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カテゴリ:度々の旅( 29 )

欧州の旅「白亜の城・ノイシュヴァンシュタイン城見学」

6/3(月)は、ロマンチック街道のハイライト、シンデレラ城のモデルにもなったという「ノイシュヴァンシュタイン城」を見学。





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バイエルン王ルートヴィヒ2世によって19世紀に建築されたという「遺恨深き城」。






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「おとぎ話に出てくるような美しさ」と讃えられることもあるこのお城。






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カリフォルニアにあるオリジナルのディズニーランドや、2005年に開園した香港ディズニーランドにある「眠れる森の美女の城」のモデルになったとも言われている。






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しかし、ルートヴィヒ2世の狂信的なまでのワグネリアンのこだわりから、楽劇への世界に酔いしれるあまり、城としての強度も実用性も乏しい、「装飾過多の張りぼて建築」になってしまったという。

この城のデザインを指示されたのが、当時の宮廷劇場の舞台装置・舞台美術を担当していたクリスチャン・ヤンクという画家で、技術的な構造設計がまったくされず「鉄骨組みのコンクリートとモルタル製」になってしまったそうな。






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しかし、現在はロマンティック街道の終点として、人気の観光スポットになっているというのだから、気持ちは複雑である。







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城内を走る馬車。
しかし乗客が集まらないといつ出発するかわからないということで、ツアー参加者全員テクテク歩いて長い坂道を下りることに。
なんとこの日の歩数計が2万歩。いい運動にはなる。


車好きの吾輩としては、馬を運ぶトレーラーについ見とれてしまったのである。





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☆☆☆GGのつぶやき
ルートヴィヒ2世から庇護されたヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー。
音楽界だけでなく19世紀後半のヨーロッパに広く影響を及ぼした中心的文化人としての存在にふたたび興味が湧いた。






































 










by my8686 | 2019-06-16 20:00 | 度々の旅 | Trackback | Comments(0)

欧州の旅「アルペン街道を通り南ドイツへ」

6/2(日)、アレッチ氷河の絶景を堪能した後は登山鉄道でユングフラウまで下る。

スイスアルプスの風景ともこれでお別れとなる。




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宿泊したダービーグリンデルワルドホテルのある最終駅まで戻り、しばし休憩。

スイス・ベルン州グリンデルワルト村と長野県松本市との姉妹都市記念プレートを発見する。
「2014年10月1日松本市から贈呈」とある。






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スバルレガシーのタクシーを発見。異国で日本車を発見するとつい見とれてしまう。
このタクシードライバーがなんと逞しい女性であった。
スイス女性の骨太の骨格には別の意味で瞠目してしまうのである。





専用バスでアルペン街道を通り、南ドイツへ向かう。
所要約375km/約6時間のバスの旅である。





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ドイツ・アルペン街道は、ドイツ観光街道の一つ。






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1927年に設けられた最も古いドイツ観光街道でバイエルン州の南西端ボーデン湖の小島リンダウから南東端ベルヒテスガーデンまで、オーストリアとの国境をなすアルプス山脈の麓を湖と丘陵を縫うように通る総延長450kmの街道である。





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湖や牧草地、森、山岳といった豊かな自然の中のハイキングやドライブ、冬にはスキーなどのウィンタースポーツも楽しめる「休暇街道」である。







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また、ルートヴィヒ2世が建設した3つの城や、ヴィースの巡礼教会、エッタール修道院といった壮麗な建造物と、市庁舎や民家の壁に描かれた可憐な壁絵とが鮮やかな対比を見せ、訪れる者の目を楽しませてくれる「観光街道」でもあるという。







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シュヴァンガウのホテルに到着。

HYUNDAIのTUCSON 4WD車発見。こちらでは車両交尾にTHULEの自転車用キャリーをつけている車が多い。ストップランプが点灯するタイプのもの。





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こうして6輪アウトツーリングを楽しむライフスタイルも良いものだ。






☆☆☆GGのつぶやき
ドイツに来たらやはりウィンナーソーセージにビールといきたい。
この日の夕食はチキン料理に地ビールをあわせる。
いよいよ明日は、ロマンティック街道のハイライト・ノイシュバンシュタイン城を訪ねる。
















































by my8686 | 2019-06-15 12:35 | 度々の旅 | Trackback | Comments(0)

欧州の旅「スイス・ユングフラウ観光」


6/2(日)は、世界遺産のユングフラウ観光。ユングフラウ鉄道でヨーロッパ最標高の駅に登る。

スイスで最も有名な登山鉄道といわれるユングフラウ鉄道(JB)で出発。
まるで、アルプスの少女ハイジの世界。厳しくも優しく、懐の深さを感じさせるアルプスの大自然が目の前に広がっていく。




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全長はわずか9.3キロと短い路線ながら、終着駅であるユングフラウヨッホ駅は標高3,454m!






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駅の至る所に掲示してある「TOP OF EUROPE」の名のとおり、ヨーロッパで最も標高の高い場所にある駅である。
出発地点のクライネ・シャイデック駅(標高2,061m)から約50分かけて、アイガー・メンヒのアルプスの名峰を貫くトンネルを登っていく。





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途中、トンネル手前のアイガーグレッチャー駅、トンネル内のアイガーヴァント駅、アイスメーア駅に停車していく。






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アイガーヴァント駅はその名のとおりまさにアイガー北壁に面した駅で、数々の登山家が挑戦し散っていった恐ろしく切り立った崖に面していて、数分間の停車時間の間に下車してガラス越しに北壁と遥か下のグリンデルワルトなどの景色を見ることができる。






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アイスメーア駅も同じような構造で、展望台からは間近にせまるアイガー氷河を観ることができる。






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ここを過ぎると終着駅ユングフラウヨッホに到着。







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ユングフラウ鉄道は1896年に建設が開始され、1898年にクライネ・シャイデックからアイガーグレッチャー間が部分開通し、1912年にアイガー北壁をぶち抜くトンネルがようやく完成を見てユングフラウヨッホまでの全線が開通したという。






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トンネル開通までの厳しい建設工程の説明パネルや楽しいインタラクティブの演出がされている。







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ユネスコの世界遺産委員会は、2001年にアレッチ氷河を世界遺産リストに登録。
当初の登録名は、「ユングフラウ - アレッチ - ビーチホルン」(Jungfrau-Aletsch-Bietschhorn, 英仏登録名共通)で、アレッチ氷河の中でもユングフラウ、アレッチホルン、ビーチホルン、フィンスターアールホルン (Finsteraarhorn) の各山頂を含む一帯が登録されたという。

登録面積の多くはヴァレー州に属している。
登録に当たっては、一帯の氷河が作り出す景観や、動物相、植物相のほか、景観がヨーロッパの文学や芸術を触発したことなども評価されたという。

しかし、このままのペースで温室効果ガスの放出が続けば、アルプスの氷河の80%が失われるだろうといわれている。
だから、温室効果ガスは、アレッチ氷河が今後どうなるのかについても、深刻な影響を及ぼしうるようである。

2018年4月から7月にかけたスイスの天候は、150年ぶりの異常高温と乾燥になり、氷河の融解が進み1日あたり10cm以上のペースで後退しているそうだ。
高温が9月まで続いた場合、1年で氷河の4%が失われる可能性も指摘される事態となっているという。

だからこそ、ヨーロッパが電気自動車に本気でシフトしている理由がわかる気がする。





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終着駅である標高3,454m!のユングフラウヨッホ駅に到着。
氷河の絶景に理屈抜きに感動してしまう。

ユングフラウヨッホ駅到着記念!!






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ふたたび、アルプスの少女ハイジの世界を堪能しつつ登ってきた登山道をゆっくりと降りていく。






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☆☆☆GGのつぶやき
この後、専用バスでアルペン街道を通って南ドイツ・シュヴァンガウへ移動する。
明日も引き続きこの流れでアップしていきたい。
























































by my8686 | 2019-06-14 15:32 | 度々の旅 | Trackback | Comments(0)

欧州の旅「カートレインに乗ってスイス屈指の山岳リゾート地へ」

6/1(土)午後、マッターホルン観光のあと電車と専用バスを乗り継ぎ、スイス屈指の山岳リゾート・ユングフラウ地方へ向かう。




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ツェルマットからインターラーケンへは、スイス唯一の「カートレイン」に乗る。


アルプス山脈を長いトンネルで一直線に通ることができる知る人ぞ知る有名な列車「カートレイン」。

冬場など雪の積もった危険な山道を移動せず、車ごとスキー場やリゾート地へ一気に移動できるので「イージー&クリーン」を目指すスイスらしい移動手段となっているという。






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スイス側(ゴッペンシュタイン駅)からドイツ側(カンデルシュテーク駅)の15キロをトンネルで結んでいる。

大型の専用バスも狭いトレイン内に乗り込み移動。スイスのバス運転手は慣れたもので、サイドミラーを折りたたんだまま数ミリ単位の透間を移動させてしまう。

電車で移動中は、バスの運転席が空いてしまうので、サービスで座らせてもらっての記念撮影。
この間、人懐っこく愛嬌たっぷりの運転手がコーヒーの車内サービスまでこなしてしまうから、観光都市スイスはある意味「凄い」。
ちなみに、エスプレッソコーヒー1杯 CHF1.5Frを1.0Frに負けてもらう。たままた釣銭がなかったようなのである。





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トンネルを抜けるとそこは「山の頂に雪積もる山岳リゾート・ユングフラウ地方」であった。

ツアー客全員バスを降りてトイレ休憩。
梯子に乗ってバスのサイドミラーを直している運転手の姿が見えるのもご愛敬。






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山の頂から沢山のタンデムフライトパラグライダーが気持ちよく舞っている光景を眺めることができる。
スイス最高のパラグライダーコンディションを誇るベアテンベルクへの30分の旅などが有名だという。

冥途の土産に一度は飛んでみるも一興。






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インターラーケンに入るとトゥーン湖とブリエンツ湖が見えてくる。
ちなみに「インターラーケン」という街の名前はトゥーン湖とブリエンツ湖の間という意味らしい。







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スイスの湖の多くは、絵の具を混ぜたような見事なエメラルドグリーン。ブリエンツ湖は特に美しい緑に輝いていた。

これは氷河によって削られた岩が川に運ばれて微粒子となり、赤や黄色の光線はそのまま通し、青から緑の色は散乱させるからだという。
さらに、氷河から溶けでた水が流れこむことによって石灰分を多く含んでいるため、色が青と白と緑の絵の具を混ぜたような不思議な色をしている。

湖の美しさが残像としていまだに残っている。





移動したルートを地図で再確認してみる。





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スイス屈指の山岳リゾート・ユングフラウにある「ダービー・グリンデルワルド」ホテルに到着。


ここの部屋のベランダから観る名峰が、アイガー、メンヒ、ユングフラウの3山。
アイガー3970m・メンヒ4107m・ユングフラウ4258m の3名峰である。

ちなみに、この3つ星スーペリアホテルは、駅直結とか改札出て何分とかのレベルではない。
まさに駅のホーム内にあるかのごときロケーションなのである。





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再びスイスを訪れることがあれば、もう一度泊まりたいホテルである。







☆☆☆GGのつぶやき
いよいよ明日は、登山鉄道でヨーロッパ最高地点のスフィンクス展望台を探訪した記録をアップしよう。




















































by my8686 | 2019-06-13 18:08 | 度々の旅 | Trackback | Comments(0)

欧州の旅「スイス・マッターホルン観光/ゴルナーグラート鉄道の旅」

6/1(土)は、ゴルナーグラート鉄道で世界でも有数の展望台へ登る。




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マッターホルンの麓の村ツェルマットと、世界でも有数の展望台として知られるゴルナーグラートを結ぶ登山鉄道がゴルナーグラート鉄道(GB)。

氷河急行の始発/終着駅でもあるマッターホルン・ゴッタルド鉄道のツェルマット駅の斜め向かいに専用駅があり、そこから全長9.34kmのアプト式ラックレール区間で標高差1,485mを約33分で登っていく。

途中、フィンデルバッハ、リッフェルアルプ、リッフェルベルク、ローテンボーデンの4つの駅があり、それぞれ乗降が可能。

夏は絶好のハイキングコース、冬は広大なゲレンデと季節によってガラっとその表情が変わるのもこの路線の魅力のひとつだという。

マッターホルンは車窓右側に見えるものの、旅行シーズンの早朝から日中はかなりの争奪戦になるのである。





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終点に到着するころには森林限界を越えているので岩場のゴツゴツした地表と、少しだけ残る雪だけの世界となっていく。

終着駅ゴルナーグラートは標高3,089m。壁面には3100の大きな文字がペイントされている。






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スイス最高峰のモンテ・ローザ(4,634m・実際の最高地点はイタリア領)、ブライトホルン(4,164m)、リスカム(4,527m)などスイスアルプスを代表する4,000メートル級の山々と雄大なゴルナー氷河、そしてマッターホルン(4,478m)を望むことができる。





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駅のある地点からさらに徒歩5分ほどで本当の山頂へ行くこともできる。





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ここからは駅周辺から見ることのできない北側の景色も見ることができるのである。






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☆☆☆GGのつぶやき
絶景の霊山を間近に望むことのできる登山鉄道。
この傾斜地に線路を引く工事には、スイスのみならずイタリア、フランス、ドイツからの支援部隊が参加しているのだという。















































by my8686 | 2019-06-12 15:35 | 度々の旅 | Trackback | Comments(0)

欧州の旅「スイス・ツェルマットで霊峰を仰ぎ観る」

5/31(金)午後
モントルーから専用バスでテーシュへ移動。

テーシュからはアプト式鉄道(ツェルマット・シャトル)でツェルマットへ入る。




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ツェルマットは、町からのマッターホルンの視界を悪くすることにつながる大気汚染を防ぐため、町の全域で、内燃機関を搭載した自動車の乗り入れを禁止している。徹底した管理体制にスイスのお国柄を再認識する。

そのため、ツェルマットの自動車のほとんどは、電気自動車。
ホテルまでスーツケースを運んでくれるシャトルバスも当然「電動式バス」でスーと無音で動いている。





ツェルマットの駅前通り。




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ツェルマットの昔ながらの風景を残す古い地区を通ってホテルまで移動。






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黒いカラマツ材で造られた高床式の穀物倉庫。
ネズミなどが倉庫に上がれないよう、倉庫の床と小屋を支える柱の間に円盤状の石(ネズミ返し)をはさんだヴァリス地方独特の造りになっている。

カトリック教会の近くに数軒、ツェルマット駅から徒歩10分のマッターフィスパ川沿いの通りの左右にも十数軒集まり、趣のある風景を作っている。


19世紀中頃まではここも素朴な農村だったようだが、エドワード・ウィンパーというイギリスの登山家によってマッターホルン初登頂が報じられたことで一躍この町が有名になった。

マッターホルンは、1865年まで登頂されていなかった最後の山の1つで、頂上に到達した最初の登山隊は、滑落により7人のうち3人のみ生き残るという悲劇的なものだったという。





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町のあちこちで見かける電気自動車。





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翌朝、マッターホルンの朝焼けの絶景を堪能。






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なんともその神々しさに胸が高鳴る。






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別の朝焼けスポットに移動し、さらに眺めつつ、軽はずみに拝みたくなる衝動を抑える。






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☆☆☆GGのつぶやき
神の住まう霊峰として恐れられたマッターホルン。
ピラミッドのようにそそり立つその頂に光り輝く朝焼けに官能が萌えた。




















































by my8686 | 2019-06-11 17:55 | 度々の旅 | Trackback | Comments(0)

欧州の旅「フランス新幹線TGVでスイス・ジュネーヴへ」

5/31(金)
フランス新幹線TGVでスイス・ジュネーヴへ移動。




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所要時間約3時間30分の列車の旅を楽しむ。






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午前11時40分過ぎ、ジュネーヴに到着。
駅時計の可愛い秒針が印象に残る。





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専用バスで国際連盟本部前を通り、レマン湖をめざす。






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レマン湖畔の町モントルーをめざす。





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葡萄畑が続くスイスらしい風景を堪能。

このレマン湖をこよなく愛したオードリーヘプバーンの生涯に思いをめぐらす。






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モントルーといえば、1967年から毎年7月に開催されている世界最大級のジャズ・フェスティバルを思い出す。

「お城のエヴァンス」として人気を博す、スイスのモントルー・ジャズ祭が生んだ初めてのジャズ・ライヴ・アルバム。
ジャック・ディジョネット参加のニュー・トリオで、エネルギッシュでスリリングな演奏を全編で繰り広げた1968年録音盤。

今もなお幾度となく聴き込んでいる「お気に入りのジャズ名盤」である。






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湖畔にあるレストランで「魚料理」とアップルジュースでランチ。






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☆☆☆GGのつぶやき
モントルー・ジャズ祭の開かれる7月にゆっくりと訪れたいものである。
ランチ時に見たロードバイクを楽しむグループのカッコ良さに眼が釘付けとなった。




























































by my8686 | 2019-06-10 10:37 | 度々の旅 | Trackback | Comments(0)

欧州の旅「ヴェルサイユ宮殿観光」

5/30(木)
エスカルゴランチの後は、専用バスでパリ南西22キロに位置する、イヴリーヌ県ヴェルサイユへ移動。

1682年、フランス王ルイ14世が建てたベルサイユ宮殿(建設当初は離宮)を訪れる。

長蛇の見学者の列を横目にツアー団体客専用入口から入場する。一般だと2~3時間待ちはザラなのだとか。観光都市フランス政府の神対応に感謝。




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シャルル・ル・ブランによる「絢爛豪華な新秩序」が創造されている。ルイ14世様式の眩しさに圧倒されてしまいそうである。





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ギルドに対抗する拠所として1648年に王立絵画・彫刻アカデミーを設立したという歴史背景に興味が湧く。





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1661年、王立絵画・彫刻アカデミーの保護副会長に選任されたコルベールは、アカデミーをギルドに代わって美術家を支配し、絶対王政と重商主義政策に奉仕する機関として再編、1663年にル・ブランを学長に推薦している。

そこでル・ブランはアカデミズムの基準を作り、アカデミーの発展のために尽くした。
彼らは1666年にパリのアカデミーの支部としてローマにアカデミー・ド・フランスを設立。

コルベールの死後、コルベールの政敵であったルーヴォワが公共事業の最高責任者を継いだ。王は引き続きル・ブランを支持したが、ルーヴォワは、コルベールのお気に入りであったル・ブランを冷遇した。しかしルーヴォワの思惑に反し、ル・ブランはアカデミーの学長に再選される。





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宮殿の建設よりも労力を費やされたという噴水庭園。宮殿建設の25,000人に対し、36,000人が投入されたという。


そして、その噴水にはルイ14世の「三つの意図」が込められた。


「水なき地に水を引く」
ヴェルサイユには近くに水を引く高地がなく、ルイ14世は10km離れたセーヌ川の川岸にマルリーの機械と呼ばれる巨大な揚水装置を設置させ、堤の上に水を上げさせた。

そして古代ローマに倣って水道橋を作り、水をヴェルサイユまで運び、巨大な貯水槽に溜め込んだという。
こうして水なき地で常に水を噴き上げる噴水庭園を完成させ、自然をも変える力を周囲に示したとされる。


「貴族を従わせる」
ルイ14世は10歳の時にフロンドの乱で、貴族たちに命を脅かされたことがあり、この体験を一生忘れず、彼は貴族をヴェルサイユに強制移住させている。

「民衆の心をつかむ」
ルイ14世は民衆の誰もがヴェルサイユに入るのを許し、民衆に庭園の見方を教える「王の庭園鑑賞法」というガイドブックを発行した。

ガイドブックに従って庭園を鑑賞することで、貴族と自然を圧倒した王の偉大さを刷り込まれていったという。
夏、ヴェルサイユでは毎晩のように祭典が催され、訪れた民衆はバレーや舞劇に酔いしれたという。






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ル・ブランは1690年2月22日にパリの私邸で病没したが、彼が指導したゴブラン工場とアカデミーを通してフランスの工芸や美術界全体を支配。
フランスで製造されたあらゆる製品に彼の豪華で強烈な個性を刻み込んでいる。

彼はルイ14世様式の生みの親であり、彼の死後何世紀にも渡ってフランス人の趣味傾向に影響を与えている。





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中央集権と重商主義政策を推進し、対外戦争を積極的に行い、帰属戦争、仏蘭戦争で領土を拡張して権威を高めたルイ14世。
王権神授説・ガリカニスムを掲げ、絶対君主制を確立し、さらにミディ運河とヴェルサイユ宮殿を建設したことは評価できよう。
しかし、治世後半のアウクスブルク同盟戦争、スペイン継承戦争では苦戦し、晩年には莫大な戦費調達と放漫財政によりフランスを深刻な財政難に貶め、国民を重税で困窮させた責任は重い。






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☆☆☆GGのつぶやき
豪華絢爛の眩しさについ酔い痴れてしまいそうである。
放漫財政の闇の部分が隠され、ふと気づくと今のフランスの光と影が透けて見えてくる。



























































by my8686 | 2019-06-09 11:58 | 度々の旅 | Trackback | Comments(0)

欧州の旅「パリ・セーヌ川クルーズ」

5/30(木)
「エッフェル塔」をトロカデロ広場から眺瞰した後は、セーヌ川クルーズを楽しむ。

アルマ橋から出発する「バトー・ムッシュ」。




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コンコルド広場、オルセー美術館、ルーブル美術館の脇を通りながら、シテ島へ。
ノートルダム寺院が横から後ろからと、さまざまな角度から楽しんだあとはサン・ルイ島を過ぎてUターン。

エッフェル塔とシャイヨー宮を左右に眺め、自由の女神像を廻って再びアルマ橋に戻るというルート。






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「バトー・ムッシュ」は、1949年創業という老舗のセーヌ川クルーズ会社。

セーヌ川に架かる橋は、パリ市内に32あるという。
50年以上の歴史の中、1億人を超える観光客が訪れているそうな。

会社名であり商標名である「バトー・ムッシュ」はいまやセーヌ川クルーズの代名詞にもなっている。





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有名な名前だからこそ、「バトー・ムッシュ」の名前の由来は諸説あり、最も有名な説は、フランス・リヨンの町の名前から来たという。






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18世紀初頭、造船業が盛んなリヨンのムッシュ地区で建造された船(バトー)が、「バトー・ムッシュ」なのだという。






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パリ最古の橋であるポン・ヌフ、絵のモチーフなどにも使われるポン・デ・ザール、絢爛たるアレクサンドル3世橋など、いくつもの個性的な橋を巡るのもバトー・ムッシュの楽しみのひとつ。






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ひと味違った旅の楽しさが発見できるのもクルーズだからこそと言えよう。







☆☆☆GGのつぶやき
川沿いに並ぶ歴史遺産を眺めつつ風に吹かれるひととき。
パリを訪れたらならば、ぜひとも堪能したいクルーズ観光といえよう。
余談ながら、パリ市長は緊急時には専用船でこのセーヌ川を移動するのだという。
確かに、パリのあの車の渋滞を観るにつけ、頷ける話ではある。





















































by my8686 | 2019-06-08 12:08 | 度々の旅 | Trackback | Comments(0)

欧州の旅「パリ市内観光スタート」

5/30(木)
パリ最初の朝、ホテルの窓から眺める景色。
街の空気感がやはりパリのエスプリを感じさせる。

パリ観光のスタートに感性が震え始める。




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専用バスでパリの中心街に向かう。
フランス人は、車をほとんど洗わないという話はどうやら今もかわらないようだ。
雨まかせで、車はあくまでも下駄感覚。路上駐車が基本。
こだわりのある高級車のオーナーは地下駐車場を利用しているという。






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パリ市街の風景。
どこを切り取ってもアートになってしまう。
街の風景は40年前となんら変化はない。
目につくのは電動のキックススケーター。パリの新シェアリングサービスなのだそうな。
通勤時間帯の渋滞をみれば「車なんて運転してられっか」というのが本音のようだ。





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パリ観光定番の「エトワール凱旋門」は周囲を車窓から眺める。

この凱旋門を中心に、シャンゼリゼ通りを始め、12本の通りが放射状に延び、その形が地図上で光り輝く「星=étoile」のように見えるため、「星の広場」と呼ばれていたが、現在は「シャルル・ド・ゴール広場 Place Charles-de-Gaulle」と名称が変更になっている。





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パリ名物の定番となってしまった「エッフェル塔」をトロカデロ広場から眺瞰する。
塔の設計ならびに建設者であるギュスターヴ・エッフェルの歴史的偉業をあらためて再認識する。

「1889年の万国博覧会用に建てられる塔は決定的な特徴をもち、金属産業の独創的傑作として出現しなければならない。この目的に充分適うのはエッフェル塔のみと思われる。」

驚くのは、仮契約が締結され、1889年3月31日を工期の期限とすること、20年後の1909年には塔をパリ市に引き渡すこと、および工期中に政府からの補助金150万フランが交付されることとなったが、これは予想される総工費650万フランの4分の1以下にすぎず、残りはエッフェル自身の金策によって調達されたという事実。

さらに、1887年1月8日には本契約が締結され、エッフェル塔の入場料は上記契約により1909年まではエッフェル自身の収入となり、これによってエッフェル塔の建設費を返済していくことになる。彼はその後、エッフェル塔を管理するための新会社を設立し、資本金の半分を自ら拠出したという。

当時の評価は、あまりに奇抜な外見のため、建設当時は賛否両論に分かれ、1887年2月には、建設反対派の芸術家たちが連名で陳情書を提出したという話は有名である。
しかし、今ではパリを代表するランドマークとなっている。

日本でも東京タワーをはじめ各地に同類の「パクリタワー」を目にすることができる。






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エッフェル塔を眺瞰できるトロカデロ広場にある金色に輝く彫刻に目が止まる。




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☆☆☆GGのつぶやき
この後、セーヌ川クルーズとベルサイユ宮殿観光に向かうのだが、その内容は明日の楽しみとしておこう。
ツアートラベルのメリットが随所にちりばめられた今回の旅行。改めて評価したいと思うのである。











































by my8686 | 2019-06-07 11:50 | 度々の旅 | Trackback | Comments(0)