はこの日、市内で市民ら約340人を前に講演。集まった約130人の若者たちに、核兵器廃絶の実現には「希望」「活力」「ソーシャルメディア」を通じたつながりが「武器」になるとし、「大きな変革は常に抵抗を伴うが、私たちは歴史の正しい側にいる。長い視点を持つことで前向きになれる」と勇気づけた。




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講演に先立ち、フィン氏は平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に献花。





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資料館では、被爆して亡くなった少年の衣服などの遺品に見入り、芳名録には「ICANは核兵器の終わりを見届けるため皆様と共に力を尽くします」と英語で記した。

被爆者の体験談も聞き、「日常生活が一瞬にして奪われたことが理解でき、大変心を動かされた」と話した。






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■首相に会えず「大変失望した」

フィン事務局長は今回、長崎大の招待に応じて初来日し、16日には国会議員らと東京で討論する予定という。




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一方、求めていた安倍晋三首相との面会は「日程の都合がつかない」としてかなわなかった。

「日本政府は(核保有国と非保有国の)『橋渡し役』を担いたいと言っているので話し合いたかった。大変失望している。次の機会に期待したい」と述べた。




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☆☆☆GGのつぶやき
トランプ大統領には唐突ともいえる速さで自ら駆けつけた安倍晋三首相。
それに反し、ICANベアトリス・フィン事務局長を避けるかのような面会拒絶は、被爆国のリーダーとしての潔さに欠けよう。
武器のトップセールスに対し満面の笑みを浮かべて対応した安倍晋三首相の心中が透けてみえる。
米国の核装備に支援金さえ出しかねぬ安倍首相の反知性が、この国を危うくしていよう。















































































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by my8686 | 2018-01-16 09:51 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)

「湯川博士、反戦への足跡 終戦前後の日記公表」を読み解く

日本人初のノーベル賞を受賞した物理学者、湯川秀樹博士(1907~81)の日記のうち、太平洋戦争終戦前後の1945年の内容を京都大が21日、公表した。

原爆研究への関わりを示す記述があるほか、戦後、戦争反対や核廃絶を訴えるまでの軌跡がうかがえ、貴重な資料だと専門家は指摘する。




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没後36年を経て21日に公開された湯川秀樹博士の終戦前後の日記には、生涯語らなかった原爆研究についての記述が散見される。
戦後一貫して平和と核廃絶を訴えたが、その転機となった、沈黙の期間の動静も浮かびあがる。

「午後 三氏と会合 F研究相談」。1945年2月3日付の日記はこう記されている。

F研究は旧海軍の委託を受け、京都帝国大(現・京都大)が極秘で進めた原爆研究の名称だ。Fはfission(核分裂)の頭文字。

指揮をとった荒勝文策教授のもと、後にノーベル物理学賞を受ける中間子論ですでに世界的に有名だった湯川博士が理論を担当した。





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日本の原爆研究はF研究と、旧陸軍の委託で理化学研究所(東京)が行った「ニ号研究」がある。戦況を打開する手段として、海軍が研究を本格化させたのは43年ごろ。

44年10月には、大阪・中之島の海軍士官クラブ「水交社」で京大と海軍によるF研究の初会合が開かれた。原爆製造に欠かせないウランの濃縮計画の報告があり、湯川博士も核分裂の連鎖反応について報告したことが知られている。





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翌45年5月には「F研究 決定の通知あり」、6月は「F研究 打合せ会、物理会議室にて」と記されている。

7月21日、「午前雨 涼し 朝七時過家を出て京津電車にて琵琶湖ホテルに行く、雨の中を歩く。帰りは月出で九時帰宅」。この日はF研究の海軍との合同会議が大津市で開かれた。


日本の原爆開発に詳しい山崎正勝・東京工業大名誉教授(科学史)によると、原爆の原料となるウランの入手が困難なことから、F研究はこの日の会議で事実上終了したという。原爆研究はF研究、ニ号研究とも失敗に終わった。

ただ、湯川博士の原爆研究への関与は強くなかったとされている。F研究について戦後、連合国軍総司令部(GHQ)から数回取り調べを受けており、日記にも記述がある。




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後に明らかになったGHQの文書は「湯川はプロジェクトの理論にわずかしか関与していない」と報告。
聴取に同行した米国の物理学者らが、湯川博士が不在の時に研究室の本や資料を調べ、本人にも尋問し、「自身の研究にすべての時間を割いていた」と判断したという。

山崎さんも「日記に中間子論に関わる講義記録が多く書かれ、基礎研究に没頭していたことが見てとれる」と話す。




■科学と思想を論議、平和の考え深化か

湯川博士は終戦後、数カ月、外部への沈黙を続ける。再び口を開いたのは45年11月。雑誌・週刊朝日に「反省と沈思の日々を送って来た」としたうえで、「戦争は常に人類の幸福の破壊者である」と書き、強い反戦の意見を表明する。





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沈黙の間、湯川博士は何を考えていたのか。

荒勝博士の孫弟子で、戦時中の核物理学の歴史に詳しい政池明・京都大名誉教授(素粒子物理学)は、日記に度々出てくる人名に注目する。

西谷啓治、高山岩男、高坂正顕――。湯川博士は9~12月、京都学派と言われた著名な哲学者や文学者に頻繁に会っていた。





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10月17日の日記には「(西谷氏らと)科学と思想の問題を中心として論議」とある。政池さんは「原爆研究に関わった湯川博士が、今後どのように歩むべきか悩み、哲学者らと議論するなかで、平和への考えを深めていったのではないか」と推察される。


湯川は、電子の200倍の質量を持つ中間子を、力の媒介粒子(ボーズ粒子)と仮定して、核力である強い力を導くことに成功した。

さらに、強い力からフェルミの弱い力を導いた。中間子論は、弱い力、強い力、両方を含む理論として、当時は最も基本的な場の理論であるとみなされた。また、力を粒子が媒介することをも明瞭に示し、場を生み出す粒子という考えを定着させた。




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ただし、電子が強い力を伝えるという考えをハイゼンベルクが、湯川以前に提示している。
しかし、電子は以前から存在が知られ、理論としても失敗だったので、場を担う粒子という考えは、確立されていなかった。

ハイゼンベルクやボーアは、観察されていない素粒子で場を説明する湯川に否定的であった。ボーアは湯川に、ハイゼンベルクは朝永にこのことを告げている。




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☆☆☆GGのつぶやき
昭和25年生まれの同世代には、「秀樹」あるいは「〇樹」という名前が多い。
湯川博士のノーベル賞受賞は、戦後日本の一大センセーショナルな出来事であった。
しかし、核廃絶が叫ばれる現代において、湯川の原子核内部における中間子の存在を理論づけた実績をどう評価するかは、別の問題であろう。

























































































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by my8686 | 2017-12-22 14:02 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)

「世界発2017 沖縄、特攻、伝え続ける 沈没の米艦エモンズ、戦友会」を読み解く

太平洋戦争で日本の特攻機の攻撃を受けた後、沖縄の海に沈んだ米海軍の掃海艇エモンズの元乗組員とその遺族による戦友会が、米国でいまも続いているという。
元乗組員が毎年亡くなるなか、わずかに残された沖縄戦の記憶は次の世代へと引き継がれている。



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あらためた、この内容を読み解いてみよう。



■「日本人は敵」、変わった

ニューヨーク州バファローで9月半ば、今年の戦友会が開かれた。1年ぶりに再会する元乗組員やその家族たちが抱き合った。

「元気だったか?」「今年も会えてうれしいよ」。「USS Emmons」と書かれた帽子をかぶったアーマンド・ジョリーさん(95)は笑顔で戦友の肩をたたいた。

今年の戦友会には4人の元乗組員とその家族ら75人が集まった。



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エモンズが特攻機5機の攻撃を受けたのは、1945年4月6日。
この日、米艦船を狙って多くの特攻機が攻撃に出ていた。




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トニー・エスポジートさん(94)は「カミカゼ(特攻機)はどこから突っ込んでくるかわからず、本当に恐ろしかった」と思い返す。

1機目がエモンズの船尾に突っ込んだ直後、別の特攻機が降ってきた。エスポジートさんの10メートルくらい先に迫った機体の中に、一瞬、パイロットのシルエットが見えた。夢中で機関砲を撃った。機体は船をそれて海へと落ちていった。

 「あの日の恐ろしい光景は、決して忘れることはない」。エスポジートさんは涙をぬぐった。




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デニス・ヤッケさん(85)は仲良しだった兄ドナルドさんを失った。「日本人はずっと敵だった。長年、日本製品も買わなかった」。しかし、歴史書を読み、時間がたつにつれ、思いは変わったという。

「兄を殺したカミカゼのパイロットにも、我々と同じように家族がいた。皆が上の命令に従っただけだった。戦争なんてだれも望んでいなかったのだから」





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戦友会は、毎年2人の学生に合計4500ドル(約50万円)の奨学金を出している。遺族の子どもたちは「太平洋戦争でエモンズやその乗組員が果たした役割とは」といったテーマで論文を書いて応募する。

今年の受賞者アレクサンドラ・スタックさん(19)は初めてのひ孫世代だった。

「学校で習うのは、真珠湾攻撃やノルマンディー上陸といった大きな出来事くらい。エモンズの歴史を調べて、戦時中、曽祖父が何をしていたのか、初めて知った」と話す。

今年の戦友会には初の参加者がいた。海軍出身で、2度、沖縄に駐留したケビン・キングさん(52)だ。イラクへの派兵などを経験し、多くの友人を失った。
イラクから沖縄に戻り、趣味のダイビングでエモンズを見たとき「戦争で沈んだこの船に、つながりを感じた」という。




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キングさんは、沖縄各地の小さな塹壕まで訪れ、戦史をたどった。15年からは友人らと、ダイビングをしにエモンズに来る米兵に船の歴史を教え始めた。
「沖縄に駐留する若い米兵に、もっとこの船の歴史や沖縄戦について知ってもらいたい」と願っている。







☆☆☆GGのつぶやき
特攻隊という存在すら忘れ去られつつある日本。
どんな思いでカミカゼに乗り込んだのか。
全期間を通じての特攻戦死者数は約四千四百人、命中率は十六・五%であったという。このような非常な攻撃手段をとらざるをえなかった日本軍。
フィリピン防衛作戦 (1944.10.) 以後、もはや戦争継続能力を喪失しつつあったことを示していた。
それでもなお、突き進ませた戦犯達の戦争責任は、重い。
































































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by my8686 | 2017-12-18 11:53 | ヘビーな話は、謹んで | Trackback | Comments(0)