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<   2019年 03月 ( 31 )   > この月の画像一覧

「重要文化財・楊貴妃観音像(泉涌寺)」を読み解く

3/31(日) 春の陽気に誘われて花見がてら市内にくりだす。太田川沿いに咲く桜並木や黄金山からの眺望などを楽しむ。
春の訪れを皆待ちわびていたのであろう。官能のおもむくまま「はしゃぐ」子らのなんと楽しそうなことか。



それはさておき、本日も京都の重要文化財を読み解いてみよう。


京都市東山区泉涌寺山内町にある真言宗泉涌寺派総本山の寺院「泉涌寺」。山号は東山または泉山。本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏である。

平安時代の草創と伝えられるが、実質的な開基は鎌倉時代の月輪大師俊芿である。




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東山三十六峰の南端にあたる月輪山の山麓に広がる寺域内には、鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇、江戸時代の後水尾天皇以下幕末に至る歴代天皇の陵墓があり、皇室の菩提寺として「御寺泉涌寺」と呼ばれている。

真言宗十八本山8番札所。洛陽三十三所観音霊場20番札所。京都十三仏霊場6番札所。泉山七福神巡り番外(楊貴妃観音)札所である。



ここの楊貴妃観音堂に安置される重要文化財・楊貴妃観音像を読み解いてみよう。




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建長7年(1255年)俊芿の弟子湛海が仏舎利と共に中国・南宋から請来したものとされる。
長らく100年に一度だけ公開する秘仏であったが、請来から700年目の1955年(昭和30年)から一般公開されている。

作風、材質など、明らかに日本の仏像とは異質で、寺伝どおり中国・南宋時代の作と考えられている。





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なお、舎利殿に安置される木造韋駄天立像と木造伝・月蓋長者立像も南宋時代の作であり、楊貴妃観音像と共に1997年(平成9年)、重要文化財に指定されている。






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国宝としては、泉涌寺勧縁疏-俊芿筆がある。これは、附法状-俊芿が死の前月、弟子の心海に自らの法を嗣いだ証明として書き与えたものとされるが、今回は仏像に絞って読み解いていきたい。







☆☆☆GGのつぶやき
不謹慎ながらも、楊貴妃観音像の「妖艶さ」に官能の襞が震えた。
美形の理想的黄金律がそこにあるのであろうか。
拝顔できる時を楽しみにしておきたい。






































by my8686 | 2019-03-31 23:23 | 仏像と対峙しつつ | Trackback | Comments(0)

「国宝・木造十一面観音立像、重要文化財・木造空也上人立像(六波羅蜜寺)」を読み解く

3/30(土) 遠山の頂は薄く霞んではいるが、晴れ間のある土曜日。今年度もいよいよ2日を残すのみとなる。
リタイアした今となっては、「年度末」という切迫した感覚はない。桜の満開を楽しみに待ち望む気持ちのほうが先にくる。


それはさておき、本日も京都の国宝彫刻を読み解いてみよう。


京都市東山区にある真言宗智山派の寺院「六波羅蜜寺」。山号は補陀洛山。本尊は十一面観音。開基は空也。西国三十三所第17番札所。


踊り念仏で知られる市聖「空也」が平安時代中期の天暦5年(951年)に造立した十一面観音を本尊とする道場に由来し、当初西光寺と称した。
空也は疫病の蔓延する当時の京都で、この観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったという。

空也は応和3年(963年)に鴨川岸に僧600名を集め大規模な大般若経供養会を行ったが、この時をもって西光寺の創建とする説もある。当時、鴨川の岸は遺体の捨て場であり、葬送の場であった。

空也の死後、977年に比叡山の僧・中信が中興して天台別院とし、六波羅蜜寺と改称した。





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それ以降天台宗に属したが、桃山時代に真言宗智積院の末寺となり、平安末にはこの付近に、六波羅殿と呼ばれた平清盛ら平家一門の屋敷が営まれた。のちに鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれたのもこの付近であるといわれる。

名称は仏教の教義「六波羅蜜」という語に由来するが、この地を古来「六原」と称したことに由来するとも考えられている。






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ここに安置されている国宝彫刻を観てみよう。





「国宝・木造十一面観音立像」

平安時代。10世紀頃の作風を示し、伝承のとおり、951年に空也が創建した西光寺の本尊像であるとされる。本堂中央の厨子に安置され、12年に一度辰年にのみ開帳される秘仏である。

像高258cmの巨像でありながら、頭・体の根幹部を一材から彫り出す一木造となっている。
表情は温和であり、平安前期彫刻から平安後期の和様彫刻に至る過渡期を代表する作例である。歴史的にも重要な作例として1999年、国宝に指定されている。





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「重要文化財・木造空也上人立像」

鎌倉時代、運慶の四男・康勝の作。僧侶の肖像彫刻は坐像に表すものが多いが、本像はわらじ履きで歩く空也の姿を表している。

疫病が蔓延していた京の街中を、空也が鉦を鳴らし、念仏を唱えながら悪疫退散を祈りつつ歩くさまを迫真の描写力で表現している。
空也は首から鉦を下げ、右手には鉦を叩くための撞木、左手には鹿の角のついた杖をもっている。

空也の口からは6体の阿弥陀仏の小像が吐き出されている。





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6体の阿弥陀仏は「南無阿弥陀仏」の6字を象徴し、念仏を唱えるさまを視覚的に表現している。六体の小像は針金でつながっている。




「御詠歌」

重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば







☆☆☆GGのつぶやき
口から小像を吐き出す姿に不思議な官能の襞の揺れを感じた。
この空也上人の姿を見たいという思いが「六波羅蜜寺」の名前を脳裏に強く刻むことになる。













































by my8686 | 2019-03-30 11:46 | 仏像と対峙しつつ | Trackback | Comments(0)

「国宝・木造千手観音坐像(三十三間堂)」を読み解く

3/29(金) 野暮用で早朝から動く。まずは、郵便局へ出向き「アマゾンへの着払い返品手続き」を済ませる。その足で区役所へ移動し、4月からの「国保の年間保険料試算額」を再確認し、社保の「任意継続加入健保」との比較をする。予想どうり月額8000円強も違うのであるから、当然4月分は未払い扱いとし国保へ加入手続きをとることとする。

年金生活になったからには、一円単位で節約対策をして行かねばなるまい。これもアベノミクスの悪政による「尻ぬぐい」なのである。




それはさておき、本日も京都の国宝彫刻を読み解いてみよう。


京都市東山区三十三間堂廻町にある寺院の仏堂「三十三間堂」。建物の正式名称は蓮華王院本堂。天台宗妙法院の境外仏堂である。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂。本尊は千手観音で、蓮華王院は千手観音の別称「蓮華王」に由来する。





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安置された国宝彫刻は、「木造千手観音坐像」「木造風神・雷神像」「木造二十八部衆立像」「木造千手観音立像(1,001躯)」。

これだけの国宝彫刻が安置されていることに、まずは驚く。京都を訪れたならば外せない「聖地」と言って過言ではない。




「木造千手観音坐像」

ヒンドゥー教では「サハスラブジャ」という「千の手」あるいは「千の手を持つもの」の意味である。ヴィシュヌ神やシヴァ神、女神ドゥルガーといった神々の異名でもあり、インドでヒンドゥー教の影響を受けて成立した観音菩薩の変化身と考えられている。六観音の一尊でもある。三昧耶形は開蓮華、蓮華上宝珠。眷属として二十八部衆を従える。

三十三間堂の本尊は、鎌倉時代の仏師湛慶の代表作であるとともに、十一面四十二臂像の典型作である。





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42本の手の内2本は胸前で合掌し、他の2本は腹前で組み合わせて宝鉢を持つ。他の38本の脇手にはそれぞれ法輪、錫杖、水瓶など様々な持物を持つ。38手に何を持つかについては経典に述べられているが、彫像の場合は長年の間に持物が紛失したり、後世の補作に替わったりしている場合が多いという。

「千手千眼」の名は、千本の手のそれぞれの掌に一眼をもつとされることから来ており、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している。

観音菩薩が千の手を得た謂われを述べた仏典としては、伽梵達摩訳『千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經』がある。この経の中に置かれた『大悲心陀羅尼』は現在でも中国や日本の天台宗、禅宗寺院で読誦されている。

六観音の一尊としては、六道のうち餓鬼道を摂化し、地獄の苦悩を済度するともいい、一切衆生を済度するに、無礙の大用あることを表して諸願成就・産生平穏を司るという。








「木造風神・雷神像」「木造二十八部衆立像」

堂内の両脇の高いところに雲形の台座に乗った風神・雷神像がある。有名な俵屋宗達の風神・雷神図はこの三十三間堂の風神・雷神像に誘発されて描いたとも言われている。

風神・雷神のルーツは自然現象を神格化した古代インドの精霊的な神であるが、仏教に取り込まれてからは千手観音を守る役割を担っている。





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風神は風を吹かせる神であり背中に背負った風袋から下界へ大風を送る。雷神は背中に背負った8個の太鼓をバチで叩いて雷鳴を下界へ轟かせる。風神は鴨のく ちばしのような唇が特徴的であり、雷神は髪の毛が全て逆立っている。

風神・雷神とも筋肉の表現がリアルで力強く、人体を十分に観察したうえでの造形となっ ている。また風神は手の指は4本で足の指は2本であるのに対し、雷神は手の指は3本で足の指は2本である。







「木造千手観音立像(1,001躯)」

後白河上皇による1164年(長寛2)年の本堂創建時と鎌倉時代の再建時に製作された千手観音の大群像で、創建時のものが124軀、残りは室町時代の補作1軀を除きすべて鎌倉時代の製作である。

王朝文化の華やかさと壮大な規模を伝える記念碑的彫刻群である。





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1973年より保存修理が始まり、2017年末まで45年におよぶ作業が完了したのを契機に国宝に指定された。








☆☆☆GGのつぶやき
45年間に渡る修理作業一筋に携わられた方々のご苦労を労いたいと思う。
自らの46年間にわたる勤務との過ぎし時がオーバーラップする。
1000体以上の千手観音立像の圧倒される立ち姿に、また官能が震えることであろう。




































by my8686 | 2019-03-29 16:42 | 仏像と対峙しつつ | Trackback | Comments(0)

「国宝・木造阿弥陀如来及両脇侍坐像(三千院)」を読み解く

3/28(木) 曇ってはいるが穏やかで温かさを感じる朝である。近くの桜並木には僅かの開花を見る。いよいよこのあたりも桜の季節を迎える。

昨日は、午後から夏タイヤへの履き替えをおこなう。最初は愛車86の17インチ×4本。次にラパンの14インチ×4本。タイヤチェック後に洗タイヤと洗車。タイヤを梱包して保管。約4時間の作業となる。この作業をすることで体力の状態がわかる。鈍っていると腰痛を誘発し「ヘロヘロ」になるのだが、筋トレの効果か軽いながらも心地良い筋肉痛を楽しむゆとりさえ感じる。





それはさておき、本日も京都にある国宝彫刻を読み解いてみよう。

京都市左京区大原にある天台宗の寺院「三千院」は、山号が魚山、本尊は薬師如来、開基は最澄である。





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ここに安置される「木造阿弥陀如来及両脇侍坐像 - 往生極楽院の本尊」。

脇侍の勢至菩薩像像内の銘文から平安時代末期の1148年(久安4年)の作といわれる。
阿弥陀如来、観音菩薩(聖観音)、勢至菩薩の三尊が西方極楽浄土から亡者を迎えに来る形式の像で、両脇侍が日本式の正座をしている点が特色である。2002年に国宝に指定されている。





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像は当時行われた定朝様に則っている。

硬さのある肉身と形式的に整った衣文。装飾性のない光背と須弥座形式の台座。このころの中央貴顕による造像に比べて異質だという。






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造形としては、硬質な肌合いと形式的な衣文には単調さが感じられる。造立の仏師としては、京都を含んで周辺地域をも活動範囲とする一団に属した者が想定される。

本像は京都周辺に残る定朝様の一例でありながら、銘記により製作年、願主、願意などが判明する稀有な例であるという。






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「融通念仏」との関係が推定され、かつ中尊周丈六、両脇侍半丈六の大きさとなる来迎形阿弥陀三尊像の唯一の遺例でもあるとされる。
平安時代後期の基準作例中、美術的にも文化的にも重要な位置を占める。






☆☆☆GGのつぶやき
京都 大原 三千院♪ 恋に疲れた女がひとり~♪
苔の庭園の美しさに癒される場所としてのほうがきわだつ。
往生極楽院の本尊とされる阿弥陀如来及両脇侍坐像に何を諭されるのか。
楽しみにしておこう。






































by my8686 | 2019-03-28 10:52 | 仏像と対峙しつつ | Trackback | Comments(0)

「国宝・木造阿弥陀如来坐像(浄瑠璃寺)」を読み解く

3/27(水) 晴れ渡った天空、山の上には霞が少しかかっている。放射冷却なのか外気温は低い。

本日も引き続き、京都にある国宝の仏像を読み解いてみよう。




京都府木津川市加茂町西小(字)札場にある真言律宗の寺院「浄瑠璃寺」。山号を小田原山と称し、本尊は阿弥陀如来と薬師如来、開基は義明上人である。

本堂に9体の阿弥陀如来像を安置することから九体寺の通称がある。




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「国宝・木造阿弥陀如来坐像 9躯」

『観無量寿経』に説く「九品往生」の考えに基づき、阿弥陀如来像9体が安置されている。

藤原道長建立の無量寿院阿弥陀堂(法成寺阿弥陀堂)をはじめとして、記録に残るものは多数あるが、平安時代の作品で現存するものは浄瑠璃寺像のみである。
9体とも檜材の寄木造、漆箔仕上げで、像高は中尊像のみが他より大きく、224.0センチ、脇仏8体は139.0センチから145.0センチである。

浄瑠璃寺像は、中尊が丈六よりやや小さい周丈六像、脇仏8体はさらに小さい半丈六像である。
中尊と脇仏8体とは印相も異なり、前者は右手を挙げ、左手を下げる来迎印、後者は8体とも腹前で両手を組む、「弥陀の定印」である。






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九品往生のそれぞれに応じて、阿弥陀如来の9種類の印相を説く書物もあるが、浄瑠璃寺像の場合、脇仏8体の印相はすべて共通である。
9体の造立年代については、直接証明する史料がなく、研究者によって、9体を同時期の作と見る説と、中尊のみが古く、脇仏8体は時代が下ると見る説がある。

すなわち、9体とも永承2年(1047年)の創建時の作とする説、9体とも嘉承2年(1107年)の新本堂建立時の作とする説、中尊は永承、脇仏は嘉承の作とする説などがある。

中尊については、定朝の作品として著名な平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像(天喜元年・1053年作)との様式的類似を認めるのが通説であるが、平等院像と浄瑠璃寺中尊像の先後関係については定説がない。

脇仏8体相互の間にも、子細に見ると作風の相違があり、裾部分の衣文の処理を見ると、裾を両脚の間にU字形に垂らしたものと、扇形に表したものがある。



8体のうち南端(向かって左端)の像については、作風の違いから、鎌倉時代に近い頃の作とする見方もある。






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各像の蓮華座はおおむね当初のものである。中尊の負う千仏光背は後補のものだが、光背上部に取り付けられた飛天像4体は平安時代の作と認められている。

脇仏の光背は、頭光の八葉形と光脚のみが古く、他の部分は後補である。なお、九体阿弥陀如来像の像内に納入されていたと伝える阿弥陀の摺仏が寺に伝わっており、その中に長治2年(1105年)の年号を記した紙片を貼付したものがあるが、像内納入状況等が不明であるため、これがただちに像の制作年代を示すものとはいえないとされる。





「国宝・木造四天王立像」

像高167.0 - 169.7cm。寄木造。漆箔・彩色・截金。平安時代後期の作。当初の彩色と截金文様がよく残っている。




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4体のうち広目天は東京国立博物館、多聞天は京都国立博物館に寄託。他2体(持国天、増長天)は本堂内に安置。

多聞天以外の3像の像名については後に入れ替わっている可能性があるとされ、現・持国天像を増長天とする説、現・増長天像を持国天または広目天とする説、増長天と広目天の像名が入れ替わっているとする説などがあるという。







☆☆☆GGのつぶやき
京都というよりも奈良との県境に近い「浄瑠璃寺」。京都旅行最終日に愛車で巡る予定にする。
「木造四天王立像」の迫力に圧倒されそうである。大いに楽しみにしておきたい。
























by my8686 | 2019-03-27 11:54 | 仏像と対峙しつつ | Trackback | Comments(0)

「国宝・薬師如来坐像(醍醐寺)」を読み解く

3/26(火) 晴れ渡りて少し暖かくなった火曜日。今日あたりタイヤ交換でもするかと思わせる日よりである。


午前中は昨日に引き続き、国宝の仏像を読み解いてみよう。


京都の伏見区醍醐東大路町にある仏教寺院「醍醐寺」。

本尊は薬師如来、開基(創立者)は理源大師聖宝である。古都京都の文化財として世界遺産に登録されている。
京都の南東に広がる醍醐山に200万坪以上の広大な境内を持ち、豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られる。





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ここに安置される「木造薬師如来及両脇侍像」を読み解いてみよう。

理源大師・聖宝没後の延喜7年(907)、弟子の合理によって創建された。その時の薬師堂の本尊である薬師三尊坐像は、現在は下醍醐の霊宝館に安置されている。

薬師如来は頭も大きく体つきもどっしりと安定しており平安初期の貞観様式の流れを感じさせるが、一方で衣文線の彫りが浅く穏やかな造形からは10世紀に入った和様をみることができる。

左の手に持っている薬壷は南瓜のような形をしているために瓜形壷と呼ばれ、この時代独特の形状である。






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光背に取り付けられた高さ20センチ弱の小さな六体の仏像もまた薬師如来であり、本体と合わせて「七仏薬師」を表現している。
同時期に造られたと考えられる脇侍の日光・月光菩薩は、より穏やかな小さな顔で和様の特徴を備えている。






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「木造虚空蔵菩薩立像」

近年まで「聖観音菩薩」だと思われており、重要文化財の指定は聖観音としてされていたが、醍醐寺の版木などから虚空蔵菩薩であることが判明し、2015年の国宝指定は「虚空蔵菩薩」としてされた。

虚空(=無限の空間、宇宙)のような知恵を持つとされ、密教では記憶力の修法「求聞持法」の本尊とされた。知恵の御利益があると、虚空蔵菩薩への十三参りもされる。






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カヤの一木作りで平安初期らしいどっしりとした風貌である。一般的によく見る平安末期以降の虚空蔵菩薩の姿とは異なり、やや腰をひねって立っており手は印を結んでいる。

複雑に交錯する衣文を深く克明に刻み出す彫技は見事で、平安前期檀像の代表作の一つとされる。







☆☆☆GGのつぶやき
秀吉が「醍醐の花見」に興じた広大な境内が見ものである。
重厚な大仏との対峙も我人生にまた別の意味を諭してくれるであろう。







































by my8686 | 2019-03-26 11:25 | 仏像と対峙しつつ | Trackback | Comments(0)

「国宝・木造薬師如来立像(神護寺)」を読み解く

3月最後の週初め月曜日。晴れ間はあるものの外気はまだまだ冷たい。
冬タイヤ交換は、来月頭でも差支えはあるまい。




さて本日も昨日に引き続き、国宝の仏像を読み解いていこう。


京都市右京区高雄にある高野山真言宗遺迹本山の寺院「神護寺」に安置されている「木造薬師如来立像」と「木造五大虚空蔵菩薩坐像」である。


「木造薬師如来立像」は、金堂本尊。像高170.6センチ、カヤ材の一木造。

唇に朱を、眉、瞳などに墨を塗るほかは彩色などを施さない素木仕上げの像である。
目を細めた森厳で沈うつな表情と体躯のボリューム感は、親しみよりも威圧感を見る者に与える。





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図式的・観念的に整えられた衣文などに平安時代初期特有の様式が見られる。

下半身では両脚間に「U」字形の衣文を縦に連続させ、その左右に平滑な面をつくって大腿部のボリュームを強調しているが、こうした衣文形式も平安時代初期の如来像に多く見られるという。

図像的には、薬壺を持つ左手を垂下させず胸の辺まで上げる点と(ただし両手先は後補)、右肩から右腕にかけて「横被」と呼ぶ布をかける点などが特色である。






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『神護寺略記』に引用する弘仁期(810 - 824年)の資財帳に「檀像薬師仏像一躯」とあるのが本像に当たり、神護寺の前身寺院である神願寺または高雄山寺のいずれかにあった像と思われるが、どちらの寺に属していた像であるかについては定説がない。

なお、両脇侍の日光・月光菩薩立像(重要文化財)は後補部分が多く、薬師像とは作風も異なっている。日光像の腰から上、月光像の膝から上は後補である。





「木造五大虚空蔵菩薩坐像」は、多宝塔に安置。五大虚空蔵菩薩は密教の五智如来の変化身とされる。

曼荼羅などの画像では法界虚空蔵(白)を中心に、東・南・西・北にそれぞれ金剛虚空蔵(黄)、宝光虚空蔵(青)、蓮華虚空蔵(赤)、業用虚空蔵(黒)を配するが、神護寺多宝塔内では現状、向かって右から宝光虚空蔵、蓮華虚空蔵、法界虚空蔵、業用虚空蔵、金剛虚空蔵の順に横一列に坐す。




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各像は左手に悟りの障害となる三毒を打ち砕く三鈷鉤を持つ。右手は法界虚空蔵は第一・二指で輪をつくる印を結び、他の4像は宝光虚空蔵が火焔宝珠、蓮華虚空蔵が蓮華、業用虚空蔵が羯磨、金剛虚空蔵が独鈷杵をそれぞれ持つ。





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史料から承和年間(834 - 848年)の造像と推定されている。本尊薬師如来立像と同様平安時代初期の作品だが、作風は穏やかで、技法も異なっている。

基本的には一木造だが、表面には厚く乾漆を盛り上げ、彩色を行っている。本像は通常は非公開であるが、毎年5月と10月に各3日間ほど公開される。








☆☆☆GGのつぶやき
この薬師如来の森厳な表情と対峙する時、なにを自戒するのか。
高雄へ参る日を楽しみにしておきたい。





























by my8686 | 2019-03-25 11:47 | 仏像と対峙しつつ | Trackback | Comments(0)

「国宝・五大菩薩坐像(東寺)」を読み解く

3/24(日)晴れ間は見えるものの寒さを感じる朝である。
昨日に引き続き、国宝指定の仏像を観てみよう。

真言宗の根本道場であり、真言宗全体の総本山である「東寺」に安置されている「五大菩薩坐像(国宝)」を読み説いてみよう。




五大菩薩坐像(国宝)- 金剛波羅蜜菩薩(金剛波羅蜜多菩薩とも)を中心に、周囲に金剛宝菩薩、金剛法菩薩、金剛業菩薩、金剛薩埵の各像を配す。






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中尊の金剛波羅蜜菩薩像は江戸時代の作。他の4体は後世の補修が多いが、当初像である。
一木造に乾漆を併用し、作風・技法ともに奈良時代風が強い。

金剛波羅蜜像を除く4躯が「木造五大菩薩坐像 4躯」として国宝に指定され、金剛波羅蜜像は国宝の附指定とされている。






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五大明王像(国宝)- 不動明王像を中心に、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王像を配す。
東寺御影堂の不動明王像とともに、明王像としては日本最古の作例とされる。







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梵天坐像・帝釈天半跏像(国宝)- 梵天像は法隆寺などにある奈良時代の像と異なり、4面4臂の密教像であり、4羽の鵞鳥が支える蓮華座上に坐す。

帝釈天像は甲を着け、白象に乗り、左脚を踏み下げる。両像の台座、帝釈天像の頭部などは後補である。






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四天王立像(国宝)- 4体のうち持国天像は表情に怒りをあらわにし、激しい動きを見せるが、他の3体(増長天、広目天、多聞天)の表現は抑制されている。

多聞天像は後補部分が多いが、修理の際に後世の彩色を除去したところ、面部などは当初部分が良好に保存されていることが確認されたという。






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東寺のご詠歌:身は高野、心は東寺に納めおく、大師の誓いあらたなりけり
弘法大師  :空海の こころのうちに 咲く花は 弥陀よりほかに 知るひとぞなき
洛陽三十三所:洛陽や たつねめぐりて まいるらん たれに東寺の うちのかんのん
大日如来  :ひのめぐみ つみとがのゆき きえはてて あまねくてらす みとやなるらん
薬師如来  :輪王の 深き誓いの 護国寺に 瑠璃の御法の 声ぞ絶えせぬ










☆☆☆GGのつぶやき
この東寺にこれほど多くの国宝の仏像が安置されていることにあらためて驚く。
正式名を「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院」と「弥勒八幡山総持普賢院」の2名称あるという。
1994年12月に「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されていることからもその尊大さが伺える。
今回が最後の訪問となるであろう。じっくりと時間をかけて見学したいと思う。









































by my8686 | 2019-03-24 14:22 | 仏像と対峙しつつ | Trackback | Comments(0)

「国宝・弥勒菩薩半跏思惟像(広隆寺)」を読み解く

春期京都非公開文化財特別公開」の報道を受け、急遽京都行を計画する。

今まで京都観光を漠然としてきたが、思えば確たるテーマを持って訪れたことがない。
特別公開の詳細を読み解くうちに、古都京都で必ず巡るべき仏像を丁寧に観ていないことに、はたと気づく。


そんな思いで「国宝・重要文化財」に指定されている仏像13選を読み解いて行くことにした。

まずは、国宝7選のうちのなかでも代表的な「弥勒菩薩半跏思惟像」(広隆寺)である。




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京都府京都市太秦の広隆寺霊宝殿に安置されている「宝冠弥勒」(国宝彫刻の部第一号)。

右手の中指を頬にあてて物思いにふける姿で知られる。

しかしこの像は、当時多くの仏像が楠で造られているのに対して赤松で造られているため、『日本書紀』記載の推古31年(623年)に新羅から伝来したものとする説が有力であった。

ところが1968年、大きく抉られた内繰りの背板に楠材が使用され、背部の衣文もこれに彫刻されていることが判明し、断定できなくなっているという。





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この像の右の腰から下げられた綬帯は、以前から楠木であることは知られていたが、これは後に付加したものとして考慮されていなかったが、二箇所の、特に背板に楠材が使用されていることは像の主要部として無視できず、その楠が朝鮮半島には自生せず、済州島には自生するものの巨木にならないことや、楠材の日本での使用例が多い理由という。

制作時は漆で金箔を貼り付けた漆箔像であったという。





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ヤニが出にくい赤松が素材に使用されているため余分な清掃の必要がなく、清掃作業中の人的過失によって破損してしまうことがなかった。
また赤松と楠という2つの材質の含水率の違いから熱伝導率に差が生じ、外部の温度が上昇すると接着部に水蒸気の層が発生するという。
これがバリアの役目を果たすため、高温や急激な温度変化に強い特徴をもち、現代まで良好な状態のまま保たれたと考えられている。


弥勒菩薩の微笑みは「アルカイク・スマイル」として知られ、またその姿がオーギュスト・ロダンの考える人を想起させることから、「東洋の詩人(フランス語: Poete de l'Est)」との愛称をもつ。






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像高123.3cm(足元からの高さ、台座からは約147cm)








☆☆☆GGのつぶやき
歴史の教科書で幾度となく観た仏像である。
その「微笑み」を観る年代により、その「諭し」の意味が異なってくるものである。
果たして今回、実物との対面で何を諭されるのであろうか。期待に胸がふくらむ。











































by my8686 | 2019-03-23 20:20 | 仏像と対峙しつつ | Trackback | Comments(0)

「祇園 北川半兵衞」を読み解く

新天皇即位を記念し、皇室ゆかりの寺社を中心に20カ所が春の「京都非公開文化財特別公開」されるという記事に「官能の襞」が震えた。

昨夜取り急ぎ、京都市内のドミトリーを4泊ほどおさえる。この機会を逃せば、見ることなくこの世とのお別れになること間違いないと確信する。
久しぶりにMTBを愛車86に積み込み、一人旅を堪能しよう。




そんな春の興奮をおぼえる中、昨年1月にオープンした「祇園 北川半兵衞」を読み解いてみたいと思った。




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文久元年創業、京都宇治で150余年にわたりお茶づくりを続ける「北川半兵衞商店」。築100年以上の京町家をリノベーションした茶葉本来の味わいを体感できる「こだわりの店」だという。


店内でまず目をひくのが、天然木でアレンジされたリズミカルな簾風の仕切り。
その天然木に見え隠れする「北」や「川」のロゴマーク。これが「北川半兵衞商店」で使用されていた「古い茶びつ」だという。



なかなか粋な「しつらえ」である。




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お茶は、同じ種類の木から出来る茶葉でも栽培方法や加工の仕方を変えることによって生まれる様々な「お茶」が用意されている。






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デザートは、最高級の抹茶、旨味の凝縮した煎茶、香り高いほうじ茶等、様々なお茶に合わせたスイーツをパティシエが用意。






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18時より夜カフェとなる。昼カフェとは異なるメニューや雰囲気を楽しむことができるという。







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酒好きにはうれしい「緑茶の香」を上品に引き出したアルコール度数の高いリキュールも用意されている。






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☆☆☆GGのつぶやき
京都は訪れるたびに新しい発見がある。
訪れる時の自分の年齢とともにその楽しみ方も変わってくる。
リュックサックを背負って一人歩いた高校生時代。
家族旅行で民宿を基点にドライブ三昧に明け暮れた40代前半。
紅葉の時期にMTBで走り回った40代後半。
安藤建築探訪を楽しんだ50代。
長男の京都マラソン参加の応援がてら訪れた60代。
次に訪れる時は、ここ「祇園 北川半兵衞」の夜カフェでほろ酔いするも一興。































































by my8686 | 2019-03-22 14:20 | 気になる建築&空間 | Trackback | Comments(0)