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欧州の旅「スイス・ツェルマットで霊峰を仰ぎ観る」

5/31(金)午後
モントルーから専用バスでテーシュへ移動。

テーシュからはアプト式鉄道(ツェルマット・シャトル)でツェルマットへ入る。




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ツェルマットは、町からのマッターホルンの視界を悪くすることにつながる大気汚染を防ぐため、町の全域で、内燃機関を搭載した自動車の乗り入れを禁止している。徹底した管理体制にスイスのお国柄を再認識する。

そのため、ツェルマットの自動車のほとんどは、電気自動車。
ホテルまでスーツケースを運んでくれるシャトルバスも当然「電動式バス」でスーと無音で動いている。





ツェルマットの駅前通り。




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ツェルマットの昔ながらの風景を残す古い地区を通ってホテルまで移動。






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黒いカラマツ材で造られた高床式の穀物倉庫。
ネズミなどが倉庫に上がれないよう、倉庫の床と小屋を支える柱の間に円盤状の石(ネズミ返し)をはさんだヴァリス地方独特の造りになっている。

カトリック教会の近くに数軒、ツェルマット駅から徒歩10分のマッターフィスパ川沿いの通りの左右にも十数軒集まり、趣のある風景を作っている。


19世紀中頃まではここも素朴な農村だったようだが、エドワード・ウィンパーというイギリスの登山家によってマッターホルン初登頂が報じられたことで一躍この町が有名になった。

マッターホルンは、1865年まで登頂されていなかった最後の山の1つで、頂上に到達した最初の登山隊は、滑落により7人のうち3人のみ生き残るという悲劇的なものだったという。





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町のあちこちで見かける電気自動車。





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翌朝、マッターホルンの朝焼けの絶景を堪能。






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なんともその神々しさに胸が高鳴る。






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別の朝焼けスポットに移動し、さらに眺めつつ、軽はずみに拝みたくなる衝動を抑える。






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☆☆☆GGのつぶやき
神の住まう霊峰として恐れられたマッターホルン。
ピラミッドのようにそそり立つその頂に光り輝く朝焼けに官能が萌えた。




















































# by my8686 | 2019-06-11 17:55 | 度々の旅 | Trackback | Comments(0)

欧州の旅「フランス新幹線TGVでスイス・ジュネーヴへ」

5/31(金)
フランス新幹線TGVでスイス・ジュネーヴへ移動。




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所要時間約3時間30分の列車の旅を楽しむ。






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午前11時40分過ぎ、ジュネーヴに到着。
駅時計の可愛い秒針が印象に残る。





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専用バスで国際連盟本部前を通り、レマン湖をめざす。






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レマン湖畔の町モントルーをめざす。





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葡萄畑が続くスイスらしい風景を堪能。

このレマン湖をこよなく愛したオードリーヘプバーンの生涯に思いをめぐらす。






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モントルーといえば、1967年から毎年7月に開催されている世界最大級のジャズ・フェスティバルを思い出す。

「お城のエヴァンス」として人気を博す、スイスのモントルー・ジャズ祭が生んだ初めてのジャズ・ライヴ・アルバム。
ジャック・ディジョネット参加のニュー・トリオで、エネルギッシュでスリリングな演奏を全編で繰り広げた1968年録音盤。

今もなお幾度となく聴き込んでいる「お気に入りのジャズ名盤」である。






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湖畔にあるレストランで「魚料理」とアップルジュースでランチ。






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☆☆☆GGのつぶやき
モントルー・ジャズ祭の開かれる7月にゆっくりと訪れたいものである。
ランチ時に見たロードバイクを楽しむグループのカッコ良さに眼が釘付けとなった。




























































# by my8686 | 2019-06-10 10:37 | 度々の旅 | Trackback | Comments(0)

欧州の旅「ヴェルサイユ宮殿観光」

5/30(木)
エスカルゴランチの後は、専用バスでパリ南西22キロに位置する、イヴリーヌ県ヴェルサイユへ移動。

1682年、フランス王ルイ14世が建てたベルサイユ宮殿(建設当初は離宮)を訪れる。

長蛇の見学者の列を横目にツアー団体客専用入口から入場する。一般だと2~3時間待ちはザラなのだとか。観光都市フランス政府の神対応に感謝。




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シャルル・ル・ブランによる「絢爛豪華な新秩序」が創造されている。ルイ14世様式の眩しさに圧倒されてしまいそうである。





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ギルドに対抗する拠所として1648年に王立絵画・彫刻アカデミーを設立したという歴史背景に興味が湧く。





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1661年、王立絵画・彫刻アカデミーの保護副会長に選任されたコルベールは、アカデミーをギルドに代わって美術家を支配し、絶対王政と重商主義政策に奉仕する機関として再編、1663年にル・ブランを学長に推薦している。

そこでル・ブランはアカデミズムの基準を作り、アカデミーの発展のために尽くした。
彼らは1666年にパリのアカデミーの支部としてローマにアカデミー・ド・フランスを設立。

コルベールの死後、コルベールの政敵であったルーヴォワが公共事業の最高責任者を継いだ。王は引き続きル・ブランを支持したが、ルーヴォワは、コルベールのお気に入りであったル・ブランを冷遇した。しかしルーヴォワの思惑に反し、ル・ブランはアカデミーの学長に再選される。





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宮殿の建設よりも労力を費やされたという噴水庭園。宮殿建設の25,000人に対し、36,000人が投入されたという。


そして、その噴水にはルイ14世の「三つの意図」が込められた。


「水なき地に水を引く」
ヴェルサイユには近くに水を引く高地がなく、ルイ14世は10km離れたセーヌ川の川岸にマルリーの機械と呼ばれる巨大な揚水装置を設置させ、堤の上に水を上げさせた。

そして古代ローマに倣って水道橋を作り、水をヴェルサイユまで運び、巨大な貯水槽に溜め込んだという。
こうして水なき地で常に水を噴き上げる噴水庭園を完成させ、自然をも変える力を周囲に示したとされる。


「貴族を従わせる」
ルイ14世は10歳の時にフロンドの乱で、貴族たちに命を脅かされたことがあり、この体験を一生忘れず、彼は貴族をヴェルサイユに強制移住させている。

「民衆の心をつかむ」
ルイ14世は民衆の誰もがヴェルサイユに入るのを許し、民衆に庭園の見方を教える「王の庭園鑑賞法」というガイドブックを発行した。

ガイドブックに従って庭園を鑑賞することで、貴族と自然を圧倒した王の偉大さを刷り込まれていったという。
夏、ヴェルサイユでは毎晩のように祭典が催され、訪れた民衆はバレーや舞劇に酔いしれたという。






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ル・ブランは1690年2月22日にパリの私邸で病没したが、彼が指導したゴブラン工場とアカデミーを通してフランスの工芸や美術界全体を支配。
フランスで製造されたあらゆる製品に彼の豪華で強烈な個性を刻み込んでいる。

彼はルイ14世様式の生みの親であり、彼の死後何世紀にも渡ってフランス人の趣味傾向に影響を与えている。





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中央集権と重商主義政策を推進し、対外戦争を積極的に行い、帰属戦争、仏蘭戦争で領土を拡張して権威を高めたルイ14世。
王権神授説・ガリカニスムを掲げ、絶対君主制を確立し、さらにミディ運河とヴェルサイユ宮殿を建設したことは評価できよう。
しかし、治世後半のアウクスブルク同盟戦争、スペイン継承戦争では苦戦し、晩年には莫大な戦費調達と放漫財政によりフランスを深刻な財政難に貶め、国民を重税で困窮させた責任は重い。






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☆☆☆GGのつぶやき
豪華絢爛の眩しさについ酔い痴れてしまいそうである。
放漫財政の闇の部分が隠され、ふと気づくと今のフランスの光と影が透けて見えてくる。



























































# by my8686 | 2019-06-09 11:58 | 度々の旅 | Trackback | Comments(0)

欧州の旅「パリ・セーヌ川クルーズ」

5/30(木)
「エッフェル塔」をトロカデロ広場から眺瞰した後は、セーヌ川クルーズを楽しむ。

アルマ橋から出発する「バトー・ムッシュ」。




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コンコルド広場、オルセー美術館、ルーブル美術館の脇を通りながら、シテ島へ。
ノートルダム寺院が横から後ろからと、さまざまな角度から楽しんだあとはサン・ルイ島を過ぎてUターン。

エッフェル塔とシャイヨー宮を左右に眺め、自由の女神像を廻って再びアルマ橋に戻るというルート。






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「バトー・ムッシュ」は、1949年創業という老舗のセーヌ川クルーズ会社。

セーヌ川に架かる橋は、パリ市内に32あるという。
50年以上の歴史の中、1億人を超える観光客が訪れているそうな。

会社名であり商標名である「バトー・ムッシュ」はいまやセーヌ川クルーズの代名詞にもなっている。





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有名な名前だからこそ、「バトー・ムッシュ」の名前の由来は諸説あり、最も有名な説は、フランス・リヨンの町の名前から来たという。






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18世紀初頭、造船業が盛んなリヨンのムッシュ地区で建造された船(バトー)が、「バトー・ムッシュ」なのだという。






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パリ最古の橋であるポン・ヌフ、絵のモチーフなどにも使われるポン・デ・ザール、絢爛たるアレクサンドル3世橋など、いくつもの個性的な橋を巡るのもバトー・ムッシュの楽しみのひとつ。






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ひと味違った旅の楽しさが発見できるのもクルーズだからこそと言えよう。







☆☆☆GGのつぶやき
川沿いに並ぶ歴史遺産を眺めつつ風に吹かれるひととき。
パリを訪れたらならば、ぜひとも堪能したいクルーズ観光といえよう。
余談ながら、パリ市長は緊急時には専用船でこのセーヌ川を移動するのだという。
確かに、パリのあの車の渋滞を観るにつけ、頷ける話ではある。





















































# by my8686 | 2019-06-08 12:08 | 度々の旅 | Trackback | Comments(0)

欧州の旅「パリ市内観光スタート」

5/30(木)
パリ最初の朝、ホテルの窓から眺める景色。
街の空気感がやはりパリのエスプリを感じさせる。

パリ観光のスタートに感性が震え始める。




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専用バスでパリの中心街に向かう。
フランス人は、車をほとんど洗わないという話はどうやら今もかわらないようだ。
雨まかせで、車はあくまでも下駄感覚。路上駐車が基本。
こだわりのある高級車のオーナーは地下駐車場を利用しているという。






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パリ市街の風景。
どこを切り取ってもアートになってしまう。
街の風景は40年前となんら変化はない。
目につくのは電動のキックススケーター。パリの新シェアリングサービスなのだそうな。
通勤時間帯の渋滞をみれば「車なんて運転してられっか」というのが本音のようだ。





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パリ観光定番の「エトワール凱旋門」は周囲を車窓から眺める。

この凱旋門を中心に、シャンゼリゼ通りを始め、12本の通りが放射状に延び、その形が地図上で光り輝く「星=étoile」のように見えるため、「星の広場」と呼ばれていたが、現在は「シャルル・ド・ゴール広場 Place Charles-de-Gaulle」と名称が変更になっている。





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パリ名物の定番となってしまった「エッフェル塔」をトロカデロ広場から眺瞰する。
塔の設計ならびに建設者であるギュスターヴ・エッフェルの歴史的偉業をあらためて再認識する。

「1889年の万国博覧会用に建てられる塔は決定的な特徴をもち、金属産業の独創的傑作として出現しなければならない。この目的に充分適うのはエッフェル塔のみと思われる。」

驚くのは、仮契約が締結され、1889年3月31日を工期の期限とすること、20年後の1909年には塔をパリ市に引き渡すこと、および工期中に政府からの補助金150万フランが交付されることとなったが、これは予想される総工費650万フランの4分の1以下にすぎず、残りはエッフェル自身の金策によって調達されたという事実。

さらに、1887年1月8日には本契約が締結され、エッフェル塔の入場料は上記契約により1909年まではエッフェル自身の収入となり、これによってエッフェル塔の建設費を返済していくことになる。彼はその後、エッフェル塔を管理するための新会社を設立し、資本金の半分を自ら拠出したという。

当時の評価は、あまりに奇抜な外見のため、建設当時は賛否両論に分かれ、1887年2月には、建設反対派の芸術家たちが連名で陳情書を提出したという話は有名である。
しかし、今ではパリを代表するランドマークとなっている。

日本でも東京タワーをはじめ各地に同類の「パクリタワー」を目にすることができる。






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エッフェル塔を眺瞰できるトロカデロ広場にある金色に輝く彫刻に目が止まる。




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☆☆☆GGのつぶやき
この後、セーヌ川クルーズとベルサイユ宮殿観光に向かうのだが、その内容は明日の楽しみとしておこう。
ツアートラベルのメリットが随所にちりばめられた今回の旅行。改めて評価したいと思うのである。











































# by my8686 | 2019-06-07 11:50 | 度々の旅 | Trackback | Comments(0)