2021年3月11日、木曜日。
東日本震災から10年目の朝。
風化と創造的復興・・さまざまな問いかけが交錯する朝でもある。
コロナ禍の今年も、旅をシミュレーションすることで、日常とは別の扉を開き、共振現象を誘発しつつ、琴線へとアクセスする。
宗教学者・釈撤宗氏の言葉に導かれ、「新しい扉」を開く旅は今年も続く。
この旅の基因は、2020年の映画「TENET」。
この映画の華やかな舞台に刺激され、「シミュレーション・ドライブ」の旅に出た。
スタート地点は、映画の舞台「アマルフィ」。
そこから、ナポリ~ポンペイ~ローマ~フィレンツェを経てヴェネツィアへ。
さらに、ミラノ~ニース~アンティーブ~イエール~マルセイユ~エクス・アン・プロバンス~アルルへ。
さらに、リヨン~ロンシャン~パリ~スイス~オーストリア~ノルウェー~ドイツ~英国へ。
この旅の選択軸は、真に自分の感性が突き動かされる「共振現象」。
この旅へ誘う根源は、アーキタイプ(元型)の「賦活化の余韻」のなにものでもない。
昨日は、「ミレニアム・ブリッジ」を再考した。探訪ではなく再考である。
彫刻界の大家、建築界の巨匠、建設技術界の一流処が参画し、鳴り物入りで造った「記念すべき橋」が想定外の横共振事故で閉鎖された。
なぜ、予測できたはずの横剛性とその横周波数の吸収ダンパーが設計に組み込まれなかったのか。
なぜ、想定外の歩行制限と導線コントロールが徹底されなかったのか。
この橋からも、さまざまな問いかけが交錯する昨日であった。
さて本日は、「サザーク駅」を経由して「シティ・ホール」まで行ってみよう。
「ザ マッド ハッター ホテル」から Blackfriars Rd/A201 に出て、「サザーク駅」まで進む。
■サザーク駅 (Southwark station)
ロンドン・サザーク特別区にあるロンドン地下鉄ジュビリー線の駅。
1999年11月20日にジュビリー線延伸線の駅のひとつとして開業した。
ロンドン地下鉄で最も新しい駅となっている。
この駅の中核部分にある「中間コンコース」が芸術家Alexander Beleschenkoによるデザインとして評価されている。
ガラス屋根を持つ高さ16mの空間で、ガラス屋根から地下深くの駅まで日光が届く。
長さ40m、特別にカットされた660個の青いガラスで構成され、その壮大なガラスの壁が心を共振させる。
駅を建築したRichard MacCormacによると、ここと下層部コンコースの設計は、19世紀プロイセンの建築家カルル・フリードリッヒ・シンケルの設計に着想を得ているという。
サザーク駅からユニオン・ストリートを東に進み、ロンドン橋方向に進む。
ロンドン橋からモア・ロンドン・リバーサイドを進むと「シティ・ホール」が見えてくる。
■「シティ・ホール」
ロンドン市長とロンドン議会から構成される大ロンドン庁 (GLA) の本部。
庁舎は、タワーブリッジに近い、テムズ川南岸のサザークに位置する。
設計者はノーマン・フォスター。
GLAの設立から2年後の2002年7月に開庁した。
建物は、独特の、球根のような形状をしている。
これは、表面積を減らしエネルギー効率を上げる為だとされたが、エネルギー利用の測定結果は、全くもって非効率的だという。
ダース・ベイダーのヘルメット、不格好な卵、ダンゴムシやオートバイのヘルメットなど、これまで様々な"モノ"に対比し揶揄されてきた。
前市長のケン・リヴィングストンは、"glass testicle" (ガラスの金玉) に例え、現市長のボリス・ジョンソンは、"The Glass Gonad" (ガラスの生殖腺)、あるいは、より丁寧に"The Onion"と例えた。
設計者らは、テムズ川に掛けられた「巨大な球」のように見えたと語ったという。
実際の建物はもちろん従来型の建物と同じく、地面にしっかりと据わっている。
内部空間は、ニューヨークのソロモン・R・グッゲンハイム美術館のそれを思わせる。
長さ500m の螺旋状の通路が建物の最上部まで昇っている。
10階建ての建物の最上階は "London's Living Room"と呼ばれる展示・会議スペースとなっている。
開放的な展望デッキは、期間限定で一般開放されているという。
通路からは建物内部を眺めることができる。
これは、政治の透明性を象徴するためだという。
設計者のフォスターは、ドイツの国会議事堂の改修(1999年)の際にも、似たような設計を施している。
2006年、建物に太陽光発電装置を取り付けることがロンドン気候変動局により発表されている。
☆☆☆GGのつぶやき
本国イギリスで軽蔑的に「スーパースター建築士」と呼ばれるノーマンフォスター。
「ミレニアム・ブリッジ」の共振事故や、このエネルギー非効率建築「シティ・ホール」を見るにつけ貴族社会の腐敗匂を感じてしまうのだが、気のせいなのか。