原広司の『集落の旅』は、単なる旅行記でも都市論でもなく、「均質化に抗う空間の論理」を世界の集落・都市の中に探し出す思想的実践だった。
そのため、「地形が都市の均質化を阻む都市」は、原の思考の核心に深く関わっていた。
原は著作(『住居に都市を埋蔵する』『建築の多様性と普遍性』など)で、香港、サンフランシスコ(アメリカ)、リオデジャネイロ(ブラジル)を次のように読み解いている。
均質空間の理念が“地形”によって破られる典型。
・香港 : 山地と海岸線が都市構造を強制的に非均質化。
・サンフランシスコ(アメリカ): 急峻な丘陵がグリッドを歪ませ、均質化を妨げる。
・リオデジャネイロ(ブラジル): 山と海が都市を分断し、用途も階層も非均質に配置される。
それでは個々にみてみよう。
都市の形態が“理念”ではなく“地形”によって強制的にねじ曲げられる、その具体像がよく見えてくる。
1.香港 ― 山地と海岸線が都市を細長く引き裂く都市
香港は、都市化可能な平地が極端に少なく、山地と海岸線が都市構造を物理的に制約する都市。
地形的特徴
- 山地が多く、急峻な斜面が都市の背後に迫る
- 都市は「線状」に発達し、海岸線と交通軸に沿って細長く伸びる
- 260以上の島が点在し、都市の連続性が断片化される
都市構造への影響
- 均質なグリッドや均質なゾーニングは成立しにくい
- 高密度地区(例:九龍)と低密度地区が極端に分離
- 地形に沿った“非均質な帯状都市”が形成される
香港は、均質化の理念よりも地形が都市の形を決定する典型例である。
2. サンフランシスコ ― 48の丘がグリッドを破壊する都市
サンフランシスコは、48の丘を抱える都市で、アメリカ的な均質グリッドが地形によって破られた代表例。
地形的特徴
- 48の丘が都市全体に散在
- 丘陵は急峻で、道路が途中で“消える”ように見える場所もある
- 市街地は半島の先端にあり、海と丘に挟まれた複雑な地形
都市構造への影響
- グリッドが丘陵に突き当たり、道路が途切れたり、異常な勾配を持つ
- 公共交通のカバー率が低くなる地域が生まれる
- 均質な都市計画が地形によって“破断”される
サンフランシスコは、均質グリッドが地形に敗北した都市といえる。
3. リオデジャネイロ ― 山と海が都市を分断し、階層を空間化する都市
リオは、海岸線・山塊・湾が複雑に入り組む地形を持ち、都市を物理的に分断する。
地形的特徴
- コルコバード山、シュガーローフ山などの巨大な岩山が市街地を分断
- 海岸線と内陸の間に山が立ちはだかる
- 湾(グアナバラ湾)が都市の連続性を断ち切る
都市構造への影響
- 山によって地区が隔離され、用途・階層が空間的に分断
- 富裕層地区とファヴェーラ(スラム)が隣接しつつも、地形によって隔てられる
- 都市の拡大は地形に沿って“非均質に”進行
リオは、地形が社会階層の空間配置にまで影響する都市である。
三都市に共通する“地形による非均質性”
香港 : 山地・海岸線・島嶼 線状都市、高密度と低密度の極端な分離
サンフランシスコ : 48の丘 グリッドの破断、交通の不均質
リオデジャネイロ : 山塊・海岸線・湾 地区の分断、階層の空間化
これらの都市は、均質空間の理念が“地形”という現実に敗北する場所である。
「都市の非均質性」の最も鮮やかな実例といえるだろう。
memo
この三都市の読み解きは、ドゥルーズの思考を通すと一気に別の相貌を帯びてくる。
原広司の「地形による非均質性」は、ドゥルーズ=ガタリの「滑走面(plan d’immanence)」と「リゾーム」の概念と驚くほど響き合う。
むしろ、三都市はそれぞれ異なる仕方で「均質空間=国家的・計画的ストラタ」に対して、「地形=生成変化の力」が噴出する場所として読める。
以下、ドゥルーズ的に再構成してみよう。
1. 香港 ― “地形が都市を線状化する”という〈ストラタの破断〉
香港では、山地と海岸線という強烈な地形が、国家的・計画的なストラタを物理的に折り曲げ、均質化しようとする力に亀裂を入れる。
都市は平板な均質空間としてではなく、地形がつくり出す方向性に沿って線状化し、フローがもっとも通りやすい経路へと逃走線が引き出されていく。
また、多島海という断片化された地形は、都市の連続性を分解しつつ、複数の結節点を生み出し、リゾーム的な広がりを形成する。
その結果、香港は「計画された都市」というより、「地形が発する力に導かれ、絶えず生成変化する都市」として立ち現れる。
均質化のストラタに対抗するように、地形そのものが都市の構造を撹乱し、逃走線の束としてのリゾーム的都市空間をつくり出しているのである。
2. サンフランシスコ ― グリッドが丘陵に敗北する〈リゾーム的逸脱〉
サンフランシスコでは、アメリカ的グリッドという国家的コード化の典型が、丘陵という強烈な地形によって絶えず撹乱されている。
均質化を志向する条理空間としてのグリッドは、起伏の激しい地形にぶつかるたびに折れ曲がり、途切れ、滑走空間へと変換されていく。
丘陵は、コード化された秩序を破断し、都市空間にリゾーム的な逸脱を挿入する“滑走面”として働く。
その結果、サンフランシスコは、条理空間が滑走空間に侵食され続ける都市として立ち現れる。
均質化の理念が地形の力によって逸脱へと転じ、都市のあらゆる場所でドゥルーズ的な空間変換が生じているのである。
3. リオデジャネイロ ― 地形が階層を“空間化”する〈力の地図〉
リオデジャネイロでは、山と海という圧倒的な地形が都市を分断し、その起伏が社会階層の配置そのものを空間的に形づくっている。
ここでは階層は理念的に構築されるのではなく、地形がもつ力によって強制的に再配列される。
山塊は権力の分布をねじ曲げる地形的な力として働き、ファヴェーラと富裕層の地区が隣接する独特の配置は、異質なアセンブラージュ同士が直接触れ合う接合面をつくり出す。
また、地形による隔離は社会的コード化を別の形へと組み替え、都市空間を一種の“力の地図”として可視化する。
その結果、リオは「社会を反映する都市」ではなく、地形と権力のアセンブラージュが織りなす動的な配置として立ち現れる。
都市の構造は地形的力の分布そのものに支えられ、そこにドゥルーズ的な空間の生成が読み取れるのである。
三都市を貫くドゥルーズ的構造
三都市に共通するのは、都市を均質化しようとする国家的コード化――グリッド、ゾーニング、計画といった条理空間の装置――が、地形という滑走面の力によって絶えず破断されている点である。山や海、島、丘陵、湾といった地形的要素は、均質化の論理に対して侵入し、都市をリゾーム的な生成へと開いていく。
このとき都市は、理念的に設計された秩序としてではなく、地形・社会・権力・歴史が絡み合いながら絶えず変化するアセンブラージュとして立ち現れる。香港では逃走線が束となって都市を形づくり、サンフランシスコでは条理空間が丘陵によって滑走空間へと侵食され、リオでは地形と権力の配置が都市そのものを“力の地図”として可視化する。
つまり三都市は、都市空間が理念ではなく生成変化の力によって構成されることを示す実験場であり、都市をリゾーム的生成として読むための典型的な三つのモデルとなっている。
1. “均質空間の理念”としてのアメリカ的軍事行動
報道によれば、米軍は150機の戦闘機を動員し、複数の軍事拠点を同時空爆し、マドゥロを拘束するという極めて計画的・均質化された軍事オペレーションを実行した。
アメリカの軍事行動は、徹底した計画性と技術的均質性によって構成される。多数の戦闘機を同時運用し、複数拠点を一斉に空爆し、指導者を拘束するという一連のオペレーションは、ドゥルーズ=ガタリが「国家装置」と呼ぶ条理空間の論理を典型的に体現している。そこでは、軍事技術、作戦計画、制空権の掌握、そして“秩序”の輸出までもが均質化され、世界を国家的コード化の延長として再編しようとする力が働く。
この視点から見ると、アメリカの軍事行動は単なる戦術的行為ではなく、均質空間を外部へと押し広げる国家的ストラタの運動そのものとして理解できる。すなわち、世界を条理化し、可視化し、管理可能な空間へと変換しようとする国家装置の働きが、軍事行動という形で最も純粋に現れているのである。
2. ベネズエラという“地形的・社会的リゾーム”への介入
ベネズエラは、山岳地帯や密林、偏在する油田、都市とスラムの極端な非均質性、さらには民兵や麻薬組織、自治的コミュニティといった非国家的アクターの存在によって、国家が空間を均質化しようとしても容易に貫徹できない構造をもつ国である。ここでは、国家的コード化は常に地形と社会のリゾーム的な広がりに阻まれ、都市や社会の形態は理念ではなく、むしろ地形そのものの力によって決定されていく。
原広司が香港やリオで描いた「地形が社会を規定する都市像」が、国家スケールで展開していると言える。
そのような非均質で生成的な空間に、アメリカの均質化の力――条理空間を外部へ延長しようとする国家的コード化――が介入したことは、まさにリゾーム的空間と国家装置の衝突として理解できる。
3. ドゥルーズ的に見ると
ドゥルーズ的に見るなら、今回の事態はまさに「条理空間と滑走空間の衝突」として理解できる。米国の軍事行動は、徹底した計画性とコード化によって世界を均質化しようとする条理空間の力を体現している。一方、ベネズエラの地形や社会構造は、山岳・密林・非国家的アクターが複雑に絡み合うリゾーム的な滑走空間であり、国家的コード化が容易に貫通できない生成の場である。
この視点から見ると、空爆は空間そのものを再び条理化しようとする試みであり、マドゥロ拘束は権力の再コード化、石油資源の掌握は経済空間の再条理化として読める。
つまり、滑走空間が国家装置の外部で生成してきた領域に対し、条理空間が再び覆いかぶさり、均質化しようとする運動が働いている。
都市で「グリッドが丘陵に敗北する」現象の逆で、今回は“グリッドが丘陵を押しつぶしに来た”という構図が、国家スケールで展開していると言える。
4. 三都市との接続
三都市の分析が示していたのは、「地形が理念を破る」という力学だった。香港では山と海が都市を線状化し、サンフランシスコでは丘陵がグリッドを断ち切り、リオでは山塊が社会階層を空間的に可視化する。いずれも、地形という滑走空間の力が、国家的・計画的な理念=条理空間を撹乱し、都市をリゾーム的な生成へと開いていた。
これに対し、今回の米国の行動はその逆方向の運動として理解できる。すなわち、軍事的・国家的な理念が、地形や社会の複雑な生成を再コード化しようとする試みである。ここでは、地形が理念を破壊するのではなく、理念が地形と社会に覆いかぶさり、滑走空間に条理空間を押し戻そうとする力が働いている。
その結果、力の向きは「地形から理念へ」ではなく「理念から地形へ」、空間の性質は「滑走空間の優勢」から「条理空間の侵入」へ、生成の方向は「ボトムアップ」から「トップダウン」へと転換する。この対比が、三都市の分析と今回の事態をつなぐ鮮烈な構図として浮かび上がる。
5. しかしドゥルーズ的には、「国家の条理化は必ずリゾーム的抵抗を生む」
ドゥルーズ=ガタリの視点から見ると、国家が空間を条理化しようとする試みは、必ずその外側にリゾーム的な抵抗や逃走線を生み出す。今回の米国によるベネズエラへの介入でも、民兵組織の再編、油田地帯での非国家的支配の拡大、国境地帯のゲリラ化、さらには国際的反作用といった“リゾーム的反応”がすでに顕在化している。条理空間の強制が新たな滑走空間を誘発するというドゥルーズ的構造が、地政学スケールで作動しているのである。
この意味で、今回の事態は「都市の非均質性」論を国家レベルへと拡張した例といえる。三都市の分析では、地形が理念を破断し、都市をリゾーム的生成へと開いていた。一方、米国の行動はその逆で、理念=国家装置が地形や社会の複雑な生成を再コード化しようとする運動である。しかし両者は対立するように見えて、いずれも“条理空間と滑走空間のせめぎ合い”という同じ構造に属している。
そして最終的には、国家的コード化は必ずリゾーム的抵抗を生む。これは都市でも国家でも変わらないドゥルーズ的原理である。
いまの米国を取り巻く状況も、この構造の延長線上にある。米国の未来は「強くなる/弱くなる」という単純な線形ではなく、複数の力が交錯する分岐点に位置している。
経済・軍事の優位は依然として揺るがないが、国内の分裂は歴史的水準に達し、対外政策は選択的かつ限定的になりつつある。
世界は米国中心の均質空間から距離を取り始め、米国自身は“強いが不安定な帝国”へと移行しつつある。
米国の分裂は、もはや「起きるかどうか」を議論する段階を過ぎ、「どこまで深まるのか」という質的な問題へと移りつつある。
そして日本は、安全保障から経済まで、その分裂しつつある米国に強く依存している。
この現実を正面から受け止めるなら、私たちは従来の前提が揺らぐことを覚悟し、冷静かつ厳しい視点で未来を見据える必要がある。
原広司の地形論とドゥルーズの条理空間/滑走空間と米国の軍事行動と世界秩序をつないで見ているのは、単なる「アカデミックな興味」ではなく、自分たちの生活空間としての日本をどう守るかという問いからである。ここから先、日本に必要になるのは、「米国の分裂」を前提にした安全保障設計と経済ポートフォリオの多極化(米国一辺倒からの脱却) 国内の議論を、輸入された対立ではなく、日本語の文脈で組み立て直すこと、そして記録し、言葉にし、丁寧に議論を残すことが重要となる。
☆☆☆GGのつぶやき
現代日本は、米国の分裂と不安定化、中国の台頭、人口減少や高齢化、経済安全保障の脆弱化、情報空間の混乱、社会統合の揺らぎといった複数の構造的課題が重なる歴史的転換点に立っている。こうした状況で行われた今回の国会解散は、単なる政局の節目ではなく、日本がどの方向へ舵を切るのかを問う「戦略的選択の場」として浮かび上がる。
いま日本に必要なのは、従来の延長ではない抜本的な戦略転換と、制度・社会構造の再設計である。歴史的危機の教訓を踏まえつつ、法の支配や民主主義、多様性、包摂性、イノベーション、社会的レジリエンスを基盤とする「開かれた戦略国家」へと進む覚悟が求められている。
そのためには、①多層的で自律性の高い安全保障、②経済安全保障と技術戦略の強化、③制度・ガバナンス改革、④人材育成と教育改革、⑤情報空間とサイバー領域の防衛、⑥地域構造改革と国土強靭化、⑦社会統合と全世代型社会保障、⑧文化戦略と国家イメージの刷新、⑨シナリオ分析と危機対応能力の整備という九つの柱を総合的に進める必要がある。
今回の解散は、これらの課題にどう向き合い、どの未来像を選び取るのかを国全体に問い直す契機となる。未来を構想し、それを実行する力を持てるかどうか――その覚悟こそが、今の日本に最も強く求められている。