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追悼「ピーター・フォンダ死去」

米俳優ピーター・フォンダが亡くなった。享年79歳。

冥福を祈りたい。




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映画『イージー・ライダー』を観たのは、1970年の大学一年の時だったと記憶する。
当時、「アメリカン・ニューシネマ」という反体制を色濃く投影した「新世代の映画」として大きく取り上げられた。






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当時は、劇場の総入れ替えというシステムはなく、いつも映画の途中またはエンドロール手前位から入ることになるのだが、「イージー・ライダー」については、チョッパーにまたがった二人の青年が、トラックの農夫風の男に突然ライフルでぶっ放されるラストシーンから目撃することになる。意味がわからぬまま、ただ唖然とした気分で観た記憶がある。

印象に残ったのは、初めて見るチョッパーの「普通でないカッコよさ」と「気ままに旅する自由さ」、ヒッピーコミューンでの「奇怪な連中たち」。

その当時は意味がわからなかった、ラストシーン。指をおっ立てた瞬間、ライフル銃で野良犬のように次々と撃ち殺されしまう二人。映画は、燃え盛るバイクを俯瞰しながら静かに終わって行く。

なんとも後味の悪い、「陰惨」で「暗い矛盾感」が残されたままになる。






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時代は、ベトナム戦争が泥沼化し、若者を中心に反戦運動が盛んになって行った時である。中華人民共和国で文化大革命が起き、毛沢東の指導体制の下で大混乱をもたらしていた時期でもある。

ビートルズが世界的な社会現象を巻き起こし、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディランも大活躍し、世界の若者に大きな影響を与えていた。

アメリカやヨーロッパを中心に、カウンターカルチャーが花開き、英国ではモッズ、ビート・グループ、ブルース・ロックが社会現象になり、ジャマイカではスカやロック・ステディが誕生し、米国を中心にヒッピー文化が流行となっていた。

これらの元凶は、政治の腐敗というところに帰結し、アメリカの各地で糾弾運動が巻き起こっていた。

アメリカン・ニューシネマは、こうした当時のアメリカの世相を投影し、1967年12月8日付『タイム』は、『俺たちに明日はない』を大特集し、「ニューシネマ 暴力…セックス…芸術! 自由に目覚めたハリウッド映画」という派手な見出しの記事の中で、この新しい米国映画の動向をレポートしている。

反体制的なヒーローが体制に敢然と闘いを挑む、もしくは刹那的な出来事に情熱を傾けるなどするのだが、最後には体制側に圧殺されるか、あるいは個人の無力さを思い知らされ、幕を閉じるという傾向に進んでいた。






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アンチ・ヒーロー、アンチ・ハッピーエンドが一連の作品の特徴となっていく。

鬱屈した世相を反映し、映画だけでなく小説や演劇の世界でも、サルトルの提唱する実存主義を理論的な背景として「不条理感」が蔓延して行った時代でもある。

今あらためて振り返ると、社会的束縛を逃れ自由な旅を続ける若者たちが直面する「社会の不条理」と無残な最期に「矛盾感をともなう美学」に酔った時代なのであろう。








☆☆☆GGのつぶやき
父のヘンリー・フォンダ、姉のジェーン・フォンダ、スクリーンで魅入ったあの時代が懐かしい。
















































# by my8686 | 2019-08-18 23:59 | 徒然なるままに | Trackback | Comments(0)

シュトックハウゼンの「グルッペン」を聴く

昨晩、NHK FM『ジャズマイルス』を聴きながら、『マイルス・デイヴィスとは誰か 「ジャズの帝王」を巡る21人』のカスタマーレビューを眺めていた。

マイルスが影響を受けたとされるアーティストの中に、ドイツ現代音楽の作曲家である「カールハインツ・シュトックハウゼン」がいる。





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作風としては、典型的なセリエリズムに基づく「点の音楽」から「群の音楽」、「モメント形式」、そしてメロディー的な要素とセリエリズムの統合を図った「フォルメル技法」へと作曲技法を発展させ、世界で最初の電子音楽を作曲し、生演奏を電気的に変調させるライヴ・エレクトロニクス作品も手掛けている。

不確定性や多義性を伴った形式を試行していた時期もあるところなど、マイルスのエレクトリック期の試行錯誤期と重なるものを感じる。






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マイルスの「オン・ザ・コーナー」に影響を与えたという、シュトックハウゼンの「グルッペン」を聴いてみる。
シュトックハウゼンがアグレッシヴだった1950年代の傑作曲のひとつとされる。

3人の指揮者、3群のオーケストラを必要とする作品で、全体の人数は109名だが、そこには12名を擁する打楽器セクション、ピアノ、エレクトリック・ギターまで含まれている。

この3群のオーケストラは、同じ規模と楽器で編成されており、それぞれが独立的に扱われたり混じりあったり、異なるテンポで対立的に進行したり、巨大で破壊的なトゥッティを形成したりして、距離感や方向感といった空間的な面白さや、独奏、室内楽、フルオケといったアンサンブルの自在さによって、斬新で魅力的なサウンドを創造しているのがポイントとなっている。

構成は、向かって左側が“オーケストラ1”、中央が“オーケストラ2”、右側が“オーケストラ3”という3群。

楽譜の最後にはラテン語で“Deo gratias”、つまり「神に感謝する」と書かれているという。
この作品へのシュトックハウゼンの自信のほどが窺われるであろう。

「Karlheinz Stockhausen, Gruppen - Ensemble intercontemporain」のものを聴くと、その巨大な破壊感と緊張感をともなった静寂感のバランスに官能が疼く。





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この破壊的な緊張感をともなう無数の音の洪水から、ひとつの大河につらなる距離感や方向感は、マイルスの「オン・ザ・コーナー」にも見られる斬新さである。

シュトックハウゼンが2003年に完成させた「光」は、2004年から2008年の没年まで、1日の24時間を音楽化しようとする24作品からなる連作「クラング - 1日の24時間」(2004年-2007年)の作曲に発展している。

1970年代以来のフォルメル技法に代わり、2オクターヴの24音からなるセリーがこの連作の基礎となっている。

2006年以降の8チャンネルの電子音楽の13時間目「宇宙の脈動」は、24の電子音のパルスがテンポと空間移動の変化を複雑に繰り返しながら積み重なる音構造となっている。






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この連作はフルートと電子音楽のための21時間目「楽園」まで完成されたが、作曲者の逝去により全曲の完成は叶わなかったという。

このほか、「ティアクライス」のオーケストラ版も、作曲者の死により「蟹座」と「獅子座」のオーケストレーションが未完に終わっている。









☆☆☆GGのつぶやき
2006年は、マイルス生誕80年ならびに没後15年にあたる年だった。
マイルスの周辺に吸い寄せられた人々や、マイルスが興味を示した人々を読み解くことで、「音楽宇宙の脈動」を感じることができる。
それにしても、シュトックハウゼンの破壊と創造のエネルギーには、官能が沸騰しそうである。























































# by my8686 | 2019-08-17 23:59 | 現代音楽のたしなみ | Trackback | Comments(0)

NHK FM『ジャズマイルス』小川隆夫×平野啓一郎 を聴く

台風10号一過の深夜、気になっていた■NHK FM『ジャズマイルス』を聴く。

保険のつもりで「どがらじ」に録音を予約しているのだが、リアルタイムで、それも深夜に聴いてみたいと思った。




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DJ役は、小川隆夫。ゲストは、芥川作家の平野啓一郎。

話は、マイルスとの最初の出会い。「ジャズ」との遭遇。「カッコよさ」の探求。マイルスの「クールでありたい」について。
人を意識するマイルス。それらを経て、「進化するジャズの行方」にまで話は及ぶ。

『TALKIN' ジャズ×文学』で語られた主要部分を抜き取った内容なのだが、二人のエピソードとして楽しい。

正直、平野啓一郎についての予備知識はなく、その語り口の軽妙さに惹きつけられて、詳細をググってみる。





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平野啓一郎の略歴から興味を抱いた「キーワード」を抽出してみよう。



・軽音サークルとロックギター速弾きの名手

・京都大学法学部卒業の小説家

・「三島由紀夫の再来」という宣伝文句

・ロマンティック三部作『日蝕』『一月物語』『葬送』

・小説による各種の視覚実験

・影響:三島由紀夫、森鴎外、シャルル・ボードレール、トーマス・マン、ミルチャ・エリアーデ

・音楽:クラシック/ショパン、ラヴェル+ジャズ/マイルス・デイヴィス

・著作経緯:初期3部作~短編・実験期~前期・後期各分人主義~

・小川隆夫との共著:『TALKIN' ジャズ×文学』『マイルス・デイヴィスとは誰か 「ジャズの帝王」を巡る21人』






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マイルスの進化系を思わせる「多様性」に興味が湧く。
今更ながら、新世代の芥川作家として、関連作品を読んでみたいと思った。

気になる作家との出会いとは、こんなものだろう。






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☆☆☆GGのつぶやき
そういえば、『TALKIN' ジャズ×文学』は、中古本を買ったまま積読状態だったことを思い出す。
台風一過の暑い午後に、いつもの「銭湯」で一風呂あび、エアコンの効いた待合室でこいつを読もう。
平野の初期3部作は、図書館にリクエストした。
クラシック音楽のショパンとラヴェルは、レンタルCDを物色してみよう。
こうして興味のキーワードが拡がることは、良いことだ。





# by my8686 | 2019-08-16 23:59 | JAZZのたしなみ | Trackback | Comments(0)

「CAR GRAPHICの誕生と小林彰太郎」企画展を読み解く

名古屋で開催されている「CAR GRAPHICの誕生と小林彰太郎」企画展を読み解いてみよう。




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録画した「CG-TV」でその情報を知る。
開催期日が9/1までなのだが、どうやら行けそうにない。





あらためて、関連記事を読み解いてみよう。

開催場所は、名古屋市名東区にある小さな自動車博物館「アウト ガレリア ルーチェ」。
こうした場所が誕生する下地を築いたのも、「小林彰太郎」という偉大な先人の努力の賜物といえよう。





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戦後日本に自動車ジャーナリズムを創出し位置づけたパイオニアと評される。

歴史や技術を踏まえた上で、自身の経験を通して執筆される味わいある文章は、単なる評論の域を超え、イギリス流の自動車趣味や海外の自動車事情・文化・歴史を紹介、アマチュアリズムをもつプロのジャーナリストを実践したことでも知られる。

黎明期の日本のモータスポーツの普及発展においても、日本国外レースの記事執筆や、指南書(ポール・フレール著『ハイスピードドライビング』)の翻訳を通じて大きな役割を果たしている。

日本の自動車に技術面、文化面から与えた影響はあまりに大きく、孤高のダンディズムを貫いたその姿勢においても「畏敬の念」さえ抱かせる。
また、自ら手を汚して古い車を修理して乗りこなす「エンスジャジスト」でもあった。





企画展に展示された氏が所有したという5台のクルマ達をみてみよう。



■Austin Seven Tourer/1928

1922年から1939年にかけてイギリスのオースチンが生産した小型乗用車。

小林彰太郎が大使館でのアルバイト代で初めて手に入れたクルマである。修理工場の軒先を借りて、自分でエンジンも足回りも組み直し、乗っては修理の繰り返しで、自動車エンジニアリングの基礎を身につけたといわれ、終生「7」への敬意と愛着は続いたという。

「その名を聞いただけでも、僕は心の片隅が疼くほどの愛着を、この小さな車に対して今も抱き続けている。」

名称は当時のイギリスにおける課税馬力数値「7.h.p」相当であることによるもので、一般には単に「7」と呼ばれた。

累計生産台数は29万台で、米国でのフォード・モデルT(1908年-1927年の間に約1,500万台を生産)ほどの膨大な生産スケールではなかったが、英国において小型大衆車の大量生産を成功させたことで、英国自動車史に与えた影響は大きい。





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■LANCIA LAMBDA/1924

小林彰太郎が最も愛した車である。

「もしたった1台の車しか持てないとしたら、僕は躊躇なくランチア・ラムダを選ぶ。僕にとってこれほど操縦して面白く1個の機械としても興味深い車はないのである。」

1922年から1931年までイタリアのランチアが製造した中型乗用車。

乗用車の分野においてモノコック構造を世界で初めて採用し、量産型の四輪乗用車で世界初となる前輪独立懸架を採用。
その先駆的な技術はその後の自動車工学に影響を与えた。

前輪には、コイル支持のスライディングピラー式独立懸架が採用された。

エンジンは軽合金製ブロックでSOHCの狭角V型4気筒エンジンが採用された。
直列エンジンにスペースを取られてボンネットを長くしていた同クラスの競合各車よりも軽量化され、搭載位置の自由度も高まることになった。





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■BUGATTI TYPE23/1926

1910年から1920年まで伝説のスポーツカーメーカー「ブガッティ」で生産された。

小林彰太郎がやっとの思いで手に入れた古いBUGATTI TYPE23。ラジエターグリルをピカールで磨くことから始めたという車である。

ブガッティの創始者、エットーレ・ブガッティは1881年、イタリア・ミラノの芸術家一族の家に生まれ、若くして多くの自動車のエンジンの設計に携わった。

1909年自動車会社を設立し、自ら自動車の設計を始めるようになり、高級クラスの市販車とグランプリレースで活躍し、知名度をあげた。




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■MG TC/1949

アメリカ兵が乗っていたこの車両を見て以来、小林彰太郎にとって見果てぬ夢のスポーツカーだった。

神戸のオーナーから、友人と共同オーナーで購入し、一週間毎に互いにドライブを楽しんだという。

1936年、量産車モーリスのパーツを使用して販売されたMGミジェット・Tシリーズ。安価でありながら本格的な味わいを持ったスポーツカーとして人気を博した。

その後、数多く誕生する英国製ライトウェイト・スポーツカーの先駆けとなる。第2次世界大戦後、ヨーロッパに駐留したアメリカ兵が欧州製スポーツカーの軽快さに魅せられ、その後アメリカでスポーツカーブームが起き、このタイプTCは戦前型であるTBのコックピットを拡大して居住性を向上させたモデル。

後継のTD,TFを含め生産車の多くが輸出され、アメリカのみならず世界中にスポーツカーの楽しさを伝えた。





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■RILEY BROOKLANDS 9/1928

「どんな古い車でも、きちんと直して乗らなければ意味がない。できればレースやラリーにも使いたい。」

小林彰太郎が初めて英国に渡って学んだ哲学であった。

1926年から1938年までの幅広いボディスタイルを使用して、英国ライリーで製造されたスポーツカー。

1,087 cc4気筒エンジンは、クロスフローヘッドでバルブが45度に傾斜した半球状の燃焼室を備えている。
スポーツ版のライリーインプは1933年から1935年に製造され、特にアルスターラリーで成功した後、高い評判を得た。





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☆☆☆GGのつぶやき
根っからの車好きの小林彰太郎の哲学と美学に官能が疼く。
孤高のダンディズムとも評価された小林彰太郎の生きざまにも興味と憧れを覚える。
ご存命の時に逢いたかった「人」でもある。

















































# by my8686 | 2019-08-15 16:15 | 気になるクルマの話題 | Trackback | Comments(0)

モバイルシアター「OZU-ANA」を読み解く

隈研吾のモバイルシアター「OZU-ANA」を読み返してみよう。





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2018.11に期間限定で北鎌倉の禅寺「浄智寺」の一角に設置されたものである。






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光州デザインビエンナーレの竹インスタレーションを発展させ、境内の竹林から切り出した割竹をたわませ、防水性能をもった曲面が創られている。





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防水性能を付加すると、突然難易度が何倍にも増すので、防水層を竹で挟み込むなどの工夫を加えたという。






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身体と建築をつなぎ直す素材として、竹の柔軟性を引き出している。






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浄智寺隣にあった小津安二郎邸へつながる小さなトンネルを映画館に見立ててデザインされている。






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☆☆☆GGのつぶやき
小津作品を観たくなる時がある。
昭和の郷愁に浸りたくなる時がある。
昔の人間はなぜあんなに優しかったのだろうか。
その優しさに甘えたくなる時がある。














































# by my8686 | 2019-08-14 14:50 | 気になる建築&空間 | Trackback | Comments(0)