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(EX) ルイス・ブニュエルの主要な受賞・ノミネート作(1950年代以降)を読み解く

本日は、ルイス・ブニュエルの主要な受賞・ノミネート作(1950年代以降)を読み解いてみよう。

主要な受賞・ノミネート作(1950年代以降)


ドゥルーズの「運動‐イメージ/時間‐イメージ」を軸にすると、ブニュエル作品はそれぞれ異なる仕方で“思考する映画”へと移行していく。
主要な受賞・ノミネート作(1950年代以降)の代表作から読み解いてみよう。




『忘れられた人々』Los olvidados(1950)

社会的リアリズムに基づく因果的連鎖が中心で、行為が状況を変化させる典型的な運動‐イメージの構造を持つ。ただし、暴力や夢の挿入によって因果が微妙に歪み、すでに“運動の破綻”の兆しが見える。

運動‐イメージ的な因果連鎖に支配されたスラムの現実を描きつつ、夢や行動の破綻といった断裂を通して時間‐イメージの萌芽を示す。行動が状況に応答できなくなる“思考の空白”が生まれ、観客は解決不能な倫理的曖昧さに直面する。ブニュエルはこの作品で、リアリズムの内部に思考の契機を刻み込み、“思考する映画”への移行を開始する。


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『昇天する若者』Subida al cielo (1952)

その内部に時間‐イメージ的な“裂け目”を忍び込ませる作品。目的に向かう旅が、欲望・偶然・停滞によって逸脱し、行為の連鎖がほころび始める。その結果、世界は因果ではなく“時間そのもの”をちらりと露呈する。ブニュエルが後に本格化させる不条理と時間の解体が、ここで静かに芽生えている。

ロードムービー的な運動‐イメージを基調としつつ、旅の停滞や偶発的中断によって因果の連鎖がゆるみ、時間‐イメージの兆しが立ち上がる作品として読める。行動が状況を突破できない場面が繰り返され、主人公は選択の宙吊りに置かれる。ユーモアと寓話性の背後で“思考の空白”が生まれ、ブニュエルは娯楽的形式の内部に思考の契機を忍び込ませ、“思考する映画”への移行をさらに推し進めていく。


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『死刑台の夜』Cela s'appelle l'auror (1955)

行為によって世界を変えようとする運動‐イメージの形式をとりながら、その内部で行為が無効化され、世界が不透明化し、情動と出来事が前景化することで、時間‐イメージへの移行が始まる作品である。ブニュエルは社会派ドラマの枠を借りつつ、因果の崩壊と倫理の宙吊りを通じて、純粋な時間の感触を静かに立ち上げている。

社会的不正への怒りが人物の行動を駆動する点で運動‐イメージ的だが、復讐が反復的に挫折し、因果がねじれ始めることで時間‐イメージの領域へ踏み込む。登場人物たちは状況を変えられず、選択は宙吊りとなり、物語は倫理的解決を拒む。行動の危機が“思考の空白”を生み、ブニュエルは政治的題材の内部に思考の契機を刻み込み、“思考する映画”への移行をさらに深化させていく。



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『ビリディアナ』Viridiana (1961)

善行という行為‐イメージの枠組みを提示しながら、その内部で行為が無効化され、世界が因果的応答をやめ、出来事が支配する時間‐イメージへと移行する映画である。ブニュエルは宗教批判を超えて、行為の破綻と倫理の空白を通じて、純粋な時間の露呈を描く。その意味で『ビリディアナ』は、ブニュエルが本格的に“思考する映画”へ踏み出す転換点といえる。

慈善という行為の因果性が次々と破綻し、運動‐イメージ的世界が自壊していく過程を描く。善意が状況を改善できず、むしろ混乱を増幅させることで、行動は宙吊りとなり時間‐イメージ的な“思考の空白”が生じる。宗教的理想と現実の乖離が倫理的解決を拒み、観客は判断不能な余白へと導かれる。ブニュエルはこの作品で、寓話と現実を交錯させながら“思考する映画”への移行を決定的に深めていく。



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『皆殺しの天使』El ángel exterminador(1962)

登場人物が「出られない」状況に陥ることで、行為が世界を変えるという運動‐イメージの前提が崩れる。行為が停止し、理由のない反復が生じる点で、時間‐イメージへの移行が始まる。

登場人物たちが“出られない”という理由不明の状況に閉じ込められることで、運動‐イメージの根幹である〈状況→行動〉の連鎖が崩壊する。行動は状況を変えられず、因果は停止し、時間だけが露出する。閉塞の反復は倫理的・宗教的意味づけを拒み、観客は説明不能な“思考の空白”に直面する。ブニュエルはこの作品で、現実の論理を内部から瓦解させ、時間‐イメージ的な“思考する映画”を決定的に開花させていく。



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『砂漠のシモン』Simón del desierto (1964)

宗教的行為を軸にした運動‐イメージの形式を提示しながら、その行為が世界に届かず、倫理が宙吊りになり、最後には因果を超えた“出来事”が支配する時間‐イメージへと急転する作品である。ブニュエルはここで、信仰の無効化と世界の不条理を通じて、時間そのものの露呈を最もラディカルな形で描いた。

修行者シモンの禁欲的行為が状況を変えられず、運動‐イメージ的な〈行為→効果〉の連鎖が空転する。奇跡も苦行も世界を動かさず、悪魔の介入によって因果はさらに撹乱され、行動は宙吊りとなる。砂漠と都市をつなぐ突発的転移は時間‐イメージ的な断絶を生み、観客は宗教的意味づけの崩壊と“思考の空白”に直面する。ブニュエルはこの短編で、信仰と現実の乖離を通じて“思考する映画”の極点を鋭く提示している。




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『昼顔』Belle de jour(1967)

物語は行為の連鎖よりも、主人公の内的揺らぎや幻想の反復に重心が移る。ここでは時間が心理的な“層”として現れ、運動よりも“持続”が前景化する。時間‐イメージ的な構造が強まる。

セヴリーヌの二重生活が〈行動→結果〉の因果を不安定化させ、運動‐イメージ的世界がゆるやかに崩れていく。欲望の場面は現実と幻想の境界を曖昧にし、行動が状況を規定できない“思考の空白”が生じる。物語は倫理的解決を拒み、観客は欲望の構造そのものを考えざるを得なくなる。ブニュエルはこの作品で、幻想と現実の交錯を通じて時間‐イメージ的な“思考する映画”を成熟させている。

ドヌーブは青春映画で可憐な光を放って現れたが、『反撥』ではその無垢を包む薄い静寂の膜が、内側からそっと軋み、微かな闇と欲望の息づかいが滲み出し始めた。ブニュエルはその“清らかさと危うさ”が同居する気配を敏感に嗅ぎ取り、『昼顔』で彼女の身体に抑圧と官能の震えを託す。無表情の奥で密やかに揺れる欲望が現実と幻想の境界を溶かし、観客は彼女の沈黙に触れた瞬間、思考へと誘われるように深く沈み込んでいく。



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『トリスターナ』Tristana (1970)

行為によって世界を変えようとする運動‐イメージの枠組みを提示しながら、身体の変容と倫理の反転を通じて行為を無効化し、最終的に“時間が主体を作り変える”時間‐イメージへと移行する映画である。ブニュエルはここで、欲望・身体・倫理が因果を離れ、純粋な時間の中で変質していく過程を、最も静かで残酷な形で描き出している。

支配と反抗の因果が空転し、運動‐イメージ的世界が静かに崩れる。身体の喪失によって行動は世界に応答できなくなり、視線と沈黙が内的時間を前景化する。幻視や権力の反転が現実と内面を溶かし合わせ、時間‐イメージの結晶が生まれる。ブニュエルはこの作品で、行動の危機を通じて観客を思考へと誘う“思考する映画”へと到達している。



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『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』Le charme discret de la bourgeoisie (1972)

食事に辿り着けないという不条理な反復は、因果的世界の崩壊を示す。夢と現実が区別不能になり、イメージは表象ではなく“出来事”として現れる。これはドゥルーズが言う「クリスタル‐イメージ」に近い。

食事という最も日常的な行為が繰り返し挫折し、〈状況→行動→結果〉という運動‐イメージの因果が徹底的に空転する。夢と現実が断続的に入れ替わり、登場人物たちは自らの行動を世界に結びつけられないまま宙吊りになる。因果の停止によって時間そのものが露出し、観客は意味づけ不能な反復の中で“思考の空白”に導かれる。ブニュエルはこの作品で、ブルジョワ的秩序を内部から瓦解させつつ、時間‐イメージ的な“思考する映画”を極限まで洗練させている。



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『自由の幻想』Le fantôme de la liberté (1974)

運動‐イメージの因果的世界を完全に放棄し、断片・飛躍・出来事・反転によって構成された、純粋な時間‐イメージの映画である。ブニュエルはここで、自由・規範・主体といった概念を解体し、世界が“意味”ではなく“出来事”によって動くことを露呈させる。その意味で本作は、ドゥルーズ的映画思考の最も極端な実践のひとつ。

物語の因果が意図的に断ち切られ、〈状況→行動〉という運動‐イメージの枠組みが完全に崩壊する。エピソードは唐突に連結と断絶を繰り返し、登場人物たちは自らの行動を世界に結びつけられないまま漂う。夢と現実、規範と逸脱が区別不能となり、時間だけが露出する“思考の空白”が生まれる。ブニュエルはこの作品で、因果の解体そのものを形式化し、時間‐イメージ的な“思考する映画”を極限まで純化している。



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『欲望のあいまいな対象』Cet obscur objet du désir(1977)

一人の女性を二人の女優が演じる構造は、主体の統一を破壊し、時間を“直接的に”提示する。行為の連鎖はもはや中心ではなく、欲望の揺らぎそのものが時間‐イメージとして立ち上がる。

同一人物を二人の女優が演じるという構造そのものが因果を撹乱し、運動‐イメージ的な〈行動→結果〉の連鎖が根底から揺らぐ。欲望の対象は一貫性を失い、主人公の行動は世界に応答できず宙吊りとなる。現実と幻想、主体と対象の境界が溶け、時間だけが露出する“思考の空白”が生まれる。ブニュエルはこの作品で、欲望そのものの不確定性を形式化し、時間‐イメージ的な“思考する映画”を最終的な純度で結晶させている。



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ブニュエルの後期作品は、運動‐イメージの枠組みを徐々に解体し、因果・主体・行為が崩れたところに現れる“純粋な時間”を映し出す方向へ進んでいる。行為が状況に応答するという運動‐イメージの枠組みを意図的に崩し、因果・主体・行為の連鎖が空転する地点で“純粋な時間”を露出させていく。

夢と現実、欲望と行動の境界が溶け、登場人物は世界を変えられないまま宙吊りとなる。
その空白にこそ時間‐イメージが立ち上がり、観客は意味づけ不能な断絶の中で思考へと誘われる。
ブニュエルはこの過程を通じて“思考する映画”を極限まで純化した。



☆☆☆GGのつぶやき
ブニュエルの1950年代以降の主要作を通して浮かび上がるのは、社会制度・宗教・権力への徹底した批判精神と、人間の欲望の不安定さを暴く視線である。メキシコ時代のリアリズム(『忘れられた人々』『昇天する若者』)では貧困や死生観を冷徹に描き、ヨーロッパ帰還後はカトリック的道徳やブルジョワ秩序を執拗に揺さぶる(『ビリディアナ』『皆殺しの天使』『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』)。そこでは制度がいかに人間を拘束し、欲望を管理するかが露呈する。同時に『昼顔』『トリスターナ』『欲望のあいまいな対象』に見られるように、欲望は主体を超えて揺らぎ、分裂し、しばしば不条理な形で現れる。ブニュエルの作品群は、社会的偽善の暴露と欲望の解体を通じて、人間の自由と不確かさを照らし出す映画的探求として一貫している。


ブニュエルの1950年代以降の作品をドゥルーズ的に読むと、そこには欲望を欠如ではなく生産とみなす視点が貫かれている。宗教やブルジョワ秩序は欲望の流れをコード化する装置として描かれ、登場人物の逸脱や不条理な状況はそのコードを破壊し、欲望の自由な流れを回復する脱コード化の運動として機能する。また、夢や反復、不条理な構造は象徴的意味を指すのではなく、思考を揺さぶる出来事として働き、表象を超えたイメージの力を示す。これらの要素が交錯することで、ブニュエルの映画はドゥルーズ的思考の実践として理解される。




# by my8686 | 2026-01-27 17:17 | たかが映画、されど映画 | Trackback

Extra Feature (EX) ルイス・ブニュエルの代表作群を読み解く

マイBLGのランキング8位の「アンダルシアの犬」に目がとまる。
それが動機となり受賞歴作品を軸にブニュエル作品をもう一度見直してみたいと思った。



ルイス・ブニュエル(Luis Buñuel)の略歴

20世紀映画史において、ルイス・ブニュエルは「最も影響力のある映画作家の一人」と評される存在。
スペインに生まれ、フランスとメキシコを中心に活動し、シュルレアリスム映画の確立者として世界的に知られている。


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生涯の概要
- 生年:1900年2月22日(スペイン・アラゴン地方カランダ)
- 没年:1983年7月29日(メキシコ・メキシコシティ)
- 国籍:スペイン(1949年に放棄)、同年よりメキシコ国籍取得
- 学歴:マドリード大学で学ぶ
- 活動期間:1929–1977年
- 家族:妻ジャンヌ・ルカル(1934年結婚)、子ども2人


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キャリアの特徴

-パリ時代:若い頃にパリへ移り、ジャン・エプスタン監督の助手など映画関連の仕事に従事。


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-シュルレアリスム映画の創始者:
1929年の《アンダルシアの犬》(サルバドール・ダリと共同)で映画史に衝撃を与え、非合理・夢・無意識を扱うシュルレアリスム映画の代表的作家となる。

※「アンダルシアの犬」を読み解く


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- 政治性と反体制性:
反聖職主義、反ブルジョワ的視点を持ち、社会の偽善を暴く作品が多い。


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- メキシコ時代の成熟:
亡命後のメキシコで多数の長編を制作し、リアリズムとシュルレアリスムを融合させた独自のスタイルを確立。


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- 後期フランス作品:
《昼顔》《ブルジョワジーの秘かな愉しみ》《欲望のあいまいな対象》など、国際的評価を決定づける作品を発表。


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代表作
- 《アンダルシアの犬》(1929)
- 《黄金時代》(1930)
- 《忘れられた人々》(1950)
- 《ビリディアナ》(1961)
- 《昼顔》(1967)
- 《ブルジョワジーの秘かな愉しみ》(1972)
- 《欲望のあいまいな対象》(1977)


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評価と影響

ブニュエルは、映画における「夢と現実の境界を破壊する」手法で知られ、その作品は後の映画作家—フェリーニ、リンチ、アレハンドロ・ホドロフスキーなど—に大きな影響を与えた。
批評家・歴史家から「映画史上もっとも重要な作家の一人」と位置づけられている。




☆☆☆GGのつぶやき
ブニュエルの代表作群に通底するのは、人間の欲望・社会制度・宗教的権威への徹底した懐疑と、理性では制御できない無意識の力への洞察だと思う。彼の映画では、ブルジョワ的秩序やカトリック的道徳は常に揺さぶられ、崇高と卑俗、聖と俗、愛と暴力が同じ地平で交錯する。そこには「人間は合理的存在ではなく、矛盾と衝動に満ちた存在である」という冷徹だがどこかユーモラスな視線がある。また、夢・反復・不条理といった手法を通じて、社会が隠蔽する抑圧や偽善を露呈させ、観客に“世界の見え方そのもの”を問い直させる。ブニュエルの哲学とは、権威の解体と欲望の暴露を通じて、人間の自由と偽善の構造を暴き出す批評精神にほかならない。

ブニュエルの映画をドゥルーズ的に読むと、そこには欲望を欠如ではなく生産とみなす視点が貫かれている。夢や不条理は象徴的意味を指すのではなく、思考を揺さぶる出来事として機能し、主体や物語を固定化しない。宗教やブルジョワ道徳といった制度は、欲望の流れをコード化し管理する装置として描かれ、登場人物の逸脱や反抗はそのコードを脱構築し、欲望の自由な流れを回復する運動として現れる。ブニュエルの作品群は、欲望の生産性、反‐表象的イメージ、制度の脱コード化という三つの力が交錯する、ドゥルーズ的思考の実践として理解できる。

ドゥルーズはブニュエルを「映画史の中で特異な位置を占める作家」として重視しており、とくにシュルレアリスム的イメージの革新性に注目していたと考えられる。ドゥルーズの『シネマ』講義にはブニュエルの名が繰り返し登場し、彼はブニュエルを運動‐イメージの枠組みを揺さぶる作家として扱っている。

ドゥルーズにとってブニュエルは、表象を破壊し、思考を強制的にずらすイメージを作り出す映画作家、夢・無意識・不条理を、象徴解釈ではなく“力の出来事”として提示する作家、宗教・道徳・社会制度を脱コード化し、欲望の流れを可視化する作家として重要だった。ドゥルーズはブニュエルを、単なるシュルレアリストではなく、映画が思考するための新しい回路を切り開いた哲学的映画作家として評価していたと言える。



# by my8686 | 2026-01-26 17:17 | たかが映画、されど映画 | Trackback

F.Y.I 原広司の著作から「均質化に抗う空間の論理」を読み解く vol.4

原広司の『集落の旅』は、単なる旅行記でも都市論でもなく、「均質化に抗う空間の論理」を世界の集落・都市の中に探し出す思想的実践だった。
そのため、「均質化の理念が比較的強く見えるが、背後に非均質性を抱える都市」は、原の思考の核心に深く関わっていた。


原は著作(『住居に都市を埋蔵する』『建築の多様性と普遍性』など)で、ニューヨーク(アメリカ)、シンガポール、ベルリン(ドイツ)を次のように読み解いている。


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表面は均質でも、内部は複雑な層を持つ。

・ニューヨーク(アメリカ):マンハッタンのグリッドは均質だが、地区ごとの文化・階層差は極端に非均質。

・シンガポール  :高度に計画された均質空間のように見えるが、民族・用途・歴史の層が複雑。

・ベルリン(ドイツ) :東西分断の歴史が都市の内部に非均質な断層を残す。


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この三都市は「均質に見える都市の内部に潜む非均質性」をもっとも鮮やかに示す例で、原広司の思考の核心に直結している。 それぞれの都市がどのように“均質化の表層”と“非均質な深層”を併せ持つのか、個別に読み解いていこう。


1. ニューヨーク ― グリッドの下に潜む極端な非均質性

■ 表層:世界でもっとも均質に見える都市構造
- マンハッタンの碁盤目状グリッド
- 均質な区画割り
- 高層ビルが林立する「均質なスカイライン」
- 近代都市計画の象徴としての整然さ

外見だけ見れば、ニューヨークは“均質化の勝利”のように見える。


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■ 深層:文化・階層・民族の極端な非均質性

しかし原が注目したのは、グリッドの下で起きている激しい差異の生成。

- ハーレム、ロウアーイーストサイド、チャイナタウン、ウィリアムズバーグなど → 文化・民族・階層が街区ごとに劇的に異なる
- 富裕層と貧困層が隣接
- 不動産資本による急速なジェントリフィケーション
- 地区ごとに異なる生活リズム・言語・経済圏

つまりニューヨークは、均質なグリッドの上で、非均質性が爆発的に増殖する都市。
原の言葉でいえば、「均質化の形式が、逆に差異を増幅する都市」となる。



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2. シンガポール ― 完璧な計画都市の内部に潜む多層的な非均質性

■ 表層:世界最高レベルの均質化

- 国家主導の徹底した都市計画
- 公共住宅(HDB)の均質な配置
- 清潔・安全・効率という“均質な都市イメージ”
- 用途分離とゾーニングの徹底

外見は「完璧に均質化された都市」。


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■ 深層:民族・用途・歴史の複雑な層

しかし原が見たのは、均質化の背後に潜む多層的な非均質性。

- 中華系・マレー系・インド系などの民族的多層性
- コロニアル建築、キャンプン(村落)、近代建築が混在
- HDBの内部でも階層差が存在
- 都市の裏側に広がるインフォーマルな生活圏
- 国家の統制と市民の生活実践のズレ

つまりシンガポールは、均質化の徹底が、逆に複雑な多層性を浮かび上がらせる都市。
原の読みでは、「均質化の背後に潜む“見えない差異の層”が都市を動かしている」。



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3. ベルリン ― 歴史の断層が都市の内部に残り続ける都市

■ 表層:統合された首都としての均質な都市像

- 再統一後の大規模再開発
- 官庁街・文化施設・交通網の整備
- 近代的で均質な都市イメージの再構築

表面上は「統合された均質な都市」。



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■ 深層:東西分断の歴史が残した“断層”

しかし原が注目したのは、都市の内部に残る深い断層。

- 東西ベルリンの都市構造の違い → 街路幅、建物のスケール、住宅の形式、生活文化
- 壁の痕跡が都市の動線に影響
- 統合後も残る経済格差・文化差
- 再開発による“空白地帯”の存在
- 歴史の傷跡が都市の空間に刻まれ続ける

ベルリンは、均質化しようとしても、歴史の断層が都市を分節し続ける都市。
原の読みでは、「断層そのものが都市の生成力になっている」。



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■総括:三都市に共通する“均質化の表層 × 非均質性の深層”

ニューヨーク:グリッド 文化・階層の極端な差異 均質化が差異を増幅する
シンガポール:完璧な計画都市 民族・用途・歴史の多層性 均質化の背後に差異の層
ベルリン :統合された都市像 東西分断の断層 断層が都市の生成力


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memo

三都市の「均質化の表層 × 非均質性の深層」を、ドゥルーズ的概念で読み解く

ドゥルーズ=ガタリ的概念(リゾーム/平滑空間と溝状空間/差異の生成/脱領土化・再領土化)で読むと、三つの都市はそれぞれ異なる“生成のマシン”として立ち上がってくる。


ドゥルーズ的読解:三都市は「差異生成の装置」である

1.ニューヨーク:均質化が差異を増幅する“平滑化マシン”

グリッド=平滑空間(smooth space)
- 均質で、方向性がなく、どこまでも拡張可能な空間。
- しかしドゥルーズ的には、平滑空間は差異を消すのではなく、むしろ“差異を走らせる”場。


文化・階層の極端な差異=強烈な非均質性
- グリッドは差異を均すのではなく、差異を“可視化し、加速する”。
- 均質な枠組みの中で、差異がむしろ際立ち、競合し、増幅される。

解釈
- ニューヨークは「均質化が差異を抑圧する」のではなく、均質化が差異を“生成”し、“増幅”する都市マシン。
- これはまさにドゥルーズの「差異の哲学」そのもの。




2. シンガポール:完璧な計画都市の“多層的再領土化”

完璧な計画=溝状空間(striated space)
- 管理され、区画化され、国家によって強く“領土化”された空間。

民族・用途・歴史の多層性=潜在的リゾーム
- 表層は均質だが、深層には複数の歴史・文化・用途が折り重なる。
- これは「潜在的なリゾーム的多様性」。

解釈
- シンガポールは「強い領土化(striated)」の背後に、多層的な脱領土化の流れが潜在する都市。
- 均質化は差異を消すのではなく、差異を“層として封じ込める”。
- その層が時に噴出し、都市の生成力となる。




3. ベルリン:断層が都市を生成する“差異の地質学”

統合された都市像=再領土化
- 再統合後のベルリンは「一つの都市像」を提示する。

東西分断の断層=地質学的差異(geology of difference)
- ドゥルーズ=ガタリの「千のプラトー」的に言えば、断層は“差異の地層”であり、生成の契機。

解釈
- ベルリンは「断層=差異」が都市の生成力そのもの。
- 統合という均質化の表層の下で、断層が新たな流れ(フロー)を生み続ける都市。
- 差異は過去の傷ではなく、未来を開く“生成の裂け目”。




三都市をドゥルーズ的に統合すると

◆ 共通構造

三都市はすべて、表層:均質化(グリッド/計画/統合)× 深層:差異のフロー(文化差/多層性/断層)という二重構造を持つ。
しかしドゥルーズ的には、これは対立ではなく、均質化の表層が、差異の生成を可能にする“装置(アンサンブラージュ)”として機能している。
つまり三都市はすべて、差異を生み出す都市的生成マシン(machine of becoming)として読める。


結論:三都市は“差異の生成”の三つのモデル

- ニューヨーク:差異の加速
- シンガポール:差異の層化
- ベルリン:差異の断層化

ドゥルーズ的に言えば、三都市はそれぞれ異なる形で差異が生成し続ける都市的リゾームとして機能している。




☆☆☆GGのつぶやき
都市が均質な表層の下に複雑な差異の層を抱え込むように、日本社会もまた多様な欲望・歴史・生活世界を内包している。それにもかかわらず、ある論者が「総選挙の愚策」と批判するような一部の政策判断は、こうした差異を丁寧に読み解くことなく、均質化された“国民像”に基づいて一気に処理しようとする傾向を示している。ニューヨークがリゾーム的に差異を横断接続し、シンガポールが折り畳まれた多層性を管理し、ベルリンが断層を抱えつつも逃走線を生み出すように、都市は差異の生成を止めない。むしろ、その複雑さこそが都市の生命力である。総選挙をめぐる拙速な判断が批判されるのは、まさにこの“差異の力”を読み違え、均質化によって統治しようとする姿勢が透けて見えるからだ。未来を生き延びる社会とは、都市と同じく、差異が生成し続ける場をどう支え、どう接続し、どう重層化させるかを問う社会にほかならない。



# by my8686 | 2026-01-25 15:15 | 気になる建築&空間 | Trackback

F.Y.I 原広司の著作から「均質化に抗う空間の論理」を読み解く vol.3

原広司の『集落の旅』は、単なる旅行記でも都市論でもなく、「均質化に抗う空間の論理」を世界の集落・都市の中に探し出す思想的実践だった。
そのため、「計画都市でありながら、実際には非均質化した都市」は、原の思考の核心に深く関わっていた。


原は著作(『住居に都市を埋蔵する』『建築の多様性と普遍性』など)で、東京(日本)、ソウル(韓国)、メキシコシティ(メキシコ)を次のように読み解いている。


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均質化の理念が導入されたが、現実の生活・経済・歴史がそれを崩した例。

・東京(日本) :戦後の均質化計画があっても、路地・商店街・用途混在が強く残る。

・ソウル(韓国):高層開発と伝統的街区が混在し、均質化しきれない。

・メキシコシティ(メキシコ):計画とインフォーマルな都市利用が共存し、極めて非均質。


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この三都市を原広司の思考の軸――「均質化の理念」と「非均質な現実」のせめぎ合い――から読み解くと、それぞれがまったく異なる仕方で“均質化に抗う都市”として立ち上がる。
単なる都市比較ではなく、空間の論理そのものがどのように均質化を拒むのかを、原の視点に沿って深く掘り下げてみよう。


1. 東京 ― 均質化計画の上に“生活の地層”が噴き出す都市

■ 均質化の理念

- 戦後復興期のグリッド化・用途地域制・道路拡幅
- 1960年代以降の大量住宅供給・標準化された建築生産
- 1970年代のメタボリズム的な巨大計画

東京は、世界でもっとも徹底して「均質化の理念」が導入された都市のひとつ。


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■ しかし現実は非均質

原が注目したのは、計画の上に“生活の論理”が噴き出す現象。

- 路地(ろじ)
- 商店街
- 木造密集地
- 用途混在(住宅・工場・商業が同じ街区に共存)
- 地主制・借地権などの複雑な土地制度
- 歴史的な地割の残存

これらは、計画が想定した均質な都市像を内部から破壊する力として働く。


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■ 原の読み

東京は「計画された都市」ではなく、“計画を呑み込み、変質させ、別の都市を生み出す巨大な生き物”として理解されるべきだとする。



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2. ソウル ― 高層開発と伝統的街区が“断層”として共存する都市

■ 均質化の理念

- 1960年代以降の急速な近代化
- 大規模道路整備
- 高層アパート群(アパートメント・タウン)
- 国家主導の都市再開発

ソウルは、国家主導で均質化が強力に推し進められた都市。


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■ しかし現実は非均質

原が注目したのは、伝統的街区(ハノク集落)と高層開発の“断層”。

- ハノクの不規則な地割
- 路地の迷路性
- 市場(シジャン)の自生的発達
- 高層アパート群の均質性
- それらが“隣り合う”という強烈な非均質性

均質化の理念が強いほど、逆にその“裂け目”が都市の中に露出する。



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■ 原の読み

ソウルは、“均質化の暴力と、生活の抵抗がむき出しで衝突する都市”であり、その断層こそが都市の本質的な空間生成力だとする。



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3. メキシコシティ ― 計画とインフォーマルが“二重都市”をつくる巨大都市

■ 均質化の理念

- スペイン植民都市の碁盤目(グリッド)
- 20世紀の近代都市計画
- 大規模道路・広場・官庁街
- モダニズム建築の導入

メキシコシティは、歴史的にも近代的にも「計画都市」としての側面が強い。


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■ しかし現実は極めて非均質

原が強調したのは、インフォーマルな都市利用の圧倒的な力。

- ストリートマーケット
- 屋台・露店
- インフォーマル居住(バラック、セルフビルド)
- 地盤沈下による都市の歪み
- 交通渋滞と非計画的な動線
- 社会階層の空間的分断

計画都市の上に、巨大な“もうひとつの都市”が重層的に存在する。



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■ 原の読み

メキシコシティは、計画都市とインフォーマル都市が重なり合う二重都市であり、その非均質性は世界でも特異なスケールを持つ。



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■総括:原広司が見た三都市の“非均質性の論理”

東京: 戦後復興・用途地域制・大量生産 路地・商店街・用途混在・地割の残存 計画を呑み込み変質させる“生き物”
ソウル: 国家主導の高層開発・道路整備 ハノク街区と高層開発の断層 均質化と生活の抵抗が衝突する都市
メキシコシティ : 植民都市計画・近代計画 インフォーマル都市の巨大な層 計画と非計画が重なる“二重都市”



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memo

「ドゥルーズ的に読む三都市の“非均質性”」

これは、ドゥルーズが最も得意とする「差異の生産」「リゾーム」「脱領土化/再領土化」の視点で三都市を読み替える絶好の素材である。
原広司の「非均質性の論理」は、ドゥルーズ=ガタリの都市論的思考と驚くほど響きあう。


ドゥルーズ的に読む三都市の“非均質性”

1.東京:計画を呑み込み変質させる“生き物”=リゾーム都市

● キーワード:リゾーム/微分的生成/脱領土化の連続

東京はドゥルーズ的に言えば、「計画(ツリー構造)を呑み込み、微細な差異を増殖させながら変質し続けるリゾーム」。

- 路地・商店街・用途混在=微小な差異の連続的生成(微分的生成)
- 地割の残存=歴史的層の“しつこい再領土化”
- 戦後復興・大量生産=巨大な脱領土化の波
- しかしそれを呑み込み、局所的に変質させる=リゾーム的再構成

東京は「均質化の力」と「局所的差異の生成」が絶えずせめぎあい、差異そのものが都市の駆動力になっている。
ドゥルーズ的には、“計画を裏切り続ける都市”=生成変化のマシンと読める。





2. ソウル:均質化と生活の抵抗が衝突する都市=脱領土化の断層

● キーワード:断層/国家的脱領土化/生活の再領土化

ソウルは、国家主導の高速な近代化によって強制的な脱領土化(高層化・道路整備)が行われた都市。
しかしその中にハノク街区が残り、生活のリズムが“再領土化”として抵抗する。

- 国家計画=巨大なツリー構造
- ハノク街区=生活のリゾーム
- その衝突=断層(フォールトライン)としての都市空間

ドゥルーズ的には、「国家装置(ストラタ)と遊牧的生活(ノマド)の衝突」として読める。

ソウルは、均質化の力が強すぎるがゆえに、差異が“断層”として露出する都市と言える。




3. メキシコシティ:計画と非計画が重なる“二重都市”=多層的ストラタ

● キーワード:ストラタ/重層化/非計画の生産性

メキシコシティは、植民都市計画・近代計画という強固なストラタ(層)の上に、巨大なインフォーマル都市が重なっている。
これはドゥルーズ的には、「異なるストラタが共存し、互いに干渉し合う場」。

- 植民都市計画=硬いストラタ(国家・権力)
- インフォーマル都市=柔らかいストラタ(生活・生成)
- 二重都市=ストラタ間の“干渉帯”としての都市

ここでは、計画(ツリー)と非計画(リゾーム)が同時に都市を駆動する。
メキシコシティは、差異が“層として蓄積される都市”であり、東京のように拡散的ではなく、重層的に差異が堆積する点が特徴。


三都市を貫くドゥルーズ的視点: 「差異の都市論」としての非均質性

原広司の非均質性の論理は、ドゥルーズ的に言えば、都市を“差異の生産装置”として読む試み。

三都市はそれぞれ異なる形で差異を生産している。

東京は、リゾーム/微分的生成、計画を呑み込み変質する“生成の都市”
ソウルは、 脱領土化と再領土化の断層、均質化と生活の抵抗が衝突する“断層都市”
メキシコシティは、ストラタの重層化、計画と非計画が重なる“多層都市”

三都市は、差異の生成の仕方がまったく異なる。

東京は、拡散的に差異を増殖し、ソウルは、断層として差異が露出する。メキシコシティは、層として差異が堆積する。
この三つの差異の生成形式こそ、原広司が言う「非均質性の論理」をドゥルーズ的に深化させる鍵になる。



☆☆☆GGのつぶやき
三都市の未来を開く鍵は「非均質性の肯定」にあるという視点は、近年の政治的トレンド――多様性の承認、中央集権的モデルへの懐疑、ローカルな主体性の再評価――とも響き合う。東京では、生活の地層が積み重なるリゾーム的都市構造が、均質化を志向する政策潮流の中でも更新の余地を残し続けている。ソウルでは、急速な再開発と市民的抵抗のせめぎ合いが、断層を断層のまま活かす政治的想像力を要請している。メキシコシティでは、計画都市とインフォーマル都市の重層性が、包摂と公正をめぐる議論と結びつき、二重都市を統合する倫理を問い直している。三都市の未来は、均質化された単一モデルへの収斂ではなく、それぞれが固有の生成変化の形式を深化させることにこそ開かれている。



# by my8686 | 2026-01-24 20:20 | 気になる建築&空間 | Trackback

F.Y.I 原広司の著作から「均質化に抗う空間の論理」を読み解く vol.2

原広司の『集落の旅』は、単なる旅行記でも都市論でもなく、「均質化に抗う空間の論理」を世界の集落・都市の中に探し出す思想的実践だった。
そのため、「地形が都市の均質化を阻む都市」は、原の思考の核心に深く関わっていた。


原は著作(『住居に都市を埋蔵する』『建築の多様性と普遍性』など)で、香港、サンフランシスコ(アメリカ)、リオデジャネイロ(ブラジル)を次のように読み解いている。


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均質空間の理念が“地形”によって破られる典型。

・香港            : 山地と海岸線が都市構造を強制的に非均質化。
・サンフランシスコ(アメリカ): 急峻な丘陵がグリッドを歪ませ、均質化を妨げる。
・リオデジャネイロ(ブラジル): 山と海が都市を分断し、用途も階層も非均質に配置される。



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それでは個々にみてみよう。


都市の形態が“理念”ではなく“地形”によって強制的にねじ曲げられる、その具体像がよく見えてくる。


1.香港 ― 山地と海岸線が都市を細長く引き裂く都市

香港は、都市化可能な平地が極端に少なく、山地と海岸線が都市構造を物理的に制約する都市。



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地形的特徴
- 山地が多く、急峻な斜面が都市の背後に迫る
- 都市は「線状」に発達し、海岸線と交通軸に沿って細長く伸びる
- 260以上の島が点在し、都市の連続性が断片化される


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都市構造への影響
- 均質なグリッドや均質なゾーニングは成立しにくい
- 高密度地区(例:九龍)と低密度地区が極端に分離
- 地形に沿った“非均質な帯状都市”が形成される


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香港は、均質化の理念よりも地形が都市の形を決定する典型例である。






2. サンフランシスコ ― 48の丘がグリッドを破壊する都市

サンフランシスコは、48の丘を抱える都市で、アメリカ的な均質グリッドが地形によって破られた代表例。

地形的特徴
- 48の丘が都市全体に散在
- 丘陵は急峻で、道路が途中で“消える”ように見える場所もある
- 市街地は半島の先端にあり、海と丘に挟まれた複雑な地形


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都市構造への影響

- グリッドが丘陵に突き当たり、道路が途切れたり、異常な勾配を持つ
- 公共交通のカバー率が低くなる地域が生まれる
- 均質な都市計画が地形によって“破断”される

サンフランシスコは、均質グリッドが地形に敗北した都市といえる。


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3. リオデジャネイロ ― 山と海が都市を分断し、階層を空間化する都市

リオは、海岸線・山塊・湾が複雑に入り組む地形を持ち、都市を物理的に分断する。

地形的特徴

- コルコバード山、シュガーローフ山などの巨大な岩山が市街地を分断
- 海岸線と内陸の間に山が立ちはだかる
- 湾(グアナバラ湾)が都市の連続性を断ち切る


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都市構造への影響

- 山によって地区が隔離され、用途・階層が空間的に分断
- 富裕層地区とファヴェーラ(スラム)が隣接しつつも、地形によって隔てられる
- 都市の拡大は地形に沿って“非均質に”進行

リオは、地形が社会階層の空間配置にまで影響する都市である。


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三都市に共通する“地形による非均質性”

香港 : 山地・海岸線・島嶼 線状都市、高密度と低密度の極端な分離
サンフランシスコ : 48の丘 グリッドの破断、交通の不均質
リオデジャネイロ : 山塊・海岸線・湾 地区の分断、階層の空間化

これらの都市は、均質空間の理念が“地形”という現実に敗北する場所である。
「都市の非均質性」の最も鮮やかな実例といえるだろう。


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memo
この三都市の読み解きは、ドゥルーズの思考を通すと一気に別の相貌を帯びてくる。
原広司の「地形による非均質性」は、ドゥルーズ=ガタリの「滑走面(plan d’immanence)」と「リゾーム」の概念と驚くほど響き合う。
むしろ、三都市はそれぞれ異なる仕方で「均質空間=国家的・計画的ストラタ」に対して、「地形=生成変化の力」が噴出する場所として読める。


以下、ドゥルーズ的に再構成してみよう。


1. 香港 ― “地形が都市を線状化する”という〈ストラタの破断〉

香港では、山地と海岸線という強烈な地形が、国家的・計画的なストラタを物理的に折り曲げ、均質化しようとする力に亀裂を入れる。
都市は平板な均質空間としてではなく、地形がつくり出す方向性に沿って線状化し、フローがもっとも通りやすい経路へと逃走線が引き出されていく。

また、多島海という断片化された地形は、都市の連続性を分解しつつ、複数の結節点を生み出し、リゾーム的な広がりを形成する。

その結果、香港は「計画された都市」というより、「地形が発する力に導かれ、絶えず生成変化する都市」として立ち現れる。
均質化のストラタに対抗するように、地形そのものが都市の構造を撹乱し、逃走線の束としてのリゾーム的都市空間をつくり出しているのである。




2. サンフランシスコ ― グリッドが丘陵に敗北する〈リゾーム的逸脱〉

サンフランシスコでは、アメリカ的グリッドという国家的コード化の典型が、丘陵という強烈な地形によって絶えず撹乱されている。
均質化を志向する条理空間としてのグリッドは、起伏の激しい地形にぶつかるたびに折れ曲がり、途切れ、滑走空間へと変換されていく。
丘陵は、コード化された秩序を破断し、都市空間にリゾーム的な逸脱を挿入する“滑走面”として働く。

その結果、サンフランシスコは、条理空間が滑走空間に侵食され続ける都市として立ち現れる。
均質化の理念が地形の力によって逸脱へと転じ、都市のあらゆる場所でドゥルーズ的な空間変換が生じているのである。



3. リオデジャネイロ ― 地形が階層を“空間化”する〈力の地図〉

リオデジャネイロでは、山と海という圧倒的な地形が都市を分断し、その起伏が社会階層の配置そのものを空間的に形づくっている。
ここでは階層は理念的に構築されるのではなく、地形がもつ力によって強制的に再配列される。

山塊は権力の分布をねじ曲げる地形的な力として働き、ファヴェーラと富裕層の地区が隣接する独特の配置は、異質なアセンブラージュ同士が直接触れ合う接合面をつくり出す。
また、地形による隔離は社会的コード化を別の形へと組み替え、都市空間を一種の“力の地図”として可視化する。

その結果、リオは「社会を反映する都市」ではなく、地形と権力のアセンブラージュが織りなす動的な配置として立ち現れる。
都市の構造は地形的力の分布そのものに支えられ、そこにドゥルーズ的な空間の生成が読み取れるのである。



三都市を貫くドゥルーズ的構造

三都市に共通するのは、都市を均質化しようとする国家的コード化――グリッド、ゾーニング、計画といった条理空間の装置――が、地形という滑走面の力によって絶えず破断されている点である。山や海、島、丘陵、湾といった地形的要素は、均質化の論理に対して侵入し、都市をリゾーム的な生成へと開いていく。

このとき都市は、理念的に設計された秩序としてではなく、地形・社会・権力・歴史が絡み合いながら絶えず変化するアセンブラージュとして立ち現れる。香港では逃走線が束となって都市を形づくり、サンフランシスコでは条理空間が丘陵によって滑走空間へと侵食され、リオでは地形と権力の配置が都市そのものを“力の地図”として可視化する。

つまり三都市は、都市空間が理念ではなく生成変化の力によって構成されることを示す実験場であり、都市をリゾーム的生成として読むための典型的な三つのモデルとなっている。



1. “均質空間の理念”としてのアメリカ的軍事行動

報道によれば、米軍は150機の戦闘機を動員し、複数の軍事拠点を同時空爆し、マドゥロを拘束するという極めて計画的・均質化された軍事オペレーションを実行した。

アメリカの軍事行動は、徹底した計画性と技術的均質性によって構成される。多数の戦闘機を同時運用し、複数拠点を一斉に空爆し、指導者を拘束するという一連のオペレーションは、ドゥルーズ=ガタリが「国家装置」と呼ぶ条理空間の論理を典型的に体現している。そこでは、軍事技術、作戦計画、制空権の掌握、そして“秩序”の輸出までもが均質化され、世界を国家的コード化の延長として再編しようとする力が働く。

この視点から見ると、アメリカの軍事行動は単なる戦術的行為ではなく、均質空間を外部へと押し広げる国家的ストラタの運動そのものとして理解できる。すなわち、世界を条理化し、可視化し、管理可能な空間へと変換しようとする国家装置の働きが、軍事行動という形で最も純粋に現れているのである。




2. ベネズエラという“地形的・社会的リゾーム”への介入

ベネズエラは、山岳地帯や密林、偏在する油田、都市とスラムの極端な非均質性、さらには民兵や麻薬組織、自治的コミュニティといった非国家的アクターの存在によって、国家が空間を均質化しようとしても容易に貫徹できない構造をもつ国である。ここでは、国家的コード化は常に地形と社会のリゾーム的な広がりに阻まれ、都市や社会の形態は理念ではなく、むしろ地形そのものの力によって決定されていく。

原広司が香港やリオで描いた「地形が社会を規定する都市像」が、国家スケールで展開していると言える。

そのような非均質で生成的な空間に、アメリカの均質化の力――条理空間を外部へ延長しようとする国家的コード化――が介入したことは、まさにリゾーム的空間と国家装置の衝突として理解できる。




3. ドゥルーズ的に見ると

ドゥルーズ的に見るなら、今回の事態はまさに「条理空間と滑走空間の衝突」として理解できる。米国の軍事行動は、徹底した計画性とコード化によって世界を均質化しようとする条理空間の力を体現している。一方、ベネズエラの地形や社会構造は、山岳・密林・非国家的アクターが複雑に絡み合うリゾーム的な滑走空間であり、国家的コード化が容易に貫通できない生成の場である。

この視点から見ると、空爆は空間そのものを再び条理化しようとする試みであり、マドゥロ拘束は権力の再コード化、石油資源の掌握は経済空間の再条理化として読める。
つまり、滑走空間が国家装置の外部で生成してきた領域に対し、条理空間が再び覆いかぶさり、均質化しようとする運動が働いている。

都市で「グリッドが丘陵に敗北する」現象の逆で、今回は“グリッドが丘陵を押しつぶしに来た”という構図が、国家スケールで展開していると言える。





4. 三都市との接続

三都市の分析が示していたのは、「地形が理念を破る」という力学だった。香港では山と海が都市を線状化し、サンフランシスコでは丘陵がグリッドを断ち切り、リオでは山塊が社会階層を空間的に可視化する。いずれも、地形という滑走空間の力が、国家的・計画的な理念=条理空間を撹乱し、都市をリゾーム的な生成へと開いていた。

これに対し、今回の米国の行動はその逆方向の運動として理解できる。すなわち、軍事的・国家的な理念が、地形や社会の複雑な生成を再コード化しようとする試みである。ここでは、地形が理念を破壊するのではなく、理念が地形と社会に覆いかぶさり、滑走空間に条理空間を押し戻そうとする力が働いている。

その結果、力の向きは「地形から理念へ」ではなく「理念から地形へ」、空間の性質は「滑走空間の優勢」から「条理空間の侵入」へ、生成の方向は「ボトムアップ」から「トップダウン」へと転換する。この対比が、三都市の分析と今回の事態をつなぐ鮮烈な構図として浮かび上がる。




5. しかしドゥルーズ的には、「国家の条理化は必ずリゾーム的抵抗を生む」

ドゥルーズ=ガタリの視点から見ると、国家が空間を条理化しようとする試みは、必ずその外側にリゾーム的な抵抗や逃走線を生み出す。今回の米国によるベネズエラへの介入でも、民兵組織の再編、油田地帯での非国家的支配の拡大、国境地帯のゲリラ化、さらには国際的反作用といった“リゾーム的反応”がすでに顕在化している。条理空間の強制が新たな滑走空間を誘発するというドゥルーズ的構造が、地政学スケールで作動しているのである。

この意味で、今回の事態は「都市の非均質性」論を国家レベルへと拡張した例といえる。三都市の分析では、地形が理念を破断し、都市をリゾーム的生成へと開いていた。一方、米国の行動はその逆で、理念=国家装置が地形や社会の複雑な生成を再コード化しようとする運動である。しかし両者は対立するように見えて、いずれも“条理空間と滑走空間のせめぎ合い”という同じ構造に属している。

そして最終的には、国家的コード化は必ずリゾーム的抵抗を生む。これは都市でも国家でも変わらないドゥルーズ的原理である。

いまの米国を取り巻く状況も、この構造の延長線上にある。米国の未来は「強くなる/弱くなる」という単純な線形ではなく、複数の力が交錯する分岐点に位置している。
経済・軍事の優位は依然として揺るがないが、国内の分裂は歴史的水準に達し、対外政策は選択的かつ限定的になりつつある。
世界は米国中心の均質空間から距離を取り始め、米国自身は“強いが不安定な帝国”へと移行しつつある。


米国の分裂は、もはや「起きるかどうか」を議論する段階を過ぎ、「どこまで深まるのか」という質的な問題へと移りつつある。
そして日本は、安全保障から経済まで、その分裂しつつある米国に強く依存している。
この現実を正面から受け止めるなら、私たちは従来の前提が揺らぐことを覚悟し、冷静かつ厳しい視点で未来を見据える必要がある。

原広司の地形論とドゥルーズの条理空間/滑走空間と米国の軍事行動と世界秩序をつないで見ているのは、単なる「アカデミックな興味」ではなく、自分たちの生活空間としての日本をどう守るかという問いからである。ここから先、日本に必要になるのは、「米国の分裂」を前提にした安全保障設計と経済ポートフォリオの多極化(米国一辺倒からの脱却) 国内の議論を、輸入された対立ではなく、日本語の文脈で組み立て直すこと、そして記録し、言葉にし、丁寧に議論を残すことが重要となる。



☆☆☆GGのつぶやき
現代日本は、米国の分裂と不安定化、中国の台頭、人口減少や高齢化、経済安全保障の脆弱化、情報空間の混乱、社会統合の揺らぎといった複数の構造的課題が重なる歴史的転換点に立っている。こうした状況で行われた今回の国会解散は、単なる政局の節目ではなく、日本がどの方向へ舵を切るのかを問う「戦略的選択の場」として浮かび上がる。

いま日本に必要なのは、従来の延長ではない抜本的な戦略転換と、制度・社会構造の再設計である。歴史的危機の教訓を踏まえつつ、法の支配や民主主義、多様性、包摂性、イノベーション、社会的レジリエンスを基盤とする「開かれた戦略国家」へと進む覚悟が求められている。

そのためには、①多層的で自律性の高い安全保障、②経済安全保障と技術戦略の強化、③制度・ガバナンス改革、④人材育成と教育改革、⑤情報空間とサイバー領域の防衛、⑥地域構造改革と国土強靭化、⑦社会統合と全世代型社会保障、⑧文化戦略と国家イメージの刷新、⑨シナリオ分析と危機対応能力の整備という九つの柱を総合的に進める必要がある。

今回の解散は、これらの課題にどう向き合い、どの未来像を選び取るのかを国全体に問い直す契機となる。未来を構想し、それを実行する力を持てるかどうか――その覚悟こそが、今の日本に最も強く求められている。




# by my8686 | 2026-01-23 23:23 | 気になる建築&空間 | Trackback